日本は、7世紀の第41代持統天皇によって、史書と歌集を通じて教育と文化による立国が開始され、14世紀の第三代足利将軍義満によって、お能を通じて世界に誇る武士道が形成されました。 つまり日本は、およそ700年ごとに、新たな柱が建てられてきたわけです。 いま、また新たな700年が始まろうとしています。 日本は、これから、教育と文化の上に武士道が形成されたように、さらに武士道の上に新たな日本文化を誕生させようとしています。 それは必ず、世界の未来に大きな影響を及ぼすものとなります。 日本はいま、目覚めようとしています。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
お能に「高砂(たかさご)」という演目があります。
このお能で謡(うた)われる謡曲の中の一節は、かつては婚礼の儀に際しての定番曲となっていました。
以下のものです。
高砂や
この浦(うら)船(ふね)に帆(ほ)をあげて
この浦(うら)船(ふね)に帆(ほ)をあげて
月もろともに出(い)で汐(しほ)の
波の淡路(あはぢ)の島影(しまかげ)や
遠く鳴尾(なるを)の沖(おき)すぎて
はや住の江に着(つ)きにけり
はや住の江に着(つ)きにけりお能の「高砂」は、お能の代表的な祝言曲で、樹齢千年を保つ常緑の松を通じて、夫婦の末長い愛と、草木をはじめとした万物すべてに心があることを讃えた、たいへんおめでたい演目です。
舞台は9世紀の醍醐天皇の治世に播磨国(いまの兵庫県)の高砂の浦に立ち寄った神主(かんぬし)のもとに、一組の老夫婦が現れるところからはじまります。
その老夫婦に神主は
「高砂の松とは、いずれの木を申し候(さふら)ふぞ」とたずねます。
すると老人が、
「ただいま木陰を清(きよ)め候(さふら)ふこそ、高砂の松にて候(さふら)へ」と答える。
神主が続けて「住之江(大阪市住之江区)の松に相生(あいおひ)の名あり。当所と住吉とは国を隔(へだ)てたるに、なにとて相生の松とは申し候ふぞ」と問うと、いろいろとやりとりの末、
「うたての仰せ候や。山海万里(さんかいばんり)を隔(へだ)つれど、たがいに通う心づかひの、妹背の道は遠からず」と老人が答えるわけです。
「妹背(いもせ)の道」というのは、現代語で「夫婦の道」と訳されますが、実はもう少し意味が深くて、妹とは妻のこと、その妻を背負っての人生の道が妹背です。
逆に妻が背負った夫のことは「吾が背子」と言います。
たがいに背負い、背負われて、ともに人生をすごすのが、夫婦(めおと)の道とされてきたのです。
この点は、西洋風の恋愛至上主義と、我が国の古来からの文化の違いです。
西洋では、もともと女性はゼウスが男性を堕落させるためという目的をもって造ったものという原理があり、従って恋愛至上主義も、男性が美しい女性を手に入れて所有するまでだけを重視します。
これに対し日本の文化は、もとより男女は対等な存在であり、その対等な男女が晴れて夫婦となってからの長い歳月を重視します。
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お見合い結婚などがその典型ですが、もっというなら恋愛期間など、なくてもよろしい、というのが日本的価値観であったわけです。
なぜなら、夫婦の愛は、燃えるものではなくて、育むものだからです。
燃える炎はいつかは消えますが、育む愛は永遠のものです。
お能は、こうした神主と老夫婦のやり取りからはじまるのですが、いくつかの名言が謡曲のなかに含まれます。
たとえば、
「それ草木は 心なしとは 申せども、
花実(くわじつ)の 時をたがえず
陽春(やうしゆん)の
徳をそなえて南枝(なんし)花
はじめてひらくは 言の葉の
露の玉 心をみがく 種なりて」
草木(くさき)に土に 砂に風声(かぜこえ)水音(みずね)まで
万物こもる 心あり
春の林の 東風(こち)動き、
秋の虫 北露(ほくろ)に鳴くも
みな和の歌の 姿ならずや」
要するに自然界の生きとし生けるものは、草木土砂や風の動きや水の音にまで、すべて私たち人間と同じ「心」が宿っている。
その自然界のもたらす四季の流れにさからうことなく、自然体で生きることが、千年の松のような、夫婦の末長い愛をもたらすと、この謡曲は唄っているわけです。
お能がもたらしているもの、演じているものは、巷間言われる「侘び寂び幽玄の世界」ではありません。
もっと具体的で明確で、リアルに人に寄り添った人として大切な教えを、演劇のなかで、わかりやすく説いているものです。
お能は、足利幕府によって武家の芸能として推奨され、その後の織豊時代から江戸時代に至る中において、お能が描く人の道が、武家の常識となっていきました。
こうして、儒教国、四書五経を学ぶ他の国にはない、日本独自の武士道が完成していくのです。
