日本人の民度と品格



政治が人を変え、国を変えることができるのは事実です。
しかしその政治を変えるのは、国民の民度です。
民度こそが、国を変え、人を良い方向に導く力です。
その民度を持つことができるだけの力を、日本国民は持っています。
いまそれが潜在的なものであると思っているのなら、大きな間違いです。
すでに顕在化しています。

20201017 家族
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小名木善行です。

世界の歴史は、東洋史であれ西洋史であれ、支配者が敵対する者を征圧し、また粛清することが繰り返されてきた歴史です。
征圧は、現在においても、たとえば香港での騒動にチャイナ共産党が武力征圧を行っていることにもあきらかなように、21世紀となった現在も続いています。

なかには、泥縄式に国を奪うことで成立した国もあります。
それがチャイナで、たとえば元が滅んで明になった14世紀、明が滅んで清になった17世紀は、いずれも疫病(ペストとされています)の大流行によって人口の大半が失われていました。

これは、我々日本人には想像を絶するような事態で、14世紀に元が滅んだときは、1億2000万人あった人口が、いきなり2500万人にまで減っています。
5人に4人が死んだわけで、ついに「こりゃたまらん」と元の皇帝らが、もといた北の平原に逃げ出し、誰もいなくなった大都(元の首都)を占領して打ち立てた国が明です。

明は、疫病の中心地であった大都(いまの北京)を避けて、南京に首都を置くのですが、それでも15世紀のはじめには、北京に都を移します。
ところがその北京で、17世紀にやはり疫病(これまたペスト)が大流行し、明国全土を覆ってしまう。
これによって明は、9500万あった人口が2000万人にまで減少してしまいます。
こうして誰もいなくなった北京に、北の奉天からやってきた女真族が打ち立てたのが清です。

要するにこれらの王朝は、武力によって前政権を打倒したことに中国史ではなっていますが、実際には誰もいなくなった首都に入り込んで王位を簒奪(さんだつ)して成立した王朝であるわけです。
そういう意味では、清を打倒した中華民国も、欧米列強によって疲弊して統治力を失った清にとって変わろうとした政権ですし、いまの中華人民共和国も、英米に見放されて資金力を失った(統治能力は最初からない)国民党を追い剥ぎして成立した国ということもできます。

本来、疫病が流行しているときは、国をあげてその対策に乗り出す、あるいは君民一丸となって疫病と戦わなければなりません。
それを、疫病による社会の混乱と人口の激減を奇貨として、強盗団を編成し、私欲を満たした挙げ句、ついには国まで奪うことで新国家が樹立されているわけです。
あるいは疫病を外国からの侵逼(しんぴつ)難と捉えれば、やはり君民一丸となって対処しなければならないときに、強盗団を編成するなど、もってのほかといえることなのですけれど、そうした強盗団が国の始まりとなっているわけです。

つまり国の成り立ちが、そもそも強盗団による犯罪行為によるわけですから、国自体が犯罪国家になってしまうし、国のトップが犯罪集団であれば、国民の生活は貧困のどん底にあえぐことになります。
同様のケースは、お隣の半島の歴史にもみることができます。


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何事もそうですが、「そもそものはじまり」というのは、とても大切なものです。
とりわけ国家においては、建国の原点がいずこにあるのかは、国家の紐帯を築き、国民のアイデンティティを形成するうえで、とてもたいせつなことです。

ですから当然のことながら、世界中、どの国においても、あるいは歴史に登場するいかなる国においても、建国史は必ず教えられることです。
ところが残念なことに、戦後の日本では日本の建国史はまったく教えられません。
ですから戦後教育を受けたいまの若者たちは、日本の建国の歴史をほとんど誰も知らないのに、なぜか日本人だという、摩訶不思議な情況になっています。

ところがこの日本建国史を見ると、なんと日本は、征圧や粛清や疫病ではなく、「助け合い」のために国が建国された事実を知ることが出来ます。
世界で唯一、国民みんなが家族のようになって、互いに助け合って行こうとするために国家が建設されたのです。
だから国を家とする「国家」という言葉があるのです。

