日本の海水浴場は、どこも、いつでもきれいです。 もちろん、現地の人たちがゴミ拾いをしてくれていることもありますが、ほとんどの海水浴客は、ゴミを自分で持ち帰ります。 なぜなら、それがマナーだし、みんながそうしているからです。 ひとりひとりができることの積み重ね。 千里の道も一歩から。 積小為大。 日本は、そうしなければ、天然の災害によってすべてが焼き尽くされる。 そういう神の国でもあるのです。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
トップにある図は、国土地理院が発行している近畿地方のデジタル標高地図です。
ネットでお近くの地図を見ることができると思います。
http://www.gsi.go.jp/kankyochiri/Laser_map.html地図で水色や青色に見えるところは、海抜3メートル未満のところです。
そこは、新しく埋め立てられた土地であったり、河川の土砂が積もって平野になったり、あるいは開拓によって、海から土地に変わったところで、いまから6千年くらい前には、すべて海の中だったところです。
真ん中あたりに黄色いところが上向きのまるで指先のように伸びていますが、ここは偏西風の影響で沿岸州(えんがんす)が発達した砂州だったところです。
その東側にあるのが河内潟で、この潟は5世紀頃に砂州が北に伸び切って海水の流入がさえぎられて河内湖となりました。
これによって河内湖は淡水湖になるのですが、仁徳天皇の時代に大規模な土木工事が行われて、あたり一帯が広大な水田地帯になりました。
我が国における天皇は、シラス存在です。
シラスというのは、今風に言えば「示す」ということで、人々や政治などの方向をお示しに成るわけです。
たとえば「河内湖を埋め立てる土木工事を行い、広大な水田を手に入れて人々が安心して暮らせるようにせよ」と天皇が示されたとします。
すると、そのことが時の朝廷が行わなければならない政治課題となるのですが、この政治課題というのが、いまとはかなり概念が異なります。
記紀を学ぶとわかるのですが、天皇がお示しになられたことというのは、すでに起きた結果と理解されていたのです。
たとえば、天皇が「河内湖を水田に」との詔を発せられた場合、その時点で湖である河内湖は、すでに埋め立てられて青々とした稲穂の稔る大水田地帯となっているのです。
すでに結果が出ているのですから、時の朝廷はもちろん、民衆もまた一緒になって河内湖を埋め立て、そこに広大な水田地帯を築きます。
これは必ずできる(なしうる)ことです。
なぜなら、詔が発せられた時点で、すでに広大な水田のある未来が確定しているからです。
このとき注意すべき点は、実際に土木工事を行うのが民衆だということです。
民衆は、天皇の「おほみたから(大御宝)」です。
ですから、隋の煬帝が100万の民衆を使役して行った京杭大運河(けいこうだいうんが)のように、民衆の都合など一切関わりなく、また使役された民衆の食事やトイレ、宿所の手配など、一切行うことなく、女子供に至るまでムチでしばきあげて倒れて死ぬまで無理やり働かせ続けるなどいった乱暴なことはできません。
土木工事ができるだけ合理的に進むように事前に入念に計画し、農閑期を利用し、日当を支払って民衆に働きに来てもらい、食事や宿所、トイレまで遺漏なく手当して工事を進めるのです。
そしてこの工事遂行の一切の責任は、その工事の責任者である朝廷が負担しました。
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河内湖の埋め立て工事は、何十年もかかる大土木事業です。
こうして天皇の示された詔は、何十年か後にそのとおりに実現され、できあがった過去になるのです。
上の図を御覧頂いてわかりますように、現在大阪府民が暮らしている平野部は、そうして古代にできあがった旧河内湖跡を含め、さらに明治以降に海の埋め立てによるものです。
そして新しい土地の多くが、海抜0m以下(図の濃い青のところ)になっています。
くりかえしになりますが、水色から青いところは、ほんの少し前までは海だったところです。
