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ただ父さんが働いているから、それに感謝する日なのだという文化なのか。 それとも、古代から続く日本という国に感謝し、いま生かされていることに感謝し、陛下の祈りに感謝し、そしてより良い明日を願い、新たな出発の日とする文化なのか。 どちらを好ましいとする国柄を築くかは、これからの日本人次第です。 |

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https://www.sankei.com/life/news/171123/lif1711230028-n1.html(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
よく「祝祭日」という言葉が使われますが、戦後の法律には「祝日」はあっても「祭日」はありません。
祭日は戦前戦中まで、明治41年皇室令第1号の「皇室祭祀令」によって定められた日のことで、この名称が簡略化されて「祭日」と一般に呼ばれていたものです。
戦後はGHQによって「皇室祭祀令」が昭和22年に廃止され、同年付で「国民の祝日に関する法律」が施行されました。
ですから法的な呼称としては、現代には「祭日」は存在しません。
たとえばお正月の1月1日の元旦は、戦前の法律なら「四方節」、戦後は単に「元日」とされています。
同様に戦前までの「新嘗祭(にいなめさい)」は、戦後の法によって「勤労感謝の日」とされているわけです。
明日の11月23日は、その「勤労感謝の日」ですが、もともと「新嘗祭(にいなめさい)」の日です。
ところが、どうしてこの日が「勤労感謝の日」と呼ばれるようになったのかというと、その理由が「新嘗祭だから」です。
新嘗祭というのは、今年の新穀を天皇が新米を神々に捧げて饗応するという皇室催事です。
歴史的には仁徳天皇が新嘗祭を執り行なったことがはじまりで、すでに1600年以上の伝統があります。
そんじょそこいらの国の成立よりも、はるかに古い歴史があるのです。
新嘗祭は、これに先立って10月17日に「神嘗祭(かんなめさい)」が、まず行われます。
こちらは伊勢神宮で行われるもので、その年に収穫された新穀を天照大御神に捧げます。
これを受けて、次いで今度は皇居で行われるのが、11月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」です。
「新嘗祭」では、天皇陛下が皇居内にある神嘉殿(しんかでん)という特別な御殿の中に篭もられ、そこに天照大御神をはじめ、天神地祇(てんじんちぎ)のすべての神々をそこにお招きされ、初穂お供えして、神々とともにこれをお召し上がりになられます。
天神地祇とは、天つ神、国つ神のことです。
すごいのは、この新嘗祭の慣例です。
なんと、ご飯が柏(かしわ)の葉の上に盛られ、陛下は古代箸(こだいばし)でそのご飯をお召し上がりになられるのです。
まず古代箸ですが、これは下の図にあるように、トングのような形をしたお箸です。
古代においては、我が国の箸は、このような形をしていました。
ちなみに古事記では、須佐之男命(すさのをのみこと)が高天原から地上に降り立ったとき、川の上流からお箸が流れてきたので、上流に人が住んでいるとわかったという記述があります。
お箸一本では、それがカンザシなのか、木切れなのか判別はつきません。
なぜお箸とわかったかというと、古代のお箸がトングのような形をしていたからです。

そして極めつけが、盛り付けに使われているのが、お茶碗ではなく、「柏の葉」であることです。
新嘗祭は、仁徳天皇の時代にはじまったと公式に記録されている行事ですが、この時代には当然、ご飯を盛り付ける際のお茶碗はありました。
にもかかわらず、仁徳天皇がこの新嘗祭をお始めになられたとき以来、お茶碗ではなく、柏の葉にご飯を盛り付けられているということは、仁徳天皇ご自身が、仁徳天皇のご在世当時よりも、はるか古くからの伝統に従ったということです。
我が国では、いわゆる食事に使われる土器は、発掘されたなかで一番古いものが1万6500年前のものです。
お茶碗などに塗る漆(うるし)は、1万2500年前には、すでに漆の木が栽培され、漆が用いられていたことが確認されています。
8000年くらい前になると、茶碗から土瓶、弓などに至るまで漆で彩色が施された道具類が発掘されています。