ではどうしてわが国が、助け合いのために国家を形成しようとしたのか。
そこには2つの理由があります。
ひとつは「天然の災害」。
もうひとつは「天皇の存在」です。

わが国は、戦乱よりも恐ろしい天然の災害の脅威が、常に民衆の生活と隣合わせにあります。
どのような権力者や大金持ちであっても、ひとたび火山が噴火し、台風による洪水が起こり、あるいは土砂災害が起これば、何もかもが失われるのです。
しかもこうした災害が起これば、必ずそのあとにやってくるのが、凶作による飢饉(ききん)であり、ひとたび飢饉となれば、そのあとには飢餓(きが)が襲い、飢餓が襲えば次には疫病が広がって、多くの死者が出るのです。
こうした災害は、権力やお金の有無に関わらず、誰にも(まさに平等に)襲いかかります。
災害は、我々日本人にとって、まさに恐怖の大魔王なのです。

天然の災害は、発生を防ぐことはできません。
ですから必要なことは、災害がいつ起きても、被災者はあっても被害者が出ないように、日頃から準備することが求められます。
その準備のための最大のものが、実は稲作です。

わが国も、万年の単位で永く狩猟採集生活が行われてきたのですが、これが稲作中心の社会に生まれ変わった最大の理由は、稲作によって収穫されるお米が、数年単位での常温保存が可能であるという一点に尽きます。
生活だけなら、実は狩猟採集生活の方が、断然「楽(らく)」なのです。
一日に3時間程度働くだけで、その日その日の食料を手に入れることができるからです。
また、木の実などは、粉末に加工して保存することで、1年程度の備蓄も可能です。
この粉末が、水で溶いてクッキーにして食べていたことは、よく知られています。

ところが、大規模災害が起きると、年をまたがった食糧不足が起こります。
人間、飢餓によって我が子を失うことほど、辛く悲しいことはありません。
それが、稲作によって、数年単位の食料備蓄が可能というのなら、我が子を飢えさせないためにも、おとうちゃん、必死になって土地を開墾するし、夫婦で力を合わせて稲を育て、お米を収穫します。

ところが稲作が普及するようになると、今度は新たな問題として、大規模水害の問題が発生するようになりました。
この対策のために、水路を掘る技術が開発されました。
土を掘ることによって余った残土は盛土(もりど)にして古墳となりました。

次には丈夫な堤防を築く技術が生まれました。
そのためには、大量の土砂を川端まで運ぶ必要がありましたが、これには水田作りの際に築かれた水路が大きな役割を果たしました。
船を使えば、大量の土をいちどに運ぶことができたのです。
こうして古墳に使われていた土砂は、堤防作りに活用されるようになり、平野部は洪水に悩まされることの少ない、稲作にも生活にも適した土地となっていきました。

食糧事情が良くなれば、当然のことに人口が増加します。
けれど一定の土地からは、一定の作物しか収穫できません。
そこで人々は、新たな土地を求めて、全国に広がっていきました。
つまりこのことは、親族が全国に広がっていったことを意味します。

その親族たちは、それぞれの土地に定着し、そこで何百年の時を重ねました。
けれど、もともと、同じ血を引く一族です。
山の向こうには、別なムラがあり、村の血を濃くさせないためには、嫁さんは山向こうの隣村や、そのまた向こうの村からもらうといった習慣が生まれました。

大国主神話に、出雲の八十神(やそがみ)たちがオホナムチとともに、八上の姫を貰いに行くといった描写がありますが、これは今風にいえば、村の青年団が、国をひとつ隔てた因幡の国の八上村の女性たちと、集団見合いに行ったというお話です。

こうした習慣は、つい近代まで、すこし田舎の方に行けば残っていた習慣(集団見合い婚)で、そうすることによって、村の血を絶やさず、また、血が濃くなることを防いでいたわけです。
脱線しますが、戦後は自由恋愛が極端に推奨された結果、農村部では嫁を得ることに極端に不自由し、結果、外国人との間で集団見合いが行われたりするということが起こるようになりました。これは社会の歪(ひずみ)ともいうべきことかもしれません。

一方、稲作は、地方豪族をも発展させました。
各家庭でも、もちろん食料備蓄はしますし、村単位でも、村の鎮守様にお米を備蓄して、いざというときに備えていたのですが、地域全体が被災するような大規模災害が起こったときには、被災しなかった遠隔地の村から食料支援をしてもらわなければなりません。
そしてそのためには、広範囲な地域を統括する豪族がいてくれることが、人々の生活にとってなくてはならないものとなっていきました。

