ストレスを試練に変える力も、学問の力です。 そういう生きた学問が復活し、生きた学問を得た人たちが、これからの未来を築くのです。 それ以外にはないのです。 学問というのは、記憶力ばかりがすぐれたテスト秀才のことを言うのではありません。 本来の日本の姿に目覚め、自らの主体性を発揮して、実社会での生活に役立つ生きた学問を身に着けた人のことをいいます。 そういう人たちが、10年たち、20年たちしたときに、社会の大きな柱となるのです。 そうなってはじめて日本は変わる。 向こう百年、愚痴や文句を言い続けても何も変わりません。 結局は、生きた学問を学んだ者が、10年後、20年後の世の中を変えるのです。 |

画像出所=https://monitor.macromill.com/researchdata/20151127stress/index.html
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
人気ブログランキング応援クリックは
←こちらから。いつもありがとうございます。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
現代日本はストレス社会と言われています。
ストレスというのは、外部からの刺激を受けたときに生じる緊張状態のことで、もともとは苦痛や苦悩を意味するdistressが短くなった言葉といわれています。
つまり、何らかの形で苦痛を受けて苦悩している状態で、それが原因で肉体的・精神的な緊張が生まれ、苦痛がさらに加速されている状態ということができます。
しかし、現代日本がストレス社会というのも、ある面不思議な感じがします。
先の大戦末期、食うに食なく、住むに家なく、日々空襲におびえ、艦砲射撃に家族の命を奪われ、病気になっても怪我をしても医療さえも満足に受けることができない。
そんな、まさに苦痛だらけのストレスのなかを、我々の先輩たちは生き延びているわけです。
このことは、江戸時代を考えてみても同じで、何年も凶作が続いて食べ物がなくなり、大阪のようなおおきな町で、年間5千をこえる餓死者が出たり、江戸ではコレラが流行って人々がバタバタと死んでいったりしていたわけです。
息子のきれいな顔が、麻疹にやられてアザだらけになってしまうこともありました。
たった一度の吉原での遊びで梅毒をうつされて、家族からさえも恥として扱われてしまうなどということもありました。
ストレス社会という意味では、いまよりも昔の日本のほうが、はるかに大きなストレスにさらされた社会であったわけです。
ところが昔の日本人には、ストレス対処法のようなものがありません。
それどころか、ストレスという言葉さえも日本語にありませんでした。
つまり日本には、そもそもストレスという単語に相当することが、「なかった」ということになります。
日々の生活に、ストレスという用語が意味する、苦痛や苦悩はありました。
けれどそれがストレスとしては認識されていませんでした。
では何と認識されていたのかというと、それらはすべて「試練」と認識されていました。
なぜ、苦痛や苦悩が、ストレスではなく、試練になるのでしょうか。
そもそもストレスと試練では、何が違うのでしょうか。
最新刊
ストレスは、受動的なものです。
つまり自分ではどうしようもない苦難や苦痛を与えられるから、それがストレスになります。
試練は、能動的なものです。
みずから招き、受け入れ、乗り越えるべき壁が試練です。
ですから、そこにどんなに苦痛や苦難があっても、それらは乗り越えるべき試練であって、ほかから一方的に与えられる苦痛や苦難ではありません。
そして「神は乗り越えられる試練しか与えない」とも考えられてきました。
つまり、目の前にある試練は、乗り越えるべき目標であり、ターゲットであり、自分が成長するための糧でもあったわけです。
これではストレスになりません。
要するにストレスと試練の違いは、同じく外的受難に対し、それらを受動的にとらえるのか、能動的にとらえるのかによって生じている違いであるということができるわけです。
ストレスがなぜ受動的なのかといえば、ストレスの前提に、他者からの抑圧があるからです。
抑圧されている中に苦痛や苦難があるから、それがストレスになる。
一方試練は、実際には凶作になったとか、大火災に巻き込まれたとか受動的なものがきっかけになっていたとしても、そこで起きた事実を、むしろ積極的かつ能動的に試練と考え、そこに挑戦していく勇気をもたらします。
このことは、実は、あらゆる問題に対して、
「自分から積極的に問題の解決にあたることができる」
ということが担保されて、はじめてそうした境遇に至ります。
つまりストレスを生む社会環境には、この「自分から積極的に問題の解決にあたることができる」ということがないのです。
与えられた範囲内でしか、行動することも貢献することもできない。
もっと自分を活かせるのに、もっと役に立つことができるのに、それをさせてもらえない。
もらえないどころか、やることなすことのいちいちを強制されてしまっている。
そこに自由がない。
昔は新入社員が入社してきても、そもそも会社にマニュアルなんてものがありませんでした。
職場に新入りさんが入ってきても、誰も何も教えてくれない。
「まあ、2〜3日は先輩たちの様子を見ていればいいから」
なんて言われて、仕事も与えてもらえない。
お客さんの方も、そうした新入りさんがいると、
「あら、新入りさんかい?
しっかりやるんだよ」
なんて、笑顔で声をかけてくれたりしたり、
「おい、そこの若いの、この品物について、教えてくんねえか?
