世界は、富を奪い合って、血眼に資産を増やす時代から、ある程度の暮らしが担保されるなら、むしろ心地よく暮らしたい、という人々の時代になります。 そして先々には、必要なものはみんなでシェアしあうことができる平和な社会へと変化していくことでしょう。 この潮流に乗れない人たちは、社会から排除されることになります。 これは、必ずそうなります。 |

画像出所=https://nature-and-science.jp/yukigata/#page-1
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
いま、DSとかが話題になっています。
それらは、見えないところにいたからこそ、世界の支配ができたのです。
けれども、見えてしまったら、それはただのパワー(権力)であり、支配者(ルーラー・Ruler)となり、権力の新たなチャレンジャーによって、狙われ、倒されるべき存在となります。
なぜなら、権力というのは、いわばボクシングのチャンピオンと同じ存在だからです。
チャンピオンには、必ず挑戦者(チャレンジャー)が現れ、そしていつか必ず倒される。
だから世界の王朝は、ことごとく倒され、交代しているのです。
一方日本では、皇室のもと、万世一系の日本が、世界最古の国家を、なお継続中です。
そしてこれは決して倒れることなく、未来永劫続いていくことができます。
なぜなら、日本の天皇は、チャンピオンではなく、そのチャンピオンにベルトを授ける権威だからです。
従って、世の権力(つまりチャンピオン)が、何人代わろうと、権威の存在は変わりません。
何事も理由(わけ)があって起こります。
戦後の日本は「腰抜けになった」と、多くの指揮者の方がご指摘なさいますが、それは違います。
幕末から昭和初期にかけて、日本は世界に追いつけ追い越せをしていかなければなりませんでした。
そしてそのためには、明治維新からわずか75年の間に、日本は戊辰戦争、西南戦争、佐賀の乱、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、支那事変、大東亜戦争と、なんと8回もの大きな戦争をしていかざるを得ませんでしたし、その都度、たくさんのたいせつな命を失うという結果を招きました。
しかしそうした歴史を経由することで、日本は世界の二大大国のひとつ(もうひとつは英国)にまで、成長することができました。
ところが先の大戦によって、日本は焼け野原になりました。
これによって明治以降に築いた、物質的なものは、すべて灰塵に帰してしまいました。
さらに、戦争のために人の命が、羽毛より軽いという時代も、完全に終わりを告げました。
おそらく現代日本では、もちろん国のため、あるいは家族のために命をかけて戦おうとする人たちはたくさんいても、それを国家的政策にすることは、かなりむつかしい状況になってきていると思います。
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さらに、戦争をあきらめた日本は、どういうわけか戦争をしないのに、世界で第二位の経済大国にまでなりました。
また、戦争によって焼け野原になったはずの都市部は、すっかり近代的町並みに整備されてしまいました。
それでも一時期は、公害によって住みにくい都会となっていましたが、その問題も解決されて、いまでは東京でも、夜空に星を見ることができるし、隅田川に川魚が戻ってくるようにもなりました。
このあたりの空気や河川の汚れは、ここへきてコロナの影響で、ますます空気も川の水もきれいになってきています。
一方、高度成長期をバブルによって終わらせた日本は、以後、20年とも30年とも言われる長期の不況下にいます。
これまた不思議なことです。
世界の先進国が経済的な成長を果たし、また東亜諸国がチャイナやコリアまで含めて経済的な成長を遂げた一方で、なぜか世界の先進国のなかで、日本だけが成長を完全停止させてしまったのです。
もちろんそこには、外国からの干渉や、これに呼応した日本の国会や政府、あるいはメディアの影響もあったことは事実でしょうけれど、もっと深いところで、日本人の目線が、バブル期までの「見えるものの建設」から、バブル崩壊後には「見えないものの建設」へと大きくシフトしたのだと、いうことができます。
