国ではなかった李氏朝鮮



 ねずブロのブログランキングの登録を、政治経済から日本史に変更しました。
 筆者がやろうとしていることは、歴史を通じた政治以前にある日本人の覚醒でにあります。これは常識を当てはめてみることで疑問点を洗い出し、真実を得ていくという問題解決の技法そのものです。
 これまで12年間、政治経済にジャンルを置いていたのですが、このカテゴリーにあるブログの多くが、批判や批評、つまり対立にあります。なるほど現状がだめで問題だらけであることは確かですが、さりとて、たいへんだ、たいへんだと騒いでばかりいても、何も変わりません。
 対立よりも共生、批判よりも学び。
 その姿勢は今後も変えるつもりはないし、そうしたブログが現状のジャンルにあるという必要もないのかなと考え、今回の変更に至りました。
 みなさまにおかれましては、相変わらずのご贔屓を賜われれば幸いに思います。
   小名木善行 拝


明治の始めの頃です。日本を次のように言った国があります。
「日本は無法の国である」
「恥知らずである」
「洋装洋服は、衣服容貌ともすでに日本人ではない」
「(明治維新など)天下の笑うところである」
150年前のことです。さて、これを言ったのはどこの国でしょうか。

20201024 紅葉
画像出所=https://www.jalan.net/news/article/280904/
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小名木善行です。

明治の始めの頃です。日本を次のように言った国があります。

「日本は無法の国である」
「恥知らずである」
「洋装洋服は、衣服容貌ともすでに日本人ではない」
「(明治維新など)天下の笑うところである」

150年前のことです。さて、これを言ったのはどこの人たちでしょうか。

 *

明治元年(1868年)に、日本は諸外国に使節を送り、明治新政府の樹立を告げて新たな国交と通商を求めました。
これは新たにできた政府が当然行わなければならないことで、国家というものは、世界各国の承認を経て、はじめて独立した国家となり、またその政府がその国を代表することが承認されるからです。

日本は、李氏朝鮮にも使節を送りました。
もっとも使節となったのは対馬の宗氏です。
このことはとても重要な点です。

なぜなら、当時の李氏朝鮮は、国として認められていなかったからです。
あくまで「李氏朝鮮は清国の一部」という認識です。
だから使節も、日本国政府(明治新政府)が直接行うのではなく、対馬の宋氏に挨拶を委ねています。

単に地理的要因から宋氏が派遣されたということではなく、相手が清国の一部だから、日本側も日本の一部である宋氏が挨拶に出向いたのです。
繰り返しますが、李氏朝鮮は、当時の国際社会において「国」として認められていなかったのです。
これを属国といいます。
属国は属国であって、国ではありません。国のなかの一地方です。

宋氏は明治新政府の親書である「皇政維新の書契」を持参しました。
そして明治新政府共々、対馬も従来どおりの勘合貿易と海難事故による漁民や商人の漂流民の保護などを継続したいと朝鮮側の官吏に伝えました。

ところが朝鮮側の外交官は、その親書を受け取ろうとしません。
理由を尋ねると、文書の形式が礼義にかなっていない、印鑑がいけない、文字の位置が違う、「天皇」の「皇」という字がいけない、「天朝」という言葉も使ってはいけないなどと言う。

そこで宋氏が、朝鮮通信使時代の朝鮮側の文書にも「天朝・皇朝・朝臣」という文字が使われてきたことを、証拠を示して追及すると、朝鮮の外交官は急に「病気」になって、話し合いを引き延ばしました。

日本側は朝鮮側の主張に従って、哀れなほどに文書を何度となく書き直したりするのですが、交渉はまさに堂々巡りで、朝鮮側が前言を翻すことは日常茶飯事、その場限りの嘘やごまかしが幾度も繰り返されます。
それでも日本側は、証拠を示しながら正論で馬鹿正直なほど辛抱強く交渉をし続けていました。

そして明治9年に、ようやく「日朝修好条規」が結ばれました。
実はこれまた世界史上、たいへん重要な意味を持ちます。
なぜならこのとき世界ではじめて、日本が李氏朝鮮を「国」として認めてあげたことを意味するからです。
朝鮮側の官吏たちも、これでようやくプライドを満足させて、交渉に応じました。

