「ウシハク」を考える



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「シラス」と「ウシハク」は対立概念ではありません。
シラス統治を行うにあたって、人々の集合体である国家などの機構には必ず秩序が求められます。
そして秩序を維持するために「ウシハク」は必要なことです。
ただし、ウシハクが頂点にあってはいけません。

20210318 王冠
画像出所=https://www.pixiv.net/artworks/23016801
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

古事記の中で「ウシハク」という言葉が最初に出るのが、大国主神の国譲り神話です。
そこでは、シラスとウシハクが、会話として出てきます。

出雲の国の伊那佐(いなさ)の小浜(をはま)に降りたった建御雷神は、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜き、その剣を切っ先を上にして波の上に立て、その剣の切っ先の上に大あぐらをかいて坐ると、大国主神に、次のように問うのです。
「汝のウシハクこの葦原の中つ国は、
 我が御子のシラス国と(天照大御神が)仰せである。
 汝の心やいかに」

ここにあるウシハクは以音(こえをもちいる)と注釈があります。
ですから、使っている漢字には何の意味もなくて、その読みが大事ということになります。

本居宣長によれば、「ウシ」とは主人のことで、「ハク」は刀を腰に佩(は)くというように身につけることを意味するとあります。
そして、そこから派生して「ウシハク」は、私的に領有し支配することを意味します。

これは所有と被所有の関係です。
あるいは支配と隷属の関係と言っても良い。
権力者が、その権力の及ぶ範囲を私有するのが「ウシハク」です。
私物にされた側は、権力者によって殺されようが、服役させられようが、文句は言えません。
なぜなら私的な所有物、つまり私物だからです。

昔の西洋において、貴族の妻は貴族の所有物(私物)でした。
けれどその貴族は、国王の所有物(私物)です。
従って国王が、その貴族の妻を横取りしても、どこからも苦情は来ません。
なぜならすべては国王の所有物(私物)だからです。

このことを国王を独身の王子様に、貴族の妻を独身の美しい若い女性に置き換え、両者が両思いにしたら、シンデレラの物語になります。
けれど現実は、頭の禿げた中年のヒヒ国王に、愛する夫を持つ人妻が蹂躙されることが常識だったわけです。
現実は決してお伽噺のような素敵な世界ではなく、穢れに満ちているのです。

西洋の中世の王朝文化(これを文化というならですが)に、あこがれを持つ女性は日本において多いです。
女性たちが美しく装い、宮殿でダンスをし、美しい家具や調度品に囲まれ、食卓の上には、食べきれないほどの料理が並び、気品ある貴族の若い素敵な紳士が、女性たちを誘い、白馬に乗った王子様が迎えに来る。
まるで夢のような世界をイメージし、それがひとつのカルチャーとしておおいに戦後の日本で宣伝されましたから、本気でそのような西洋社会を想像し、そこに生まれ変わりたいくらいに思う女性は多いと聞きます。

しかし、現実には、そのような生活ができる女性は、人口でいえば最大0.5%程度。
しかも、捨てられ殺されることもしばしばですから、女性に人権もない。

さらにいえばギリシャ神話によれば、人間の女性はゼウスが何でも作れる鍛冶屋の神のヘパイストスに命じて人間の男性を破滅させるためという目的を持って作られた存在であり、ゼウスによって「美しさ、歌と音楽、賢(かしこ)さと狡(ずる)さと好奇心」を、さらにアテナから「機織りや女のすべき仕事の能力」、「アプロディーテから男を苦悩させる魅力」を、ヘルメスから「犬のように恥知らずで狡猾な心」を与えられ、ゼウスをして「「これは人間(男)にとっての災(わざわ)いだ」として誕生した存在であると本気で信じられていたわけです。
とてもじゃないけれど、人権どころの話ではない。


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Chinaにおける皇帝も同じです。
比叡山延暦寺で第三代天台座主となった慈覚大師(じかくだいし)は、若い頃円仁(えんにん)という名前で、承和5年(838年)に、最後の遣唐使の一員として唐の国に渡りました。
そしてやっとのことで承和14年(847年)に日本に帰国するのですが、その約10年間の唐での生活を、『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』という書に著しています。

