建国記念の日に寄せて「日本建国と国語教育」



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日本建国は三段階に渡って行われたというのが、日本書紀の日本建国への理解です。
 1 初めが瓊々杵尊(ににぎのみこと)の「天孫降臨」です。
 2 次が神武天皇による日本建国で、これを「始馭(はつくにしらす)《しぎょ》」と言います。
 3 三段階目が第十代崇神天皇による「肇国(はつくにしらす)《ちょうこく》」です。
そしてこの3つを、あらためて国のはじめとしたのが、720年に発行された『日本書紀』です。
そこでこの3つについて、新刊著の『日本建国史』の「建国と肇国」から、読んでみたいと思います。

20210211 神武創業
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小名木善行です。

今年も2月11日の建国記念日がやってきました。
これは我が国の建国が、日本書紀の神武天皇記に書かれた、

「辛酉(かのととり)の年の春1月1日、
 神武天皇は橿原宮(カシハラノミヤ)で帝位につかれ、
 この年を天皇の元年とされました」

という記述に依拠します。

原文は次の通りです。
「辛酉年春正月庚辰朔
 天皇即帝位於橿原宮
 是歳為天皇元年」

この記述に基づき、旧暦の神武天皇元年1月1日が、明治7年から当時の太政官布告によって新暦の紀元前660年2月11日とされました。
それが「建国記念の日」です。

最近は神武天皇不在説とか、とにもかくにも日本が大陸や半島よりも劣った国であったとしたいがための、無茶な説がさかんに吹聴されていますが、日本という国がこの世に存在していることは事実なわけで、存在しているのなら、そのはじまりだって、必ずあるわけです。
そして、それが、古史古伝の中のひとつであり、公式な書として書かれた日本書紀の中に、明確に書かれている、という事実は、誰も否定できないものです。

(日本書紀の記述の信憑性を疑う説もありますが、「書いてある」という事実は誰も否定できません。
 この点、書かれてもいないのに、ただファンタジーを声高に唱えまくることを歴史と勘違いしている人や国とは、わけが違うのです。)

さらに大切なことがあります。
それは日本書紀が、我が国の創業を、三つの段階で説いている、という点です。

1 初めが瓊々杵尊(ににぎのみこと)の「天孫降臨」です。
2 次が神武天皇による日本建国で、これを「始馭(はつくにしらす)《しぎょ》」と言います。
3 三段階目が第十代崇神天皇による「肇国(はつくにしらす)《ちょうこく》」です。

そこでこの3つについて、新刊著の『日本建国史』から、「建国と肇国」のお話をご紹介したいと思います。

 ***


 最新刊
 
瓊々杵尊(ににぎのみこと)は、天照大御神(あまてらすおほみかみ)の御神意(ごしんい)を受けて、地上に降臨されました。
ですから瓊々杵尊(ににぎのみこと)の名前は、日本書紀では
「天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊
(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)」
です。

「天饒石、国饒石」というのは「天の高貴な食べ物、国の高貴な食べ物」という意味です。
瓊々杵尊は、天照大御神から斎庭(ゆにわ)の稲穂の御神勅(ごしんちょく)をいただいて地上に降臨されています。
つまり天から授かった高貴な稲穂で、国を豊かに誰もが安心して食べていかれる国にするために、地上に降臨された、これが、そもそものはじまりです。
そしてこのとき、永遠の繁栄が約束されました。
それが「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)です。
次のように書かれています。
 
 豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、
 是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(あるじ)たる可(べ)き地(ち)なり。
 宜(よろ)しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)きて治(しら)せ。
 行牟(さきくませ)、
 宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、
 当(まさ)に天壌(あめつち)と無窮(きはまりな)かるべし。

御神意よって我が国がはじまったのです。
ですから国が隆(さか)えることは天壌(あめつち)が永遠のものであるのと同様に、永遠のものです。
吉田松陰は、尊王攘夷(そんのうじょうい)運動に血眼(ちまなこ)になっている水戸藩郷士の堀江克之助に、次の手紙を送りました。

