日本の正常化は、まずは人の正常化から。 人の正常化とは、責任の自覚から生まれるのです。 厳しいようですが、そうすることではじめて、責任ある社会が生まれるのです。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
弁慶の「勧進帳」は、歌舞伎の定番演技です。
あらすじは次の通りです。
*
源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸を通って奥州平泉へ落ち延びようとするのですが、頼朝はその義経を捕えるために街道筋に多くの関所を設けます。
義経の一行が加賀の安宅(あたか)の関(石川県小松市)に差しかかったとき、関守の富樫左衛門(とがしさえもん)は、通ろうとする山伏の一行が変装した義経たち一行ではないかと怪しみます。
弁慶は「自分達は東大寺修復のための寄付を募る勧進をしている山伏である」と主張します。
富樫は「勧進のためならば勧進帳を持っているであろう。ならばそれを読んでみよ!」と命じる。
弁慶は、たまたま持っていた白紙の巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げます。
これが「勧進帳読上げ」のシーンで、実にかっこいい。
なおも疑う富樫は、弁慶に山伏の心得や秘密の呪文について問い正します。
弁慶は間髪をいれず問いに淀みなく答える。
ここが「山伏問答」のシーン。
この問答の掛け合いが淀みなく続くなかに、会場から大きな拍手が沸き起こります。
富樫は、この時点でそれが義経の一行だと見破っているのですが、一方で弁慶の堂々とした振る舞いに心を動かされます。
ところがこのとき、富樫の部下のひとりが「そこにいる小男が義経ではないか」と申し出る。
場に緊張が走ります。
富樫もこれを無視するわけにいきません。
富樫は弁慶に「そこにいる小男が義経ではないか」と問う。
すると弁慶は、やにわにその小男を
「お前が愚図だから怪しまれるのだ」と、金剛杖で殴りつけるのです。
金剛杖というのは、いまでもお遍路さんなどで使われる、六角形、または八角形の木の杖です。
これで殴られたら、そりゃ、痛い!
しかし家来が主君を棒で殴るなどありえないことです。
富樫は義経主従の、その振舞に心を動かされます。
そして一行の関所通過を許可する。
これは、第一に頼朝からの恩賞を放棄するということでもあるし、第二に関守としての職務違反です。
それでも富樫は、義経一行の通行を許可します。
そして同時に、自分が義経に気付いたことを周囲に悟らせないように振舞います。
知られたら自分だけでなく、主君を棒で叩いた弁慶の名誉すらも傷つけることになるからです。
弁慶もその富樫の心遣いに気がつかないふりをします。
感謝などしたら富樫の立場を失わせることになるからです。
二人は眼と眼でわかりあいます。
この間、歌舞伎は、ずっと無音です。
笛や太鼓や歌などにぎやかな演出が多い歌舞伎ですが、この「勧進帳」では、最後の弁慶が花道を立ち去るシーンまで、無音の中でのやりとりが続きます。
高度な緊迫感がただよう。
最後に富樫は、「失礼なことをした」と一行に酒を勧め、弁慶はお礼に舞を披露します(延年の舞)。
弁慶は舞ながら義経らを逃がし、弁慶は富樫に目礼して後を急いで追いかける(飛び六方)。
ちょうどこのシーンで弁慶が花道を踊りながら去ってゆくのですが、観客はその姿に盛大な拍手喝采を送ります。
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勧進帳の読み上げや、山伏問答における弁慶の雄弁。
義経の正体が見破られそうになる戦慄感。
義経と弁慶主従の絆の深さの感動。
舞の巧緻さと飛び六方の豪快。
見どころが多いこの勧進帳は、歌舞伎のなかでも、古来、特に人気の高かった演目です。
この物語は、もちろん芝居の脚色です。
つまりフィクションです。
しかし、ここで登場した富樫左衛門は、実在の人物です。
実名を富樫泰家(とがしやすいえ)といい、1182年、木曽義仲の平氏討伐に応じて平維盛率いる大軍と加賀・越中国境の倶利伽羅峠にて対陣し、燃え盛る松明を牛の角に結びつけ、敵陣に向けて放ち、夜襲をかけて、義仲の軍を大勝利に導いた大将です。
木曾義仲が源義経に討たれた後は、頼朝によって加賀国の守護に任ぜられています。
肚のわかる豪胆で立派な武士だったようです。
「勧進帳」には、ひとつ、大切な教えがあります。
それは「武士は上からの命令だけで動くものではない」ということです。
富樫が上の命令だけに忠実であるなら、この時点で義経一行を逮捕しています。
しかし彼はそうしなかった。
義経一行と見破りながらも、義経主従の、そして弁慶の立派な態度に心を打たれ、彼らの通行を許可しています。
これは「世の中の仕組み」よりも、「人としての道」を選んだ、ということです。
別な言い方をすると、(ちょっと古い言い方ですが)、富樫と弁慶は、互いに「信(まこと)」を交わしたのです。
単に上からの命令に服従するだけなら、バカでもできます。
しかしそれでは、ただの奴隷です。