ところが、この交渉にあたっていた朝鮮側の官吏たちは、朝鮮王の命令によって、
「日本に対し私利を図るために
 不誠実な交渉をした」
という理由で、全員、斬首刑となりました。

なんとも理不尽な話のようですが、ところが、これまた当然のことです。
なぜなら、李氏朝鮮が日本国と条約を結ぶということは、李氏朝鮮が清朝から独立をしたことを意味するからです。
そんなことを清朝は李氏朝鮮に認めていません。
ということは、これは重大な、李朝の清朝に対する反逆行為となるのです。
ですから当時の李王が、朝鮮側の官吏たちを全員処刑したのは、実に筋の通った行いであったのです。

時代が前後しますが、明治7年4月、日朝交渉をしていた日本側代表が、ある朝鮮の文書を入手しています。
それが『朝鮮 人待日本人六条』という文書です。
日本の江戸時代中期(元禄時代)頃に当たる頃に書かれたものとされます。
内容は以下の通りです。

 ***
《朝鮮 人が日本人をあつかうの6ヶ条の秘訣》
1 遜辞・・自分を低くして接し言葉遣いも雰囲気もうやうやしくおだやかにする。
2 哀乞・・困りきったような情をあらわして憐みを乞う。
3 怨言・・精神を失ったかのように激しく怒り、はらわたから激しい怒りを表す。
4 恐喝・・威圧を加えて脅し、先手をとって威嚇する。
5 閃弄・・時に乗じて日本人をおもいのままにもてあそぶ。
6 変幻・・同じ態度を継続しないで、態度をコロコロ変えて眩惑し、日本人がコチラの心理を推し量れないようにする。

(原文)
《朝鮮 人待日本人六条》
一 遜辭  屈己接人辞氣温恭
一 哀乞  勢窮情迫望人見憐
一 怨言  失志慷慨激出怒膓
一 恐喝  将加威脅先試嚇動
一 閃弄  乗時幸會翻用機関
一 変幻  情態無常眩惑難測
 右元禄年
 ***

さて、李氏朝鮮との以上の交渉が、どこで行われていたかというと、実は朝鮮半島の内側です。
この時代まで、釜山の港湾内に「倭館」と呼ばれる、およそ6万坪の石垣で囲んだ城郭様式の対馬藩の館がありました。
6万坪といえば、長崎の出島のおよそ15倍の面積です。
そこには対馬藩士や日本の商人などが常時数百人滞在していました。

この館は、明治新政府の廃藩置県(明治4年)後、日本政府の領事館として、「釜山草梁公館」と呼ばれるようになるのですが、朝鮮側との交渉は、ずっとここで継続されています。
ところがその「釜山草梁公館」の門番宛に、朝鮮の官吏が示した日本批判があります。

「日本は無法の国である」
「恥知らずな国である」
「洋装洋服は、衣服容貌ともすでに日本人ではない」
「(明治維新など)天下の笑うところである」
 (亜細亜歴史資料「公文別録」の「朝鮮始末(一)」p19)

これが何度も繰り返されました。
普通、他国のいわば大使館に、こうした文書をその国の政府が行えば、それは挑発行為として開戦理由となります。
つまりそれらの文は、宣戦布告に等しいものでした。

けれど日本政府は動かない。
動きようがないのです。
李氏朝鮮は、あくまで清国の一部です。
ということは、李朝を叩けば、それは日本と清国の戦争になることを意味します。
できたばかりの日本に、清朝を相手に戦争を行うだけの力はありません。

このことは立場を変えて見ればよくわかります。
たとえば対馬藩が、半島に嫌がらせをしたとします(そんなことは絶対に起こりませんが、あくまで仮の話です)。
これに腹を立てた半島の暴徒が対馬に攻め込めば、事は対馬と半島の対立の問題ではなく、日本国政府が暴徒の鎮圧に乗り出すことになります。これと同じことです。
つまり李朝は、清朝という虎の威を借りて威張り、日本に無理難題を突きつけていたわけです。
普通、こういうのを世界標準では、「卑劣」と言います。

