水軍と陸軍の戦い方の違いと壇ノ浦



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神々のお計らいというのは、我々人間にはわからないものです。
けれど、間違いなく日本は、神々の護りをいただいた国です。
神恩感謝。
このことを源平合戦に学んでみたいと思います。

20210608 源平合戦
画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

以下の文は、6月1日のねずさんの有料メルマガに掲載した記事です。
週遅れになりますが、内容が深いので、こちらにも転載します。


 *

源平合戦といえば、西暦1184年の一の谷の合戦から、1185年の屋島の戦い、そして壇ノ浦の戦いへと続く、源義経率いる源氏と、平知盛以下平家の水軍との戦いとして有名です。
多くの演劇が、平家のだらしなさと、義経の剛勇を称えるストーリー展開になっていますが、実際の歴史はちょっと違います。

まず一の谷の合戦ですが、海に面した街道筋である一の谷に陣取った平家10万に、東から源範頼率いる5万、西から土肥実平率いる7千、そして後背地となる鵯越(ひよどりごえ)の崖の上から義経の3千が襲いかかったところまでは有名な話です。

このとき平家はおよそ千名の死者を出しながら、海上に避難しています。
物語としては、義経の戦上手を称えるものとなっていますが、実際には、合戦の前日、後白河法皇の近臣である修理権大夫(しゅりごんだゆう)が、平家に後白河上皇の手紙を渡しています。
その手紙には「源平の和平のために上皇ご自身がそちらに向かうから、交渉が終わるまで一切戦闘行為をしないように。このことは関東武士(源氏)にも伝えてあるので、平家方も徹底するように」と書かれていたのです。
律儀のこの停戦要求に応じた平家は、武装を解き、一の谷にいた・・・そこに源氏が突然三方から襲いかかった、というわけです。

それでも水軍である平家には、まだまだ十分な勝機がありました。
というのは、ここで水軍と陸軍の戦い方の違いが現れるのです。

基本的に陸上で戦う陸軍は、内陸部から攻撃を開始し、敵を海に追い詰め、殲滅する、という戦い方をします。
これが陸軍のセオリーです。
チャイナで、チャイナ共産党が国民党軍を追い詰めた戦いも、そのやり方を踏襲しています。
だから人民解放軍が勝利したのです。

これに対し支那事変当時の日本陸軍はというと、沿岸部から国民党に襲いかかり、逆に内陸部へと国民党を追い払っています。
けれど内陸部は奥深く、結果、敵を殲滅するに至っていません。



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要するに、陸軍の戦い方では、
1 敵を殲滅する場合
  内陸部から海に向かって敵を追い詰める
2 敵をただ追い払う場合
  海側から敵を内陸部に追い払う
という選択が採られるわけです。

一の谷の合戦を見ると、源氏はまさにこの1の手法をとったということができます。

ところが、ここが水軍との違いです。
水軍の場合は、沿岸に陣取った場合、そこを敵が三方から攻めかかってきたら、先ず、海上に船で逃げます。
すると敵は、沿岸部の元、水軍がいた場所に密集することになります。
こうして密集した敵に対し、水軍は船を利用して、敵の左右に回り込み、また敵の正面の船から(つまり三方から)さかんに矢を射掛けて敵を殲滅します。

これは人が歩くよりも、船のほうが足が早いことを利用した水軍独特の戦い方であるわけです。

一の谷の合戦を見ると、兵力は平家方の方が圧倒的です。
まさに平家の持つ戦法に、ここでは源氏はまんまと嵌められたことになります。

ところが平家は、ここでは海上に避難しただけで、敵を包囲殲滅するという水軍のセオリーとも呼べる戦いをしていません。
ということは、平家は前日の後白河上皇からの指示に、ちゃんと従ったということになります。

なるほど千名ばかりの損失を出していますが、10万のうちの、それは1%の損失です。
奇襲攻撃を受けながら、1%の損失で海上避難が成功したということは、平家の海上避難は成功したということができます。

この点、屋島の戦いでは、平家の側は、見事に海上に避難しています。
「返せ!」と陸から叫ぶ源氏に対し、扇の的を出して、これを源氏の側の那須与一が射落としたというのは有名な話です。

こうして、いよいよ、物語の舞台は壇ノ浦の戦いへとシフトします。

この壇ノ浦の戦いを見ると、これまたおもしろいことがわかります。
水軍の戦いのセオリーとしては、壇ノ浦の狭隘部である門司岬(幅650メートル)に敵を誘い込み、その狭隘部に密集した敵に矢をさかんに射込んで、敵を包囲殲滅する、というのが水軍のセオリーです。
まして開戦時間は、潮の流れが源氏にとっては逆流ですから、船速も出ない。
平家の側からすれば、馴れない船に乗った源氏は、格好の標的であったのです。

ところがこの戦いを見ると、平家は、その狭隘部である門司岬で敵を迎え撃つのではなく、そこから扇状に広がった広い海の上で、敵を待ち受け、これを討っています。
これはつまり平家には、源氏を包囲殲滅する意図がない(戦う意志がない)ということで、単に源氏を追い払おうとしたにすぎない、ということがわかります。

その戦いが長引き、ついに潮の流れが変わって、今度は源氏が平家を襲う流れになったわけですが、ここで不思議なことが起きています。
それは、大型の母船に乗った安徳天皇以下、平家の公達一門が、なぜか逃げずに入水自殺している、ということです。

