グローバリズムと戦った赤穂浪士



赤穂浪士を、ただの乱闘事件とか、主君の仇討ちとか、家臣たちの就職活動だとかいった浅薄で、低い民度での解釈しかしていないなら、事件に込められた深いメッセージを見ることができません。
赤穂浪士討入事件の裏側には、権力志向のグローバリストと勇敢に戦おうとした義士たちの熱い思いがあったことを、私達はあらためて、思い起こす必要があると思います。

20210107 令の意味



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小名木善行です。

「権威で治めるか、権力で治めるか」ということは、実はとても重要なことです。
このことは、赤穂事件に際しての幕府の対応を見るとよくわかります。

赤穂事件は、元禄15年12月14日(1703年1月30日)に起きた、元赤穂藩の家臣たちによる江戸市中での吉良邸への討ち入り事件です。
この事件は、山鹿素行の薫陶を受けた、元・赤穂藩の城主であった浅野内匠頭と、大石内蔵助ら元・赤穂藩家臣たちが、「勅使下向に際して、将軍が上座、勅使が下座」という足利幕府以来の伝統に対して、これの修正を求めようとした一連の事件のことを言います。

え? そんなこと聞いたことがないって?
事件の経緯をみたら、少し考えたら誰にでもわかることです。

まず、事件に先立つ365年前、足利尊氏が建武5年(1338年)に、征夷大将軍に任ぜられました。
世にいう、足利幕府、もしくは室町幕府です。
足利尊氏は、鎌倉幕府の相続制度(現代の民法と同じ、均等配分方式による相続制度)によって、バラバラに分断されていた土地を、諸国にひとりの「大名主」を設置することで、土地を統合し、新たに土地の有効活用ができるように計らうことで、世間から高い評価を得ました。
このとき任命された「大名主(おほなぬし)」が、後に詰まって「大名(だいみょう)」と呼ばれるようになります。

ところが、そのために諸大名に土地を与えすぎた結果、幕府自体はとんでもない貧乏政権になってしまいます。
将軍職というのは、行政機構を持ちますから、とんでもなく費用がかかる。
結果、三代将軍足利義満の就任の時代になると、幕府は完全な財政赤字状態になってしまったのです。

この状態をなんとかしなければならない義満は、当時成立したばかりの明国との交易を図ろうとします。
古代の唐との交易の時代には、一度の往復で財産が四百倍になったという。
これを復活させることで、あらためて幕府の財政を確立しようとしたのです。


そこで明国皇帝に交易の許可を求める使いを送ると、明国は「朝貢国以外には交易は認めていない」という。
朝貢をするということは、我が国が明国の部下になる、ということを意味します。
ところが我が国は、八百年前の聖徳太子以来、チャイナの皇帝とは五分の立場を取り、臣下の立場をとっていない。
我が国は、あくまで自存自立の国であるというのが、朝廷の立場です。

困った義満は、「(将軍である)我こそが日本の支配者であり、天皇は祭祀の長にすぎない」という弁明を、明国皇帝に行います。
こうしてようやく明国から「日本国王」の称号をいただいた義満は、明国との勘合貿易を開始することになりました。
この交易は幕府経済を大いに潤わせました。
なにしろ日本から持参した物品は、チャイナで20倍の価格で売れるのです。
儲けたお金でチャイナで文物を仕入れて日本に持ち帰ると、それがまた20倍で売れました。
つまり交易一往復で、財産が400倍になるのです。
百万円の元手が、一度の交易で4億円に化ける。

これによって足利政権の財政は、またたく間に改善され、財政にゆとりが生まれた義満は、京都北山に有名な金閣寺を建設し、さらに文化政策として、お能を大々的に保護します。
そしてお能は、その後、武家の代表的文化となり、これが武士の道、つまり武士道を形成していきます。

さて、将軍というのは、天皇に任命された朝廷内の役職です。
つまり、天皇が上、将軍が下です。
幕府というのは、その将軍が出征した際の、陣幕を張った本営のことを言います。

ですから鎌倉時代(足利幕府成立の140年前(1192年))からの伝統で、毎年お正月に、将軍から朝廷におわす天子様(天皇のこと)に、新年のお祝いの品を献上することがならわしでした。
あくまで天子様が上、将軍はその部下ですから、これを「献上」と呼びます。

献上の品を受領した天子様は、そのお礼の使者を将軍のもとに派遣します。
これが「勅使下向」です。

勅使は、天子様の名代です。
ですから勅使が将軍と謁見するときには、勅使が上座、将軍が下座に着きます。
鎌倉時代には、将軍が「一品将軍」といって、天皇の実子であることもありましたし、勅使は少納言や中納言クラス(いまの役所でいえば、課長級)でしたけれど、勅使として謁見するときは、あくまで勅使が上座です。

