新しい年というのは、2月の節分から始まります。 今年の節分は、明日、2月2日です。 ここから時代が変わります。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
現状に満足している人というのは、ひとことでいえば皆無と言って良いと思います。
物事が動いているときというのは、必ず何らかの問題が起きるものですし、物事が激しく動いているときであればなおさらで、これでもかというくらい、次から次へと難問が山積みになるものです。
つまり問題が起きるということは、物事が動いているということの裏返しであり、それは基本的に良いことであるといえます。
令和3年(2021年)というのは、辛・丑・六白(かのと、うし、ろっぱく)の年です。
辛(かのと)は10年で一周りする十干(じゅっかん)で、からくて、厳しい年。
丑(うし)は、12年でひとまわりする十二支で牛のように言われていますが、実は嬰児が手を握りしめている象形で、何かを握りしめている様子。
そして六白は、九星のひとつで、六が天地四方、白が灼熱の太陽を意味します。
ですから辛丑六白(かのと、うし、ろっぱく)とそろえば、その年は、
「何かを握りしめた(意図した)天が、
天地四方を灼熱の太陽で灼き尽くす」
年ということになります。
そして、この辛・丑・六白の3つが揃うのは、180年ぶりのことです。
では、そんな180年前に何が起こったのかというと、日本では天保12年にあたり、この年に行われたのが、老中水野忠邦による天保の改革です。
ちなみにこの年に生まれた人に、日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文がいるといえば、なんとなく時代をイメージしていただけるでしょうか。
この天保年間、実は意外にもゲンが悪いのです。
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というのは、もともと平安時代に天保の元号が制定されようとしたときに、時の左大臣だった藤原頼長(ふじわらのよりなが)《崇徳天皇の時代の左大臣》が、
「天保の字を分解すれば『一大人只十』となり、
これは主君に従う者が只(ただ)の十人であることを意味する。
決して良い元号とはいえず、
世に混迷を生む」
として、一度退けられた歴史を持ちます。
そんな元号が江戸時代後期に制定されたわけですが、案の定、天保年間が始まると、いきなり冷夏と大雨による洪水の影響で、5年越しの大飢饉となり、天保8年には将軍家の跡継ぎ問題に揺れて国政と民の不幸をかえりみない幕府に対する抵抗運動としての大塩平八郎の乱が起きています。
そして令和3年と同じ辛丑六白(かのと、うし、ろっぱく)が揃った天保12年に行われたのが天保の大改革となりました。
この改革では、質素倹約が打ち出されて、華美な生活をしているとみなされた財力のある御目見以上の旗本68人、これに付き従う御目見以下の御家人894人が、更迭、登城禁止、家屋敷没収などによって放逐されています。
まるで大棟梁選挙後の米の国のようですが、形は違うけれど似たようなことが180年前の日本で起きているわけです。
ちなみにこのとき代わって幕府に抜擢されたのが、江川英龍(韮山代官)、川路聖謨(小普請奉行)などの若手の俊才たちで、この若者たちが幕末動乱のときに、外国の干渉に対して叡智を発揮することで、日本は、幕末に活躍したとびきり優秀な若者たちが幕府政治に登用されました。(これがあったから日本は幕末動乱を乗り越えることができた)。
また倹約令では風俗の取締りが行われ、このとき江戸で人気の芝居小屋が江戸の郊外に強制移転させられました。
その移転先が浅草で、つまり当時は浅草が、江戸の郊外とみなされていたわけです。
またこのとき、寄席なども閉鎖され、弁慶の勧進帳などで大人気だった歌舞伎役者の7代目市川團十郎、人情本作家・為永春水や柳亭種彦などが、ただ「人気がある」というだけで処罰されています。
実はこのとき、幕府は歌舞伎の廃絶まで考慮に至るのですが(こういう改革が行われ始めると、調子に乗ってそれをさらに過激にしたがる馬鹿者はいつの世にもいるものです)、このときこれに猛反対したのが江戸の北町奉行・遠山左衛門尉景元(とうやまさえもんのじょうかげもと)で、この方の通称が金四郎、そしてこの反対が、江戸庶民の間で拍手喝采となり、江戸の人情奉行「遠山の金さん」の物語が(後に)生まれています。