日本の歴史を振り返ると、どうしてこんなことになってしまったのだろうかと、誰もがクビをひねるような理不尽な出来事があると、だいたいその百年後の前後に、「その理不尽な出来事があったから、国難を乗り越えることができた」ということが繰り返されていることがわかります。
飛鳥、奈良、平安と、500年続いた平和と安定が、平安末期に崩れて、相次ぐ戦いがたくさんの人の命を奪うという不幸が行われるようになりました。
ところがその百年後に、元寇が起こるのです。
もし日本が太平の続く中にあったのなら、日本は元寇を防ぐことができなかったであろうことは、誰もが認めることです。
あるいは江戸260年の平和と安定がペリー来航によって崩れて、幕末動乱の時代に入ったのだたとは、よく言われることですが、そのもとをたどると、実は、天保13年(1842年)に、幕府が異国船打払令を廃止しているのです。
これは、モリソン号事件といって、米国の商船であるモリソン号が、日本の漂流民である音吉・庄蔵・寿三郎ら7人を、わざわざ日本まで送り届けてくれようとしたところを、日本側が誤って砲撃したという事件です。
この事件後、幕府は薪水給与令を発布して、外国船にたいする補給を認めるようになり、これがきっかけで、攘夷運動が起こるようになっています。
そしてこの攘夷運動が、ペリー来航によって、盛大な運動となったことは、皆様御存知のとおりです。
その百年後の1942年には、日本は世界最強と言われた帝国艦隊をミッドウエーで失うという大事件が起きています。
そしてこの事件以降、日本は制海権を失い、敗戦に向けて一直線に歩むことになりました。
それから百年後というと、2042年です。
2042年は、まだやってきていませんが、激動する百年を、前50年、後50年で分けてみると、前の50年には成長があり、後の50年には、次の百年に向けての準備が行われていることがわかります。
1942年(昭和17年)からの前の50年は、1992年(平成4年)ですが、バブルが弾けて不況が深刻化したのが、だいたいこの頃のことです。
つまりそれまでの50年、日本は最初に明治以降に築いたすべてのハードを戦争によって焼け野原にしたあと、今度は軍事ではなく、経済によって世界第二位の大国へと成長したわけです。
ところがバブルが崩壊して、経済の成長が失われたことが、誰の目にも明らかになったのが、ちょうど、この平成4年頃。
以後、日本は、経済の成長がないままの歳月をすごしています。
ここで問題になるのが、「経済成長」という言葉です。
経済とは、本来は経世済民のことをいいます。
けれど、なるほど戦後の数十年は、「住むに家なく、食べ物もない」という終戦直後の難局から、誰もが衣食住に困らない時代へと、日本は成長することができました。
ところがバブル期の好景気というのは、そうした経世済民がピークを迎えた時期ではなくて、実際には、単にお金による景気がピークを迎えたにすぎません。
つまり経済成長というのは誤訳にすぎず、実は景気成長にすぎなかったのです。
ただし、バブル期の日本はまだ良かったのです。
日本では、日本中のサラリーマンたちが好景気を満喫できたし、新入社員のOLさんが、最初にもらった夏ボーナスでガラパゴスやエジプトに海外旅行してしまう、あるいはジュリアナ東京でワンレン・ボディコンのOLのお姉さんたちが一晩中踊り明かすという、あるいみ国民の誰もが好況を満喫できる状況がありました。
けれど世界に目を転じれば、そのように「国民の誰もが」好況を満喫できたのは、せいぜい日本くらいなもので、世界の各国では、なるほど景気が良くなり、景気の成長はあったものの、年間に生まれるGDPの半分は、上位1%の大金持ちが奪ってしまう・・・つまり経世済民の経済成長とは名ばかりで、実はお金持ちたちの資産の増加だけが推進されるという状況になっていたわけです。
そしてこの傾向は、その後の現在に至るまでの30年で、一層顕著になりました。
いまでは、世界の大金持ちさんたちは、世界中のGDPの半分を寡占するようになりました。
世界のたった8人が、世界の36億人の総所得と同じ金額を年間に稼ぐ。
そんなことが、情報化社会のなかで、誰の目にも明らかになってきたのが、昨今の状況です。
要するに、経済成長というのは名ばかりで、実はそれは「一部の大金持ちにとっての財産成長」という意味でしかなかったことが明らかになってしまったのです。
冒頭に申し上げた通り、チャンピオンは、倒される存在です。
これまでは、誰がチャンピオンなのかが、霧に包まれていてよくわからない時代でした。
