たいせつなことは、どちらの解釈が正しいのか、といったマルかバツかにあるのではありません。必要なことは、何をたいせつにして生きるかであり、日々、より良い判断を積み重ねながら、よりよい未来を切り開くことです。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
百人一首の80番に、待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)の歌があります。
ながからむ心も知らず黒髪の
乱れてけさはものをこそ思へ
一般に、黒髪の乱れというのは、後朝(きぬぎぬ)といって、情事の翌朝のことを言います。
ですからこの歌は、表面上は恋の歌であり、「黒髪の乱れて」というところに情事の後のエロティックな雰囲気が現れた歌であり、そんな髪を気にする女性ということで、百人一首の絵札では、待賢門院の堀河は、必ず手鏡を持った姿に描かれています。
しかし、そうと決めつけるばかりが歌の鑑賞ではない、というのが今日のお話です。
和歌を詠んだ歌人が、どのような思いでその歌を詠んだのか。
本人に聞いてみなければ、そんなことはわかりません。
けれど仮に本人に聞いてみたところで、人の心は十界互具(じゅっかいごく)といって、一瞬の中に三千の千々の思いがあるものです。
言葉にできるのは、そのひとつにすぎず、ですから言葉はその人の一瞬の思いを述べるにとどまります。
日本の和歌の文化のおもしろいのは、その千々に乱れる一瞬の思いを、言葉をできるだけすくなく削ぎ落としていくことによって、逆に、短い言葉の中に様々な思いを込めることに成功した文化である、という点です。
ですから和歌の鑑賞は、読み方次第で、様々な解釈が可能になります。
そして和歌というのは、歌人が、そのときの万感の思いを歌に託したものでもあるわけですから、鑑賞にあたっては、その歌人や、歌の背景を考えながら、鑑賞させていただくことになります。
百人一首は、そうして過去に詠まれた様々な歌のなかから、藤原定家が百人の歌人の百首の歌を用いて、百首すべてで一首の歌になるように編纂した一大抒情詩とみることができます。
そうであれば、この80番目に配置された歌は、百首全部の中のいち要素として配置されていることになります。
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この歌は百人一首の80番であり、崩れ行く世の中を憂う歌が並んでいるところに、置かれた歌です。
そしてこの歌を詠んだ堀河は、崇徳院の母である待賢門院(たいけんもんいん)に仕えていた女性です。
その待賢門院があらぬ中傷を受けて出家したとき、堀河は、自らも髪をおろして出家しました。
おそらく堀河は、とても髪の美しい女性だったのであろうと思います。
その髪をおろして尼僧になったのです。
おろしたとき、髪がどのような思いでいたのかはわかりません。
けれどもう二度と、黒髪が乱れることもない。
この歌には、そんな堀河の深い悲しみが詠まれています。
堀河が使えていた待賢門院藤原璋子は、崇徳天皇の母親です。
従一位・摂政 関白・太政大臣であった藤原忠通(ふじわらのただみち)は、藤原家の安泰のために、崇徳天皇を強引に退位させ、代わりに近衛天皇を即位させました。
それだけならまだしも、そのすぐ後に、「待賢門院が侍女の堀河を使って近衛天皇を呪詛している」という噂が流れるのです。
堀河は源顕仲の娘です。
その源顕仲は、神祇伯でした。
要するに高等神官です。
堀河は、霊力のある源顕仲の娘だから、呪詛をしているに違いないと言われてしまうのです。
堀河自身だけが、そのような根も葉もない噂を立てられたということであれば、我慢もしましょう。
けれどそれを、堀河が人生を賭けて仕えている待賢門院藤原璋子が、堀河に命じて呪詛をさせていると、まことしやかに噂されるのです。
もとより堀河にも待賢門院にも、近衛天皇を呪詛する理由も意思もありません。
その必要すらありません。
なぜこのような噂がたったのかといえば、崇徳院の存在を消したい政治勢力が、崇徳院の母親や、その侍女を中傷することで、崇徳院を政治的に消し去ろうとしていたからです。
要するに実際には「あべこべ」なのです。
呪詛して崇徳院を消し去りたい勢力が、相手を陥れるため、逆に「呪詛されている」とあらぬ噂をまき散らしたのです。
こうしたことは、いつの時代にもよくあることです。
多くの場合、他人に対する悪口や中傷は、自分がやってきた非道を他人もやっているのではないかと思いこむことによって行われます。
