幼年時代の昭和天皇



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写真は、昭和天皇の幼年時代のご尊影です。なんだか見ただけで、ほっこりとした、なんだか「なつかしいような」気持ちになられるのではないかと思います。
それは日本人だからです。
分家同士なら、ライバル関係もあるし、兄弟が良い車を買ったりすると、コノヤロなんて思ったりするけれど、本家が相手では、まるでそんなことは感じないものです。
本家と分家は、ライバル関係でも、上下関係でもないからです。
なら、どういう関係かといわれれば、それは、本家と分家の関係だ、としか答えようがありません。
日本は、陛下という日本人の総本家を中心にまとまっている、世界で一番古い国家です。

裕仁親王殿下-1



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小名木善行です。

↑のお写真は、昭和天皇のご生誕翌年のご尊影です。
ほんとうに凛々しく可愛いくご立派です。

昭和天皇は、明治34(1901)年4月29日、明治天皇の初の皇孫(こうそん)殿下としてお生まれになられました。
明治天皇は、「名は裕仁(ひろひと)、称号は「迪宮(みちのみや)」とお命じになられました。

「裕」は、易経の「益徳之裕也」と、詩経の「此令兄弟綽々有裕」、書経の「好問即裕自用即小」、礼記の「寛裕者仁之作也」から。
「迪」は、書経の「允迪厥徳謨明弼諧」、「恵迪吉従逆凶」から採られたそうです。

なにやら難しい漢字が並んでしまいましたが、簡単にいうとは、
「広く大きな心で国を治め、
 人類の幸福に尽くすように」

という意味が、この「裕仁」の二字に込められたのです。

このことは、「広く大きな心で国を治め、人類の幸福に尽くす」ことが明治天皇の理想であったということであり、同時に昭和天皇が生涯を通じてお心がけになられたことでもあります。
まさに「裕」と「仁」は、昭和天皇の御生涯そのものであったのです。
名前は、人の人生を決定づけるものなのかもしれません。

明治天皇は、とても威厳のあるお方で、その鋭い眼でじっとご覧になられると、重臣でさえも小さくなってしまったほどであられたそうです。
ところが、迪宮(みちのみや)さまだけはまったく平気で、
「おじじさま、おじじさま」となついておいでだったそうです。

相手が大国であれ、小国であれ、どんな相手でも媚びへつらうことも、居丈高になることなく、みな等しく御親交召された昭和天皇でした。

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このことを知って以来、その御人徳の幾万分の一でも自分の人生の足しにしたいと希(ねが)い、以来、「どんな人と接するときも、すべて等間隔で」を人生のモットーにしています。
上に媚(こ)びず、下に居丈(いた)けず、常に同じ態度で居続ける。
一寸の虫にも五分の魂というのが日本人です。

日本男児の戦慄の姿は、素っ裸にふんどし姿で大あぐらをかいて、太刀の小尻をドンと突いている姿にあると、これは司馬遼太郎が書いていたことです。
どんなどきでも裸一貫、媚びず、怖じず、へつらわず。
これで行きたい、生きとおしたいと思っています。

さて、昭和天皇の御幼少時のお写真が出たので、今日はすこし昭和天皇の幼少時のエピソードをいくつかご紹介したいと思います。

明治天皇は、古くからのしきたりに従い、生後70日の迪宮(みちのみや)さまを、7月7日、御養育掛となった枢密顧問官の川村純義(海軍中将伯爵)邸にお預けになられています。
川村家では、五つの教育方針をお立てになり、迪宮(みちのみや)さまを3歳まで御養育されたそうです。

3歳までの教育です。
そのときの川村家の教育方針が次のものです。

******

◆川村伯爵五つの養育方針◆

一、心身の健康を第一とすること
一、天性を曲げぬこと
一、ものに恐れず、人を尊ぶ性格を養うこと
一、難事に耐える習慣をつけること
一、わがまま気ままの癖をつけさせぬこと

******

三歳までに、こうしてわがままを許さず、人を尊び、難事に耐える習慣を身につける。
すごいと思います。
しかし、これが実際に可能なことは、幼児教育に携わるさまざまなところで実証されています。
人間は、鍛えかた次第で、いくらでも伸びることができるのです。