新嘗祭は、我が国最高の存在であられる陛下が、大切な神々をお招きしてお食事を共にされる行事です。
少し考えたらわかることですが、普通、そうであるならば、その時代の最高の食器にご飯を盛り付けて、お食事を召し上がられるはずです。
そして何千年も前から漆が使われていたなら、普通に考えれば、漆塗りの高価なお茶碗を用いてお食事を召し上がられるはずです。
ところが、それが「柏の葉」なのです。
どうして柏(かしわ)なのかということは、「かしわ」という大和言葉が明確に示しています。
「かしわ」という言葉は、もともと「かしきは(炊葉)」とか「かしは(食敷葉)」に由来します。
柏の葉に盛り付けるご飯の稲は、もともと熱帯性植物で、寒冷地での栽培はしにくいものです。
ところが柏の木は、その寒冷地にも強い。
しかも肥沃な土地を好む木です。
そして柏は、広葉樹なので、普通なら冬には葉が落葉するところ、柏は落葉しないまま冬越えをし、翌年の春には新芽を付けます。
我々は男の子のお祝いの「端午節句(たんごのせっく)」に柏餅(かしわもち)をいただきますが、これは柏の木が、古い葉が落葉しないまま新しい葉と絶え間なく入れ替わることから、「葉(覇)を譲り家運隆盛をあらわす」として、食べられる習慣になったものです。
要するに新嘗祭に柏の葉が用いられるのは、「稲作が行われながら食事にはお茶碗ではなくて柏の葉が用いられていた、いったいいつの時代なのかわからないくらいはるか古い昔の習俗」を、仁徳天皇の時代に慣習として復元され、その復元された古代の習俗が、21世紀となった今日においても、まだ続けられているということなのです
いったい日本はどれだけ古い国なのでしょうか。
また、陛下が毎年の新穀を神々に感謝してくださり、また明年の豊作をご祈願してくださっているから、私たちは美味しいお米を毎年いただくことができるのです。
そのことに、国民をあげて感謝をする日だから、もともと新嘗祭の日が国民の祝日となっていたのです。
国民の勤労に感謝するなら、今生の人生だけの祭日となります。
けれど新穀に感謝するということは、いま生きて働いている人たちだけでなく、過去現在未来へと続く大きな時間の流れの中での定期的な祭日ということになります。
勤労感謝の日と新嘗祭では、その言葉の持つ深さがまるで違うのです。
その国の文化というのは、こういうところに出てくるものです。
ただ父さんが働いているから、それに感謝する日なのだという文化なのか。
それとも、古代から続く日本という国に感謝し、いま生かされていることに感謝し、陛下の祈りに感謝し、そしてより良い明日を願い、新たな出発の日とする文化なのか。
どちらを好ましいとする国柄を築くかは、これからの日本人次第です。
※この記事は2017年11月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行でした。
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コメント
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これを読んで日本を考え、日本の四季を感じなさいと。
【日本人にとって大切な日の一覧】
1月1日:四方節
1月3日:元始祭
1月30日:日英同盟締結日
2月7日:北方領土の日
2月11日:紀元節
2月22日:竹島の日
2月23日:天長節
3月20日:春分、彼岸
3月30日:日清戦争休戦条約調印日
4月3日:神武天皇祭
4月17日:日清戦争講和条約調印日
4月28日:主権回復の日
4月29日:昭和節
5月1日:令和元年の日
6月30日:大祓
7月1日:自衛隊創設記念日
7月4日:米国独立記念日
9月5日:日露戦争休戦議定書講和条約調印日
9月8日:サンフランシスコ条約署名日
9月20日:秋分、彼岸
10月17日:神嘗祭
11月3日:明治節
11月9日:大政奉還の日
11月23日:新嘗祭
12月31日:大祓
以上
2020/11/22 URL 編集
松さん
法律第178号第2条には
『勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう』
と書かれています。
何とも軽々しい文言です。
新嘗祭の歴史と趣旨を改めて学び、祭祀を言祝ぎたいと思います。
2020/11/22 URL 編集