それともうひとつ。
昨今の日本では(世界も同じ)、コロナの影響でマスクの着用が半ば強制されていますが、この天保の改革の際にも似たことが起きています。
それが「外出時の編笠着用の強制」で、マスクどころか、頭部全体を覆わないと、外を歩いてはいけないとされました。
なにしろ、ちょっと団子屋で団子を食べたり、蕎麦屋で天ぷら蕎麦を食べているだけで、「贅沢をしている」と垂れ込まれたのです。
顔でも隠さなければ、何もできなかった・・・。
そうまでした倹約令でしたが、これが何をもたらしたかというと、猛烈なインフレでした。
そもそも天保の飢饉によって、米が不足しているのです。
当時の日本の人口は全国で2500万人、江戸の人口が250万人です。
人口の1割が江戸に住んでいて、しかも国内のGDPのおおむね5割が江戸に集中していたのです。
つまり人口の1割が、全国の富の5割を取っていたわけで、これなら江戸経済が繁栄するのは当然のことですし、一方で人口の9割を擁する農村部の経済は崩壊していったわけです。
そして経済が疲弊した農村部を、今度は天保の飢饉が襲う。
こうなると都市部の人は、いくらでもお金を払うから、お米を売ってくれ!ということになります。
つまり米を持っている者が、立場的に強くなる。
農村部と、都市部の経済が逆転するわけです。
そして都市部には猛烈なインフレが襲う。
米が不足しているから、米の値段が上がり、物価が上昇し、インフレになるのです。当然のことです。
こうなると、都市部で給金をもらって生活していた人たちは、まるで生活が成り立たなくなります。
一方、この時代に活躍したのが二宮金次郎で、彼は全国的に農業の活性化と土地の開墾を指揮しました。
結果、食べ物を持っている農家が相対的に豊かになり、この結果、幕末動乱の際にも、お米を手にした手弁当の農民兵が大活躍をするようになります。
つまり、
「何かを握りしめた(意図した)天が、
天地四方を灼熱の太陽で灼き尽くす」
という辛丑六白(かのと、うし、ろっぱく)の年においては、
これまで富を得て社会の中心にあったものが崩れ、
人間本来の必要なもの、
つまり食べ物とか、生きるための知恵といったものが、
あらためて大きな価値を持つようになるというわけです。
新しい年というのは、2月の節分から始まります。
今年の節分は、明日、2月2日です。
ここから時代が変わります。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行でした。
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コメント
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本日から、ビルマは軍事政権に戻りました。
白カスポチで三国擬きポチのスーチー婆ぁゃは、法則が発動し、父親と皇軍英霊様に唾吐きをするかの政治により、また幽閉となりました。そりゃ、今の日本は政治屋どもは頼りないにしても、余りにスーチーの外交はアジアの過去を全くかえりみない、尊敬も感謝の念もないものでしたからね。
私は民主化されてすぐミャンマーに旅行したことがあります。その時ふらっと訪ねた州立の博物館、こじんまりと古い建物で重厚だが、なぜか小綺麗で明るく風通しが意識されていました。しかし社会主義国家だっただけに、きっと南京大虐殺大嘘記念館のような反日全開だろう…と、思いきや、日本よりも親日で、軍事政権が、怖い危ない、テロリストが作った政治体制、スーチーが絶対善というのは大嘘で、これは単なる日米中韓マスゴミの印象操作だと、思い知らされてしまいました…。
グローバリズム(カネ追い人ども)は、軍人の誇りを傷付ける物だと、このミャンマー軍事政権復古の朝一の速報にて、痛感するものとなりました。
ミャンマーは不正選挙に軍政がちゃんと敷かれる、(これは、高度政治性理論においては当たり前の話)、かたやトラカスはこれができない、アナーキストか、自分も不正をやっていたから。
ねず先生、この事とミャンマーと日本を踏まえ、近いうちにまた、1つお話をお聞かせ頂けませんでしょうか。
インパール作戦、雷帝様、ビルマの竪琴、ロヒンギャ問題などのメジャーな物以外で、お願い申し上げます。私たちが知らない、ねず先生の引き出しにある日本の国際的な歴史があると感じる、
本日のニュースでありました。
以上
2021/02/01 URL 編集