そして海抜0m以下ということが何を意味しているかと言うと、大津波のような水害が起きたとき、容易に水が引かないということを意味します。
そしてその地域に、いま多くの人が住んでいます。
実はこの問題は、何も大阪に限ったことではありません。
東京でも、いわゆる下町と呼ばれるエリアは、やはり海抜0m以下の土地であり、そこに1千万を超える人々が暮らしています。
同様に、名古屋でも博多でも、札幌でも仙台でも、広島でも、というより、いわゆる日本の平野部にある都府市町村は、すべて水害に、きわめてもろい状態にあります。
そしてもし、海面がいまよりほんの数メートル上昇したら、我が国の都市機能は麻痺し、経済も壊滅します。
つくられたコロチャン騒動どころではないのです。
もう一度、上の図を見て下さい。
淀川が流れている様子がはっきりと見えていると思います。
そしてその淀川の両サイドには堤防が築かれ、その堤防が黄色い線となっているのが見て取れようかと思います。
下の図は、その堤防が見えているところを拡大したものですが、いかに細い堤防であるかおわかりいただけますでしょうか。
地震や大水といった自然の猛威の前に、このようなか細い堤防で大丈夫なのでしょうか。

そこで考案されたのがスーパー堤防です。
これは従来のように三角のお山型の堤防を築くのではなく、二百年に一度の大洪水にも耐えることができるように、堤防の幅を高さの30倍(200~300メートル)に広げるというものです。
1987年から工事が始まり、首都圏と近畿圏の6水系873キロメートルを整備する計画でした。
工事の完成までに400年、総事業費12兆円という壮大な計画です。
ところがこのスーパー堤防、2010年10月に、R4さんの事業仕分けにかかって「廃止」となってしまいました。
そしていまだに部分的にしか復活していません。
いま東京には江戸川が流れ込んでいます。
もともとは坂東太郎と呼ばれた暴れ川の利根川が江戸湾(いまの東京湾)に流れ込んでいたのです。
これを江戸時代に、利根川の流れを銚子方面に持っていき、さらに渡良瀬に広大な調整池をこしらえ、さらに広大な堤防工事を施すことで、洪水の危険を回避するようにしているのですが、これが最初の江戸川の土木工事の開始が寛永18年(1641年)、いちおうの完成を見るのが1965年です。
300年以上の歳月をかけて、いまの堤防ができあがっているのです。
200年なら、まだ公共の大型土木工事としては、速い方です。
政治というのは、根本に示すものがないと、利害の調整だけになります。
利害調整というのは、欲得です。
政治が欲得だけになるのです。
富というのは、限られたビザパイの奪い合いのようなもので、誰かが儲かるということは、誰かが損をするということです。
経済成長というと聞こえは良いのですが、実際には、それは景気成長であり、景気によって恩恵を受けるのは、一部の大金持ちだけです。
要するに、お金持ちの資産が、年間にどれだけ増えたかのための指標が、いわゆるケインズ経済論というものであると、これは言い切ることができます。
本来、経済というのは経世済民のことをいいます。
ですから経済成長というのは、経世済民が、どれだけ進んだかという意味でなければならないのです。
もっとわかりやすく言うならば、人々が豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくことが、どれだけ進んだかこそが、経世済民の成長です。
その意味では、たとえば堤防の工事がどれだけ進んだかなどは、きわめて大きな(本来あるべき)経世済民成長指標の一部であるべきものと言うことができます。
他にも、人々の暮らしが、どれだけ豊かになったのか、安全になったのか、安心して暮らせるようになったのか。
それら定性的なことを、定量的な指標にすることは、これは統計学上可能なことです。
しかし、いわゆる世の経済学者というのは、ただ大昔の19世紀的な景気指標を述べることが経済学だと思いこんでいる。
学者の考えたらずとはこのことです。
まして経済指標と言いながら、それが一部の大金持ちのための財産増加指標でしかないとするならば、いまでいう経済指標なるものは、ただの大金持ちさんへの貢献指数でしかない、ということことになります。