ところがそのチャンピオンが誰なのかがはっきりしてくると、チャンピオンは、倒されるべきターゲットになります。
時代が大きく動くのです。
そしてここからが問題です。
日本は、なんと、世界がこのことに気付く30年前から、世界に先んじて、「一部の大金持ちの財産成長」から、本来の意味での「経世済民成長」へと、知らずしらずのうちに、その意味を転換する努力が払われるようになっていたのです。
これは実に不思議なことです。
なるほど、景気が後退したと嘆く人も多くありましたが、いまの日本は、バブル期の日本よりも、はるかにモノにも精神にも豊かさが増しています。
たとえば、自動車なら、バブル期には超高級車にしかセットされていなかった快適装備が、いまではおばちゃんが乗る軽自動車に標準装備されています。
バブル期に750円だった定食は、いまでも750円ですけれど、その中身も味も、材料も、いまでは格段に進歩しています。
つまり、目に見える景気ではなく、目に見えない経済が、民間部門から顕著な成長が見られるようになってきているのです。
この変化が、明日の日本を築き、未来の世界を牽引します。
世界の超大金持ちを気取る人たちが、カネと汚職にまみれてドロドロのカネ支配のための物品の争奪戦をする一方で、世界の多くの庶民は、豊かで安全で安心して生活できること、モノに囲まれることよりも、むしろ断捨離して、すっきりとした清潔な空間で、ゆったりとした時をすごすこと、あるいは心地よい音楽や、香りに包まれて、愛とよろこびの生を互いにシェアしあい、互いに共感し、共存して生きることなどが、価値あるものとされるようになっていくのです。
考えてみれば、AIの普及によって、世のホワイトカラーが担った三次産業は沈没します。
農業などの一次産業や、建設労働などの二次産業もまた、今後はロボットに置き換えられていきます。
すると人々がどうやって暮らすのかといえば、これは古代ギリシャの都市国家の生活が先例になります。
都市国家では、労働は人口の9割を占める奴隷たちが行いました。(今後はこれはAIやロボットが担います)
そして市民と呼ばれる支配層の人たちは、衣食住に困ることなく、日々を自己研鑽や思索、あるいは友との語らいなどに費やしていました。
これからの世界も同じようになっていくものと思います。
一例が、自動車です。
50年前、自動車は、限界性能を楽しむものでした。
ですから、若者たちは、自動車を自分で改造までして、0〜400を競ったり、ターンや峠道の走りを楽しんだものでした。
けれど、その自動車は、いまでは心地よい移動手段のためのものへと変化しています。
そしてこれからの自動車は、完全自動運転となり、所有さえも必要としない、互いにシェアしあって、みんなで共有するものへと変化していくと言われています。
世界は、富を奪い合って、血眼に資産を増やす時代から、ある程度の暮らしが担保されるなら、むしろ心地よく暮らしたい、という人々の時代になります。
そして先々には、必要なものはみんなでシェアしあうことができる平和な社会へと変化していくことでしょう。
この潮流に乗れない人たちは、社会から排除されることになります。
これは、必ずそうなります。
しかしそのためには、ひとつ条件があります。
自分さえ良ければという自己中とか、人と人との関係を上下関係でしか理解できない人、いわゆる前頭葉が未発達で感動するという心を失っているような人、泥棒、嘘つき、粗暴犯、強姦魔などの人もどきは、そうしたコミュニティを破壊します。
つまり、平和でシェアしあうことが可能な社会を営むには、そうしたヒトモドキを社会やコミュニティから排除するシステムが不可欠である、ということです。
残念なことですが、これもまた大切なことです。
そういう意味で、いま日本社会を牛耳っていると履き違えている人たちは、たとえどんな大金持ちであったとしても、これからの時代の日本社会からは(心を入れ替えない限り)排除されることになります。
というか、そうしなければ、日本の発展はない、ということです。
世の中が変わるときというのは、一気に変わります。
そういう時代がやってきています。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
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