あらためて「知らす」について学んでみたいと思います。 本稿ではウシハクは扱いません。知らすのみを先ず考えてみます。 |

画像出所=https://www.town-takachiho.jp/top/kanko_bunka/kanko_joho/814.html
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
古事記では「シラス」は「知」という漢字一文字で表されています。
つまり「知」と書いて「しらす」と読むのですが、古事記は、大和言葉の意味と漢字の持つ意味が共通するものは漢字で、そうでないものは「以音(こえをもちいる)」と、漢字の音だけを借用したときには、個別に注釈を加えています。
「知」には、「以音」という注釈がありませんから、この場合は、漢字の「知」と、大和言葉の「シラス」が、意味が共通しているということを意味します。
そこで「知」という漢字を見ると、この字は「矢」と「口」で成り立っています。
「矢」は弓矢の矢です。
「口」の部分は、実は人間の口ではなくて、お酒を注(そそ)ぐ盃(さかずき)の象形だといわれています。
そして古代において、矢と盃は、神棚に供えるものです。
いまでは神様は神社においでになられるとされていますが、神社という構造物(建築物)がまだなかった縄文の昔においては、人々が神様と会うときには、神棚を造って、そこに神様の方から降りてきていただくという習慣になっていました。
そのとき、神棚にお供えするのが矢と盃です。
この習慣は、いまでも紙垂(しで・下の写真)として神社に残っています。
紙垂というのは、矢の羽の部分、つまり矢羽の象形です。
紙垂(しで)

我々現代人の多くは、知恵や知識は本を読んだり、先生に教わったりして得るものとされていますが、大昔の日本では、知識や知恵というものは「目に見えない力」であり、それは「神々から授けていただいた力」とされていました。
ですから「知る」ということは、我々が自分の頭で考えるとか、学んで覚えるといったものではなくて、もともとは「神様の知恵をいただく(お借りする)」と考えられていたわけです。
ですから「知」という言葉は、そのまま「神々と繋がり、神々の知恵」を意味することになります。
つまり「しらす・知」という言葉は、神々の知恵そのものであるわけです。
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この「知」という漢字が、古事記で最初に登場するのが、天照大御神、月読命、建速須佐之男命の三貴神がお生まれになったところです。
このとき、三貴神が生まれたことをたいへんに喜ばれた伊耶那岐大神が、三貴神それぞれに、
汝命者所知高天原矣 いましみことは高天原を知らせ
汝命者所知夜之食国矣 いましみことは夜之食国を知らせ
汝命者所知海原矣 いましみことは海原を知らせ
と事依(ことよ)された、
と書かれています。
ここで三度繰り返して「知(しらす)」という漢字が出てきます。
漢文は、基本的に同じ漢字の繰り返しをきらいます。
ですから同じ漢字が二度繰り返されていたら、それは重要語であることを意味しますし、三度繰り返されていたら、その漢字の意味するところは「とてつもなく重要」だということを意味します。
ところは古事記は、この段階では「知」という言葉がなぜ重要なのかを説明していません。
古事記がおもしろいのは、まさにこういうところで、実は古事記は、はじめに読む人が疑問に思うようなことをドンと出しておいてから、その言葉の意味を、続くストーリーで詳細に説明しています。
ではこの場合はどのような展開になっているかというと、三貴神のうち、須佐之男命(スサノヲノミコト)だけが、父の「海原を知(し)らせ」という命令を履行(りこう)しないで、結局父から海原を追放されてしまうのです。
このときスサノヲは、ちゃんと父に「では父の命令どおりに根の堅州国に行きます。でもその前に高天原に行って姉の天照大御神に会って挨拶してきます」とことわったうえで、高天原に向かうのです。
ところが高天原では、天照大御神が完全武装して、さらに高天原の大軍団を伴ってスサノヲを迎えます。
「お前は高天原を奪いに来た」というわけです。
びっくりしたスサノヲは、
「自分はただ挨拶にきただけだ、そのことはちゃんと父も承知している」と姉に言うのですが、姉は、
「だったら、それを証明してみせろ」という。
そこでウケヒを行って、スサノヲは自分の心に偽りがないことを証明してみせるのですが、姉は、その結果を無理やり逆の意味に入れ替えてしまいます。
つまりスサノヲにはきたなき心がある、というわけです。