それにしても李氏朝鮮の態度は、見過ごすことができないものです。
そこで起こったのが征韓論です。
西郷隆盛が、自分が大軍を率いて李氏朝鮮に直談判に行くと言い出したのです。
西郷隆盛の、この建議が通り、実行されていれば、その後の李氏朝鮮の侮日政策はピタリと止んだものと思われます。

ただし、清国との関係は悪化します。
西郷は、この当時の清国が、欧米列強に侵食されていて身動きがつかないであろうと読んでいます。
しかも日本は、形式的にはあくまで李氏朝鮮に行列を仕立てて挨拶に出向いただけで、清朝と事を構える意思はまったくないことを、事前にしっかりと明らかにしておけば、この李朝との交渉は、必ず丸くおさまる。
そしてそれだけの交渉ができるのは、西郷隆盛だけであるとしたわけです。

ところが明治新政府は、これに反対し、しかも西郷隆盛を、中央から追い払ってしまいました。
なぜなら、もし日本からの使節団の大軍が、李朝内でなんらかの武力衝突を起こしたとき、日本は清朝と戦争に至ることになるからです。
この時点の明治政府には、清朝と交渉できるだけの力(戦闘力のことです)がない。
だからこそ西郷隆盛が出張るという話なのですが、明治新政府は万一の事態を恐れたわけです。

これが明治6年のことです。
その21年後には、日清戦争が起こっています。
日清戦争は、李氏朝鮮の内部の権力争いに、日本と清国が巻き込まれて始まった戦争です。
李朝の内部では、日に日に力を増している日本に付くべきか、日に日に力を失っていく清国の一部であり続けるかが、議論になるのです。
そしてこの内部抗争に、日清両国が巻き込まれて、結果、国対国の戦争に至っています。

日露戦争も同じです。
ロシアの南下圧力が懸念材料ではありましたが、歴史を調べてみると、当時の李氏朝鮮が今度は(やはり半島内部の権力闘争のために)清国に代わってロシアに付いたり日本に媚びたりを繰り返していた。
結果、ロシアと日本だけが戦争をしていた。

戦後に起きた朝鮮戦争も、よく似ています。
朝鮮戦争は、直接的には北朝鮮と韓国の戦争ですが、気がつけば、米軍とチャイナの人民解放軍だけが戦争をしていました。
当時の韓国の大統領の李承晩など、することがなくなって、李承晩ラインなどを勝手に敷いて日本の九州まで韓国領土だと勝手に決めたりしていました。

日本がGHQによって占領統治されていた時代のことです。
さすがにこれには連合国最高司令官のマッカーサーが怒って、マッカーサーラインを引いて李承晩の主張を退けましたが、このとき、縮尺の大きな地図に引かれた線上の微妙なところにあったのが竹島で、いまでも韓国は竹島を自国の領土だと勝手な解釈をしています。

いずれにしても、朝鮮戦争では、気がつけば米軍と中共の人民解放軍が戦争をしていたわけで、これでは、何のための戦争なのかわからない。
そもそも国と国との戦争であるならば、戦争当時国がちゃんと戦争を行うべきで、どうして招待された客同士が争わなければならないのか・・・というわけで、韓国抜きで米軍と中共+北朝鮮との間で勝手に38度線で休戦を決めて、現在に至っています。

国際的に認められた「国」ではなくて、認められていない「半国家」という曖昧な立場を最大限利用することで、傍若無人を繰り返す。
こうした手口は、ヤクザでもない、一般人でもないという、曖昧な立場を利用することで、かつて大暴れしていたひとむかし前の愚連隊と変わりません。
戦後の朝鮮進駐軍も同じです。
実際には敗戦国である日本の一部であったにもかかわらず、日本が戦争に敗れるや、とたんに手のひらを返して戦勝国を名乗る。

冒頭にある「無法の国である」、「恥知らずな国である」という彼らの言葉は、そっくり彼らに返したいものです。
あ、そうか。彼らは国ではなかったですね(笑)。

今日のお話は、半島の悪口を言いたいのではありません。
そうではなくて、主体性について、考えたいというのが本稿の趣旨です。

国であるということは、国際社会において、一定の発言権が認められると同時に、当然に国家として国民への、そして国際社会への責任を負うことになります。
言い方を変えると、国であるということは、国という主体になるということですから、当然に主体性を持たなければなりません。
そして主体性には、当然に相応な責任がともないます。

