一昔前までは、勤勉によって記憶しなければならなかった知識や知恵は、いまではスマホを操作する指先一つで、かつては10年かけて学ばなければ知ることができなかったような高度な知見までをも、簡単に得ることができるようになってきました。 こうなると必要な能力は、 「勤勉+記憶」ではなく、 「情報+考える力」になっていきます。 ちょっとかっこよく言ったら 「インフォメーション&インテリジェンス」です。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
明治維新というのは、多くの文献が「武士が行った改革」としているように思います。
なるほど、そういう面があったのは事実です。
しかし最後の戊辰戦争で、戦いの帰趨を決したのは、農家の若者たちの力です。
どういうことかというと、長州征伐くらいまでは戦いは武士のものでしたが、その後は幕府の陸軍も、新政府軍の陸軍も、鉄砲を持って最前線で戦ったのは、農家の若者たちに代わっています。
農家の若者たちが、600年続いた戦いのプロ集団である武士を倒して明治新政府を築いています。
もちろん、新政府の高官は、元士族がなりましたが、それ以外の行政省庁の各ポスト、あるいは財界を形成していたのは、ほとんどが農家の出です。
有名な渋沢栄一も、農民の出です。
江戸時代後期に起きた天保の大飢饉は、たいへんな不況を招きました。
そしてこの大飢饉のあと、水野忠邦が有名な「天保の改革」を行っています。
「天保の改革」は、旗本68人、御家人894人の家禄没収、更迭、家屋敷没収をするという、途方も無い大改革でした。
処罰の理由の多くは、「贅沢をしていた」とのことですが、それは単に饅頭屋の店先で、饅頭を食べていたといった極めて微罪なものでした。
こんなつまらないことで、通報されて家屋敷没収されてはかなわないと、この時代から、武士たちは顔をすっぽりとおおう編笠をかぶるようになります。
蕎麦屋に入って蕎麦をたぐるときも、だから笠はかぶったままです。
異様な世の中ですが、現代人の我々は、そんな江戸時代を笑えません。
この武士の編笠に代わるのが、現代のマスクだからです。
要するに現代にマスク警察があるように、江戸時代には編笠警察(笑)があったわけです。
さて、このような世の中になると、通報によって武士は簡単に身分を失うわけですから、とにもかくにも、生き残りのためには、通報されないように生きていかなければなりません。
つまり、その分、社会的な力を失っていくことになります。
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一方、天保の飢饉を乗り越えた農家では、この時期から次ぎ次と、優秀な指導者たちによって農業改革が実施され、結果として我が国の農家が、たいへんに豊かになっていきました。
そしてその豊かさを背景に、農家でさかんに行われたことが、子に、高い教育を授けるという習慣です。
少年時代の渋沢栄一などもそのひとりで、農家でありながら厳格な父によって、武家以上の高い教育を農作業の合間を縫って授けられています。
こうして、豊かでありながら、同時に勤勉で教養が高くて実直で働き者というまったく新たな社会階層が誕生していったのです。
そしてそんな彼らが、国軍に入り、あるいは行政官庁に次々に採用されていきました。
こうして生まれた我が国軍の兵士たちは、教養が高く、実直で、勤勉で、農作業と同じく、どこまでも、いつまでも戦い続けます。
しかも農作業が共同体で行うものであるのと同様、軍も共同体による戦いでしたから、彼らは常に一致団結し、西南戦争や佐賀の乱で武士を破り、日清日露の戦いでは、外国軍さえも打ち破っていきました。
しかし大東亜の頃になると、戦いは実直な兵の戦いから、火力の戦いへと変化しました。
本土を焦土にして終戦を迎えた日本は、外地から600万人の元兵たち等の失業者を本土に迎え入れました。
これだけの失業者を迎え入れながら、どうにかこうにか日本がやってこれたのは、もちろん米国による物資援助があったこともさりながら、広大な農村部における大家族が、失業した若者たちを受け入れる胃袋となってくれたことによります。
戦後は、その農村部から、大量の若者たちが都市部へと向かい、集団就職して日本の産業復興を行っていきました。
高度成長経済を支えたのは、そうした農村部出身の勤勉で実直で、どこまでも仕事をする、いつまでも仕事をする、そして共同体を大切にする若者たちであったわけです。
ところが日本経済が高度成長する一方で、戦後にGHQが行った農地改革の影響が徐々にではじめ、農村部の衰退が著しくなりました。
また都市化の波は、勤勉実直共同性という、日本社会に古くからあった農家のもつ長所をうしなわせていきました。
そして不勉強で、目先の利益にしか興味がなく、共同体の成功よりも個人の裕福だけを考える都市部の人たちが、社会全体に大きな影響を及ぼすようになりました。
こうなると、そもそもが不勉強ですから、経済は衰退します。
結果、日本経済は、見る影もなく衰亡の一途をたどりました。
ところが近年の若者たちは、自分ひとりではどうにもならない、つまり何らかの共同体を構成するほうが、個人の利得だけを狙うよりも、成功につながるということを、本能で知るようになりました。
これはもしかすると、日本的DNAにスイッチが入ったということなのかもしれません。
また一昔前までは、勤勉によって記憶しなければならなかった知識や知恵は、いまではスマホを操作する指先一つで、かつては10年かけて学ばなければ知ることができなかったような高度な知見までをも、簡単に得ることができるようになってきました。
こうなると必要な能力は、
「勤勉+記憶」ではなく、
「情報+考える力」になっていきます。
ちょっとかっこよく言ったら
「インフォメーション&インテリジェンス」です。
こうなると、今度はそのインテリジェンスの面で、日本的美徳である「どこまでも、いつまでも」が発揮されます。
情報に基づいて、どこまでも、いつまでも深く考え、先を読み、新しい時代をひらく。
そこに共同体志向が加わることによって、あたかも天の安の河原で、八百万の神々が共同で考え行動することで、天照大御神さまを復活させたようなできごとが起きるような、そんな土台ができあがってきているのです。
私は、日本を信じます。
吉田松陰が水戸藩郷士、堀江克之助に送った書の言葉です。
「天照の神勅に、
『日嗣之隆興 天壞無窮』と有之候所、
神勅相違なければ日本は未だ亡びず。
日本未だ亡びざれば、
正気重て発生の時は必ずある也。
只今の時勢に頓着するは
神勅を疑の罪軽からざる也」
日本未だ亡びず。日本未だ亡びざれば、正気重て発生の時は必ずあるなり。
そんな正気を、日々コツコツと積み上げていく。
それが二宮金次郎の言う「積小為大(せきしょういだい)」であるのだと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
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2021/04/11 URL 編集