八百年前も、三百年前も、今の日本も日本です。 その日本人の心に明かりを灯す。 それは、何も大上段に振りかぶることではなくて、ほんのちょっぴり「日本ていいな」と思っていただくだけで良いのだろうと思います。 その小さな積み重ねが、やがて大河となって日本を覆い、日本の正気を取り戻すのです。 これが「積小為大(せきしょういだい)」です。 日本の大きな改革は、この「積小為大」によってこそ成し遂げられるものであると思っています。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
桜の季節になりました。
宮内卿の歌をご紹介したいと思います。
花さそふ比良の山風吹きにけり
漕ぎ行く舟の跡みゆるまで(はなさそふ ひらのやまかぜ ふきにけり こきゆくふねの あとみゆるまで)
この歌は新古今集に掲載された歌です。
宮内卿(くないきょう)というのは、右京権大夫(うきょうごんのたゆう)であった源師光(みなもとのもろみつ)の娘です。
13世紀はじめの女性です。
宮内卿の歌は、たいへんいビジュアル性に富んでいるといわれています。
母方の祖父が高名な絵師であったことの影響かもしれません。
上の句の「比良(ひら)の山」というのは、琵琶湖の南岸、大津から高島にかけての山並みです。
「花誘ふ」は、比良の山から吹いてくる山風が、桜の花びらを散らしている様子です。
風が吹き寄せてきて、向こうに行ってしまう。
そんな風君が、桜の花びらに、
「ね、一緒に行こうよ」と誘っている、というわけです。
このあたり、風も花も、ともに擬人化していて、とてもやわらかくてあたたかです。
そんなあたたかさが、歌にうららかな春の陽光を添えています。
そこに下の句の
「漕ぎゆく船の跡」が絶妙です。
これは川面一杯に散った桜の花びらをかきわけながら、和舟が一艘、進んでいくと、その航跡の桜の花びらが退いて、そこだけ水の面が現れる、そんな様子です。
陽光うららかな春の日、
比良の山からの吹き下ろした風君が、桜の花びらに「一緒に行こうよ」と誘っている。
誘われた花びらが風に舞い、小さな小川の川面いっぱいに広がる。
その川面に和舟が一艘、川面の桜の花びらをかきわけるようにすすんでいる。
すると和舟が通ったあとにだけ水面があらわれる。
実に見事な情景描写だと思います。
また、「花を誘う風」というところに、大勢を率いた(誘った)、ひとりの男、といったイメージが重なります。
おそらくこの歌は、どなたかのお誘いで、大勢で行ったお花見会を詠んだ歌なのでしょう。
この歌を本歌取りして詠んだ歌があります。
ご存知、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の辞世の句です。
風さそふ 花よりもなほ 我はまた
春の名残を いかにとやせんここでは「花誘ふ風」を、「風誘ふ花」としています。
つまり誘う側である主役の男性が強調されています。
そんな爛漫と咲き誇る桜花よりも、自分はもっと春の名残をとどたいのだ、どうしたらそれができるのだ?
というのが、この歌の趣旨です。
こちらの歌は、宮内卿よりも500年もあとの時代のものです。
歴史と文化は、ちゃんとつながっているのですね。
殿中松の廊下での刃傷事件で、その日のうちに切腹を申し仕った浅野内匠頭はこの歌で、
「大勢の思いをどうやってとどめたら良いのだろうか」
と呼びかけています。
殿の辞世の句での今生最後の呼びかけです。
殿と思いをひとつにする家臣たちは、では、どのように対応したら良いのでしょうか。
八百年前も、三百年前も、今の日本も日本です。
その日本人の心に明かりを灯す。
それは、何も大上段に振りかぶることではなくて、ほんのちょっぴり「日本ていいな」と思っていただくだけで良いのだろうと思います。
その小さな積み重ねが、やがて大河となって日本を覆い、日本の正気を取り戻すのです。
これが「積小為大(せきしょういだい)」です。
日本の大きな改革は、この「積小為大」によってこそ成し遂げられるものであると思っています。
※この記事は2015年4月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
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コメント
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今回の和歌、解釈に少し参考にして頂きたいのですが、比良山は、京都市内の鬼門に位置し、つまり北東部であり、ふもとの朽木村は、鞍馬の奥の花背と並ぶ多雪地帯で、寒風が大原・八瀬を通って吹き込む事で有名であります。
大学時代に左京区に下宿していた私は、タイヤチェーン取り付けのバイトで、花背や朽木に朝早くからバスに同乗した事がありますから、それはそれは相当な寒さで、市内近郊では春も一番遅い地域です。
つまり、参考にして頂きたいのは、
『花誘う』の意味は、『退きの美学』『世代の継承』と思われます。
私の和歌からのイメージは、
『春の盛る頃、比良山からの冷風も時折になった。この青き春の凛とした北風も、咲き始めの桜が順々に散りゆくのを、誘って率いていくように先達となる。この考えはまるで、季節を進むかの漕ぎゆく船に道を明け渡すかの花びらの花道にてできる推進の跡。』
このように花誘うを解釈しますと、浅野内匠頭の時世の句にも、浅野様の『私も積小為大の礎となろう、ほら散りゆく花が誘っているではないか』となり、双方の和歌の思いに筋が通るかと思われます。
よろしくお願い申し上げます。
2021/03/25 URL 編集
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どうしても、、日々。
時に、ありがたく拝見しています。
2021/03/25 URL 編集