このことは個人も同じです。
大人は子供のような保護者がいませんから、自分自身で主体的に行動します。
そしてその責任は、行動した大人自身が負います。あたりまえのことです。

ところが、そうした主体性を持たず、あるいは曖昧にしたままで、上下関係だけをことさらに強調する人たちがいます。
こういう人たちは、上に立てば下の人を支配できると考えます。
それでいて、上に立っても主体性がない。
あるのは、欲得だけです。
そしてこういう人たちに共通するのは、対面や体裁ばかりを気にする、ということです。
そうした人たち(つまりかつての半島的な人たち)が、昨今の日本にはたいへん増えているように思います。

主体性を発揮するというのは、実はとても大切なことです。
いわばひとりひとりの大人が、独立国のようなものだからです。

では主体性とは何かといえば、それは、
「いかなる状況に置かれても
 自分の価値観に基づいて
 反応を選択する力」

です。

このことは、もっと簡単に言うと、
「物事を他人のせいにしない」
ということです。

反日運動をしている国や人々がいます。
そうした人たちは、いかがでしょう。すべてを「日本のせい」にしています。
そして被害者を装います。

最近では「被害者ビジネス」などという言葉も造語されるようになりました。
けれど、被害者を装うということは、自らの主体性を否定しているということです。
「人のせいにしない」
「何事も自分で責任を持つ」
これは、日本人と言わず、世界の良識ある大人の常識です。

似たようなものに、遺伝子的決定論(受け継いだ資質)とか、心理学的決定論(幼児体験など)、環境的決定論(周りの状況)などがあります。
これらは、すべて、責任が全て外にあるという考え方ということができます。
主体性を発揮した自分自身での決定力があることを、ある意味否定しています。
自分自身がどこにもいないのです。

自分の人生の意義と意識はどこにいってしまったのでしょうか。

国も個人も同じです。
国家としての意義や意識を持つこと。主体性を持つこと。
個人として、自分の人生に主体性を持って、意義や意識を持つこと。
それがなければ、周囲に迷惑をかけるだけの存在に成り下がってしまうのです。


お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。


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コメント

上城孝嗣

共鳴しました。
はじめまして。

ジャンル変更「日本人の覚醒」に共感しコメントさせていただきます。

私も日本人が本来の姿に気づき早く目覚めてほしいという思いで、ニュースを中心に最近動画をアップしていたのですが、SNSでのコメントが中国や韓国の誹謗中傷一色に染まる傾向に「何か違う・・・」と感じ、内容を変えたばかりです。

先生の記事を動画にして(できれば定期的に)使わせていただこうと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

湘南童子

誠に以て

篤く供養すべきものと存じます



日本国を始め万国全地域の天命が完うされますように


no name

 先生には、今後とも精力的に発信して下さいますように
 お願い申し上げます。

 そのうえで、
 先日の「柳川一件」のお話は、本当に
 武家社会には「空理空論の戒め」とだけ伝わっていたのでしょうか。
 疑問を呈せざるを得ません。

 国書改ざん、偽造の常態化。あろうことか当事者でもある家老の
 幕府へのリーク、主君との対立。
 昔から変わらぬ朝鮮半島。私などほその多くを先生から学びました。
 その最前線で対峙する苦しくも悩ましい対馬藩の立ち位置。

 現代とたいして変わらないようにも思えます。
 そして裁定の結果は藩内で対立する双方に死罪もあったとか。
 喧嘩両成敗のようであったとも。


 あらためて、先生のお話が伺えると幸いです。     拝。
 

松さん

主体化と客体化
国家間には国際法があり、国には国内法があります。
主体性を持つと言っても、それらの法の範疇でのことです。
ですから、理不尽な言いたい放題や遣りたい放題は通りません。
更に、国であれ個人であれ、主体性発揮には責任がと伴います。

では、現実はどうでしょうか。
全世界!対等平等を認め合う国家関係ばかりではありません。
聞く耳など持たない国もあります。

ねずさんは仰い続けています。
対立よりも共生!
批判よりも学び!
全くその通りだと思います。

誰もが、どんなに厳しくても中今を生き抜かねばなりません。
国の存亡を忘れた言説の客体化など、言語道断の所行だと思います。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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