堀内豊秋海軍大佐物語



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言えることは、我が国では、事実がそのまま国民の誇りになるということです。
ここが、事実を捏造しなければ歴史を語ることができない国と違うところです。

堀内豊秋海軍大佐
20210612 堀内豊秋
画像出所=https://ameblo.jp/jtkh72tkr2co11tk317co/entry-12237189582.html
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小名木善行です。

「世界三大体操」といえば、ドイツ体操、スウェーデン体操、デンマーク体操。
このなかのデンマーク体操を、日本にとりいれたのが、熊本出身の堀内豊秋氏(ほりうち とよあき、1900年~1948年)海軍大佐です。

堀内豊秋海軍大佐は、第二次世界大戦後に「B級戦犯」として「処刑」された人です。
「処刑」の理由は、「オランダ兵を公衆の面前で侮辱した」というものでした。
享年47歳でした。

そんな堀内海軍大佐のために、1994年、インドネシアのメナドに、地元の人たちの尽力によって堀内豊秋海軍大佐の慰霊碑が建立されました。

慰霊碑は、メナドの知事や市長が中心となって建立したもので、インドネシアの独立50周年を祝して、堀内大佐の慰霊を兼ねて建立されたといいます。

でも、その堀内海軍大佐が、メナドにいた期間は、わずか3ヶ月だけです。
わずか3ヶ月で、その人柄と仁政がメナドの人に強い影響を与え、いまなお尊敬を集めているのです。

メナド知事の言葉です。
「堀内大佐は、落下傘降下したときに、
 オランダ兵を公衆の面前で侮辱したという理由で逮捕され、
 メナド市内の刑務所に拘留、
 最後は刑務所の向こうにある林で処刑されました。
 遺体はそばの墓地に埋葬されました。
 後に遺骨は掘り返され日本に帰りました。
 私たちは、その墓地でずっと
 堀内大佐の慰霊祭を行って来ましたが、
 こんな状態では堀内大佐に申し訳ないということで、
 このたび慰霊碑を建立し、
 慰霊祭を催すことにしました」

堀内海軍大佐は落下傘部隊の指揮官でした。
そして彼にもその部下にも、オランダ兵を公衆の面前で侮辱という事実はありません。
しかし堀内海軍大佐は、その理由で部下12人が戦犯として囚われていることを知り、自分の証言で救えるならと考えて、巣鴨刑務所に出頭したのです。
そしてインドネシアに送還され、有罪とされ、刑場では目隠しを断って潔く散って逝きました。



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堀内海軍大佐を知る現地の人々は耳を疑ったと言います。
占領下の住民から残留嘆願されるほど慕われた誠実な人物だったからです。

堀内海軍大佐は、世界で初めて、落下傘部隊をもって、オランダ軍基地を攻略。
激戦の末、わずか数日でオランダ軍を降伏させた人です。

そして戦いのあと、彼は、現地住民を非常に大切にしました。
現地人と邦人の差別をせず、平等に取り扱い善政を敷いたのです。
このため、住民の対日感情が非常によくなったのです。

さらにこのとき、オランダのインドネシア傭兵捕虜も、直ちに釈放しています。

ですからいまでも、彼の善政のおかげで、どこの村落にいっても
「ニッポン インドネシアサマサマ(平等)」
「ホリウチタイチョウ ジョウトウ」
「ニッポンジョウトウ」
といって親指を上に向け歓迎してくれます。

日本がインドネシアに侵攻したとき、インドネシアには、医者が7万人に一人しかいませんでした。(宮元静雄氏元ジャワ派遣軍作戦参謀談 「日本の心を語る34人」明成社刊p221 元南方特別留学生でもある元バハリン・ヤヒヤ氏 インドネシア外務大臣との対談にて)。
そのような当時の状況の中で、堀内大佐は、現地住民から無料巡回をしてほしいという要請に応えて、「責任は俺がとるから」と、先任軍医による無料巡回診療を続け、現地住民の人々に感謝されてもいます。

堀内海軍大佐とその部隊がバリ島に移動するとき、落下傘の降下地区のガラビランとラングアン地区の住民数百人が、別れを惜しみ六十キロの道を歩いてメナドまでホリウチ部隊を見送りしてくれたという史実もあります。

送りにきた郡長、村長、その他の村人たちが、堀内大佐との最後のお別れに近寄つてきたのです。
大佐の白手袋の手を握る六尺のモゴットの郡長は、堪えきれなくなって司令に抱きつき、男泣きをしたそうです。
泣きはらして目を赤くした少女が、打ったようにしゃくりあげながら司令の前で腰を二つに折って挨拶したといいます。

三十人ほどの若者がかたまって、「司令殿がいなくなって、ランゴアンの私たちは寂しくてしかたがない」との趣旨の「堀内司令を讃える歌」を、涙を流しなから歌いました。

大佐はこのとき、目を赤く濡らしながら、

「別れるということは、実に辛いものですね」
「五十のおやじに泣かれるのには実際参る。本当に嘘がないですからね」
と、言われたそうです。

いよいよ司令も乗船する。

優しい勇将堀内中佐の目は、高僧の目のごとく澄んで濡れていたそうです。
大佐は、鼻水をハンカチでかみながら、ランチのほうへ歩き出されました。

堀内大佐の人間性を感じさせてくれる文章があります。
久保田義麿元国立国会図書館館長が、昭和45年6月27日付け「週刊新潮」の掲示板コーナーに寄稿した文章です。

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着任して驚いたのは、半年ほと前に進攻し、
すでに移動していた堀内海車中佐の落下傘部隊が、
原住民に深い愛情をもって語られていることでした。

