我々日本人が、霊(ひ)の存在をたいせつなものとしてきたという歴史伝統文化を思い出すとき、それは他人の命も人生も公然と蹂躙する悪の権力を抑える、唯一の正義の力を手に入れることになるのです。これが、これからの世界を変える究極唯一かつ最大の力です。そしてその正義は、縄文以来の日本の歴史の中にあります。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
昨日のお話
「源平桃と日本の護り」を、すこし掘り下げたいと思います。
平家というのは、皇室を尊崇し、また水軍を伴ったということから海の神様である宗像三神をとても尊崇した一門です。
そのために瀬戸内の小島で、かつ神聖な神様の島とされて小さな祠(ほこら)があった宮島に、いまも残るあの厳島神社を建造したりしています。
厳島神社が建造された年は、不思議な符丁でパリのノートルダム大聖堂の工事が行われたのと、同じ時期にあたります。
ノートルダム寺院も石造りですが、厳島神社もまた石造りの土台で、この土台は満潮時には海に沈みます。
建物は、その上に載っている形になっていて、満潮時には社殿自体が海に浮かぶという構造になっています。
しかも、海ですから波をかぶる。
その波のエネルギーを、床板の隙間で巧妙に逃して建物を護るという、実に巧妙な仕掛けの建造物になっています。
御祭神は海神の宗像三女神で、平家一門が行ったのが、有名な平家納経。
この納経がまたすさまじくて、絵巻物にお経を書写するのですが、筆字ですから、一文字でも間違えれば取り返しが付きません。
それを一文字の間違いもなく、きれいに写経し、しかもそれを平家一門の主だった公達全員が、それぞれ一巻を担当するという、前代未聞の納経であったわけです。
つまりそれだけ平家の一門は宗像三神を尊崇したのであって、それだけ真剣に、しっかりと宗像三神を尊崇した平家が、その宗像三神が護る海で、全員が没して亡くなるという結果に至っているわけです。
しかもこの壇ノ浦の戦いが、どうにも腑に落ちない。
平家はもともと水軍であり、海での戦のプロ集団です。
一方、源氏は、もともと陸軍であって、海での戦いは不利な集団です。
この二つが流れの早い海峡である壇ノ浦で激突したわけですが、午前中は潮が平家側から源氏側へと流れていたために、戦いは完全に平家有利の戦いとなりました。
ところが昼過ぎから、潮の流れが逆転し、源氏が潮の流れに乗って平家に襲いかかるという形になりました。
さて、こうなったとき、みなさまが平家側の指揮官だったら、どのように平家方の船や兵を動かすでしょうか。
あたりまのことですが、海流が逆転して戦いが不利になったのなら、船舶の機動力を活かして、そこはいったん退散する・・・というのが水軍のセオリーです。
だいたい、潮の流れというのは、川の流れと同じで、これは人力ではどうにも抗しがたい。
不利な戦いであれば、海は広いな大きいな、なのですから、さっさとその場を後にして、逃げてしまえばよいのです。
それが機動力を活かした水軍の戦い方です。
まして平家の側には、安徳天皇も船中においでになられるのです。
みかどの安泰のためにも、潮目が代わったのなら、さっさとその場を離れて移動し、体制を整えて、海戦に不慣れな源氏を、あとで殲滅すればよいのです。
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)このことは、壇ノ浦の地形を考えても、やはり不思議なことであることがわかります。
ラッパのような形に開いた壇ノ浦の海峡で、はじめから平家は、ラッパの口が閉じるあたりを背中にして源氏と戦っています。
これは、狭いところから広いところへと向かう戦いですから、この時点における平家の戦法は、源氏を殲滅させるということを目的としたものではなく、単に源氏を追い払うことを目的としていたことが明らかです。
そのまま源氏が去ればよし。
もし、潮目が変わるときまでに源氏が去らず、執拗に戦いを挑んでくるようであれば、平家側は門司岬にまで後退し、海峡の隘路(あいろ)を、海流の急流を使って、素早く通過して日本海方面に逃れればよいのです。
ところが不思議なことに、平家は潮目が代わっても壇ノ浦にとどまり、ついには安徳天皇をお乗せした母船まで、海に沈めてしまっています。
これは、海に馴れた水軍の戦いとして、ありえない行動であり結果です。