そうではなく、自分の価値観に基づいて、判断し、行動する。
同様の物語は、赤穂浪士で大石内蔵助が、江戸に向かう道中で本物の垣見五郎兵衛と出会うという物語にもみることができます。
物事に対し、命令だからと反応的に行動するだけならば、パブロフの犬と同じです。
ベルを鳴らす。犬がよだれを垂らす。
命令がある。その通りに行動する。
これを「反応的行動」と言います。
日本人の伝統的価値観は、こうした反応的行動しかできないことを、非常に蔑(さげす)みます。
ベルが鳴っても、人としてそれが正しい生き方といえるか、自分の行動が先祖や天地神明に誓って正しい行動といえるか。
自らの価値観の上で判断して行動する。
ここに日本人の美意識があります。
日本における忠義は、チャイナの儒教の精神と異なり、単に支配層に服従することを意味するものではありません。
ときに上長に逆らってでも、正しいことを為すことが、忠義であり、名誉であり、責任であると考える。
それが日本です。
ただし、2点ほど、大切なことがあります。
組織において、上から下まで、誰もが「上からの命令だけで動かない」ということをしてしまうと、組織そのものが機能しなくなります。
ですから富樫の行動も、あくまで自分の裁量権の範囲内で、義経一行とは気が付かなかった、という建前を通しています。
上下関係ではなく、人の道を優先しながら、なお、上下関係をしっかりと保っているのです。
ここが教養というものであるといえます。
教養があるから責任の自覚があるのです。
責任というのは、誰かに問われてはじめて発生するものではありません。
我が国では古来、責任は、どこまでも本人が自覚するものとされてきました。
ですから、上から責任を問われるようであれば、その時点で人として、あるいは武士として失格なのです。
以前、川崎中1児童殺害事件のことをお話しました。
もしあの事件が、江戸時代に起きていたら、川崎の町奉行は切腹です。
なぜなら、そのような悲惨な事件や事故が起こらないようにするために、川崎の町奉行は全権を与えられているのです。
にもかかわらず実際に事件が起きた、しかもその事件によって人の命が奪われたのなら、その責任は川崎の町奉行にあります。
ですから川崎の町奉行が、自らそれを自覚して腹を斬るなら、家督は安泰、息子さんが跡を継いで川崎の町奉行に就任します。
けれど、もたもたして責任を自ら取らずにいたなら、江戸表から使いがやってきて、
「上位でござる。腹をめされよ」
とやります。
この場合は、お上の手を煩わせたのですから、奉行の家はお取り潰し、家禄ももちろん没収です。厳しかったのです。
ここに明らかなように、責任というのは、どこまでも自らが主体的に感じ取るものです。
人から問われて責任が生まれるのではありません。
仮にもし、人から問われてはじめて責任が生じるなら、バレなければなにをやっても許されるという、まるでどこかの国のような社会になってしまいます。
ここに日本人の美意識があります。
だからこそ、この物語では、富樫の「責任と人道」の間にある葛藤が、弁慶の勧進帳の、ひとつの見どころとなっているのです。
そうではなく、何の責任感の自覚もなく、忠義も名誉もなく、ただやみくもに大騒ぎすることを、「栲衾(たくぶすま)」と言います。
「栲(たく)」というのは、バンバンと音をたてて叩くことを言います。
「衾(ふすま)」は、いまでは部屋の間仕切りのことを言いますが、昔は布団のことを「衾(ふすま)」と言いました。
その衾(ふすま)を、人が気持ちよく寝ようとしている横でバンバンと音をたてて、四の五のと文句を言っては大騒ぎする。
そうした人や民族や地域や人々のことを、昔は「栲衾(たくぶすま)」と形容しました。
そして「栲衾」は、新羅国の枕詞になりました。
そのような「栲衾」たちと「信(まこと)」を交わすことなどできません。
なぜなら彼らには忠義も名誉も責任感もないからです。
日頃威張っていても、肝心なところでケンチャナヨでは話にならないのです。
そしてそのような「栲衾」な人たちは、本来、国民生活に影響を及ぼす政治や行政や公的メディアの場にいるべき人たちではありません。
江戸時代に寺子屋で使われていた教科書に「童子教」というものがあります。
そこには、「悪しき弟子を養わば、師弟ともに地獄に堕ちるべし」と書かれています。
このことは、悪しき者、信を交わせない者が政治や行政を行うならば、その国も県や市町村も、まさに地獄に堕ちてしまうことを意味します。
その人達が地獄に勝手に堕ちて行くのは仕方がないけれど、巻き添えになる庶民は、たまったものではありません。
日本の正常化は、まずは人の正常化から。
人の正常化とは、責任の自覚から生まれるのです。
厳しいようですが、そうすることではじめて、責任ある社会が生まれるのです。
現代日本の間違いの根本のひとつがここにあります。
※この記事は2020年5月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
日本をかっこよく!! むすび大学。
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