「天照(あまてらす)の神勅(しんちょく)に、
 『日嗣之隆興 天壞無窮』と有之候所、
 神勅相違なければ日本は未だ亡びず。
 日本未だ亡びざれば、
 正気重て発生の時は必ずある也。
 只今の時勢に頓着するは
 神勅を疑の罪軽からざる也」

《現代語訳》
天照大御神のご神勅(しんちょく)に、「日嗣(ひつぎ)の隆興(さかえ)まさむこと、天壞(あめつち)とともに無窮(きはまりなかる)べし」とあります。そしてご神勅の通り、日本はいまだ滅んでいません。
日本がいまだ滅んでいないなら、日本が正気を取り戻すときが必ずやってきます。
ただいまの時事問題に頓着(とんちゃく)して、簡単に日本が滅びると言うのは、ご神勅を疑うというたいへん重い罪です。

天照大御神は我が国の最高神であり、その最高神の御意思は、ある意味、絶対のものです。
そのうえ天上界と同じように豊かな国にするようにと、瓊々杵尊(ににぎのみこと)が地上に派遣されたのです。


▼神武天皇と始馭(しぎょ)

ところが高天原の稲穂をいただき、無窮の御神勅をいただいたとしても、だからといってひとりひとりの国民が豊かに安心して生きることができるとは限りません。
日本列島は地震、台風、津波、水害、落雷、火山の噴火など、天然の災害の宝庫ともいえる国土を持ちます。
もっというなら、ほんの三百年まえまでは富士山は噴煙を上げ続ける活火山でした。
そしてひとたび台地が怒り、海が荒れ、河川が氾濫し、火の雨が降れば、たちまち多くの人がお亡くなりになり、備蓄していた食料もすべて失ってしまいます。

そこで常温で長期の保存ができるお米を用いて、これを全国で常時備蓄するようにし、災害にあって食料を失ってしまった被災地に迅速に食料を届ける体制を築かれたのが神武天皇(じんむてんのう)です。
また地上世界の悲しさで、なかには「神とつながっているから俺は偉いのだ」と、民の暮らしを顧(かえり)みない者もありました。
そこで神武天皇は九州の宮崎から、わざわざ遠く離れた畿内に入られて、そんな履き違えた者を征伐されています。
つまり人的な力で、国の立て直しを図られて、「建国の詔(みことのり)」を出され、初代天皇に御即位あそばされました。これを、
「始(はじ)めて天下(あめのした)を馭(をさめた)まふ(原文:始馭天下)」
といいます。

「馭」という字は、馬を乗りこなすといった字で、天下をひとつにまとめあげられたという意味を表しています。
なぜそのようになるのかというと、神武天皇が、お米の流通を通じて、大規模災害があっても、誰もが安心して生きていくことができるようにされたからです。
したがってこれをもって「建国」としています。

「建国」の「建」は、もともと「聿」の部分が筆で文字を書いている姿の象形で、これに道を延長する意味の「廴」が付いて出来ています。
つまり人が筆を手にして何かを書き始めることが文字の成り立ちで、そこから転じて「人の手によって新たに建てられること」を意味するようになったのが「建」という字です。
ですから家を新築するときは、「家を建てる」と言います。
人の手によって家が建築されるからです。

国が建てられるときというのも、これと同じで、特定の人によって国が営(いとな)まれるようになったとき、それは「建国」と呼ばれます。
世界の歴史に登場する王国や、現代の世界にある諸国は、いずれも人の手によって国がはじまっていますから、まさに「建国」という表現で正しいことになります。


▼崇神天皇と肇国

ところがお米の融通をしあうことで、互いに助け合うことができる国の形を築いても、疫病はどうにもなりません。
医療が発達したこんにちにおいても疫病は世界を震撼させるおそろしい病気ですが、十七世紀くらいまでは、その影響はすさまじくて、簡単に人口の六割、八割を失わせました。

たとえば十四世紀に中国で発生した疫病《ペストであったと言われています。別名が黒死病》は、当時ユーラシア大陸を制覇していた元の大帝国によって、またたくまにヨーロッパにまで広がりました。
この時代、元の大帝国は、いまの中国にあたるところだけで一億二千万人の人口があったといわれていますが、疫病の流行でなんとその人口が二千五百万人にまで減ったと言われています。