スサノヲにしてみれば、天照大御神は実の姉であり、兄弟姉妹のなかで、もっとも優秀な尊敬できる姉です。
その姉が、ここまでするということは、何かお考えあってのことに違いない。
スサノヲも、後には偉大な神になられるお方です。
ちゃんと物事がわかるし、察することができるのです。
その思いとは何か。
その答えは、姉が完全武装して、自ら兵を率いてきたことにあります。
実の弟であり、姉に危害を加えるつもりなどはじめから毛頭ない自分だったから良かったようなものの、もしこれが、本当に悪いやつが高天原を乗っ取りに来たときに、やはり姉が先頭をきって武装して、そういうおそろしい敵と直接対峙するのだろうか。
それは本来、後ろに控えている高天原の八百万の神々の仕事ではないのか。
こうして姉の思いを悟ったスサノヲは、高天原で八百万の神々がはたらく田んぼの畦(あぜ)を壊したりして暴(あば)れてみせます。
すると、壊された八百万の神々は、姉に
「スサノヲ様に畦を壊されました。
天照大御神様、なんとかしてください」
姉の天照大御神は、
「スサノヲには、何か考えがあってのことであろう」
と、八百万の神々に考えることを促すのですが、それでも八百万の神々は天照大御神を頼るばかりで、自分たちで行動するということをまったくしません。
やむなくスサノヲは、その行動をエスカレートさせます。
ところがその結果、天(あめ)の織女(おりめ)が事故で亡くなっってしまうのです。
それでも八百万の神々は、ただ嘆くばかり。
これを見た天照大御神は、
「わかりました。スサノヲ、おまえはもう控えなさい。
あとは私がやります」
と、天の石屋戸にお隠れになられてしまうのです。
と、ここまでのお話について、ある程度古事記をかじられた方なら、「あれっ?おかしいな。自分たちが学んできた古事記と解釈が違っているよ」と思われたかもしれません。
けれど古事記を原文で読むと、この天の織女が亡くなったとき、天照大御神は、「見て畏(かしこ)みて」天の石屋戸にお隠れになられた、と書いてあるのです。
「畏(かしこ)む」という言葉は、「おそれる」とか「おびえる」という言葉と意味が違います。
神社では「かしこみ、かしこみ、まをす」と、繰り返し毎日祓詞で唱えられる言葉です。
つまり「かしこむ」という言葉の意味は、「感謝して」という意味なのですから、天照大御神の「見てかしこみて」というのは、
事件を見た天照大御神様が、何かに「感謝して」、岩屋戸にお隠れになられた、と古事記は書いていることになります。
そうであるなら、話の流れから、ここで天照大御神が感謝する相手は、スサノヲをおいて他にありません。
というわけで、天照大御神がお隠れになってしまわれるのですが、そもそも天照大御神は太陽です。
太陽が隠れて昇らなくなるということは、世の中真っ暗闇になるわけで、これには八百万の神々もお困りになってしまわれます。
そこで天の安の河原にみんなで集まって、どうしたら天照大御神様に岩屋戸からお出ましいただけるのだろうかと話し合います。
そして有名な、天宇受売命(アメノウズメノミコト)が舞う、あのシーンになるわけです。
こうしてめでたく天照大御神様は、世を再び照らされます。
そしてこのあと、八百万の神々は、自分たちで責任をもって、自分たちの意思でスサノヲを逮捕し、重罪を科してスサノヲを高天原から追放します。
人を逮捕し、裁判し、追放するということは、自衛のための権力の行使です。
権力には責任が伴います。
つまり八百万の神々は、自分たちで積極的に天照大御神に代わって権力を行使し、かつその行使に責任を持つように成ったのです。
以後、天照大御神様の地位は、神々の世界における最高神であるというだけでなく、神々の世界である高天原における最高権威となられます。
こうなれば、もし万一高天原に脅威が迫ったとしても、もはや天照大御神様がみずから武装して最前線に立たれるようなことは起こりえません。
そうした権力の行使や武力の行使は、八百万の神々の仕事であり、責任であり、権限となるからです。
こうして高天原では、権力と権威が分離しました。
そしてニニギノミコトが地上に降臨するとき、天照大御神様から、
「地上において、高天原と同じ統治をしなさい」
と言付かります。
つまり地上においても、最高権威と、国家権力を、きちんと立て分ける。
これが「知らす統治」の根幹の形であり、神々の知恵であり、日本の根幹です。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
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