あくまでも船なのです。
しかも潮の流れは、源氏側から平家側へと流れていたのです。
源氏の船は小舟。
平家の母船は大型船。
船速は断然大型船の方が速い。

従って、戦況不利となれば、安徳天皇を奉じた平家は、さっさと関門海峡を後にして、日本海側に逃げれば良かったのです。
日本海側に出れば、対馬海流に乗って、何もしなくても船は敦賀湾に到着します。
そこから山越えをして京の都に入って、上皇を平家の側に拘束すれば、この段階で平家の勝利が確定します。

ところが平家は、そこで船足を利用して逃げるのではなく、海の藻屑となって入水するという道を選択しているのです。

生きる可能性があるのに、十分に逃げることも、再起を図ることもできたのに、死を選ぶ。
これは実に不思議な行動です。

ところが、ここに不思議なことがあるのです。

平家と言えば、平家納経にあるように、宮島の厳島神社を尊崇したことで有名です。
その厳島神社の御祭神は、宗像三女神です。
宗像三女神は、素盞嗚命(すさのをのみこと)の娘で、海の守り神です。
そしてその本拠は、博多の横の宗像市にある宗像大社です。

源平合戦の壇ノ浦の戦いが行われたのが1185年。
そのおよそ100年後にあたる1281年に起きたのが、弘安の役、つまり元寇です。

この弘安の役では、およそ55万の元の大軍が、日本に差し向けられています。
なかでも主力の江南軍は、軍船だけで4400隻。およそ14万の兵力で、上海から東シナ海を横断して日本の博多に押し寄せています。
迎え撃つのは、およそ6万の鎌倉御家人。
しかもその鎌倉御家人たちは、ほぼ全員が博多湾に集中していました。

両軍は博多湾で激突し、最期には神風が吹いて元の大軍は敗退しています。

さて、ここに不思議なことがあるのです。
東シナ海を横断できるほどの船団を持った元の軍は、どうして、その軍船を博多湾だけに集中させたのでしょうか。

むしろ、元から見た敵が博多湾に集中しているのなら、軍船を二手に分けて、ひとつが日本海側を敦賀湾にまで向かわせて、そこから陸路で京の都に攻め込む。
もうひとつは壇ノ浦を抜けて瀬戸内に入り、瀬戸内海を横断して大阪湾から京の都を目指す・・・というのが、戦いのセオリーといえるのではないでしょうか。

船がある、ということは、それだけ足が速いのです。
博多湾での戦いは、高麗軍5万に任せておけば良い。
京の都を急襲すれば、戦いは、元の勝利です。

ところが、不思議なことに、元の軍隊は、まさに日本海側と、壇ノ浦を越えようとするのだけれど、なぜかわざわざ引き返して、博多湾に集結しているのです。
これは、まったく意味不明な行動です。

理由を説明するとすれば、ただひとつ。
宗像三神に率いられた、かつて壇ノ浦に沈んだ平家の軍団が、まさにネクロマンサーとなって元の軍船の行く手を、
「これより先は通さぬ!」
と、さえぎった・・・・。
それ以外に、考えられない(説明がつかない)のです。

そんなバカなと思われるようでしたら、逆に元が55万、4500隻もの大軍で日本に攻め込みながら、なぜ漫然と、それだけの兵力を博多湾だけに集中させたのか。
どうして敦賀湾や、壇ノ浦を経由して瀬戸内から大阪湾への侵攻を試みなかったのか。
その合理的な根拠を示していただきたいと思います。
論理的な整合性がないのなら、それは再現性を持たない歴史認識、つまり誤認的歴史見解にすぎないということになります。

厳島神社は、平家ゆかりの神社です。
いま、海上に浮かぶ大鳥居は修復中ですが、その神殿もまた海に浮かぶ神殿です。
いまもなお、厳島神社には、平家の一門が眠ります。
その厳島神社に参拝するにあたり、厳島神社を尊崇した平家一門が、壇ノ浦以東に元の大軍が進むことを、ネクロマンサーとなって断固拒んだ。
そういうことを知って参拝するのと、何も知らずにただ美しい景色の神社だと参拝するのとでは、いまや神様となられた平家一門の受け止め方が違うと思います。

我々日本人にとって、神とは我々日本人にとっての、共通のご先祖を意味します。
そして神々のお計らいというのは、我々人間には、すぐにはわからない。
何十年も先、もしくは何百年、ときに千年以上経過して、はじめてそのときの理由(わけ)がわかる。
そういうものなのだと思います。

逆に、いま世間に高く評価されているものは、そのほぼすべてが、20年も経ったらメッキが剥がれ、100年もしたら人々から忘れ去られてしまう。
その一方で、いまこの瞬間に誠実を尽くしたものは、いまは何の評価も得なかったとしても、何十年か後に、本当にありがたいと言われるようになる。
だからこそ、我々の祖先は、日々を誠実に生きてきたのだし、だからこそ、お亡くなりになられたあと、イエの、ムラの、そしてクニの守り神となって後世の私達を守ってくださっているのだと思います。
神社参拝などは、そうすることで神となられたご祖先たちへの神恩感謝の場であろうと思います。
これは信仰とか、そういうことではなくて、縄文以来の我が国の伝統です。
私達は、そういうまごころの上に築かれた日本に生かされています。

千年後の未来には、私達もまた千年後の日本人にとっての八百万の神々のうちのひと柱です。
そのときに、何の感謝もされない霊(ひ)になるのか。
それとも、いまを真剣に誠実に生きることで、ありがたいと思っていただける霊(ひ)になるのか。
生き方は、それぞれの考え方次第です。

けれど自分は、すこしでも先人たちの大きな愛に応える自分になっていきたいと思います。
生かされていることに感謝です。


お読みいただき、ありがとうございました。
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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
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『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
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