ところがここで義満は困ってしまうのです。
勅使下向のときには、明国からの使者も、同席します。
ところが対外的には、あくまで将軍が「日本国王」であって、日本で一番偉い人ということになっている。
その日本で一番偉い人に会いに来る朝廷からの使者が、日本国王よりも上座に立つということは、国際的に見て考えられないことです。
ようするにここで、今の時代のグローバリストたちと、日本の伝統を重んじる人たちとの葛藤のようなことが起きるわけです。

そこで足利幕府では、勅使は天子様の名代ではなく、「朝廷からの名代」という、かなり無理な解釈をして、勅使下向の際の席を、「将軍が上座、勅使が下座」というルールにしてしまいます。
なにしろ、明国の使者が見ているのです。
これは当時の財政再建という至上課題の上からも、やむを得ない措置であったといえます。

そして、これが室町以来の伝統ということになりました。

徳川幕府は、慶長8年(1603年)に、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられることによって始まりました。
そして江戸に幕府を置いた徳川家でも、鎌倉以来の武家の棟梁の伝統として、毎年お正月に新年の献上品を天子様に奉納しました。
もちろん、そのことへの御礼の勅使が、京の都から江戸に遣わされます。(これが勅使下向ですね。前出です。)

そしてその勅使を迎えるときの席次は・・・・・。
足利幕府以来の伝統に則って、「将軍が上座、勅使が下座」というものでした。
では、どうして理屈からいえばおかしい席次なのに、徳川将軍家ではそのような席次を認めて、それに従ったのでしょうか。

ここがとても重要なところです。

仮にもし徳川将軍が、足利将軍以来の伝統をひっくり返したとします。
つまり、将軍が下座で勅使を迎えるようにする、というわけです。

すると、徳川将軍は足利将軍のやり方を「否定した」ことになります。
ということはつまり、いまの将軍が、まえの将軍を否定したことになります。
いまの将軍が、前の将軍の権威を否定したのです。
つまり前の将軍にの権威を認めないということです。
前の将軍に権威がないなら、いまの将軍も権威がないということになります。
なぜなら将軍が将軍の権威を否定しているからです。
つまり、将軍という存在の権威が否定されてしまうことになるのです。

将軍に権威がなくて、あるのはただ武力を背景にした権力だけだ、ということになれば、将軍が世の中を治めるのは、単に「権力のみよる」ということになります。
つまり世の中の最大の力は「力でねじ伏せることができる権力だ」ということになりますから、権力=正義ということになります。
いまでも世界にそういう国はたくさんありますね。

けれど、権威を持たない権力なら、それ以上の力を持つものが現れれば、その権力はひっくり返ります。
つまり権力自体が、権力闘争の原因となり、世の中を荒らす原因となってしまうのです。
我が国は、はっきりとわかっているだけでも千年前の持統天皇の時代から、日本書紀によるならば神々の時代から、すでに権力よりも権威を重んじるという国体を築いてきた国柄です。
世の中に権力闘争はあっても、権威闘争はありません。
徳川政権の最大の目的は、長く続いた戦乱の世を終わらせることです。
そうであれば、徳川幕府がもっとも必要とするのは、強力な武力によって国家最高権力となることだけではなく、闘争のない社会を築くこと。
そのためには、幕府は権威を重んじなければならないのです。

国家権力のことを、ドイツ語で「Staatsgewalt」と言います。
「Staats(スターツ)」が国、「gewalt(ゲバルト)」は暴力のことです。
つまり国によるゲバルト(暴力)が、国家権力の意味するところだというのが論理を重んじるドイツ語の解釈です。
しかし、国政の中心が、単なる暴力装置(ゲバルト・グラーツ)であるのなら、暴力は暴力による対立や闘争を生み、世を乱すもとになります。
ちなみにドイツ語の「グラーツ(gerät)」は、「端末」とも訳せます。
つまり国家権力は、暴力端末だという理解です。
しかしそれは悲しすぎることです。

繰り返しますが、徳川将軍家は、長く続いた戦国世を終わらせ、世に泰平を築くために築かれた政権です。
そうであれば、将軍が前の将軍を否定することはできないし、してはいけないことです。
なぜなら、鎌倉以来の将軍としての権威の確立が最も重要なことになるからです。

こういうことを、しっかりと突き詰めて、論理的に考え行動した徳川政権というのは、実に偉大だと思います。
なぜなら、世界には21世紀となったこんにちにおいてもなお、新たに誕生した大統領が、前の大統領を全否定して逮捕投獄するなどということが、公然と行われている国だからです。

世界では、それをするのもやむを得ない、むしろそうしなければ断罪できないという側面があるからそうなるのですけれど、そうしたことが行われる国の人たちにも、そこですこしは考えていただきたいと思うのです。
現任の大統領が、前任の大統領を否定する。
それは、実は、大統領の権威そのものを否定しているということを意味する、ということをです。

