おそらくですが、たとえば世界の企業における給料の支払いや、銀行口座の管理の一切が、その家の妻の役割ということが世界の常識となったら、世界から戦争の多くは無くなるし、今般のアメリカ大統領選挙のような不正もなくなるのではないかとさえ思います。 |
パンドラの箱

画像出所=https://note.com/medical_seitai/n/nbb13c0001470
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
インドの哲学者であり経済・歴史学者であるラビ・バトラ博士は、プラウドという理論のなかで、「資本家の時代は、戦士によって倒される」と予言しました。
ここでいう資本というのは、お金の力で裏から世の中を支配するという構図のことを言います。
また戦士というのは、軍隊のことではなくて、人生を戦う個人のことを言います。
テスラという自動車メーカーがあります。電気自動車を作っている会社です。
この会社は、2003年にカリフォルニアで設立されたばかりの会社ですが、いまや株式の時価総額は、トヨタを越えているのだそうです。
この会社を率いているのがイーロン・リーヴ・マスクという南アフリカ共和国・プレトリア出身の実業家なのですが、もしかしたら自動車産業の業界地図が、これからガラリと塗り替えられるかもしれないと言われています。
男女を問わず、たったひとりの力が、世界を変える力を持つようになる。
それがこれからはじまる新しい時代といえるかもしれません。
そうした人々の知的な力の源泉は、知識や能力のみではなく、神話に基づく価値観に基づくと言われています。
そして神話は、その国や民族等が持つ文化の根幹を形成します。
別な言い方をするなら、神話は思考際の価値判断の基準を形成するものであるということができます。
たとえば西洋の場合、様々な民族が入り混じって互いに殺し合いを繰り広げた結果、それぞれの民族ごとに持っていたであろう神話が失われ、結局、ルネッサンス運動による「ギリシャ・ローマの時代に帰れ」という標語のもとで、西欧における神話は、結果としてギリシャ神話と、旧約聖書に依拠するものとなりました。
ギリシャ神話には、オリンポスの十二神のなかに、ゼウスの妻のヘラ、娘のアテナ、愛と美と性の女神のアフロディーテ、狩猟と貞操の女神のアルテミス、穀物の女神のデメテル、炉の女神のヘスティアなどが登場しますが、それらはあくまで神々の中にのみ存在し、初期の人類には男性しかいなかったとされています。
では、人類初の女性は誰かと言うと、これが有名なパンドラです。
そう、パンドラの箱の、あのパンドラです。
もともとオリンポスの神々よりも以前には、ティーターンと呼ばれる巨人の神族が栄えていました。
ゼウスが人と神とを区別しようとして、人類から火を取り上げたとき、巨神のプロメテウスは、火のない人類を哀れに思い、人類に火を渡します。
ところが火を得た人類は、武器を作って互いに戦争をするようになるのです。
事態を重く見たゼウスは、プロメテウスを磔にするのですが、不死身の身体を持つプロメテウスは死なず、3万年の後にヘラクレスによって助け出されます。
一方、プロメテウスの弟のエピメテウスも、兄の罪によってオリンポスを追放され、地上で人類の一員となって暮らすことになりました。
ゼウスは人類が火を用いるようになったこと、そしてエピメテウスという巨神が人類に仲間入りすることで、人類の力が強大になって神々に近づくことをおそれ、何でも作れる鍛冶屋の神のヘパイストスに命じて泥から女性のパンドラを造らせると、そのパンドラに命を吹き込むとともに、
「美しさ、歌と音楽、賢(かしこ)さと狡(ずる)さと好奇心」を与えました。
さらにアテナから機織や女のすべき仕事の能力、アプロディーテから男を苦悩させる魅力を、ヘルメスからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えさせました。
そしてゼウスは、
「これは人間にとっての災(わざわ)いだ」
と述べると、パンドラに鍵のかかった箱を持たせて、
「この箱は決して開けてはいけない」と言って、彼女を人類のいる地上に送り込みました。
パンドラをひと目見たエピメテウスは、兄のプロメテウスから「ゼウスからの贈り物は決して受け取ってはならない」と言われていたにもかかわらず、一目惚れしてパンドラと結婚します。
二人は幸せに暮らすのですが、ある日、どうしても箱の中身が気になってしかたのないパンドラは、禁を破って、ついに箱を開けてしまいます。
するとその箱から、夜の女神ニクスの子供たちが飛び出します。