この書に、当時の唐の武宗(ぶそう)皇帝の行状が記されています。
武宗皇帝は、道教に入れ込んで仏教を弾圧した晩唐の皇帝として知られる人です。
太和皇后が薨去(こうきょ)したとき、皇后に代わって後宮に入れるべき最高の美女は誰かということになり、ある者がそれは義陽殿(ぎようでん)におわす皇帝の実母であると進言しました。
武宗は、その母を後宮に入れようとしました。
母は拒絶しました。あたりまえのことです。
ところがその答えを聞くや否や、武宗は、弓で母を射殺しています。

他にも様々な皇帝の蛮行が、この『入唐求法巡礼行記』には実話としてしたためられています。
詳しく知りたい方は、下のURLの拙記事をお読みください。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2568.html

なぜこのようなことが起こるのかといえば、それはチャイナや西欧がウシハク国であり、皇帝や国王が、いずれもウシハク者だからです。
これを裏付けた理論に、西洋における「王権神授説」があります。
王の権力は神から授かったものである、という説です。
王権を神から授かったということは、王は神の代理人として絶対的支配権を授かったという意味です。

神に関する概念は、西欧やチャイナと日本では、もともとまったく異なります。
西欧やチャイナにおける神は、主です。
ご主人さまであって、人とは異なるものであり、この世界を所有する存在、つまりこの世界の持ち主です。

けれど、神がどのように考えているかは、神のみぞ知るですから、神の代理人である王の意思こそが、神の意志ということになります。
つまりオーナーの意思であり、ご主人さまの意思であり、絶対的な君臨者です。

神は人を超えた存在ですから、人が牛や豚を食べるように、王は人に対する生殺与奪の権を持ちます。
神の姿は見えず、言葉も聞こえないのですから、王の意思次第で、神の名のもとに原爆を投下することさえ可能になる。
それが「ウシハク」という思考です。

易姓革命もこれに似ています。
皇帝の地位は、天帝という名の神様から与えられたものだということが前提になります。
天帝の姿が見えず、天帝が言葉を話さないことは、神授説と同じ系統に属します。

皇帝、国王、領主、大統領、書記長、名称は様々ですが、いずれもウシハク権力者であることに変わりはありません。
世襲であるか選挙で選ばれるかも関係ありません。
トップの地位に座ったその瞬間から、人々に対する生殺与奪の件を持ち、人々を所有(私有)するからです。

社会構造上、トップがウシハク権力者であれば、それが任期制であるか終身制であるかに関わりなく、権力行使による結果についての責任を問われることもありません。
また、ウシハク権力に、人柄や人格、政治的方向性も関係ありません。
米国オバマ大統領は、2015年から2016年にかけてのわずか2年間に、およそ5万発に及ぶ爆弾を投下し、少なくとも384人、最大807人の民間人を殺害しています。
もちろん、それは理由合ってのことでしょうけれど、彼はすくなくとも任期中はウシハク権力者ですから、どこからもその責任を追求する声はあがりません。

しかし、少し考えたらわかることですが、本来、権力には責任が伴わなければなりません。
これは会社でも同じです。
営業部長は会社の営業部員に必要な部長としてのあらゆる権力を行使できますが、それは営業成果という責任と当然にセットです。
会社のトップである社長が、会社の経営には口を出すけれど、一切の責任を持たないというような会社なら、たぶん、その会社はつぶれます。

近年の日本の大手企業の経営が怪しくなったのも、業績が劣化したのも、よくよく考えてみれば、経営者がサラリーマン社長となり、会社の経営には、うるさいくらい口は出すけれど、その経営についての責任は一切取らない。
そのような者がトップになれば、会社はむしろ潰れてあたりまえです。

すこし補足しますが、欧米の企業は、日本における「カイシャ」と違って、投資家の持ち物です。
大金持ちがいて、その大金持ちの資産を運用する投資会社があって、その会社が企業に出資して、企業の持ち主(オーナー)となります。
そして、儲かっている起業家に大金を出して、仕事を成功させ、その利益を奪います。
つまり経営者は雇われ社長であって、あるいは投資会社から派遣されたお目付け役でしかないわけです。