ですから、悪口雑言や、他人への批判というのは、多くの場合、その悪口や批判をしている当の本人のことを、はからずも吐露します。
けれど、真面目で誠実な人は、そうしたあらぬ中傷に驚き、傷つき、さらにそのような噂を立てられたことに責任を感じてしまいます。
自分の不徳が、そのような中傷を招いたと考えてしまうのです。
こうして居残った不誠実な者が力を持つようになっていきます。
そしてそのような者が政権を奪い、国家の頂点に立ったのが、西洋の歴史だし、近年では特亜の歴史だし、いまの日本の政治です。
かつての日本が、特亜のような国にならなかったのは、そうした不実な者をギリギリのところで排除できる権力よりも上位の存在、つまり天皇という存在があったからです。
天皇は政治権力を持ちませんし、その行使もしません。
ただし、人事上の親任権は有しています。
もちろん天皇による国家の最高幹部たちの人事発令(親任)は、一度出されたら変更はできません。
なぜなら天皇は最高権威ですから、人選を間違えたからといって、訂正は許されないからです。
ですから天皇による人事は、新たな天皇が立つまで修正されることはありません。
けれどこのことは、逆を言えば、どのように強大な政治権力者が現れようと、天皇が退位し、次の天皇がその親任を拒めば、その時点で、その最高権力者は権力を失うことになる、つまり不実な者をギリギリのところで排除できる仕組みとなっているのです。
ところが待賢門院の時代には、その政治権力者の側が、天皇の外戚となって逆に天皇の人事に影響力を持つという異常な状況になっていました。
そしてこのことが原因となって、保元の乱、平治の乱と乱が続き、次いで源平合戦が起きて武家政治の時代、鎌倉幕府が台頭します。
そして鎌倉武士たちによって二度の元寇が防がれるのです。
こうしてみると、一時的な国の乱れは、結果としては日本を守ったということがわかります。
ところが待賢門院の時代には、まだそのような後の時代のことはわかりません。
ですから先の皇后陛下であられた待賢門院は噂を打ち消し、身の潔白の証をたてるために、尼僧に出家しなければならないところまで追い詰められてしまうのです。
当時の世の中で、出家するということは、この世における死を意味します。
現世の人間として、いったん死に、仏門に帰依して尼僧として生まれ変わるのです。
その死の儀式が、髪をおろす(坊主頭になる)ということです。
上司である待賢門院が出家を決められたとき、堀河は迷わず自身も出家を決意しました。
そして堀河は髪をおろしました。
ながからむ心も知らず黒髪の
乱れてけさはものをこそ思へ
このように読むと、この歌は、単に後朝の朝のエロチシズムだけを詠んだ歌とばかりはいえない、ということがおわかりいただけようかと思います。
歌は、どのように鑑賞しようと、それは自由です。
ですからこの歌をエロの歌と決めつけたり、大学の授業でそのように生徒たちに教えたり、本に書いたりすることも、それも自由です。
けれど、そうした読み方から、もっと自由に、もっと深く、もっとしっかりと和歌を鑑賞するのも、これまた自由です。
たいせつなことは、どちらの解釈が正しいのか、といったマルかバツかにあるのではありません。
小中高生にとっては、テストでマルをもらうことが成績アップすることですから、マルかバツかは大切なことです。
しかしテストの答案というのは、出題者や採点者の側には、あらかじめ答えがわかっているものです。
実社会に、答えがありません。
ですからマルもバツもありません。
必要なことは、何をたいせつに生きるかであり、日々、より良い判断を積み重ねながら、よりよい未来を切り開くことです。
その意味で、この歌を、エロチックな歌であると決めつけて覚えていたとしても、おそらく社会生活において、そのことがなにかの役に立つということは、まずありません。
けれど、異なる解釈が可能なのではないか、ということを学び、考え、追求し、自分なりにそれを文にし、発表し、大勢の人たちの共感を得るという訓練は、日々の生活の支えになることです。
オトナにとっての「学び」というのは、そういうことをいうのだと思っています。
※この記事は2017年4月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
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コメント
tbsasahinhk
いずれの世も変わらぬ人間の業を考えさせられます。
2021/04/18 URL 編集