要するに、いざというときのために、
各家庭でも、食料を備蓄する。
村でも、食料を備蓄する。
地域でも、豪族が中心になって食料を備蓄する。
さらに、豪族たちが、互いに連携することで、地域の飢えを防いでいく。
といったことが行われるようになっていったわけです。

ところが、実は、これだけでも足りない。
なぜかというと、わが国では数十年に一度、東日本大震災のような大規模災害が起こるからです。
こうなると、地域の力だけではどうにもならない。
このときに、やはり頼りになるのは、地域の人々にとっての本家のなかの総本家である中央の朝廷です。
そこで朝廷にも米を備蓄する。
それだけではなく、中央から国司を派遣してもらうことで、地域をまたがった、広域での非常食料の手当を可能にしていく。
そして国司は、担当する地域の人達が、決して飢えることがないように、最大限の力を発揮していく。
要するにわが国では、国と地方と村々が一帯となった災害対策が不可欠であったわけです。

こうした伝統から、戦前戦中まで、わが国では税の滞納をする人というのは、ほぼ皆無で、納税期間中に、催促がなくても全住民が、必ず確実に納税を済ませるという習慣が根付いていました。
なぜなら、納税は、いざというときのための災害保険どころか、命を守る手立てでもあったからです。

ところが、実は、これだけでも足りないのです。
どういうことかというと、災害時の困難も、人は安定した平時になれば、その苦労を忘れてしまうし、世代を越えたら、なおさら苦難は忘れ去られてしまうからです。

これを補うために必要なことが教育です。
教育によって、過去の災害を忘れないようにする。
どのようにして、どのような災害が起きたのか。
そのとき、人々はどのようにして身を守り、互いに助け合ったのか。
そのおかげでいまの命があることを、けっして忘れないためには、教育は不可欠の要素となりました。

万葉集において、一般の庶民が歌を詠み、また文字を記したことが、世界の歴史では信じられない出来事であるがゆえに、昨今では日本人なのかどうかさえも疑わしい一部の学者のセンセイが、庶民が字を書けるはずがないから、庶民の歌とされているものは、貴族たちの贋作だ、などと証拠もないのにデタラメを述べていますが、そうした論説は、わが国が災害大国であるという事実を完全に見落としています。
そういう馬鹿者が出ないようにするために、わが国では古来、学問を通じて、過去を忘れないという取り組みが行われてきたのです。
学問は、わが国において、人々が生き残る上での必要条件であったのです。

そして国をあらためて統一していこうということになったとき、中央の朝廷が、この学問を中心とした文化の担い手となっていくという選択が行われました。
それまで、地方豪族ごとにバラバラだった神代文字を、あらためて神代文字を元にした漢字を用いることで、ひとつひとつの文字に、さまざまな意思を重ね合わせて、歌を詠む。
この技術は、高い教養に裏付けられなければ、実現できないことです。
そしてその高い教養を、中央の朝廷が中心となって担い、国司がその伝達者となることは、国司が地方の豪族や庶民教育の担い手になるということでもあります。
つまり、国司は、単に国司というだけでなく、地域社会における師匠の役割をも持つようになるわけです。

なかでも、とりわけ優秀な地方の国司の子女は、中央の朝廷に采女として採用になるということも行われました。
そのなかで、よく知られているのが、源氏物語を書いた紫式部です。
紫式部の父は、越後の国司で、これまたたいへんに優秀な人でした。

こうしてわが国は、文化といざというときのための災害対策という二つの面から、国の統一を図りました。
そしてそうすることでわが国は、征圧も虐殺も粛清もしないで、国を統一するということを、実現してきたのです。
これは世界史的にみて、まさに稀有(けう)なことであったのです。

いま神社に行って、参拝をするとき、参拝には作法がありますが、その作法を守らなかったからといって、逮捕されることもなければ、罰金を払わせられることもないし、誰からの強制さえもありません。
ところが我々は、ちゃんと作法通りに参拝するのがあたりまえのことだと思っています。