したがって、当該企業の業績が悪ければ、CEOなどの経営陣は、あっという間に簡単にクビになります。
その代わり業績が良ければ、大金の報酬を受け取ります。
つまり、CEOとか、CFO、CIOといった経営陣自体が、会社の業務を維持している従業員とは別な、特権者です。

簡単に図式化すれば、
 超大金持ちが投資会社を所有する。
 投資会社が、企業を所有して、CEOなどの経営陣を送り込む。
 経営陣は、従業員を所有する。
 業績が悪化すれば、モノを売るように、従業員を解雇する。
というのが、企業社会の基本構造です。

そこには我が国の本田技研のように、社長自身が車が大好きで大好きでしょうがないくらい好きで、同じく車が大好きな従業員たちと一緒になって汗を流して、世界最高の車を作ろうと、同じ工場で努力し、同じ食堂で飯を食うなどという姿は微塵もありません。
むしろ任期中に、会社の業績を伸ばせるだけ伸ばして、たっぷりと報酬をもらって、次の、もっと大きな報酬を得られる企業へと派遣先を変えることが、会社の経営陣の基本思想になります。

また、会社経営者は、ただ投資会社から派遣されている、いわば派遣社員のようなものですから、会社が倒産しても、その責任をとることはしませんし、社会をそれを追求しません。
会社が潰れれば、潰れる前に、できるだけの資金を回収して、むしろ会社が継続することよりも、潰れてくれたほうが、経営者としては儲かることさえもある、というのが、欧米式の会社への考え方です。
日本とは違うのです。

もっとも日本でも最近は、こうした欧米型の思考回路を持つ経営者が増えてきました。
自分の会社をただの商品と考え、会社の将来性によって資金を集めるだけ集めて、そのまま会社をどこかに売り、あとは自家用ジェットを買って、大物を気取る。
かつての日本では、そのような考え方をする者は痴れ者とされましたし、存在自体していませんでしたが、いまではむしろそれが理想形のように言われるようになってしまっています。
和洋折衷のニュータイプの経営スタイルともいえますが、責任をとらないという点において、馬鹿げています。

さて、よく引き合いに出すことですが、ずいぶん前のことになりますが、川崎で中一児童殺害事件がありました。
もしそのような事件が江戸時代に起きたなら、川崎の町奉行は、まちがいなく切腹です。
なぜなら川崎の町奉行は、そのような悲惨な事件や事故を起こさないために、ありとあらゆる町方に対する権限を与えられているからです。
あらゆる権限を与えられているにも関わらず、奉行の管轄下で悲惨な事件が起きたのなら、もちろん下手人は逮捕し重罪に処さなければなりませんが、その責任は奉行にあります。
なぜなら権力と責任は、常に共存していると我が国では考えられてきたからです。

奉行が自ら腹を斬れば、奉行の家は安泰です。
息子は次期奉行を世襲することができます。
けれど、奉行がもたもたと責任を取らずにいたら、江戸表から使者がやってきて、「上位でござる」と切腹を命じます。
この場合は、お上の手を煩わせたということになりますから、お奉行の家はお取り潰しです。
妻子も郎党も、明日からは路頭に迷うことになります。
権力は、常に責任とセットです。

ところが現代社会にしても、昔のChinaや西洋の王や皇帝にしても、王として、あるいは皇帝として、あるいは大統領として、ウシハク権力者は、絶大な権力を持ちましたが、責任をとったという話は聞きません。
明治以降の政治、とりわけ戦後の日本の政治も同じです。
政治権力を持つ閣僚にしても、国会議員にしても、一切責任を取りません。
まれに責任をしっかりと取る政治家もいますが、「二位じゃダメなんですか?」と言って我が国の最先端研究を大幅に遅滞させた政治家や、北朝鮮の拉致に関連したどこかの政党の委員長は、「山は動く」とか言いながら、一切の責任を取っていません。

選挙によって選ばれるのだから、民衆による監視がなされている、と考えるのは詭弁(きべん)です。
少なくとも任期中は、好き放題のことを、やろうと思えばいくらでもできるからです。

