温かみのある社会、人にやさしい社会といえば聞こえは良いですが、それが結果として、狡猾や卑怯卑劣を常態化させるのでは、本末転倒です。 |
この顔見つけたらご用心

1925年ころの毛沢東
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
明治のはじめに、いまの日本に続く日本の警察制度の基礎を築いた川路利良(かわじとしよし)の『警察手眼(けいさつしゅげん』(明治12年版)は、どういう性格が犯罪を犯しやすいかという点について、2 5項目をあげています。
そのなかにある有名な言葉です。
「状貌(じょうぼう)婦人の如くにして、大胆不敵なるもの」
「外に笑ふが如くにして内に怒る者」
「状貌(じょうぼう)」というのは、日頃の顔つき、という意味です。
その日頃の顔つきが、男なのに、なんだか女性のような柔和そうな笑みをたたえているかのような表情をしていながら、大胆不敵な行動をとるような者、
あるいは、表面上はニコニコとしているけれど、内面にものすごい怒りの感情を溜め込んでいるような人は、危険人物として注意しなければならない、と説いているわけです。
だいたいにおいて男というものは、どっか闘争心があるもので、これは万年の単位で蓄積された雄としての本能です。
ですから特別な強面(こわもて)というわけでなくても、必ず顔つきのどこかに男らしさあるもので、それを妙ににやけたようにみせかけているなら、その評定の裏に、何か悪意が潜んでいるものです。
ただ、これまたおもしろいもので、人を見極めようとするとき、自分が歪んでいると、歪んだ人を「真っ直ぐな人」と見てしまいます。
「体斜めなれば、影斜めなり」・・・なのです。
ですから、まずは自分が襟を正して、まっすぐに生きるようにしなければならない。
すると、不思議なほど、根に悪意を持つ人がわかるようになるのだそうです。
上の写真の人物は、妙ににやけていながら、どこか酷薄な印象を受けます。
これは1925年ころの毛沢東、32歳の当時の写真です。
「世界虐殺者ランキング」というものがあります。
その第一位が毛沢東です。
なんと、7,800万人を殺害しました。
さほど遠くない未来、歴史が思想抜きに見直されたとき、人類史上最悪の魔人といえば、この人を指すようになるのではないかと思います。
その魔神の顔つき(状貌)が、まさに『警察手眼』に書かれた要注意人物の特徴そのものであるわけです。
ちなみに、昨今のいわゆる「いけめん」なる者に、この項目あてはまるような者が多いと感じるのは筆者だけでしょうか。
いっけん柔和そうな、まるで女性のような表情を意図的にしていながら、ハラワタは真っ黒、あるいは、酷薄という人物は、同性の男にとっても、女性にとっても、危険人物であることが多いものです。
昨今のテレビドラマなどでは、底意地の悪い、根の腐った人物を「顔立ちの良い人」に、まっとうな俳優さんを、底意地の悪い悪役に仕立てることが多いようです。
コ□ナと同じで、これまた情報操作といえます。
「こわもて(強面)」の人が良いというのではありません。
そんな「こわもて」タイプについても『警察手眼』は次のように書いています。
「状貌勇猛の如くにして、実地にのぞみ見掛けなき臆病の者」
つまり、日頃はコワモテ(強面)で、いかにも怖そうな顔をしているけれど、いざとなると臆病でそくさくと逃げ出してしまうような者は、やはり、汚い犯罪に手を染めやすいと書いているわけです。
他にも『警察手眼』は、「かつての江戸時代の封建政治の頃にはあまり見掛けなかったけれど、当節に多い危険人物の特徴」として、
「上にへつらい、下に苛(むご)い者、
または、
上に抗して下に人望を求める者」
あるいは、
「上に向かって直接申し述べる器量がないのに
下に向かって上を非として下に人望を求める者」
は、危険人物であると説いています。
文句があるなら、直接言えば良いのに、日頃から親しくしてもらっていたにもかかわらず、手のひらをかえしたように、その当事者となる相手の人が文句を言うことができない別な場所で、上の人を非難することで、みずからの人望を得ようとするような者は、信頼に値しないどころか、犯罪予備軍ともいえる人物であると、『警察手眼』は書いているわけです。
おもしろいのは、そういう人物は、江戸時代の封建政治の頃にはあまり見掛けなかったと書いているところです。
それが明治以降、そういう卑怯卑劣なヤカラが増えてきた。
なぜでしょうか。
その問いに対する答えは、『警察手眼』には書いてありません。
ただ、武士が腰に刀を差し、目の前で卑怯卑劣な振る舞いがあったなら、容赦なくこれを斬り捨て、自らもその責任をとってその場で腹を切る、という命がけの真剣さを持つ社会においては、へつらいや、狡猾さは通用しなかった。
そういう面が確かにあったのだ、ということといえそうな気がします。
温かみのある社会、人にやさしい社会といえば聞こえは良いですが、それが結果として、狡猾や卑怯卑劣を常態化させるのでは、本末転倒です。
では、腰に刀、いまの時代なら、腰に拳銃を常態化させたら、卑怯卑劣がなくなるのでしょうか。
それもまた違うというのは、誰の眼にもあきらかです。
そうであるなら、教育と文化によって、そのような卑怯卑劣は決して許されないのだということを、しっかりと国民教育として施していく必要があるといえるのではないでしょうか。
『警察手眼』の全文は、ウイキソースというサイトにあります。
ご興味のある方は、いちどお読みになられるとおもしろいかと思います。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E6%89%8B%E7%9C%BC/%E6%8E%A2%E7%B4%A2%E5%BF%83%E5%BE%97お読みいただき、ありがとうございました。
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