歴史や文化がもたらす価値観が正義となり、正義は暴力(ゲバルト)を越える力となるのです。 日本は、縄文以来、万年の単位で蓄積された歴史や文化を持つからこそ、暴力を超える正義を、権威として確立できたのです。 そして、私達は、正義のために、いま、日本の歴史を学び、日本の新たな文化を創造しようとしているのです。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
「あさま山荘事件」は、昭和47(1972)年2月、軽井沢で起こった事件です。
連合赤軍のメンバー5人(坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久)が、浅間山荘の管理人の妻(当時31歳)を人質にとって、10日間、219時間にわたって山荘内に立てこもった事件です。
この犯人グループは、連合赤軍の前身である「京浜安保共闘」時代に、栃木県真岡市で銃砲店を襲い、猟銃10丁、空気銃1丁、銃弾約2300発を強奪していました。
そしてこのあと「京浜安保共闘」と「赤軍派」が合流して「連合赤軍」となり、榛名山や妙義山の周辺の廃屋などを利用してアジトを複数設営していました。
当初、アジトに集まったメンバーは合計29人(内女性10人)でした。
ところが彼らはアジトで軍事教練を行うかたわら、「総括」と称して内部でメンバーに対する批判や自己批判を強要し、さらに粛清と称して仲間を散々殴ったり、木に吊るしたり、挙句はアイスピックやナイフで刺し、最後には絞殺したり、裸にして氷点下の屋外に放置して凍死させたりしていました。
そして仲間たちの遺体を、全裸にしたうえで土中に埋め、アジトに放火して証拠隠滅を図っています。
この結果、アジトで死亡したメンバーは12人。
うち女性が4人いました。
なかには中には妊娠8ヶ月の女性メンバーもいました。
彼らに言わせると、「総括」は相手を「革命戦士として自ら更正させる」ことを目的とした正当な行為で、そのために周囲のものが仲間に対して暴力をふるうことは「総括援助」であり、正当な行為でした。
リンチは非常に凄惨で、激しい殴打を伴ない、女性は逃亡を防ぐためと称して髪を切り、また性的奉仕が強要されました。
主犯格の森恒夫と永田洋子の2人は「殴ることこそ指導である」と考えていたそうです。
殴って気絶させ、目覚めたときには別の人格に生まれ変わり、完全な共産主義を受け入れ真の革命戦士になれるという論理を展開し、絶対的上下と隷従の関係の中で、それが「お前のためだ」として殴り倒し、内臓を破裂させて殺害していました。
結局、連合赤軍29名はアジトを下山するときには、発見・逮捕された一部のメンバーを除く、わずか5名になっていました。
そしてその5名が立て篭もったのが、あさま山荘だったのです。
連合赤軍の5人は、包囲する警官隊に発砲を続けました。
この発砲で、警視庁の高見繁光警部と内田尚孝警視の2人、そして不用意に山荘に近づいた民間人1人が死亡しています。
また機動隊員と信越放送のカメラマン計16人が重軽傷を負いました。
重傷者の中には、失明など後遺症が残った者もいるし、いまだに頭骨に散弾が埋まったままの人もいます。
この事件の、全体の指揮を執ったのが、後藤田正晴警察庁長官(当時)でした。
銃で乱射し、警官を狙撃する犯人たちに対し、現場の警察官、機動隊からは、発砲、射殺の許可を求める悲痛な叫びが繰り返し報告されていました。
けれど後藤田長官は、警官隊からの発砲を禁じました。
「長官は、俺たちの命より犯人の命が大切なのか!」という現場の声もあったといいます。
その現場では、雪の中で寒さに凍え、犯人一味から絶えず銃弾を撃ち込まれ、仲間が目のまえで射殺されたり重傷を負っていても、ただ囲むだけで、一切の反撃は、長官命令によって許されなかったのです。
仲間が目の前で射殺されているのです。
現場の思いとしては、機動部隊を一気に山荘に突入させ、犯人グループ全員を一網打尽にしたうえで、一刻も早く人質を助け出したい。
発砲してでも突撃したいとの思いにかられるのは、現場の思いとしてはむしろ当然です。
特に機動隊は、そのために日頃から激しい訓練を十分積んできているのです。
そういえば映画「踊る大捜査線」に、「事件は会議室で起ってるんじゃないんだ!」と憤慨するシーンがありましたが、実際に銃弾の脅威を前にして、山荘を取り囲んでいた警察官の心情、ご家族の心情は、想像するにあまりがあります。
おそらくこの事件が起きたのが欧米ならば、警官隊どころか軍隊が出動して、山荘ごと爆破して一網打尽にしてしまったかもしれません。
あるいはSWATなどの特殊部隊が山荘内に突入し、全員射殺していることでしょう。
なぜ日本は、そうしなかったのでしょうか。
なぜ後藤田長官は、仲間である警察官が現場で射殺されているのに、警察側からの発砲を許可しなかったのでしょうか。
その答えが、警察行政と、現場の違いにあります。
現場は、犯人を逮捕するか、射殺すれば足ります。
またそれこそが現場の希望でもあります。