政治が責任を負わないという状態が、どれだけおそろしいものか。
古事記は、このことを極めて象徴的に、天照大御神という太陽が岩屋戸に隠れてしまった、という事例をひいて物語として解説しています。
要するに逆の立場、極めてまっとうな最高の存在が隠れてしまったらどうなるか、ということを、太陽が隠れてしまうという事例をひいて、その重要性を指摘しているのです。

天の石屋戸神話では、事件を契機として、八百万の神々が語らい、国家最高の存在を、権威と権力に分離することの大切さを教えています。
国家における最高の存在は、権力を持たない権威であるべきであること。
権力は、国家最高権威の下位におかれるべきこと。
そして民衆は、八百万の神々であること。
これを「シラス(知らす、Shirasu)」と云います。

注意しなければならないことは、古事記は「ウシハクを否定しているのではない」ということです。
社会秩序を保つためには、ウシハクは必要なものです。
けれど、社会全体においては、ウシハクを頂点にしてはならない。
頂点は、常に権威であるべきであるし、そうすることによって権力の横暴を防ぎ、また権力に責任を取らせることが可能になる、ということを古事記は教えてくれています。

このことを、コップを例にとって説明してみます。
たとえばレストランで食事をします。
目の前にワインの入ったコップがあります。
コップが自分が家から持ってきたコップであれば、そのコップは、捨てようが割ろうが誰かに売ろうが勝手です。
当然です。自分のもの(所有物であり私物)だからです。
これが「ウシハク」です。

ところがそのコップがレストランのコップであれば、いかにいまこの瞬間にそのコップが自分の手の中にある状態(占有下にある状態)であっても、勝手に処分してはなりません。
帰るときには、ちゃんとお店に返さなければなりません。
なぜならそのコップは、自分の占有下にあったとしても、自分のもの(所有物、私物)ではないからです。
これが「シラス」です。

日本は、天皇という天照大御神からの直系の血筋を、国家の最高権威としてきた国です。
そして、天皇が国家最高権威であることによって、民衆は権力からの自由を手にしてきたのです。
なぜなら日本の民衆は、国家最高権威である天皇によって、「天皇のおほみたから」であると規程されてきたからです。
これこそ、究極の民主主義といえるものです。

ですから、天皇の存在を否定する人たちは、民主主義を意図的に阻害しよとしている人たち、民衆の権力からの自由を阻害しようとしている人たちということになります。
実際、そうであろうと思います。
権力を持てば、人を自由に扱うことができると、バカのひとつ覚えのように信じている人たちです。
けれど、人というものは、権力があったら言うことを聞かせられる、というほど、単純なものではありません。
それに権柄づくで命令ばかりしていたら、みんなは面従腹背します。
日本人には、一寸の虫にも五分の魂という誇りがあるからです。

「シラス」と「ウシハク」は対立概念ではありません。
シラス統治を行うにあたって、人々の集合体である国家などの機構には必ず秩序が求められます。
そして秩序を維持するために「ウシハク」は必要なことです。

日本の最大の特徴といえるのは、日本が「天皇のシラス国」であり、その「シラス統治」の中に、「ウシハク」を内包させていることです。
両者は、車の両輪です。
シラスだけでは、秩序維持ができない。
ウシハクだけでは、末端の国民が大切にされない。
両者は、「シラスがウシハクを内包する」ということで、はじめて理想的な統治に至るものです。
ここを誤解してはいけません。

ちなみに以上のお話を、権威と権力の分離という視点で、米国人の友人に説明を試みた人がいます。
ところが、まったく意味が相手に通じない。
それで、「ねずさん、困った。通じない」と言ってこられました。

そこで、
「権威と権力」を何と英訳して説明したのですか?」と問いましたら、
「権威をオーソリティ(authority)、権力をパワー(Power)と訳しました」
というから、
「それでは通じませんね」とお答えしました。
英語のオーソリティと、日本語の権威では、意味が異なるからです。

外国語に翻訳するときには、その意味をわきまえていないと、言葉が通じないことがよくあります。
実は、日本で日本語で話していても、意味がちゃんと通じないことがある。
そのあたりのお話は、また次回。


※この記事は2017年4月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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20200401 日本書紀
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
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出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
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