桜花と野中五郎海軍大佐



第81回 倭塾《本日》開催 令和3年3月21日(日)13:30開講 場所:東京・富岡八幡宮・婚儀殿


「どいつもこいつも不適な面魂をしているナ。
 誠に頼もしいかぎりであ〜る。
 この飛行隊は日本一の飛行隊である事は間違いねぇ。
 何となれば隊長が日本一の飛行隊長だからであ~る。
 かく言う俺は何を隠そう、
 海内無双の弓取り、海軍少佐野中五郎であーる。
 かえりみれば一空開隊当初より、
 大小合戦合わせて二百五十余たび。
 いまだかって敵に後ろを見せたことはねぇ!」

一式陸攻に懸吊された桜花
一式陸攻に懸吊された桜花



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小名木善行です。

3月21日は、一式陸上攻撃機搭載のロケット特攻機「桜花」による神雷桜花特別攻撃隊野中五郎大佐以下が九州沖に初出撃し、散華された日です。
昭和20年(1945)のことでした。

「桜花(おうか・桜花)」は、大東亜戦争の末期に実戦に投入されたロケットエンジンを搭載した特攻専用機です(写真)。
世界最先端のロケットエンジン搭載の飛行機でしたが、当時の技術では、まだ自力で離陸することができませんでした。
なので一式陸攻の下に吊るされて敵地まで飛び、上空で親機から切り離されたあと、ロケットを噴射して、一直線に敵艦に向かって突撃する仕様でした。

搭載する爆弾は、1200kg爆弾です。
通常の航空機による特攻の5倍近い威力の爆弾を搭載しました。
「桜花」は、時速1040キロという音速に近いスピードで、一直線に敵艦に体当たり突撃します。
成功すれば、その破壊力はすさまじいものです。まさに一撃必殺です。

ところが搭載したロケットエンジンは、一瞬で燃料を燃やしつくしてしまいます。
つまり、航続距離がない。
桜花の航続距離は、わずか37kmです。
30キロというのは、上空と海上とでは、最早目と鼻の先です。
すぐそこに見える距離です。

飛行機に乗って空港に着陸するとき、空港近くまで降りてきた飛行機から、付近にいる漁船などが見えますが、その距離がだいたい30キロです。
そこまで近づいて、切り離されて、まっすぐに敵艦に向かうのです。

桜花は、2トンを超える重量がありました。
ですから、さしもの一式陸攻も、桜花を懸吊すると「飛ぶのがやっと」という状態になります。
つまり速度が出ず、小回りもきかなくなります。

ですから敵の戦闘機に襲われたらひとたまりもありません。
桜花を懸吊した一式陸攻は、戦闘機であるゼロ戦に警護を固めてもらって、敵艦隊に近づきました。


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桜花
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この頃の米艦隊は、特攻対策として高射砲の砲弾に「近接信管」を搭載していました。
「近接信管」というのは、砲弾を中心に半径15メートルに電波が発射されていて、その電波が飛行機を察知した瞬間に爆発するというものです。
そして砲弾の中には、無数の鉄片が仕込まれていました。

近接信管を搭載した砲弾が、特攻する桜花の近くで炸裂すると、パイロットは大怪我をし、あるいは即死し、機体は穴だらけになって吹き飛びます。
こうした近接信管を搭載した砲弾を、米艦隊は突入してくる桜花めがけて、一斉に何百発と撃ち込むのです。
ですから特攻は本来、機体の小回りを利かせ、敵砲弾をかいくぐらなければ、敵艦に近づけなかったのです。
桜花は、こうした「近接信管」の爆発を、あわよくば猛スピードですり抜けようという仕様でした。
その代わり、一直線にしか飛べません。

当時のパイロット達は、航空戦のまさにプロフェショナルです。
しかも、航空兵に採用されるような人たちは、とびきり優秀なパイロットたちです。
プロであるがゆえに桜花作戦の危険性、無謀性は、我々の何十倍も熟知しています。
それでも彼らは飛び立ちました。

なんのためにでしょうか。
どうしてそうまでして戦ったのでしょうか。
そのことを、わたしたちは同じ同胞として、きちんと考える必要があると思います。

桜花の最初の出撃は、戦局押し詰まった昭和20年3月21日でした。
この5日後には、沖縄戦が開始されています。
まさに米艦隊が、沖縄めがけて続々と押しかけてきていた頃でした。

