転んで怪我をしたときは、痛みをこらえて立ち上がって、ニッと笑うものだと教えられました。痛いときに、痛いのはあたりまえで、そのときに、ニヤリと笑っているかが、男の値打ちだ、と教えられたものです。 なかなかできませんでしたが、そういう心意気を持った日本人だったからこそ、日本の20倍もの国力のある米国を筆頭とする白人支配の世界と正々堂々と戦うことができました。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
「人のものを盗むな」、「人の悪口を言うな」などといった常識は、戦前の日本人にとっては、ごくあたりまえの常識にすぎなかったし、すくなくとも昭和30年代くらいまでは、一般的社会風潮として、日本社会に色濃く残っていました。
うちの実家は市内の街中にありましたが、クルマ好きで自営業を営む父が、家族全員を連れて泊りがけで旅行に出かけるときも、家の玄関に鍵などかけなかったし、そもそもその鍵というもの自体が、玄関についていませんでした。
はめ込み式の窓ガラスも、隙間が空いていて、冬の夜には家の中の畳の上に霜柱が立った(笑)し、外側から簡単にガラスを外すこともできました。
それが昭和40年代になって、なんとわが家にも一人前に泥棒が入り、警察官がやってきて「家の玄関に鍵をかけない方が悪い」などといわれ、そこで初めて「家の鍵」などという立派なもの(笑)が玄関に着きました。
もっともその鍵を持ち歩くという習慣さえもなかったから、その鍵は玄関のかもいの上に置きっぱなしで、そこは子供だった私にも手が届くところでしたから、大人が見れば、ちょうど目の高さくらいに堂々とその鍵が置かれていたわけで、いま思えば、「あれはいったい何だったのだろうか」と、思わず笑えてきます。
もっとも、入った泥棒さんのほうも家内に侵入したは良いけれど、盗むものが何もなくて(本当に家の中には何もなかった)、盗まれたのは壁にかけてあった木製の般若のお面だけ(結構高価なものでしたが)という具合でした。
日本はそれくらい治安が良かったわけですが、以前にもご紹介しましたけれども、江戸時代までさかのぼると、これがもっとすごくて、路上に大量の現金が置きっぱなしになっていても、どんなに生活が苦しかろうが、誰もそれを盗もうとなどしませんでした。
というのは、いまでは現金を送金するときは、銀行のATMを使いますが、江戸時代にも現金の送金は頻繁に行われていました。
どうやっていたかというと、金飛脚(かねびきゃく)と呼ばれる人たちが、街道をエッホエッホと走って全国にお金の配達をしていたわけです。
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ではその金飛脚に、どうやって現金輸送を依頼したのかというと、これは加瀬英明先生から教えていただいたことですが、たとえば江戸から地方にある実家に現金を送金するときには、江戸の日本橋(いま日本橋三越のあたり)に、みんなが送金するお金を持参していました。
日本橋は、東海道、日光街道、甲州街道、奥州街道、中山道の五街道の出発点であり、また全国から江戸にやってくる人たちの到達点でもあり、いまでいったら、新宿や渋谷の歩行者天国みたいに往来の華やかなところだったのですが、そこの橋のたもとに、竹で編んだ平たいザルがいくつも置いてある。
そのザルには、全国の各藩の名前を書いた紙が貼ってあるわけです。
現金送金する人は、自分が現金を送りたい先の藩の名前が書いてあるザルに、宛先を書いた紙にくるんだ現金を、ただ「置き」ます。
そこには見張りも、立会人もいません。
しかも、まわりのザルには、他の現金送金客が依頼する現金が、大量に、むき出しで、置かれているわけです。
送金手数料は、各地ごとにいくらいくらと書かれた箱が脇にあって、これまた誰も見ていないところで、送金を依頼する人が、指定された手数料を入れるだけです。
いまでも、地方の農道などで、小さな小屋に野菜を並べ、欲しい人はお金を箱に入れて勝手に野菜を持って行くといった商売がされていのを見かけますが、あれと同じです。
当時250万の人口を持ち、世界最大の都市であった江戸です。
その江戸から全国への送金となれば、おそらくそこには、合計すれば何千両といった大金が置かれることになったに違いありません。
けれど、江戸265年間を通じて、日本橋のその見張りさえいない現金送金用のザルが、泥棒被害に遭ったことが、ただの1件もなかったのです。
それが日本です。
