難波潟短き蘆のふしの間も



天皇は国民の安寧を日々祈られる祈りの御存在です。
そして天皇によるシラス統治は、その祈りのもとに、すべての民衆が「おほみたから」とされる国の形です。
こうすることで我が国の民衆は、なんと千年以上もの昔に、世界初となる究極の民主主義国家を手に入れていたのです。
伊勢の和歌は、そのひとつの象徴です。
また伊勢という女性は、平安前中期にあって、女性の疾風に勁草を知るような女性の勁(つよ)さを象徴した歌でもあるのです。

20190330 東京書籍・図説国語_伊勢
東京書籍・図説国語より
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小名木善行です。

女流歌人の伊勢のお話をしてみたいと思います。
伊勢の和歌といえば、百人一首の19番にある次の和歌が有名です。

 難波潟 短き蘆の ふしの間も
 逢はでこの世を過ぐしてよとや
(なにはかたみしかきあしのふしのまもあはてこのよをすくしてよとや)

現代語に訳すと、次のようになります。
「大阪湾の干潟にある蘆(あし)の茎の節と節の間くらいの短い時間さえ、逢わないでこの世を過ごすことなんてできないとおっしゃったのは、あなたですよ」

なにやらちょっと攻撃的ですが、一般にこの歌の解釈は、主語が転倒していて、
「難波潟に生える蘆の節と節の間のように短い時間でさえも、あなたにお逢いできずにこの世を過ごせというのでしょうか」(東京書籍・図説国語、冒頭の図)と訳されて紹介されています。

これですと、まるで女性である伊勢の側がもっとあなたとすごしていたいと詠んでいるようで、このことから伊勢のこの歌は、「女性が上目遣いで男性に媚びているいやらしい歌である」などとまことしやかに書いているものもあります。
ところがこの歌の背景をよくよく調べていくと、全然そうではないことがわかります。

そもそも伊勢は平安前期の女流歌人で、その後の平安中期を代表する和泉式部や紫式部、清少納言などの女流歌人たちにたいへん大きな影響を与えた女性です。
伊勢がいたからその後の平安女流歌人たちの興隆があったといってもよいくらいなのです。
その意味で、平安中期の「女性が輝く時代」をもたらした、強い女性の典型でもあるのです。

伊勢は従五位上・藤原継蔭(つぐかげ)の娘で、父が伊勢守であったことから、伊勢と呼ばれるようになりました。
十代で優秀さが認められて、宇多天皇の中宮(ちゅうぐう、天皇の妻のこと)藤原温子(ふじわらのあつこ)のもとに仕えるようになるのですが、その藤原温子は、時の権力者である藤原基経(ふじわらのもとつね)の長女です。
藤原基経は、我が国初の「関白」となった人です。
要するにたいへんな実力者です。

その娘の温子の弟が、貴公子でありイケメンの藤原仲平(ふじわらのなかひら)です。
温子と仲平は仲の良い姉弟だったのだそうで、仲平はよく姉の温子のもとに出入りしていて、そこで働く同じ年頃の伊勢をみそめ、二人は互いに恋仲になります。
二人はともにまだ十代ですし、互いに初めての相手だったようで、もう二人はラブラブ。

「もう蘆の茎の節と節の間のような短い時間さえも、お前なしで生きていくことなんて考えられないよ」
「うれしいわ。ずっと愛してくださいませね」
などという会話があったのかどうかまでは知りませんが(笑)、二人は熱愛そのものの関係になります。

ところがその仲平が、そんな熱愛のさなかに別な女性と結婚してしまうのです。

この時代、何よりも家の存続が重要視された時代です。
そもそも給料の概念がいまとはまったく違うのです。
現代日本では給料は働く人、個人に支払われますが、我が国ではほんの少し前まで、給料は家に支払われるものだったのです。

ですから偉い人であればあるほど、何より家柄を維持することが求められる。
時の最高権力者であった藤原基経からしてみれば、次男の嫁とはいえ、たかが国司ふぜいの娘をあてがうわけにはいかない。
しかるべき身分の女性を妻にしなければ、家格の釣り合いが取れないのです。
そして最高権力者である父の命令となれば、息子の仲平には、それを拒むことはできません。
そんなわけで仲平は身分の高い家柄の善子(よしこ)と結婚するわけです。

伊勢からしてみれば、いたしかたないこととはいえ、これはショックです。
なにせ大熱愛のさなかに、相手の男性が別な女性と結婚してしまったのです。
傷心の伊勢は、その頃父が大和に国司として赴任していたので、中宮温子におひまをいただいて、都を捨てて父のいる大和へと去っています。