川村純義海軍中将伯爵
川村純義


川村伯爵のもと当時のエピソードがあります。

ある日のこと、夕食の膳に、迪宮(みちのみや)さまが、あまりお好きでないものを見つけたそうです。
で、「これいやっ」と箸を投げ出されました。
川村伯爵は、平素おだやかな眼を厳しくし、
「おいやならお召し上がらなくてもよろしい。
 爺はもうご飯を差し上げませぬ」
と申し上げ、お膳を引き寄せてしまわれたそうです。

迪宮(みちのみや)さまは、「食べる食べる」と泣いて謝り、以後、二度と食べ物の好き嫌いを仰せになることがなくなったそうです。

子供というのは、こうやって躾(しつけ)をするものなのだと思います。
なにも子供のわがままにつき合うのばかりが親の仕事ではないし、学校教育ではないと思います。
ちゃんとしつければ、子供はちゃんとわきまえるようになるのです。
それこそが教育です。
昨今、道徳教育を否定する自称「教育者」や「教育専門家」がいますが、履き違えもいいとこです。

ちなみに入学試験といえば、いまでは国算理社英ですが、江戸の昔は道徳の教科書こそが試験科目でした。
江戸時代の日本の治安の良さ、道徳性の高さ、徳義の高さ、民度の高さは、幕末から明治にやってきた外国人の驚嘆の的になっていますが、教育の柱が道徳だったのです。当然のことといえます。
昨今の日本の教育は、ただの知識の詰め込みです。
だから悪いことをしたときの言い訳用の知識ばかりを身につける。
雲泥の差だと思います。

明治39(1906)年5月から、迪宮(みちのみや)さまは、青山御所内に設けられた幼稚園に通われました。
そして翌明治40(1907)年4月に、学習院初等科に入学されました。

学習院初等科の制服を召された9歳の裕仁親王殿下
9歳の迪宮様


この頃の学習院院長が乃木希典陸軍大将です。
乃木院長は、厳格な6つの教育方針を立て、全職員にその実行を固く命じていました。

*******

◆六つの教育方針◆

一、健康を第一と心得べきこと
一、御宜しからざる御行状と拝し奉るときは、
  これを矯正申し上げるに御遠慮あるまじきこと
一、御成績については御斟酌然るべからざること
一、御幼少より御勤勉の御習慣をつけ奉るべきこと
一、なるべく御質素にお育て申上ぐべきこと
一、将来陸海軍の軍務につかせらるべきにつき、
  その御指導に注意すること

*******

裕仁親王殿下は、東宮御殿から学習院まで、雨の日も風の日も徒歩でお通いになられました。
乃木院長は、毎朝、欠かさず正面玄関で殿下をお迎えなされたそうです。
殿下は、院長の数歩前で停まり、欠かさずに礼儀正しく挙手の礼をされています。

殿下は乃木院長の質素の教育をよく守られました。
つぎ当ての服を誇らしげに着て通学されました。
鉛筆は握れなくなるほど、消しゴムは豆粒ほどになるまで、お使いになられたそうです。

裕仁親王通学のお写真
裕仁親王通学のお写真


この学習院初等科時代に、養育係をお勤めになった女性がいます。
「足立たか」です。
裕仁親王は、“たか”をたいへん敬慕し、多大な影響を受けられました。

裕仁親王殿下が、学習院初等科時代、「尊敬する人は誰か?」という教師の質問に対し、生徒の全員が「明治天皇」を挙げたそうです。
ところがこのとき、裕仁親王一人だけが「源義経」と答えました。

教師が理由を聞くと、「おじじ様(明治天皇)の事はよく知らないが、義経公の事は“たか”がよく教えてくれたから」と、笑顔で答えられたそうです。
それだけ“たか”の影響が強かったということなのだろうと拝察します。

この足立たかは、その後、大東亜戦争を終結へと導いた鈴木貫太郎の妻になります。
2・26事件で、青年将校たちの銃弾五発を体内に受け、医者に運ばれた貫太郎が心停止となり、医者から「ご臨終です」と告げられた時、枕元にいた“たか”が、
「あなた、起きなさいっ!」
と一喝したら、心停止していたはずの貫太郎が息を吹き返したというのは有名な話です。