そういえば、同じく加瀬先生から教えていただいたのですが、江戸時代の享保(きょうほう)年間といえば、テレビの時代劇の「暴れん坊将軍」で有名な将軍吉宗の治世ですけれど、これがちょうど20年続いたわけです。
その20年間に、江戸の小伝馬町の牢屋に収監された犯罪者の数は、いったい何人だったかというと、これがなんと「0人」です。
お奉行所が仕事をしないでサボっていたからではありません。
牢屋に入れられるような犯罪を犯す者自体がいなかったのです。
悪口についても、厳しい。
狭くてウエットな日本ですから、人のうわさ話はよくありましたが、悪口は言わない。
とりわけ、高貴な身分の御方については、その名を口にすることさえもはばかられるとされていました。
我々現代日本人は、「皇女和宮(こうじょかずのみや)」などと平気で口にしますが、江戸の昔なら、皇女の「こ」、和宮さまの「か」と言っただけで、周囲の人から押し倒されて口を塞がれました。
そういえば、私が子供の頃に死んだ親父がよく言っていたことに、「喧嘩をするなら、自分より強いやつとやれ」というのもありました。
子供だって腹の立つことはあるわけです。
男の子だから、当然喧嘩になる。
とっくみあいで生傷が絶えないのが男の子です。
それも自分よりも強い者としか喧嘩しちゃいけないというのですから、これはくるしい。
やれば必ず負けて、泣かされるからです。
おかげで付いたあだ名が、おなぎ、ならぬ「なっきー」(笑)。
それでも負けて半べそをかいて鼻血を流しながら、
「今日はこのへんで勘弁しといてやらあ」と強がっていました(爆笑)。
勝負に勝つとか負けるということが問題ではなかったのです。
たとえ負けてもいいから、卑怯な真似をせずに正々堂々と挑むことが大事と教えられました。
強きを挫き弱きを助けるのが男の子なのだと。
それは、勝ち負けよりも、よほど重要なことでした。
体の怪我なんてものは何日かすれば治る。
けれど卑怯な喧嘩をしたことによる心の傷は、一生治らん。
それどころか家の恥だと教わりました。
その怪我ですが、昔は塗り薬といえば、ヨードチンキです。
これは、傷口にとっても滲みて、塗るととても痛いのです(笑)。
で、痛がると、
「戦場では、手足が飛ばされても
声も立てずに我慢するのです。
たかがこれくらいの傷になんですか。
男の子ならこれくらいの痛みは我慢しなさい」と。
実際、親戚に、戦時中に爆風で左腕を肩から飛ばされた人がいて、その人が、
「立っていて爆風で腕が飛ばされるとな、
人間って体の重心がくるって、
体がクルクルってまわるんだ。
おもしろかったぞ〜」なんて笑って言うものだから、幼い頃は、小さな傷は痛いけれど、大きな傷は平気なのかなあと、不思議に思ったものでした。。
ちなみに、転んで怪我をしたときは、痛みをこらえて立ち上がって、ニッと笑うものだと教えられました。
痛いときに、痛いのはあたりまえで、そのときに、ニヤリと笑っているかが、男の値打ちだ、と教えられたものです。
なかなかできませんでしたが、そういう心意気を持った日本人だったからこそ、日本の20倍もの国力のある米国を筆頭とする白人支配の世界と正々堂々と戦うことができました。
どこかの国の大統領から先頭に立って、卑劣な真似をする国とは、日本は、根っこにある心意気が違うのです。
だから我慢もするし、耐えもするし、相手を赦しもするのです。
けれど、そうやって誠意を見せ続けてもどうしようもないとき、みんながそのように感じだしたとき、日本人は命がけで立ち上がるのです。
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六月五日
あんまり緑が美しい
今日これから死に行くことすら忘れてしまひさうだ
真っ青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲
六月の知覧はもうセミの声がして夏を思はせる
「小鳥の声が楽しさう俺も今度は小鳥になるよ」
日のあたる草の上にねころんで杉本がこんなことを云ってゐる笑わせるな
本日十四、五五分
いよいよ知覧を離陸するなつかしの祖國よ
さらば
使ひなれた万年筆を「かたみ」に送ります。陸軍大尉 枝 幹二 命
第六航空軍司令部
昭和二十年六月六日 沖縄方面にて戦死
富山県出身 二十三歳
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※この記事は2014年4月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
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