そのようなことをすれば、敗れた側の人たちは怒り、数年を待たずして捲土重来して、現任の大統領を倒しに来ることでしょう。
そして倒すためには、手段を選ばぬ、まさに仁義なき戦いが繰り広げられるようになることでしょう。
そのようにして国のトップが決まるなら、敗れた側は怒り、ふたたび捲土重来を期して、「恨み」を込めた抗争が繰り広げられることでしょう。

現在の米国の大統領選は、むしろそうしたみにくい抗争に終止符を打たんとして、寅さんが頑張っている。
そのように思いますが、他の国の大統領を見ると、大統領が変わるたびに、前の大統領が逮捕投獄されている国もあります。
政治を預かる大統領とはいかなる存在であるのか、すこしは立ちどまって冷静に考えてもらいたいものだと思います。

話が脱線しましたが、徳川家が「おかしい」とは思いながらも、勅使下向の際の席次を足利以来の伝統に従った理由はご理解いただけたものと思います。

しかし、それでもやはり「おかしいものはおかしい」と立ち上がったのが、播州の赤穂藩です。
今回は、赤穂浪士の話が主題ではないため、細かなことは省きますが、浅野内匠頭の殿中での刃傷沙汰にしても、浪士たちによる吉良邸討ち入りにしても、理は赤穂藩にあるのです。
そのことは、幕閣の荻生徂徠も、新井白石も、みんなちゃんとわかっています。
もちろん将軍の綱吉公もわかっておいでになります。

けれど、だからといって蛮行をもって伝統を打ち破るということを認めてしまえば、幕府を動かすためには、殿中で刃を振るうか、江戸市中で騒動を起こせば良いのだという、悪しき前例を、幕府みずからが作ってしことになります。

だから浅野内匠頭については問答無用でその日のうちに切腹申付となったし、吉良邸に討ち入った浪士たちも全員処罰となりました。
ただし、討ち入りを行った浪士たちは、斬首でなく、武士としての名誉の切腹という扱いです。
江戸市中で集団で暴行を働き、あまつさえ大名屋敷を深夜に襲撃するという凶行を行いながら、それでも切腹という措置になったのは、なぜでしょうか。

切腹の当日、彼ら四十七士に、そっと囁かれたことがありました。
それは、「貴公らの願いは、百年の後に叶えられるであろう」との一言です。
これを聞いて「莞爾(かんじ)!」(ありがとうございます、という意味)と答えて、四十七士は自刃しました。

そして事件からぴったり100年後の1802年。
5代将軍綱吉公からのご遺命(ゆいめい)として、翌年から勅使下向の際の席次は、勅使が上、将軍が下と改められました。

これは、何が原因でということはありません。
単に「綱吉公のご遺命である」という理由です。
亡くなった将軍の遺言なのですから、これは問答無用で忠実に実行されなければなりません。
そしてそのことは、前の将軍の否定にならないことに、注意が必要です。

権力は、暴力で実現することができます。
しかし権威は、暴力では実現できないものです。
約束が必ず守られる、そして常に人々のためになるという実践が何百年と続くことで、はじめて確立されていくものです。
そして暴力(ゲバルト)よりも、権威(オーソリティ)が大切であることを民衆が自然に理解するためには、民衆の側に高いレベルの教養・・・つまり高い民度が必要になります。
なぜなら、民衆がアホなら、暴力(ゲバルト)で無理強いするしかないからです。

国家において、こうした権威が確立されることにより、「騙される人より騙す人のほうが悪い」とか、「周囲の人の幸せこそが我が身の幸せ」といった、理想的社会を実現することができます。
逆に、権力=暴力(ゲバルト)という社会なら、「騙される人が悪いのだ」、「周囲の人を踏み台にして自分だけが幸せになれれば良い」といった、欲望むき出しの社会を招くことになります。

権威を大切にする社会というのは、古くからの伝統を大切にする、もっというなら、古くからの伝統に傅(かしず)くという人々の姿勢が、必要だからです。

「令和」という元号の「令」という字は、神様の声が上から降ってきて、その前でかしずいている人の姿の会意象形文字です。
つまり令和という元号は、古くからの伝統があらためて見直され、大切にされる社会の到来を意味しています。
私達は、そういう時代の大きな端境期に、いま、居ます。

赤穂浪士を、ただの乱闘事件とか、主君の仇討ちとか、家臣たちの就職活動だとかいった浅薄で、低い民度での解釈しかしていないなら、事件に込められた深いメッセージを見ることができません。
赤穂浪士討入事件の裏側には、権力志向のグローバリストと勇敢に戦おうとした義士たちの熱い思いがあったことを、私達はあらためて、思い起こす必要があると思います。


お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。


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コメント

湘南童子

成る程

拝読 感謝
誠に面白う御座いました

日本国を始め万国全地域の天命が完うされますように
地球を司る神々様 八百萬の大神たち樣 ありがとうございます
非公開コメント

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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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