なぜならそれは、過去何百年何千年と繰り返されてきた伝統だからです。
そしてその伝統を自分が守ることで、自分の後輩たちが、また伝統を保持してくれます。
つまり、過去現在未来という時間の流れの中に、日本人は自分自身を位置づけるということを、ごくあたりまえのように行っているのです。

何事につけ、強制されなくてもちゃんとできるということは、民度の高さのひとつの象徴です。
我々日本人は、ひとりひとりの民度の向上によって、国のレベルもあがるし、より住みよい国になることを、誰もが(本能的に)知っています。

治が人を変え、国を変えることができるのは事実です。
しかしその政治を変えるのは、国民の民度です。
民度こそが、国を変え、人を良い方向に導く力です。
その民度を持つことができるだけの力を、日本国民は持っています。
いまそれが潜在的なものであると思っているのなら、大きな間違いです。
すでに顕在化しています。

日本版のyotutubeのチャンネル登録者数や再生回数の上位をみたらわかります。
トップの動画なんて、再生回数5億回です。
日本の人口の4倍です。テレビの視聴率に換算したら、700%を上回るという、ありえない数字です。

それら上位の動画には共通点があります。
つまりそれは多くの日本人に共通した最大公約数的共通点です。
それは、
 かわいい、たのしい、笑えるね
です。

そしていま流行っているアニメの『鬼滅の刃』は、きわめて日本的な純粋さや真面目さを持っています。
悩んだり苦しんだりするけれど、純粋でひたむきなのです。

動画は現在の世相を反映します。
アニメは未来の日本を築きます。
明らかに日本も日本人も変わりつつあるのです。

ひるがえって現在の政治や時事の言論界を見ると、「批判、評論、無責任」であふれかえっています。
完全にスター・ウォーズの暗黒面ならぬカンコク面に堕ちています。
堕ちているから誰も相手にしないし、相手にされないから投票率も下がるし、投票率が低いから、少数の我利我利亡者の利権主義者たちが、より一層好きなようにできる、かわいくなくて、たのしくなくて、怒りしかなくて、純粋さやひたむきさの欠片もない世界になっています。

それでは日本人は誰もついていくことができない。
政治はますます国民から見放されるほかない。

ところが一方で日本は天然の災害の多い国だし、世界も日本もいまIT化によって大きく変貌しようとしています。
IT化化でわかりにくいなら、これから自動車は自動運転が主流になって、運転手がいならなくなるし、武器はミサイルさえも役に立たない時代になる。
映像も、いまはまだパソコンやスマホの画面の中だけだけれど、近い将来には360度の視界のすべてがバーチャルリアルにつつまれるようになる。

そうした情報空間や、リアルの災害対策などの法制化などに関して、政治がなすべき課題は多い。
たとえば自動運転で運転手さえもいない車が、事故を起こしたら、その責任は誰の責任かという問題があります。
これまではドライバーの責任でしたが、今度はそのドライバーがいないのです。
運転はコンピューターが行っています。
ならば、そのコンピューター会社の責任なのか、それとも自動車会社の責任なのか、その車両の所有者の責任なのか。

いまはまだ世界中の誰も答えを出すことができないでいます。
けれど、決めなければならないし、決めるためにはそれは世界標準の条約批准、つまり国際法にしていかなければならないのです。
そこに中共やコリアのような、平気で約束を破って自己の利益ばかりを図ろうとする連中がリードを取るようになったら、それこそ日本のみならず、世界はおしまいです。

つまり日本の政治は国際的にもしっかりと主体性を発揮できる政治にならなければならない。
けれどいまの、野党がただ無責任に反対するだけという、日本の政治の枠組みでは無理です。
だいたい「責任ある政治」を標榜する政党や政治家は多いけれど、これまで責任をとった政治家など、ごくわずかしかいません。
そもそも世の中というものは、「ないものねだり」です。
「責任ある政治」が標榜されるということは、いまの政治が無責任政治になっているということの裏返しでしかないのです。

いま、コロナで自宅待機で、断捨離が流行っていますが、政治もまた、断捨離をすべきときです。
国の役に立たない政治家や政党は、掃除する必要があります。
ついでに雑巾がけして、磨き上げなければ、なりません。
そしてそれは、国民の役割です。
だからこそ、国民に民度が必要なのです。


お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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