つまり人口が八割も失われました。
このため元は都を捨てて祖先のいた北方遊牧地に還(かえ)り、統治者がいなくなったところで南京で「明」を立国したのが明の始祖の朱元璋(しゅげんしょう)です。

一方ヨーロッパでも、この疫病によって人口の六割が失われ、地中海はオスマン帝国に占領され、地中海交易で利益を上げることができなくなったスペイン、ポルトガルが新たな市場を求めてアフリカ方面へと進出することではじまる大航海時代を誘発しています。

また十七世紀には、やはり中国から疫病が発症し、当時の明国は九千五百万人いた人口を、二千万人にまで減らし《およそ八割減》、明国が滅亡して、清の時代を迎えています。
このときも感染はヨーロッパにまで広がり、前回同様、人口の四割が失われました。
このため混乱した市民たちは魔女狩りをはじめ、これに恐れをなした多くの市民が北米大陸へと移住をはじめることになりました。

要するに疫病の流行は、国の形を変えてしまうくらいの、大きな影響を与えるものといえるのです。

ところが我が国では、いまから二千五百年前の第十代崇神(すじん)天皇の御世に、国内人口の三分の二が失われるたいへんな疫病被害があって以降、十万人単位の疫病の流行はたびたび世間を騒がせていますが、国内を揺るがすほどの大きな、大陸で起きたほどの甚大な被害を及ぼす感染症被害は起きていません。
右に述べた十四世紀の疫病のときは、我が国は南北朝時代ですが、飢饉の記録はあるものの、疫病の猛威は記録されていません。また十七世紀の黒死病の大流行のときも、我が国は大阪冬の陣、夏の陣などの戦乱はあったものの、疫病の大流行の記録はありません。どういうことかというと、ここに「肇国」が関係してくるのです。

崇神(すじん)天皇の時代に大流行した疫病について、古事記は「人口の過半数が失われた」と書いているし、日本書紀もまた「人口のほとんどが失われた」と書いています。
また二〇一九年に東大の研究チームが日本人のDNAの研究をしたところ、二五〇〇年前に我が国の人口が突然三分の一になってしまった時期があったことが確認されています。

ウイルスの存在なんてわからなかった時代のことです。
事態に直面された崇神天皇は、もっぱら神々に祈りました。
するとあちこちの神々から、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいと、様々な御神託が得られました。
たとえば皇居で祀られていた天照大御神(あまてらすおほみかみ)は、笠縫邑(かさぬいむら)《現在の檜原神社》にお移しされた方が良いというので、そのとおりにされました。

ところが全国の多数の神社《現在では十五万社》があるわけです。
それぞれの神社から、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいと次々と意見が寄せられるようになると、もはや収拾がつかなくなります。
そこで崇神天皇は、全国の神社を四つの階層に組織化されています。

それが、天社(あまつやしろ)、国社(くにつやしろ)、神地(かむどころ)、神戸(かむべ)です。

 天社(あまつやしろ)は、いわば朝廷直下の地方政庁です。
 国社(くにつやしろ)は、いまでいう県庁です。
 神地(かむどころ)は、市区郡役場です。
 神戸(かむべ)は、町役場のようなものです。

そして天社では、参拝時の柏手(かしわで)を四回。
国社では三回、神地は二回、神戸は一回とされました。
もっともその後、国社以下はその後全部まとめて柏手は二回になり、いまの二礼二拍手一礼の作法となっています。
四回とされた天社は、いまでも出雲大社とか新潟の弥彦神社などで、柏手が四回鳴らされます。二千年以上続く伝統です。
 
この階層化とともに実施されたのが、神社における手水舎(ちょうずしゃ)の設置です。
人の集まる神社でのこの手水の慣習は、それがとても良いことだからと、各家庭でも手洗い場が普通に設けられるようになり、すこし古い旧家なら、いまでもこうした手水舎が屋敷内に残っていたりします。

この崇神天皇の手水舎の設置が、どの程度の効果をもたらしたのか。
これについて二〇一九年六月に東大の研究チームが出した日本人のDNAの解析から明らかになった二五〇〇年前の大量死の発見があります。
研究成果によると、縄文時代の日本の人口は二十六万人、それが二五〇〇年前、突然八万人に減少します。
なんと三分の一です。