この、「潮目が変わったのに、どうして平家は壇ノ浦に踏みとどまって源氏と戦い続けたのか」という疑問に対しては、古来、さまざまな先生方がいろいろな説を述べておいでになるのですが、どれも決め手になるものはありません。
義経が「平家の水夫を射よ」と命じて、船の船頭さんたちが殺られてしまったために、平家側の小舟の軍船が大混乱に陥ったからだという説もありますが、小舟たちが混乱状態になったのなら、なおさら安徳天皇をお乗せした母船は、早急に潮の流れに乗って、その場を離れるべきなのです。
結局、海峡内にとどまった平家は、壇ノ浦の海の藻屑と沈んでしまいました。
宗像三神を尊崇した平家一門は、まさにその宗像三神のお膝元ともいうべき海峡で、全員、命を失ってしまったのです。
まるでこれでは、「神も仏もあるものか」といった感じになってしまうのですが、ところがそこに「人は死なない」、「人の本体は霊(ひ)であって、肉体はその乗り物に過ぎないのだ」という日本古来の思想を加味して考えてみると、すごいことがわかります。
それが、元寇です。
元寇は、「神々とともに、みんなが協力しあって生きる」という我々日本人とはまったく異なる、「権力が利を得るためには他人の命も人生も公然と蹂躙する」という外国勢力による日本侵攻です。(いまも昔も変わりませんね)。
そしてここからが昨日のお話になるのですが、元の大軍は、日本を攻め滅ぼそうとしてやってきたわけです。
それならばなぜ、上陸目標地点が博多湾なのでしょうか。
むしろ京の都に近い若狭湾に的を絞っていれば、それこそ日本は風前の灯火であったかもしれません。
ところが不思議なことに、元の軍船は、九州側の宗像神社から、沖合の宗像大社を結ぶラインから東へは、ただの一艘も侵入していないのです。
それはあたかも、壇ノ浦で沈んだ平家の将兵たちが、宗像三女神の御霊衛士の大軍となって、断固として元の軍船の侵入を海で抑えたものであるかのようです。
それだけではありません。
時代を大きく超えて、先の大戦のとき、長崎に原爆を落とした米軍のB-29は、本来の原爆投下目標地点が北九州市でした。
ところがにわかに起こった気象状況の異変と、陸と空からの猛烈な日本陸軍の反撃でB-29はからくも北九州市上空を脱し、結果、長崎に原爆が落とされました。
しかしここでも米軍のB-29は、強引に原爆を北九州市上空で炸裂させることは、できないわけではなかったわけです。
にも関わらず、不思議なことにB-29は、そこからあえて「逃げる」という選択をしています。
もしかするとこのときも、壇ノ浦から宗像大社のあたり一帯で日本を護る、あの平家の一門が、見えない世界で大活躍をしてくださっていたのかもしれません。
見えない世界のことはわかりません。
そうだともいえるし、そうでないかもしれない。
ただ、たいせつなことは、我々日本人は、霊(ひ)の存在をたいせつなものとしてきたという歴史伝統文化を持っている、ということです。
さきほど、「権力が利を得るためには他人の命も人生も公然と蹂躙する」国や人たちがいるということを申し上げました。
そうした権力者は、あらゆる権力を持ちます。
そして権力の三要素は「情報、金、武力」です。
その権力を抑えることができるもの。
それが「正義」であり、何が正しいかという「価値観」です。
そして価値観とは、歴史伝統文化によって構成されます。
より古いものが価値を持つのです。
より古いものが、正義です。
そして正義のみが、権力を抑えることができます。
我々日本人が、霊(ひ)の存在をたいせつなものとしてきたという歴史伝統文化を思い出すとき、それは他人の命も人生も公然と蹂躙する悪の権力を抑える、唯一の正義の力を手に入れることになるのです。
これが、これからの世界を変える究極唯一かつ最大の力です。
そしてその正義は、縄文以来の日本の歴史の中にあります。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
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コメント
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たとえ意図的ではないとしても、平家の亡霊が北九州を守ったなどという記述は、長崎の人々は守られる価値はなかったと言っているような印象を受けます。そのあたり気を付けてください。
2021/04/26 URL 編集