野中五郎大佐
野中五郎大佐


「桜花」による神雷桜花特別攻撃隊を指揮した野中五郎海軍大佐は、明治43年、東京・四谷に生まれました。
子供の頃から明るく、周囲を笑いの渦に巻き込む天賦の才があったそうです。
学生時代は、クラシック音楽が好きで、レコード屋に入り浸ってレコードを買い求める音楽青年でもありました。

大東亜戦争の開戦と同時に、当時大尉だった野中海軍大佐は、一式陸攻の分隊長として、フィリピン、ケンダリー、アンボン、ラバウル、ソロモンと転戦しました。
そして、巡洋艦、輸送船合わせて四隻を撃沈しています。
ラバウル時代には、草鹿任一第十一航空艦隊司令長官から武勲抜群として軍刀を授与されてもいます。

昭和18年11月のギルバート戦では、彼が発案した「車がかり竜巻戦法」で、米軍を悩ませました。
これは、薄暮、単縦陣で海面すれすれに飛行し、敵艦船を遠巻きにして、その周りを回り、最後尾の機に先頭の隊長機が迫って輪のようになる。
そして照明弾を落とすと、敵が光にさらされて姿を現す。
そこを全機で魚雷攻撃するというもので、多数の米艦船がこの攻撃で沈みました。

野中五郎大佐の趣味は茶道でした。
南方では出撃前にも翼の影で野点(のだて)に心を鎮めていた方でした。

彼は新任の部下に、
「若え身空(みそら)で
 遠路はるばるご苦労さんざんすねぇ。
 しっかりやんな。
 お茶でも入れようか」
と声をかけ、面くらわせたりもしていました。

そう。言葉づかいはべらんめい調が特徴でした。
けれどそこに飄々とした味があり、とにかく部下思いの優しさから多くの部下たちに慕われいました。
彼の部隊は、いつしか「野中一家」と呼ばれるようになっていました。

茶をたてる野中大佐
茶をたてる野中少佐


その「野中一家」に、桜花部隊が命ぜられました。
「桜花」は、出撃=死を意味する部隊です。
野中大佐は、そんな彼らを見渡し、朝礼台で挨拶をしました。

「どいつもこいつも不適な面魂をしているナ。
 誠に頼もしいかぎりであ〜る。
 この飛行隊は日本一の飛行隊である事は間違いねぇ。
 何となれば隊長が日本一の飛行隊長だからであ~る。
 かく言う俺は何を隠そう、
 海内無双の弓取り、海軍少佐野中五郎であーる。
 かえりみれば一空開隊当初より、
 大小合戦合わせて二百五十余たび。
 いまだかって敵に後ろを見せたことはねぇ!」

講談調でたたみかけるように話す野中隊長に、いつしか兵たちは ニヤリと笑い、表情に力強さが戻ったそうです。
この様子を見ていた人の談によると、野中五郎大佐の訓示は、なにやら自分の心に勇者の魂が乗り移ってくるような不思議な力があったそうです。

昭和19(1944)年10月、「桜花」による特攻部隊、第721航空隊(通称:神雷部隊)が編成されたとき、野中少佐は、「桜花」を搭載して出撃地点まで運ぶ陸攻隊の指揮官に任ぜられました。

野中大佐はその豊富な戦歴から「桜花」の運用の難しさを即座に見破ります。
そして、
「この槍使い難し。
 日本一上手い自分が攻撃をかけても
 必ず全滅する」
と予言しています。

野中大佐は、たとえ国賊と罵られても桜花作戦を止めさせようと、再三にわたり上官に進言を繰り返しました。
もし桜花を抱いて出撃することになったなら、本来なら一式陸攻は「桜花」を切り離したら帰還すれば良いのだけれど、「部下たちだけを突入させて帰って来られるか。自分も体当たりする」と公言していました。

昭和20年1月、神雷部隊は鹿児島県鹿屋基地に進出しました。
野中大佐はこのとき、大事にしていた茶道具を、すべて家に送り返しています。
もはや、生きて還ろうとは考えていなかったのです。

桜花の出撃のためには、大多数の戦闘機による一式陸攻の護衛が必要です。
鹿屋基地には、3月18日の時点で、国内全基地から集められたゼロ戦や紫電改など戦闘機百数十機が待機しました。
しかし、そこに米軍の大空襲が行われました。

3月20日、同僚の林大尉に、野中大佐は語っています。
「戦闘機も、もうろくすっぽねえってーのに、
 司令の野郎(桜花攻撃を)引き受けてきやがって。
 あのおっちょこちょいめ、どうしようもねえよ。
 今回おれは腕っこきをよりすぐって行くよ。
 それで成功すればしめたものだが、まず成功しないよ。
 命にかけても(司令は)駄目だとがんばるべきだったが、
 引き受けてしまったからには仕方がない。
(作戦は)必ず失敗するだろう。
 その結果を見て林君、特攻なんてこんなもん、
 ぶっつぶしてくれよ。
 頼んだぜ。」