ところがその後、人口が六十七万人に増加しているのです。
日本人のDNAの研究から発見されたこの事実が、古事記、日本書紀に「いった減った人口が、天皇のお働きによって再び増加し、ちまたにはよろこびの声が満ちあふれた」と書かれています。

そして手洗いの習慣によって、我が国では二五〇〇年前の大量死以降、歴史上何度も疫病は日本に上陸しましたが、十万人単位で死者がでることはあっても、人口の過半を失うような《つまり千万人単位で死者がでるような》事態は、以後二千五百年間、一度も起きていません。


人口の極端な減少期に行われた施策が、生き残った人々に大きな影響を与えることを「ボトルネック効果」と言います。
我が国における崇神天皇の時代は、いまからおよそ二五〇〇年前の出来事ですが、その人口の減少期に、崇神天皇によって疫病が克服され、同時に全国の神社が中央朝廷のもとに完全に組織化されています。

疫病がまたたく間に沈静化したこと、その後に多くの子供が生まれ、日本中がにぎやかになったこと、よろこびの声が満ちあふれるようになったこと、それらはまさに神々の御意思が働いたに違いないということで、この崇神(すじん)天皇のお名前を、
「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」
といいます。

 「肇」という字は、手に筆を持って《聿》、音を立てながら《攴》、神聖な「戸」を開くという部品で構成された漢字で、訓読みが「はじめ」です。
つまり「肇国」は、人の意思というよりも、神々の御意思に従って国が「肇(はじ)め」られることを言います。

崇神天皇の神々への尊崇の念(おも)いと、実際にあった疫病の克服、その後の民のよろこび。これらを合わせて、崇神天皇を「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と呼んでいるわけです。

教育勅語には、この「肇国」という文字が出てきます。
「皇祖皇宗(こうそこうそう)国ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠󠄁(こうえん)ニ」です。
瓊々杵尊(ににぎのみこと)から神武天皇、そして崇神天皇に至る皇祖皇宗によって、国が肇(はじ)められたと、ここにもちゃんと記されているわけです。

このように私たちの先輩は、言葉をとても大切にしてきました。
日本語を話す日本人であれば、日本語で思考し、日本語で対話します。
つまり思考は日本語によって行われるわけです。
そうであれば、日本語を正確に、またちゃんとした意味を共通の定義としていくことは、対話を成立させ、コミュニケーションを行ない、あるいは論考をするに際して、とても大切なことです。
そのためにあるのが国語教育です。

しかし現代の国語教育は、果たしてそうした日本語の奥行きの深さや、日本的精神性をしっかりと教育するものになっているといえるのでしょうか。
もしなっていないとするならば、それは現代日本が抱える重要な問題のひとつであり、改善をはかるべき課題です。
そういう議論がちゃんとできる国になっていくことが、国の未来を拓くのだと思います。


お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。


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コメント

Toshiro Akizuki

記紀と世界史のアナロジー
記紀をねずさんに解説していただくと、記紀は聖書とギリシア神話を合わせたようなスケールの大きい歴史書である、という感じがしてきます。国の建国の流れも、聖書にみられる西洋史の始まりと比較すると、立体的に見えてきます。聖書では天上からきた最初の人間はアダムですが、禁断の知恵の木の実を食べるなという神の指示を破って食べたので、原罪をかぶり、エデンの園から追い出された。聖書での地上の人の始まりです。一方、ニニギノミコトは永遠に繁栄する国造りの神託を受けて降臨した。日本の始まりは堂々としています。神武天皇に相当するのはダビデで、近隣諸国を征服して国を統一し、都をエルサレムに定めた。よく似ていますが。ダビデから三代目で国が分裂したのに対して、日本はきれめなく日本のままです。また、崇神天皇の時に疫病という国難が起きたが、公衆衛生の向上で対応した、という話は、イエスキリストの時にローマ人に国を奪われて国土をなくしたユダヤ人が、逆にローマ帝国に布教して、信仰を広めたという話に通じるものがあると思います。日本は自然災害、西洋は戦争がつきものというお国柄の違いがうかがえます。生き残る方法も違ってくるのでしょう。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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