裕仁親王殿下は、乃木希典を「院長閣下」と呼んで、尊敬されました。
ある人が「乃木大将」と乃木を呼び捨てたとき、殿下(当時)は、
「それではいけない。
 院長閣下と呼ぶように」
と注意したといいます。

大正元年(1912年)、明治天皇御大葬の前々日、乃木院長閣下は、願い出て参内しました。
乃木院長閣下は大切なところに朱点した山鹿素行の「中朝事実」を、裕仁親王殿下に御講義なさいました。

乃木のただならぬ気迫と様子に、裕仁親王殿下は、
「院長閣下は、
 どこか遠いところへ
 行かれるのですか?」
とお尋ねになったそうです。

このときの講義は、乃木閣下の、裕仁親王殿下に伝える渾身の講義でした。
それを聞いた瞬間、乃木閣下は、顔を滂沱の涙で濡らしたそうです。
そして翌日、乃木閣下は奥様とともに明治天皇のお側に旅立たれました。

乃木希典
乃木希典


山鹿素行といえば、大石内蔵助の討入の際の、山鹿流陣太鼓ばかりが有名ですが、実は、赤穂藩とも関連が深く、また、幕末の吉田松陰は、山鹿流兵学師範です。
つまり、山鹿流は、幕末の志士達の基本理念となった思想です。

乃木閣下の講義で使われた山鹿素行の「中朝事実」は、
大約すると、
「Chinaでは王朝が何度も替わり、
 家臣が君主を弑することが何回も行われている。
 Chinaは君臣の義が守られていない。
 これに対し日本は、
 外国に支配されたことがなく、
 万世一系の天皇が支配して
 君臣の義が守られている。
 Chinaは中華ではなく、
 日本こそが中朝である」
というものです。

ともあれ、万世一系の天皇をいただく日本は、ほんとうに幸福なのだと思います。

 *

以下の文は、もしかするとご不敬になるかもしれないので、ご不満な方は読み飛ばしていただいて結構です。

飛騨に、阿礼さんというお宅があります。
その阿礼家というのは、古事記を口伝した稗田阿礼(ひえだのあれ)家なのだそうで、阿礼家には、代々伝わる口伝がいまでも伝承されているのだそうです。

稗田を「ひえだ」と読んだのは新井白石で、本当はなんと読むのかわからない。
もしかしたら、稗田と書いて単に「ひだ」と読むのが正しいのかもしれません。
つまりほんとうは稗田=飛騨かもしれません。

その口伝によると、実は神武天皇以前に、すくなくとも天皇家は250代以上続く家として日本にあったのだそうです。250代というと、だいたい6千年です。
そしてその口伝によると、代々天皇は「上代様(うわかたさま)」と呼ばれて、民から慕われていたのだそうです。
みんなにつらいこと、苦しいこと、たいへんなことがあると、いつも上代様(うわかたさま)やその兄弟たちが率先して、みんなのために働いてくれた。だから、みんなの尊敬が自然と集まったのだそうです。

そして大昔の日本は、末子相続制(末っ子が家督を継ぐ)で、家督を継ぐ末っ子以外のおにいちゃん、おねえちゃんたちは、民間の家とみんな縁戚関係になっていった。
こうして上代様の一族と、ほとんどの庶民は、みんな縁戚関係になった、というのです。

日本における天皇家は、私たち日本人の感覚として、いわゆるヨーロッパの王族や、Chinaの皇帝などにみられる征服王朝などとはまったく違います。
むしろ、陛下と国民の関係は、本家と分家の関係に近いといえます。
つまり、総本家=天皇家、分家=日本のいろいろな家系です。

実際、家系図を手繰っていくと、たいていのお宅は、(日本人なら)かならず天皇家につながる家系図を持っています。
途中で分家となっていても、そこから本家筋を辿っていくと、やはり最後はみんな天皇家に行きつくのです。

家系図は家柄の権威付けのために、みんな天皇家と縁続きと書いたのだなどと教える先生もいますが、大きな間違いです。ほんとうに縁続きなのです。
そもそもひとりの現代人が生まれるためには、父と母の二人が必要です。
その父と母が生まれるには、4人の祖父母が必要です。
こうしてご先祖の数を数えていくと、700年前の鎌倉時代には、たったひとりの現代人のために、1億2千万人のご先祖がいた計算になります。たったひとりのためにです。