その子供たちというのが、「老い、病気、痛み、嘘、憎しみ、破滅」です。
そして次には争いの女神のエリスが高笑いとともに箱から飛び出していきます。
そして箱の中に最後に残ったものが、ギリシャ語で心を意味する「エルピス(ελπις)」であったとされます。
この「エルピス(ελπις)」が英語圏では「希望(hope)」と訳されています。
ちなみにこの「エルピス(ελπις)」、スペイン語では「エスペランサ(esperanza)」、フランス語では「エスポワール(espoir)」と訛(なま)ります。
要するにギリシャ神話は女性を
「美しくて歌や音楽が上手で賢(かしこ)いけれど、
狡(ずる)くて、好奇心旺盛であり、
男を苦悩させ、恥知らずで、機織りをする者」
と規定しているわけです。
そして女性は、もともと人類を破滅させるために造られたものであり、世界は女性によって老いと病気、痛み、嘘、憎しみ、破滅、争いがもたらされたのだ、というのがギリシャ神話の立場であるわけです。
現代女性が見たら卒倒してしまいそうな話です。
だからウーマンリブとか、ジェンダーレスの運動が起こるのです。
このことは旧約聖書でも、
イブの好奇心によって、アダムとイブがリンゴを食べて智慧を付け、神からそのことをとがめられたイブは、
「蛇に騙されたのです」と、自分の罪を責任転嫁したために、神から「産みの苦しみと夫からの支配」という原罪を与えられたのだとしているわけです。
要するに「嘘つきだ」と書かれているわけで、これまたずいぶんな話です。
英国文学で有名なハーベイの『テス』という小説があります。
大好きな小説で、英国文学で最高の小説をひとつあげろと言われたら、迷わず『テス』をお勧めしているくらいですが、その主人公の女性のテスは、たいへんに魅力的な女性ですが、やはり何を考えているのかよくわからない存在として描写されています。
日本人の感覚からすると「?」マークがいっぱい付いてしまいそうな捉え方ですが、ギリシャ神話を読むと、それが西洋社会における女性の定義なのだとわかります。
西洋社会では、ジェンダーフリーとか、女性の人権云々といった議論が盛んですが、日本とは文化の成り立ちそのものが異なるということを、私達はしっかりと踏まえる必要があります。
では日本ではどうだったのでしょうか。
日本の最高神は天照大御神であって女性神です。
そしてその最高神と直接会話を交わすことができるのは、やはり女性神である天宇受売神(あめのうずめ)です。
男性の神々は、天照大御神に何事かを奏上するときも、あるいは天照大御神からのご下命をいただくときも、常に女性神である天宇受売神を通してでなければならないとされています。
これは縄文以来の日本人の伝統的思考で、子を産むことができる、つまり命を産むことができる女性は、もっとも神に近い存在であるとされてきことに由来するといわれています。
ですからいまでも、たとえば神社で御神楽を奉納するときに、神様に捧げる舞を踊るのは女性の巫女さんに限られます。
男性が舞う御神楽は、聴衆に御神楽や神様を説明するための舞です。
つまり、
女性の御神楽舞は、神様に捧げる舞。
男性の御神楽舞は、聴衆に説明をするための舞、
であって、こうした伝統がいまでも固く守られているわけです。
さらに男女の始祖神といえばイザナギとイザナミですが、二神はともに手を携えて、一緒にオノゴロジマを築いています。
男女は、役割の違いこそあれ、対等な存在であり、さまざまな葛藤や誤解があっても、力を合わせることで未来をひらくというのが、日本の神話の特徴です。
もともと日本にあった神話がどのようなものであったのか。
これについては古史古伝にあたるホツマツタヱや、竹内文書、九神文書などによるさまざまな説があります。
興味のある方は、それらをご参照になると良いでしょう。
いま、我々に伝わっている神話は、持統天皇が皇后時代から、天皇、上皇となられた間、日本をひとつの国にまとめるためにと編纂を行った日本書紀や古事記に基づく神話です。
たとえば古事記にある出雲神話が、正史である日本書紀にはまったく書かれていないことに象徴されるように、古代においては神話は、私達が知ることができる物語以上に、もっとずっとたくさんあったことでしょう。
もしかすると、地方に残る日本昔話などは、その残滓(ざんし)といえるものなのかもしれません。
ただひとついえることは、我が国の神話や、その後の歴史をあらためて編纂した、その中心人物が、女性の天皇である持統天皇であったということです。
持統天皇の正式な諡(おくりな)は、「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)です。