って、おい、なんだ新入りさんか。
じゃ、しょうがねえな。
他に誰かいねえのかい?」
なんて調子だったりしたわけです。
こんな調子ですから、誰も何も教えてくれない。
教えてくれないどころか、
「仕事は自分で見つけるものだぜ」
なんて調子だから、自分から積極的に仕事を覚えようとしなければ、いつまでたっても、何日経っても、何もすることがありません。
それでなんにもしなければ、
「あの野郎、配属されてからもう一ヶ月も経つのに、
何もしやがらしねえ。
お前な、仕事ができねえってのは、
やる気が無いのか、能力がないのか
ふたつにひとつしかねえんだ。
お前はどっちだ?!」
なんて、嫌味を言われてしまいます。
要するに、お前は間抜けなのか、バカなのかと言われているようなもので、それでは悔しいから、自分から必死になって仕事を覚えようとする。
先輩のしていることを、見様見真似でやっていくうちに、だんだん、できる仕事の量が増えていく。
そしてそのうち、仕事の質もあがっていく。
だいたい仕事というのは、ひととおりのことができるようになるのに三年。
一人前になるには、最低十年、といわれたものです。
つまりそれまではずっと半人前でしかないわけで、そんな半人前の社員を、会社はちゃんと面倒みてくれたわけです。
ところが、戦後、そんな半人前の若い社員たちが、労働争議だとか言い出して、ストライキはやるわ、会社の上司を囲んで「団交」と称して、集団で大声をあげるは、仕事はしないわ、組合費と称して先輩たちからまでカネを徴収して、銀座の町で豪遊するわ、戦前の日本では考えられなかったような出来事が起きるようになったわけです。
この時代のストライキだとか団交だとかを江戸時代の人がみたら、きっと腰を抜かして驚いたことでしょう。
そして、「こんなものを奉行所は放っておくのですか?」と不思議に思ったことと思います。
要するに、みずから積極的に仕事を覚えようとする半人前の人を、会社は笑顔で何年も抱えてくれたし、そのあいだの給金もしっかりと払ってくれた、そんな社会にあって、すべてのことは自分から積極的に行動を起こさなければ、社会の中で一人前として扱われるようになることはない、という社会から、戦後の日本は、半人前の社員が一人前の顔をするどころか、上司さえも集団で脅して好き放題する社会へと変化したわけです。
そんな仕事をしない社員の面倒まで、会社は見なければならない。
そうであれば、すべての仕事をマニュアル化して、そのとおりに仕事をしなければクビにするという抑圧を社員に強要する以外、会社を守ることができません。
結果、いまや日本社会全体が抑圧社会へと変化してしまったわけです。
もともと日本では、すくなくとも、千年以上にわたって、ひとりひとりが「おほみたから」である、という前提に立って社会の仕組みが築かれてきました。
ですからそのような社会環境のもとで育った日本人は、自分から積極的に仕事をしていく、人の輪に入っていくという習慣が、身に備わっています。
にもかかわらず、それら積極的行為の一切が否定されれば、残るのは抑圧感とストレスだけになってしまいます。
いまでは職場でストレスを感じる人は8割に達するとか。
ここまできて、これを社会の「ひずみ」と考えないほうがどうかしています。
我々は日本社会のあり方を、これまでのような小手先の改善だけでなく、この際、根本から社会構造や体制を見直す必要があるのではないでしょうか。
先日来、幕末から終戦までの動きについてのお話を書いていますが、結局のところ、180年前の辛丑六白という今年(2021年)と同じ干支のときにあった、旗本御家人およそ900人逮捕、家禄没収、江戸放逐といった異常な事態以後、武士たちはもはや編笠で顔を隠して生きるしか無くなってしまった。
一方で二宮尊徳の努力で、積小為大、すなわち日々の小さな努力の積み重ねによって、この時代以降、農家が我が国でたいへんな実力をつけるように成り、抑圧された社会のなかで、彼らはひたすら学問に励んでいきます。
結果、明治以降、学力の高い農民と、どこまでもいつまでも戦い続ける農民兵が、日本を大きく成長させていきました。
その農民たちが戦後は都会に出て、やはり「いつまでもどこまでも働く人々」となって日本経済を高度成長に導きました。
けれどここへきて、戦後の教育の崩壊が顕著となり、学問のちからが失われていきました。
結果、日本は出口の見えない混迷が続いています。
未来を開く力は、どんな時代も、いつの時代も、結局は学問の力によります。
今日のタイトルのストレスを試練に変える力も、学問の力です。
そういう生きた学問が復活し、生きた学問を得た人たちが、これからの未来を築くのです。
それ以外にはないのです。
学問というのは、記憶力ばかりがすぐれたテスト秀才のことを言うのではありません。
本来の日本の姿に目覚め、自らの主体性を発揮して、実社会での生活に役立つ生きた学問を身に着けた人のことをいいます。
そういう人たちが、10年たち、20年たちしたときに、社会の大きな柱となるのです。
そうなってはじめて日本は変わる。
向こう百年、愚痴や文句を言い続けても何も変わりません。
結局は、生きた学問を学んだ者が、10年後、20年後の世の中を変えるのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
人気ブログランキング↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。nezu3344@gmail.com 最新刊 《塾・講演等の日程》 どなたでもご参加いただけます。 第80回倭塾 2月21日(日)13時〜17時 富岡八幡宮婚儀殿2F 第81回倭塾 3月21日(日)13時〜17時 富岡八幡宮婚儀殿2F 第82回倭塾 4月17日(土)13時〜17時 富岡八幡宮婚儀殿2F
|
『ねずさんのひとりごとメールマガジン』 登録会員募集中 ¥864(税込)/月 初月無料! |
コメント