その大和で伊勢が詠んだ歌があります。
 忘れなむ世にもこしぢの帰山
 いつはた人に逢はむとすらむ

現代語訳すると
「もう忘れてしまおう。あの人とのことは、もう峠を越えたんだ・・・」
となります。伊勢の悲しい気持ちが、そのまま伝わってきます。

けれども優秀な女官である伊勢を、世間は放ってはおけません。
一年ほど経ったある日、中宮温子から伊勢のもとに、
「再び都に戻って出仕するように」とお呼び出しがかかるのです。

中宮温子は、ほんとうにやさしい、思いやりのある女性です。
弟の仲平と伊勢のこともちゃんと知っています。
それでも
「あなたのように才能のある女性が、
 大和などでくすぶっていてはいけません。
 もう一度私のところに出仕しなさい。
 あなたはもっとずっと活躍できる女性です」
と宮中に呼んでくださったのです。

中宮からの直接のお声掛かりともなれば、伊勢に断ることはできません。
伊勢は、再び都に戻って温子のもとに出仕しました。
もともと頭もいいし美人だし気立てもよい、才色兼備の女性です。
都にあって伊勢は、各種の歌会でもひっぱりだこになるし、頼まれて屏風歌(びょうぶうた)を書いたりもしています。
要するに宮中にあって、とても輝く存在となっていったのです。

そんなある日、宇多天皇が伊勢の家で見事に咲いていると評判の女郎花(をみなえし)の献上を命じました。
それを知った仲平が、伊勢に歌を贈りました。
その歌は「一度お会いしませんか?」というものでした。

このときの仲平は、すでに左大臣になっています。
朝廷では太政大臣に次ぐ、大臣としてはトップの座です。
すでに一大権力者です。
その左大臣が、伊勢に「お会いしませんか?」というのは、その強大な権力を考えたら、いわば命令に等しいものです。

和歌には和歌でお返しするのが礼儀です。
伊勢は仲平に歌を送りました。

 をみなへし折りも折らずもいにしへを
 さらにかくべきものならなくに

現代語にすると、「女郎花(おみなえし)の花は、折っても折らなくても、昔のことを思い出させる花ではありませんわ。私は今更あなたのことを心にかけてなどいないし、これを機会に昔を懐かしむ気持ちもありません」
実にキッパリとしたものです。
相手がどのような政治権力者であれ、もう逢わないって決めたのです。
二人は別々の人生を歩くと伊勢は決心しているのです。

男性の私には、仲平の気持ちはわかる気がします。
仲平の人生は順風満帆を絵に描いたような人生です。
15歳で元服していますが、このときの加冠は、宇多天皇が直々に行ってくれています。
19歳で昇殿して殿上人となり、後に左大臣にまで昇格しているのです。
大手一部上場企業に例えれば、最初から出世コースで58歳で専務取締役になったようなものです。
けれどそんな仲平にとって、『五番街のマリーへ』の歌詞じゃないけれど、若い頃に真剣に愛した伊勢に「悲しい思いをさせた、それだけが気がかり」なのです。

男の愛は責任です。
なんとかして伊勢を幸せにしてあげたい。
そしていまや左大臣となった仲平には、それができるだけの実力がある。
だから変な欲望ではなくて、ただ会って、食事でもして、あのこぼれ落ちるような笑顔を見せてもらって、彼女に何か望みがあるのなら、どんなことでもかなえてあげたい。
「おまえを愛したひとりの男として、
 おまえへの愛の責任をまっとうしたい」
それは独りの女性を心から愛した「男の想い」です。

けれど伊勢は女性です。
赤の他人、別な人、異なる人生、関係ない他人と、もう決めたのです。
だから伊勢は冒頭の和歌を詠みました。

この和歌には、伊勢集に、詞書(ことばがき)があります。
次のように書かれています。

「秋の頃うたて人の物言ひけるに」

「秋の頃」というのは、まさに女郎花(おみなえし)の花が咲く頃です。
「うたて人」というのは、嫌な奴とか、大嫌いな奴、気味の悪い奴、不愉快な奴といった意味の言葉です。
伊勢は、左大臣である仲平を、嫌な奴だと書いているのです。
そしてその詞書に続く歌が冒頭の、

