現在を否定するばかりでは、未来は決して開けるものではありません。 部屋の掃除と同じです。部屋が汚い、汚いと憂いていても、何の問題の解決にもならない。同様に、どこがどのようにどれだけ汚いかを延々と指摘し続けたとしても、それは一定の共感を得るかもしれないけれど、それで部屋がきれいになることは絶対にない。 結局、部屋が汚れているなら、掃除をするしかないのです。散らかったものを片付け、掃除機で誇りを吸い、丁寧に雑巾がけする。 だからまずは、雑巾を手にしようではないか、というのが、いってみれば、この12年間の主張のすべてです。というより、雑巾そのものを探し回っていた12年といえるかもしれない。 そうすることで出てきた答えは、日本の雑巾がけの根幹が「知らす国」にあることです。 知らす国を取り戻す。それが日本復活の決め手です。 ぶらさがりだけではダメなのです。 |

画像出所=https://www.irasutoya.com/2018/10/blog-post_76.html
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
最近では、情報発信媒体としてのブログのアクセスが落ちていて、多くの人は動画媒体としてのYoutubeからの情報収集を行う時代になってきたと言われています。
少し前なら、映像を観るよりも読んだほうが速いということがあったのですが、いまではYoutubeの仕様で、動画を1.25〜2倍速で再生できるようになり、多くの若者たちが、動画を倍速で再生することで時短をしながら、さまざまな情報にアクセスしているといいます。
こうしたことは、影響力という意味において、きわめて大きな意味があり、同じ情報でも文字媒体で知る人よりも、映像媒体で知る人のほうが圧倒的に数が多い。
たとえば近いところでは、米国大統領選における、トランプかバイデンかの情報があります。
新聞・テレビなどの既存の情報媒体はいずれもバイデン押しで、CNNを筆頭にもはやバイデン候補に当確がでたかのような扱いをしています。
もっとも討論は、トランプさんの勝利に見えましたが。
ところが動画媒体では、実際の大統領選の票が、州ごとの選挙人の数によって決まるという大事な点を伝え、おそらくトランプが勝利するであろうという予想を多くの人が語っています。
とりわけ最近明らかになった、ハンター・バイデンというバイデン候補の息子が、チャイナとズブズブの関係にあり、完全に法律を無視した売国行為を行っていたこと、それらの行為がバイデン候補の了解のもとで行われていたことさらには幼児性愛というとんでもないことを行っていたことなどが次々と明らかにされ、このままでは大統領選挙にバイデンは自ら引退を表明するしかないのではないかといった情報が伝えられています。
それらの情報が、単なる思い込みや、とんでも説ではないものであり、事態を正確に伝えるものであり、かつ、大手メディアが、あまりにも思想的な偏向が著しく、またあるいはごく一部の黒幕と呼ばれる人たちの金儲けのための情報操作の影響下にあることが、さらに一層、正しい情報を伝える媒体としての自由な空間が広がりを見せているということができます。
おもしろいもので、これはYoutubeに限らずブログでも同じなのですが、いま話題になっていることにぶらさがって、それについて情報発信をすると、Youtubeなら再生回数がものすごくあがるし、ブログなら訪問者数がものすごくあがります。
典型的なのが、朝のテレビの報道番組です。
今日のニュースベスト10などがフリップに出されて、そのニュースについて、コメンテーターが適当なコメントをするというだけの、あるいみきわめて安直な報道ものですが、それが視聴率が一定数必ずあがる。
これと同じです。
要するに、多くの人が興味や関心を持っていることに、相乗りする形でたとえばYoutubeの番組をアップすれば、それは必ず一定以上の再生回数に至る。
このことはYoutubeに限らず、さまざまなことでいえようかと思います。
もちろん、ブログも同じです。
いま世間を騒がせている問題を記事として扱えば、賛否両論起こってアクセス回数があがります。
まあ、あたりまえのことといえます。
ところがねずブロは、いまこの瞬間に話題になっている時事問題とは、全然関係ない記事を、日々、かれこれ12年にわたって連載しています。
それでいて、ブログとして一定の上位に居続けてくることができたのは、これはひとえに皆様の応援あってのことです。心から感謝申し上げたいと思います。
ものごとには、対処療法と根治療法があります。
いま時事問題として、次々と様々な問題が起きていますけれど、これだけ程度の低い問題が日々続くとなると、それはただいたずらに、問題だ問題だと騒ぎ立てるだけでは、全然問題の解決にならないし、さりとて、ここまで問題が連続していれば、それは対処療法で解決できるレベルをはるかに超えているといわざるをえません。
そうであるならば、問題の本質を得て根治療法を行うのに必要な建国の原点や、日本的な歴史伝統文化に関する考察を、いまいちど根幹に帰って考え直してみる必要がある。
なぜなら、対処療法ならず根治療法にも、根幹となる原因の解明に必ず答えがあるからです。
そうであれば、根治療法のために必要な日本の原点を、まずは再考してみる。
その日本の原点も、戦後75年かけて、ことごとく壊されてしまっているのが現状です。
早い話、日本の形が築かれた古代〜中世については、貴族は男女とも淫らで権力を振りかざすだけの悪徳者としてしか認識されていないし、みなさまのお好きな戦国時代にしても、大名たちは暴徒の親玉、ヤクザの親分と同じ扱い、さらに江戸時代の武士は、庶民からの収奪者にされてしまっている。
