ストーリーは、幾通りにも描くことができます。 だから事実はひとつでも、真実はいく通りにも描くことができます。 良い悪いの問題ではなくして、それが世の中の真実です。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
何日か前に「真実はひとつしかない」という言葉自体が嘘を含む洗脳用語だと書かせていただきました。
これはその通りで、
事実はひとつしかないけれど、
真実は幾通りも存在する
ということが、実は本当のことなのです。
たとえば「源義経=ジンギスカン説」というものがあります。
源義経は、奥州平泉で自害して果てたのではなく、実は生きていて、奥州藤原氏の巨額の黄金と兵を率いて大陸に渡り、猛虎将軍を名乗って北方遊牧民を統一し、彼らのハーン(大王)となって、ユーラシア大陸を席巻した・・・という説です。
なるほどジンギスカンは、中東のアラビア商人のインタビューに答えて、「自分の出身はニホのキョト村であると答えた」といいますし、なぜかジンギスカンの旗印は、モンゴル高原には存在しないはずの源氏笹です。
さらにいえば、モンゴルという族名は、モンゴル語で「勇猛な人」という意味なのだそうだけれど、そのモンゴル族がジンギスカンが登場するまで、どこでどのように遊牧生活を送っていたのか、まったくわからない。そしてどういうわけか、モンゴルという発音は、どうにも日本語の猛虎(もうこ)と同じです。
本当に源義経がジンギスカンになったのか、そうでないのか。
事実はどのどちらかひとつしかありません。
けれど、これが真実だ、という意見は、幾通りも存在します。
もっというなら、記録されている事実は、
・源義経という人物が平泉で死んだという記録がある。
・ジンギスカンという人物がモンゴル帝国を築いた。
という2つしかないのです。
そのとき本当は何が起こったのか、という、この2点以外の様々な見解は、すべて意見でしかありません。
ただし、やっかいなことは、その意見の方が、歴史の真実を言い当てているかもしれない。
本当のことは、タイムマシンが開発されて、その時代を調査に行かなければ、誰にもわからないことです。
我々がいま手にできる事実は、当時記録として書かれた文書と史跡という手がかりだけです。
我々は、その手がかりから、では真実の歴史はどのようであったのかを推論するのです。
このとき推論は推論であって、事実ではありません。
ただし、その推論が、意外と真実を言い当てているかもしれない。
そして「これが歴史の真実だ」という見解は、人によって様々なものがあるわけです。
もっというなら、先の大戦にしても、事実は日本が昭和16年12月8日に、米英仏蘭を相手に戦争を開始し、昭和20年8月15日の玉音放送によって、日本が武力行使を自主的に停止した、ということだけです。
その大戦が、日本の侵略であったのか、欧米の植民地支配を終焉させる正義の戦いであったのか。
これは、事実を、どっちの側面から見るかによって、結論は180度変わります。
つまり、歴史の真実は、さまざまな見方、見解があるのです。
歴史というのは、過去に起きた事実を時系列に沿って合理的かつ再現可能性がMAXになるように、ストーリー化して記述するものです。
簡単にいえば書かれたものが歴史です。
西郷隆盛という人物が、かつてこの世に存在していたことは、様々な史料が証明しています。
それら史料を使って、西郷隆盛の系譜をたどりながら、なぜそのときそのような事件が起きたのかを、合理的かつ再現可能性ができるだけ100%になるように、記述する。
それが歴史です。
つまり歴史とは、時系列に書かれたもののことをいいます。
ただし、年表は歴史のうちに入りません。
なぜなら、なぜそうなったのかが、年表だけではわからないからです。
そこには筋書き(ストーリー)が要ります。
ストーリーは、幾通りにも描くことができます。
だから事実はひとつでも、真実はいく通りにも描くことができます。
良い悪いの問題ではなくして、それが世の中の真実です。
お読みいただき、ありがとうございました。
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