そして武士道は、明治に入り、軍を通じて、一般庶民の心得にまで広がっていきました。
世界中どこの国においても、武器を手にした集団は、暴徒であり、暴漢であり、ヤクザです。
西欧では、そのヤクザを王が戦(いくさ)のための傭兵(ようへい)に雇(やと)って戦争が行われました。
チャイナでは、そのヤクザに飯を食わせる人が「将」です。
将軍の「将」という字の旧字は「將」ですが、この字は編にある「爿」が調理台、つくりの「月」が肉月でお肉のこと、「寸」が調理を表します。
つまりチャイナにおける「将」というのは、「肉を食わせてくれる人」を意味します。
農業が保護されず、慢性的な食糧不足にあったチャイナでは、人の肉であれ、牛馬の肉であれ、肉を食わせてくれる人が親分であったし、将であったのです。
したがって、そこに道徳性はありません。
勝てばありとあらゆる横暴が許される。力こそがすべて。上に立ちさえすれば、何をやっても構わない。そういった彼ら独特の文化は、こうして生まれました。
そこには日本における武士道のような、自分の五欲(財欲・色欲・飲食 (おんじき) 欲・名欲・睡眠欲)よりも、名誉や民を優先するという概念はありません。
日本は、7世紀の第41代持統天皇によって、史書と歌集を通じて教育と文化による立国が開始され、
14世紀の第三代足利将軍義満によって、お能を通じて世界に誇る武士道が形成されました。
つまり日本は、およそ700年ごとに、新たな柱が建てられてきたわけです。
いま、また新たな700年が始まろうとしています。
日本は、これから、教育と文化の上に武士道が形成されたように、さらに武士道の上に新たな日本文化を誕生させようとしています。
それは必ず、世界の未来に大きな影響を及ぼすものとなります。
日本はいま、目覚めようとしています。
それは、今世紀中に必ず起きることです。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
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コメント
kinshisho
そういえば昨今の結婚は恋愛結婚が主流ですが、無論恋愛が悪い訳ではなく、恋愛も見合いも究極的には将来寄り添いあって生きて行く相手を見つけるための手段でしかない。
現に恋愛結婚でも幸せな家庭を築いている方は大勢います。そういう方は損得抜きでこの人と一緒に生きて行こうという決意の許に結婚されたのだと思います。
最近、コロナ禍で仕事から早く帰ってきたり、或いは在宅ワークになって逆に夫婦関係が拗れるケースが増えているらしいのですが、そういう家庭は高所得の家庭が多く、所謂金づる目的で結婚した方が多いことが指摘されております。
そして恋愛につきものなのが貴賤結婚、所謂身分違いの結婚ですが、階級社会が多い海外では住む世界が違い過ぎて破綻に終わることが多く、それ故親の反対に遭うことも珍しくないのですけど、今回の話を聞いて親や世間の反対も根拠がない訳ではないということがよく分かりました。
また、昔は恋愛結婚をあまり良く思っていなかったのも、こうした結末に至ることが先人たちには分かっていたのかもしれませんね。
実際、恋愛結婚が主流になってから日本でも離婚率が高くなっており、元々恋愛結婚が主流だった欧米は更に高く、フランスやスウェーデンでは夫婦の関係の方が珍しいくらいですし。
とはいえ、知らない者といきなり結婚させられて夫婦生活を強要される、それも親同士で勝手に決めた見合いという名の強制結婚で昔の人はよく我慢できたなとも思うのですが。
とはいえ、先人たちは恋愛結婚は失敗が多い、更に恋愛結婚だと結婚相手を見つけられない者が必ず生じることも分かっていたのでしょう。それなら逆の発想で、こちらで相談の上で強制的に結びつけてしまえということでもあったのかもしれません。
そして、昔は個人主義ではなく公民主義ですから、一人一人の人生は国と社会、地域の存続のためにあると考えられていたせいもあるでしょう。それに、日本は災害大国である以上、災害を乗り越えるためには自分勝手は許されないせいもありましたし。
因みに私も近所のお節介なオバサンによく言われます。人は一人では生きていけないし、人は一人で成長した訳ではない。一人が成人するまでに、親、先生の他に、数多くの方が成長に関わり、だからこそ成人できたのだから、受けた恩恵は返さなければいけない。それが結婚であり子孫を残すことで最大の恩返しになるという発想の人でした。
つまり、この世に真の意味での自由などありはしないと言いたかったのかもしれません。自分の人生もまた、自分だけのものじゃないということなのか。
かといって、今の世の中に全てが戦前回帰して日本が上手く回るのかと言えば私には何とも言いかねる部分もあるのですが。
2021/06/04 URL 編集