ところがいまの日本には、1億2千万人の日本人がいます。
そうなると、鎌倉時代には1億2千万人×1億2千万人の人口があったことになります。
けれど、実際の鎌倉時代の人口は700万人です。
これがどういうことかというと、みんな祖先が「重なっている」ということです。

まして日本は有史以来だけでも2681年の歴史があるのです。
つまり生粋の日本人は、誰もがみんな親戚です。

だから、天皇とわたしたち日本人の関係は、感覚的に、王様と家来、王様と民衆という上下関係などでは、決してありません。
むしろ天皇と臣民の関係は、本家のおじいちゃんと、分家の我が家の関係に近いものがあります。
そういう感覚が、私たちにはあります。

鈴木さんのお宅でも、斉藤さんのお宅でも、高橋さんのお宅でも、どこの家でもそうだけれど、日本人のお宅なら、やっぱり本家でなにやら法事があるとか言われたら、いやおうなく、みんなが集まります。
それは、上下関係とか本家による分家支配とか階級による命令と服従とかと全然違います。
本家と分家の契約関係でさえもありません。
だいたい本家と分家間の本家分家関係契約書などというもの自体、みたことも聞いたこともありません。

そして本家が侮辱されたら、やっぱり腹が立つし、本家が慕われたら、やっぱり誇りに思います。
なんだか自分のことのようにうれしくなります。
こうした感覚は、教育を受けたからとか、教えこまれたとかいう問題ではなくて、それこそ血の問題だと思います。

いまでは、家系図も戦災で焼けてしまって何代も経ち、もう血のつながりがどうとかなんてまるでわからなくなっていたとしても、遺伝子レベルで、多くの日本人、もとから日本にいた日本人、奈良、平安、鎌倉、室町、戦国、江戸時代から代々続く日本人は、陛下を侮辱されたら、カンカンに怒ります。
陛下がご健康と聞けば、なんだかとっても嬉しく思います。
それこそがDNAのなせる業です。

だから、いくら日本人のような顔立ちをして、日本に住んで日本語を日常的に話していても、もとからの日本人のDNAを持たない者には、こういう感覚が生まれない。
理屈じゃないから、なおわからないのであろうと思います。
日本人みんなの総本家が天皇なのだという飛騨の阿礼家に伝わるという口伝・伝承が、感覚的にしっくりくる理由もそこにあるのだろうと思います。

冒頭に陛下のご幼少の頃のお写真を掲げました。
きっと、この写真をご覧になった多くの方が、とてもうれしく誇らしい気持ちを持たれたことと思います。
そして、昭和天皇が、幼いころに、きびしい教育を受けましたとか、こんなエピソードがありましたと聞くと、なにやら、それが自分のことのように、誇らしく、うれしく感じたのではないかと思います。
それが日本人のDNAなのだと思います。

一方で、陛下になにやら無理強いをしたり、陛下がお悲しみになるようなことをするヤカラには、殺しても飽き足らないくらいの強い感情を抱く。
これまたごく自然な日本人の感覚です。

私も戦後の教育を受けて育っています。
天皇については、日本国憲法による単なる象徴と教わりました。
天皇を尊敬せよとか、お写真をみたら最敬礼しなさいとか、そういう教育は受けていません。
ところが若いころ陛下のお姿をお近くでお見かけしたとき、なぜだか体が不動の姿勢をとり、そのまま日頃はあまりしない90度の最敬礼をしていました。
それは本能による行動としか思えないものでした。
みなさんもきっとそうなってしまわれると思います。

トップの写真は、昭和天皇の幼年時代のご尊影です。なんだか見ただけで、ほっこりとした、なんだか「なつかしいような」気持ちになられるのではないかと思います。
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※この記事は、2009年12月の記事を繰り返しリニューアルしている記事です。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。


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コメント

湘南童子

御意

日本国を始め万国全地域の天命が完うされますように
地球を司る神々様 八百萬の大神たち樣 ありがとうございます
非公開コメント

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
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