歴代天皇で、高天原の天皇と記述された天皇は、持統天皇ただひとりです。
そして高天原の広い野にある最高の存在といえば、そのまま天照大御神を想起させます。
当時の人々は、持統天皇をして、天照大御神に匹敵する偉大な女性としたわけです。
そしてその持統天皇が、我が国の神話や歴史編纂事業を発案し、記述を監督し、完成までのレールを敷いたということは、普通に考えても、そこに女性差別はありえないことです。
実際、日本書紀に女性蔑視や女性差別の概念など微塵(みじん)もありません。
それどころか、男女は、違いはあるけれど、どこまでも対等というのが、我が国の神話や歴史における考え方です。
これは徹底しています。
このことは現代の一般庶民においても、外で働く男性にとって、家にいる女性は神様だから、親しみを込めて「カミさん」と呼ぶ習慣にも至っています。
最近、女性のことを「よめ」と言う言葉が、差別用語だと言い出したおかしな人がいるのだそうで、テレビなどでしきりに囃し立てていましたが、「よめ」も「良(よ)い女(め)」から来た言葉であって、とても良い言葉です。
西洋と日本の男女観の違いは、文化の成立の違いに依拠するものでもあります。
日本の場合は、縄文時代の1万4千年という途方もなく長い期間にわたって、そもそも人が人を殺すという文化がまったく存在しませんでした。
それ以前(つまり縄文以前)の日本は、海で魚を採って暮らす海洋民族であったとされる説が有力ですが、3万年近く続いたそうした長い期間においても、男たちは船に乗って漁をしますが、その漁労の際の釣り針に使う釣り糸は、長い間、女性の長い髪の毛が用いられました。
女性の髪の毛は、細くて丈夫で切れません。
ですから、良い女(め)の長い髪の毛は、男性の漁には不可欠でしたし、幼子を危険な海に連れていくわけにはいきませんから、村にある良い女(め)は、男にとって、とても大切な宝でもあったわけです。
明治以降、西洋化が文明開化だとされて、日本社会にも西洋式の軍制が導入され、哲学や男女についての考え方にも、西洋風の思考が随分と取り入れられるようになりました。
そこから秦の時代の関尹子(かんいんし)に書かれいた「夫唱婦随」や、それ以外にも「男尊女卑」などという言葉がさかんにもてはやされるようになりました。
なるほど江戸時代でも「男女七歳にして席を同じうすべからず」と言われましたが、これは間違いが起こらないようにという大人の配慮を意味するものでしかありません。
むしろ、江戸時代までの一般的な慣習として、旦那の給料は、その家に支給されるものというのが、日本の大昔からの考え方です。
そして夫の小遣いを含めて、家内の一切のやりくりや面倒を見るのは、女性である妻の役割とされてきました。
その意味では、旦那の俸禄は、お殿様からいただいているというより、現実的には妻からもらっているようなものであり、何事も家族で責任を持って行うというのが、日本における普通の常識であったということができます。
おそらくですが、たとえば世界の企業における給料の支払いや、銀行口座の管理の一切が、その家の妻の役割ということが世界の常識となったら、世界から戦争の多くは無くなるし、今般のアメリカ大統領選挙のような不正もなくなるのではないかとさえ思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行でした。
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コメント
松さん
だから、家計の遣り繰りは妻の仕事で、夫は貰った小遣いの範囲を守るだけでいい?
それだけではダメだと思ったのは数年前のことです。
昔は当然の如く、全て妻の遣り繰りに任せていましたから。
家計は事業の経理と違い、殆どが出金の管理です。
しかし、少し手伝ってみて、その大変さにビックリしました。
毎日ギリギリの年金生活に入って更に強く感じ、今では銀行の用事だけは機動力ある妻に任せ、家計は二人で管理しています。
スマホの出納帳とLaptopの家計簿をリンクさせ、お互いに予算内で賄うようにしています。
科目と使った金額をスマホから打ち込むと、瞬時にLaptopの家計簿が集計。
お互いの財布の残高も分かります。
我家は小遣い制ではありませんので、予想外の出費があった出先の夫のカード補充を妻がしてくれるなど、結構重宝してます。
(後で怒られますけどね)
しかし、家庭の仕事は金の管理だけではありません。
掃除洗濯炊事は毎日ですし、ペットの世話も結構大変です。
稼ぎが無くなって、給食当番をしながら「主夫業も悪くは無いな~」と思う今日この頃です。
2020/12/01 URL 編集