いまの世界は、たった8人の大金持ちが、世界36億人の年間所得と同じだけの年間所得を得ています。
その8人の財産が、年間にどれだけ増えたかが、経済指標(経世済民指標)とは、まさに「聞いて呆れる」ます。
我が国は、そういうことが起きないように、国家最高の存在として国家最高権威を置いたのです。
そして国家最高権威による、民衆が豊かに安全に安心して暮らせるようにするための「示し」が行われてきたのです。
このことは、会社組織でも同じです。
社長であれ支店長であれ、部課長であれ、トップに立つものに一番求められるのは、方向性の「示し」です。
その「示し」がブレない不動の中心核となるとき、その組織の力はひとつにまとまり、1+1が4にも5にもなる働きが生まれます。
一方、トップに立つものが綺麗事を述べて自己の利益ばかりを追うならば、部下は面従腹背となり、10+10が3や5にしかならないという結果になることは、普通に組織を経験した方であれば、誰もが経験することです。
我が国は、国家として、その中心に天皇という存在をいただき、その天皇の勅によって未来が示され、その未来に向かって上下心をひとつにして国作りを行ってきた歴史を持つ国です。
そしてそのような国柄は、19世紀に西洋で生まれた共産主義的階級闘争史観では、決して理解できないことだし、外国で育ったスパイ工作員にもまた理解の及ばないことです。
日本は古くから、日本の歴史を担ってきた日本人が上下心をひとつにして、国を育(はぐく)んでいかなければならない国です。
日本は、天然の災害が常に起きる国です。
その天然の災害は、必ず起こるとわかっているのですから、それに対する対策を日頃からしっかりととっておくことは、何にも増して大切なことです。
こうした予防措置は、一見するとたいへんに非効率なことです。
しっかりとした堤防など、増水していない平時には、なんの意味もない、ただの不要物です。
そして、いわゆる経済は、常に効率を求めます。
なにしろ効率があがれば、儲かるのです。
しかし、そんな儲けも、ひとたび災害が発生すれば、すべてが水の泡です。
こうした国土で暮らす私達日本人は、こうした国土で暮らしているのだという自覚と、日頃からの行動が必要です。
そして経済学が、金持ちの資産増加学ではなく、本当の意味での経世済民学であるとするなら、日本は、ただ外国で生まれたものをありがたがるだけではなく、日本独自の災害対策も含めた新たな経済指標を確立するくらいの気概が必要です。
そしてそうしたひとつひとつの行動が、新たな日本を建設するのです。
建設は、愚痴や嘆きからは生まれません。
戦後の焼け野原を想像してみてください。
当時の人達が、ただ焼け野原を嘆いたり、憂いたり、あるいは政府に文句を言ったり、政治責任を追求したりばかりをしていたら、日本は、あれから76年経った今日においても、まだ焼け野原にバラック小屋の生活のままであったことでしょう。
愚痴や文句ではなく、誰もが、身近にできることをしっかりと続けて行った。
結果、今の日本があります。
私達には、文句の前にすることがある。
そう思うのです。
Chinaの夏の海水浴場は、満員電車なみの混雑になります。
そして季節が過ぎると、海水浴場は、足の踏み場もないほど、ゴミだらけになります。
その様子を見て、Chineseたちは、「政府は何をやっているんだ!」と怒りをあらわにします。
日本の海水浴場は、どこも、いつでもきれいです。
もちろん、現地の人たちがゴミ拾いをしてくれていることもありますが、ほとんどの海水浴客は、ゴミを自分で持ち帰ります。
なぜなら、それがマナーだし、みんながそうしているからです。
ひとりひとりができることの積み重ね。
千里の道も一歩から。
積小為大。
日本は、そうしなければ、天然の災害によってすべてが焼き尽くされる。
そういう神の国でもあるのです。
※この記事は2019年4月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
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