3月21日の朝、偵察機が都井岬の南東320浬付近で空母二隻を中心とする機動部隊を発見しました。
桜花を搭載した一式陸攻が出撃態勢に入りました。

そのとき、この作戦が万に一つも望みのない作戦だと知っている岡村司令は、危険な任務には指揮官が先頭に立つという日本海軍の伝統に従って「自分が陸攻に乗って直接指揮する」と主張しました。
野中大佐は、
「司令が出るのはおかしい。
 海軍の規制どおり
 飛行隊長の自分が指揮をとる」
と主張し、二人は大声で激しい言葉で応酬しました。
そして野中大佐は言いました。
「司令、そんなに私が信用できませんか」

そのひとことで、野中大佐は岡村司令をついに押し切りました。

同日午前、第一桜花攻撃命令が発せられました。
一式陸攻18機が 鹿屋基地に並びました。
搭載する桜花は、編隊の都合で15機です。
護衛戦闘機は72機の予定が、空襲で破壊されて、55機に減っていました。
野中は岡村司令以下、整列した幹部と別盃を交わしたあと、改めて岡村と惜別の挙手の礼をし、指揮官機のほうに向かいました。

このときの様子を、当事七二一空の整備分隊長であった高科伸一氏が、次のように伝えています。
「野中隊長は、
 二、三歩進まれたところで、
 ひょいと振りかえられました。
 私と目が合い、
 そのとき私には、
 隊長の眼がかすかに笑ったように感じられました。
 野中隊長は、
 おう、貴様も見送ってくれているのか、
 あとを頼むぞという感じで、
 左手に軍刀をぶら下げ、
 淡々とした足取りでした。
 そして野中隊長は、
 軽く首肯して再び歩き出されました。」

野中大佐は、高科らが格納庫で機体を整備中に二回訪れて「ご苦労さん」と、ねぎらいました。
多忙ななかで、自分の命が尽きようとしているのに、機体整備という陰の作業に気配りをしていたのです。
そんな野中大佐に、整備員たちは感激したし、そのときの野中大佐の笑顔が思い出され、高科さんはこみあげてくるものを抑えることができませんでした。

野中大佐は出撃隊員の正面に立ち、大音声で訓示しました。
「ただいまから敵機動部隊攻撃に向かう。
 まっすぐに猛撃を加えよ。
 空戦になったら片っ端からたたき落とせ。
 戦わんかな、最後の血の一滴まで。
 太平洋を血の海たらしめよ!」

次いで桜花隊の三橋分隊長が部下に訓示しました。
「いまさら言うこともない。 みんな一緒に行こう!」

21日、午前11時35分、部隊は鹿屋を発進しました。
空母群から60海里の上空で、部隊は、グラマンF6F戦闘機群の襲撃にあいました。
重い荷物を抱え、スピードの遅い一式陸攻は残らず撃墜されてしまいました。
敵戦闘機からやっと 逃れて帰投した直掩機が、味方は十数分で全滅したと桜花特攻の最期を報告しています。

未帰還者は野中隊長をはじめ総勢160名でした。
34歳の野中大佐は、妻と二人の幼児を残したままの死でした。

野中五郎大佐が、亡くなる前に愛児に宛てて書いた手紙です。

=======
ぼー まいにち おとなちく ちてるか
おばあちゃまや おじちゃまが
いらっちゃるから うれちいだろう

おたんじょうび みんなに かわいがられて
よかったね おめでとう おめでとう

おとうちゃまは まいにち あぶーにのって
はたらいている

ぼーが おとなちくして みんなに 
かわいがられているときいて うれちい

もうちょろちょろ あるかなければいけない
はやくあるきなちゃい

おかうちゃまの いうことをよくきいて 
うんと えいようをとって ぢょうぶな よいこどもに
ならなくてはいけない

ちゅき きらいのないように なんでも 
おいちいおいちいってたべなちゃい

でわ さようなら 

おとうちゃまより
ぼーへ
========

「日本軍は沖縄を見殺しにした」などと言っている人に言いたいです。
「あなたは、失敗する、死ぬとわかっていても、
 それでもなお、沖縄を救うために出撃した
 野中五郎大佐以下160名の前で、
 その言葉を言えますか」と。


※この記事は2010年9月の記事をリニューアルしたものです。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
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