 難波潟短き蘆のふしの間も
 逢はでこの世を過ぐしてよとや

です。
「難波の干潟にある葦にある節と節の間くらいの短い時間さえ
 おまえと逢わずにいられようか。
 ずっと一緒だよ、とおっしゃったのは、あなたですよ・・・」

要するに伊勢は、自分を裏切った(と感じた)仲平が、たとえ左大臣という政治上の要職者にまで出世し、巨大な権力と財力を得るようになったとしても、許すことが出来ないと詠んでいるのです。

でも本当にそうなのでしょうか。あれほど愛した仲平を、伊勢は、ただ許せない、嫌いだと、それだけなのでしょうか。
すでに仲平には「をみなへし折りも折らずもいにしへを・・」と和歌で返事を書いているのです。
にもかかわらず、わざわざ「うたて人の物言ひけるに」とこの歌を残したのは、揺れる想いに自分なりのけじめをつけようとしたからなのではないでしょうか。

というわけで、この和歌の勉強会をした百人一首塾で、参加いただいた女性陣に、伊勢の思いを聞いてみました。
「男だけじゃないわ。女だって引きずるわ」
「女としてというより、人としてのプライドの問題じゃない?」
「もしかすると伊勢は、仲平の気持ちを試したかったのかも」
「でも、別れたのにまた言いよってくる男って軽すぎない?」
「伊勢は人として成長したんじゃないかな。別れはつらいけどさ、心に区切りをつけたんじゃないかしら」
「それって、あんときの私じゃないわよ!ってこと?」
「そうそう(笑)」
「でもさあ、そこまで人を好きになれるって、うらやましいわ」・・・・
ものすごく盛り上がりでした。

さて、その後の伊勢の人生です。
やがて伊勢は宇多天皇の寵を得て、皇子の行明親王を産み、伊勢の御息所(みやすどころ)と呼ばれるようになりました。
御息所と呼ばれるのは、宇多天皇にとって、数ある妻(当時は一夫多妻制です)の中で、伊勢のもとが一番くつろくという意味です。

ところがせっかく授かった皇子は、五歳(八歳とする説あり)で夭折してしまうのです。
悲しんだ宇多天皇は皇位を譲位され、落飾して出家までされています。
そして伊勢がお世話になった中宮温子も薨去(こうきょ)されます。
憂いに沈む伊勢は、この頃三〇歳を過ぎていたけれど、宇多院(もとの宇多天皇)の第四皇子である敦慶親王(25歳)から求婚され、結ばれて女児・中務(なかつかさ)を生んでいます。
そして中務は、立派な女流歌人として、生涯をまっとうします。

伊勢の歌は、古今集に23首、後撰集に72首、拾遺集に25首が入集し、勅撰入集歌は合計185首に及びます。
これは歴代女流歌人中、最多です。
そして伊勢の家集の『伊勢集』にある物語風の自伝は、後の『和泉式部日記』などに強い影響を与え、また伊勢の活躍とその歌は、後年の中世女流歌人たちに、ものすごく大きな影響を与えました。

百人一首で、伊勢の歌の前後を見ますと、
17番 在原業平(輝かしい王朝文化)ちはやぶる神代も聞かず竜田川
18番 藤原敏行(身分差と恋の葛藤)住の江の岸に寄る波よるさへや 
19番 伊勢  (        )難波潟短き蘆のふしの間も
20番 元良親王(心と権力の葛藤) わびぬれば今はたおなじ難波なる
21番 素性法師(兵士に捧げる祈り)今来むといひしばかりに長月の
という流れの中に、伊勢の歌が配置されています。

伊勢のところの( )には何が入るでしょうか。
筆者はここに(権力から祈りへ)という言葉を入れたいと思います。
伊勢はもともとは、関白藤原基経、左大臣仲平らといった政治権力の中枢にいた女性です。
けれど仲平との別れを経て、祈りの世界の住人である宇多天皇やその子の敦慶親王と結ばれて子をなしているからです。
このことは伊勢が、「権力の世界」から「祈りの世界」へと、生きる世界を昇華させていったことを示しています。

そしてその伊勢の心の成長を、百人一首の選者の藤原定家は、国家統治を権力ではなく、祈りの世界において神々と接触される天皇をこそ国家の頂点とあおぐ形(これを古語でシラス(知らす、Shirasu)と言います)へと昇華させ、完成させていった日本の統治の形に重ねたのではないでしょうか。

いまも天皇は国民の安寧を日々祈られる祈りの御存在です。
そして天皇によるシラス統治は、その祈りのもとに、すべての民衆が「おほみたから」とされる国の形です。
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小名木善行でした。


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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
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日本史検定講座講師&教務。
《著書》
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