さらにいえば、日本の中世は鎌倉時代からで、奈良平安の時代は古代にされてしまっています。古代というのは、断片的な史料しかない、よくわからない想像の時代のことを言います。
日本の芸能も、武士の常識であったお能は、なんだかよくわからないものに分類され、全国津々浦々にあった歌舞伎は、いまでは銀座の歌舞伎座だけしかないような扱いです。
先の大戦については、皆様よくご存知のとおりです。日本の大義はどこへやら、日本はただの侵略者、戦時中の軍人は戦争犯罪人の殺人鬼にされてしまっている。
要するに、私達が日本を取り戻そうとしたとき、その原点となるべき日本の姿が、ものすごく大きく捻じ曲げられてしまっているわけです。
従って、巷間説かれている歴史資料等で日本を再考しようとしても、まったくそれができないようにされている。
よく引き合いに出されるのが神話で、神話を学べとよく言われるけれど、我々が日本神話を学ぼうとすれば、そこにあるのは、大国主さんがウサギさんとお話したのですよ、といった程度の、日本昔ばなし的な子供向け神話しかありません。
大人が読んで納得できるだけの内容を持った神話の本は、ごく最近発売された一部の本を除いては、ほとんどないと言って良い。
これでは、日本の取り戻しようがないのです。
そうであれば、日本の古典文学まで立ち返って、あるいはもっと古い縄文時代から、武家の時代、明治以降の時代すべてにわたり、日本の歴史や、日本の文学を再考していく必要がある。
その道は遠いけれど、誰かがやらなければ、誰もやらないなら、日本を取り戻すことなど、永遠に無理になってしまうかもしれません。
困った時は原点に帰れとは、よく言われる言葉です。
しかし、いくら原点に帰っても、原点の認識自体が間違っていたら、そこから正しい答えを導くことは(あたりまえのことですが)不可能です。
一方、原点の認識を変えれば、それは既存の思考者たちから袋叩きに遭います。
当然です。
異端説になるし、既得権者のすべてを敵に回したようになるからです。
ただ私自身は、そういうことがまったく気になりません。
なぜなら、私がやろうとしていることは、既存説と対立することでもなければ、論争することでもないからです。
やりたいことは、ただひとつ。
行き詰まったら、根本から別な見方をしてみれば?ということに尽きます。
そうすることで、いままで見えなかった様々なものが見えてくる。感じることができる。あるいはそこに感動がある。
ですから学説論争する気など、毛筋ほどもありません。
もちろんそんな機会があれば、いくらでもお相手しますが、従来説を否定しているつもりはないので、そもそも論争になるかどうか。
否定からは何も生まれないのです。
そういうことではなくて、
『 違う角度で考えてみる 』という
『 複眼的思考 』によって、もっと美しい世界を、もっと楽しい世界を、もっと素晴らしい世界を、もっとおもしろい世界を楽しんでいこうというのが、基本的主張です。
なぜなら、おもしろさ、たのしさの中にこそ、私たちの未来をひらく鍵があると思えるからです。
現在を否定するばかりでは、未来は決して開けるものではありません。
部屋の掃除と同じです。
部屋が汚い、汚いと憂いていても、何の問題の解決にもならない。
同様に、どこがどのように汚いのかを延々と繰り返したとしても、それは一定の共感を得るかもしれないけれど、それで部屋がきれいになることは絶対にない。
結局、部屋が汚れているなら、掃除をするしかないのです。
散らかったものを片付け、掃除機で誇りを吸い、丁寧に雑巾がけする。
だからまずは、雑巾を手にしようではないか、というのが、いってみれば、この12年間の主張のすべてです。
というより、雑巾そのものを探し回っていた12年といえるかもしれない。
そうすることで出てきた答えは、日本の雑巾がけの根幹が「知らす国」にあることです。
知らす国を取り戻す。
それが日本復活の決め手です。
ぶらさがりだけではダメなのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行でした。
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コメント
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2020/10/26 URL 編集
松さん
ぶら下がりの定義が『多くの人が興味や関心を持っていることに相乗りする形』だとすれば、私は「ねずブロのぶら下がり」かも知れません。
毎朝の「ねずブロ」を、考え事のネタにさせて戴いてますからね。
但し、1から10まで、いわゆる「信奉」してる訳ではありません。
天下国家や子育ての話まで?
ねずさんって全知全能なの?
そんなことは有り得ませんから。
さて、いわゆる「ゴミ屋敷」で平気で暮らせる心理の方々がいます。
他人様が片付けても、すぐに元の木阿弥になります。
要る物か要らない物か?
処分の順番も決められないし、そもそも、汚れとか汚いなどの概念がありません。
(手が届く範囲に物があって、自由にならないと気がすまない?)
また、ルイ14世みたいに風呂が嫌いな方もいます。
確かに、裸になるのは面倒臭いです。
(入浴しないと妻から大目玉!)
『常に毛穴全開だから外敵の侵入を防げない!』
そう仰る方もいます。
これって実に意味深な言葉です。
狭くて人が少ない我国。
それでも、生まれや育ちや教育は微妙に違います。
物の見方や判断や評価が異なり、身体や姿は如何に清潔でも、心や志が不潔な者はウジャウジャいます。
私?
少なくとも、ゴミ屋敷のような國體(くにぶり)や、心身共に不浄な生き方だけは御免被ります。
2020/10/24 URL 編集