けれど警察行政は、
「二度と同様な事件が起こらないようにしなければならない」
のです。
犯人を射殺すれば、「あさま山荘事件」は終わります。
けれど、射殺された犯人は、左翼の「殉教者」として英雄扱いされる。どこかの国と同じです。
彼らが発砲するからと、警官隊が応戦して銃撃戦を行なえば、彼らはより一層、武装を強化します。
そして「山荘立てこもり」だけでなく、銃器店の襲撃や、「総括」と称する凶悪な殺人を今後も繰り返していくことになります。
実際、1960年の安保闘争における樺美智子さんの死亡事件や、1970年の上赤塚交番襲撃事件で射殺された柴野春彦、1970年の瀬戸内シージャック犯人は、左翼活動の「殉教者」とされて、以後の左翼活動の武装化を一層促進しました。
そしてそうした運動の先に「あさま山荘連合赤軍事件」があるのです。
だから後藤田長官は、心を鬼にして警察側からの発砲を禁じました。
だから許可された応戦は、水鉄砲による放水と、鉄球だけでした。
鉄球というのは、ビルの取り壊しのときなどに使われる、巨大クレーンにぶら下げた鉄球で、これを山荘にぶつけて、山荘に穴を開けるというものです。
しかしこの鉄球は、寒さのために氷ついてしまって、結局、ほとんど活躍しないで終わっています。
こうして10日間の攻防の末、籠城していた犯人5人は逮捕され、人質は無事救出されました。
翌3月になって、逮捕された連合赤軍メンバーが供述で、事件の全貌が明らかになりました。
警官隊の山狩りによって、山岳のアジトから大量の証拠品が発見されるとともに、糞尿にまみれ、さらに切断された衣服なども発見されました。
人間は、窒息などの死亡時、糞尿を垂れ流します。
そして死後硬直した死体から衣服を脱がすにはナイフなどで切断するしかない。
つまり衣服がそこで「殺人」が起こった事実を裏付けたのです。
あさま山荘事件終結後、社会党系の議員やメディアは、犯人を擁護しました。
けれど事件後に明らかとなった、アジトでの凶悪な殺人事件の詳報が出ることによって、赤軍を擁護した左翼系議員やメディアの面目は丸つぶれになりました。
すると左翼主義者たちまでも、手の平を返したかのように、赤軍を批判する側に回ったのです。
また、それまで左翼運動を否定的に見ていた人はもちろん、左翼運動を好意的に見ていた人々も、この事件の異常性から左派を嫌悪するようになりました。
そして赤軍に武力闘争は、この事件後、一気に収束していくのです。
つまり、銃にモノをいわせ、仲間の命すらなんとも思わない極左集団に対し、殉職者を出してまで、犯人や人質の生命の安全を図った警察という対比が、このあさま山荘事件後、中核派や、赤軍、革マル派など、60年安保から一世を風靡してきた左翼活動、学生運動を、いっきに沈静化させることに至るのです。
もしこの事件のとき、警察が、銃撃戦に応じていたら、その後の日本はどうなっていたでしょうか。
連合赤軍の永田洋子や森恒夫は、後世に語り継がれる殉教者となり、左翼活動はいっそう過激になっていったのではないかと思います。
あさま山荘に立てこもった犯人グループと激しい銃撃戦を行うことは勇敢な行動です。
籠城している犯人グループに対し、圧倒的な人数と火力を持つ警官隊は、それを実現することもできたでしょう。
そのためのプロもいました。
けれど、それをすれば、後々、さらに赤軍事件は拡大する。
どこまでも「手ぬるい」としか思えない方法で対処することは、どうみても勇敢ではないし、取り囲んでいる警官隊に死傷者が出ることは、決して良いこととはいえません。
むしろ世界の標準から見れば、腰抜けにしかみえないかもしれません。
けれど、一見、ひ弱に見えるその態度こそが、結果として、より多くの人々の生活の安全を護ることになったのです。
正義だからといって、相手を悪と決めつける、相手を糾弾する、相手を叩きのめす、相手を殲滅する。
しかし、そのことが結果として相手を勢いづけることになるのなら、それは正義とはいえません。
暴力のことをドイツ語でゲバルトと言いますが、暴力に打ち勝つ力を暴力に求めたら、それは争いを激しくするだけのものになります。
では、本当の意味で暴力に打ち勝つ力とは何かといえば、それが正義です。
正義とは、言い方を変えたら価値観です。そして何に価値があるのかを決めるのは、文化の力です。そして文化は、古いものほど価値を持ちます。
すなわち、
正義=価値観=文化=歴史 です。
つまり、歴史や文化がもたらす価値観が正義となり、正義は暴力(ゲバルト)を越える力となるのです。
日本は、縄文以来、万年の単位で蓄積された歴史や文化を持つからこそ、暴力を超える正義を、権威として確立できたのです。
そして、私達は、正義のために、いま、日本の歴史を学び、日本の新たな文化を創造しようとしているのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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