コロナでネット化が進むと、大脳新皮質ばかりが発達しますが、そこはどこまでも個人の生き残りや個人の勝手のための選択をするところです。 人は前頭葉でばかり生きているのではありません。 肉体に頭脳だけではなく全身があるのと同様、その肉体も魂が備わってはじめて生命を持ちます。 その生命を祀る神社は、私達日本人の日常に欠かせないものであると思います。 |
高砂神社

画像出所=http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/takasago.html
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
9世紀の醍醐天皇の頃のことです。
播磨国(いまの兵庫県)の高砂の浦に、熊手(くまで)を手にしたお爺さんと、箒(ほうき)を持ったお婆さんが、松林で木陰を掃いていました。
そこに友成(ともなり)という名の神主が現れます。
神主「そこなご老人、有名な高砂の松とは、
どの木のことを言うのですか?」
爺 「いま清めているこの木こそ、高砂の松です」
神主「高砂の松と、大阪の住之江の松は、
遠く離れているのに、
どうして相生(あいおい)の松と言うのでしょうか?」
爺 「私が住吉の者で、
婆が高砂の者です。
私達は夫婦(めおと)でござってな、
山海万里(さんかいばんり)を隔(へだ)てても
たがいに通う心づかい。
妹背の道は遠くないのです」
お互いに心が通い合っていれば「妹背の道」遠くないという、ここでいう「妹背(いもせ)」は、妹(いもうと)が、いまでは、血のつながった実の妹のことだけを言うようになりましたが、昔は、妻のことも、「妹」と言いました。
妻は、良(よ)い女(め)だから「よめ」であり、夫婦の契(ちぎり)を交わした後は、もはや血のつながった実の妹と同じ、という意味です。
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そして「背(せ)」とは「背子(せこ)」のことで、おんぶした(背負った)相手、という意味です。
妻から見た旦那は、背中におんぶした子と同じだ、というわけです。
そしてそうやって愛し合う夫婦は、高齢の爺婆になっても、なお、心と心が通い合うと、そういうことを述べています。
そして、ここで住吉明神様が現れて、謡曲が歌われます。
高砂や
この浦(うら)船(ふね)に帆(ほ)をあげて
この浦(うら)船(ふね)に帆(ほ)をあげて
月もろともに出(い)で汐(しほ)の
波の淡路(あはぢ)の島影(しまかげ)や
遠く鳴尾(なるを)の沖(おき)すぎて
はや住の江に着(つ)きにけり
はや住の江に着(つ)きにけり
この歌が、昔、結婚式で定番として謡われた「高砂(たかさご)」です。
そしてこのお話は、能楽の定番の演目、『高砂』となっています。
お話に出てくる住吉明神というのは、いま大阪市にある住吉大社のことです。
その住吉大社の御祭神は、黄泉の国から戻られた伊弉諾(いざなぎ)大神が、禊祓(みそぎはらい)をされたときに生まれた
底筒男命(そこつつのをのみこと)
中筒男命(なかつつのをのみこと)
表筒男命(うわつつをのみこと)
です。《日本書紀》
この三柱の神様は、古事記ではそれぞれ「底筒之男命、筒之男命、上筒之男命であり、墨江(すみのゑ)の三前大神(みまへのおほかみ)である」と書かれています。
墨江(すみのゑ)が、住之江(すみのえ)となり、その後に住吉(すみよし)となったわけです。
いまではすっかり内陸部になってしまっている住吉大社ですが、いまの住吉さんの場所は、もともとは白い砂浜に松林が続く海に面した場所でした。
神功皇后の三韓征伐は、この住吉大神の御神託に基づくもので、この征伐のおかげで、半島がチャイナの歴代王朝からの脅威からの緩衝地帯となることで、我が国は以後およそ1800年、チャイナ王朝からの直接侵略から護られています。
また、高砂の松は、いまも兵庫県高砂市の高砂神社にありますが、この松はひとつの根から、黒松と赤松の両方が生えている、変種の松です。
高砂神社は、神功皇后の三韓征伐の成功が、大国主神の加護によってもたらされたものであり、その凱旋の際に、大国主神が、この地にとどまると御神託されたために創建された神社とされています。
そして10世紀の終わり頃、国内に疫病が流行した際に、この神社にスサノヲをお祀りしたところ、見事に疫病が沈静化したという言い伝えがあります。
住吉さんが、男女の協力の証であり、海の守り神。
高砂神社が、夫婦和合の象徴であり、大いなる国の守り神。
そして『高砂』は、天下の平和を祝う祝賀の謡曲・・・というわけです。
ちなみに、全国に数ある神社のなかで、なぜか住吉大社だけが「住吉さん」と「さん」付けで呼ばれています。
また境内(けいだい)の雰囲気というか空気も、他の神社と異なり、格式の高い古い神社でありながら、たいへんに朗らかで陽気でやさしげな、独特の空気感を持ちます。
それはいってみれば、孫の遊んでいる姿を、目を細めてニコニコと笑ってみているおじいちゃんのような空気感で、それでいて実はそのおじいちゃんは剣術の達人・・・みたいな感じ?、要するにとても信頼感のある感じ、といった空気感です。
神社には、神明神社(神明社、皇大神社、天祖神社などとも呼ばれる)には神明社独特の、八幡様なら八幡様の独特の、香取様には香取様の、それぞれに独特の空気感があります。
それぞれ口語では、お伊勢さん、八幡さんなどと呼ばれることもありますが、文に書くときには、やはりお伊勢様、八幡様、香取様で、さん付けで書かれることはめったにありません。
天満宮は、天神さまですしね。
例外なのが、いくつあるかわからないとまで言われる(もしかしたら数万社?)お稲荷さんで、なにせ稲の荷物というくらいで、商売繁盛の神様とされていますが、稲荷神の神社もまた、きわめて独特な香りというか、空気感があります。
神社ごとの空気感の違いについては、また別な機会にあらためますが、住吉大社の持つ庶民性は、非常に独特なもので、これは行った方でなければわからない。
やはり、肌で感じるものというのは、これは大切なことであろうと思います。
コロナでネット化が進むと、大脳新皮質ばかりが発達しますが、そこはどこまでも個人の生き残りや個人の勝手のための選択をするところです。
人は前頭葉でばかり生きているのではありません。
肉体に頭脳だけではなく全身があるのと同様、その肉体も魂が備わってはじめて生命を持ちます。
その生命を祀る神社は、私達日本人の日常に欠かせないものであると思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行でした。
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コメント
でもってなんだ?
2021/02/27 URL 編集