堀内さんといえば例の海軍体操の発案者。
その後、念願の会見をしたときには、
「罰を厳しくするよりは、
 罪を犯させない配慮がなにより」
ということを話ってくれたものです。

腰布ひとつの島の女たちに胸を覆う布を配布し、
日本兵との事故を防いだのもそのひとつとか。
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堀内大佐はあるとき部下の非をとがめ、こっぴどく叱りとばした後、その非は自分の不徳の致すところ、責めの一半は自分にもあると深く反省し、以後自らを戒める誓いの印として、通訳を通じて、廈門の南西に浮かぶ小島コロンスの洞窟内に下記のような文字を彫ったそうです。

「以責人之心責己、
 以怒己之心怒人」
(人を責むる心をもって己を責め、
 己を許す心をもって人を許す)

堀内大佐の落下傘部隊の隊員だった坂田喜作氏は語ります。
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昭和17年1月11日、
いよいよ今日は降下する初陣の日だ。
敵情不明で相当の抵抗も覚悟し、
とにかく軽装触で敵陣に降りるという緊張は
私だけではないと思いつつ機中の人となる。
私の搭乗したのは司令と同じ一番機、
一機に12名ずつ28機の編隊である。
機中の人となってから暫くの間
誰一人口をきく者もなかった。

今この機中にいる落下傘の戦友は何を考え、
何を思っているのだろう。

私は勝利を願い、
自分の傘をしっかりと抱えているだけだった。

すると前方より、一個のリンゴを
一人一口ずつかじり、
順番に後方にと回ってきた。
そのリソゴは司令が回したものだった。

そのリンゴが一回りすると、
次第に機内の緊張した空気もとけて、
無言のうちに、隊員を信じ期待してくれている司令に、
何も想い残すこともなく「よーし、いよいよやるぞ」という
堅い決意がどの顔にも満ち温れた。
司令に命を捧げた無心の顔に、
会心の微笑みが浮かび話し声が出はじめた。

勝利への乾杯ならぬ、
リンゴの食べ回し乾杯で肝っ玉が座ったのだ。

隣を飛んでいる二番機、三番機はと窓から見ると、
同じょうに窓からこちらを見て、
手を振ったり、大きく口を開いて話しかけたりしている。
実に不思議な程にさわやかな機中であった。

部隊がメナド飛行場に降下して、
とても言葉では表現できない程の
敵味方の凄絶な激戦の後、
敵飛行場を占領した。

そしてその夜は付近の田圃の中にあった一軒の民家に入り、
通信隊の一部と本部附の人、
そして司令とで、
その日の戦闘状況等報告することにして、
その準備をしていると、
敵兵を一人捕虜にしたという報告が入った。

その夜は、その捕虜を拘禁し翌日よく調べてみると、
その捕虜は、そこの住民であることがわかった。

すると司令は、早速その捕虜になった農民に、
「お前達住民の仲間で
 私達落下傘部隊に協力してくれる人がいたら、
 私達の所に連れて来てくれないか」
と言って、貴重な塩を与えて帰してやった。

すると、その住民は、その後、十数人の住民を連れて来て、
我々が占領した飛行場の整備等を
一生懸命手伝ってくれるようになった。

これがきっかけで、住民に驚く程の速さで宣撫が行き届き、
飛行場に降下してより、
一ケ月後には、住民達と一諸に演芸会を開いて共に楽しむ程になった。

常日頃司令は、女子供には手を出すな、
弱い者いじめをするな、
と隊員に言っていたので、
宣撫工作も徹底し、
益々住民達に慕われる司令であった。
---------------------------------

堀内大佐は、戦争裁判で、処刑されました。

戦争裁判とはいっても、英米担当の裁判と異なり、オランダや中国の戦争責任追及は、理不尽とも言うべき不正がまかり通り、欺証人に依り事実を歪曲した証言や弁護人抜きの即決裁判など別に何ら珍しくもなかった。

日本軍がメナド攻撃をしたとき、そくさくと逃げ出して後に降伏して捕虜になったオランダ軍の守備隊長がいます。
この男は、終戦後、急に居丈高になり、自分達と違って現地で慕われていた堀内海軍大佐に報復感をいだき、卑怯にも自ら裁判官になりました。
この卑劣なオランダ人裁判長により、堀内大佐は非公開裁判で銃殺刑に処されました。

こんな証言もあります。

「私は裁判長から、堀内大佐を弁護するとあなたのためによくないよ、といわれ、判決日を俟たずに帰国させられました」
(昭和20年代後半名古屋大学の学生だった堀内大佐の遺児堀内一誠氏が東京都内に住む堀内大佐の弁護人だった井手諦一郎氏を訪ねた時の井手氏の証言)つまり裁判長自ら弁護人を脅迫し、強制送還していた。

「とても弁護できるような状態ではなかった。
 充分な審理がおこなわれず、
 法廷が開かれた回数も極端に少なかった。
 いきなり判決が下されたような状態だった。
 弁護人として発言の余地がなかったので、
 私は、自分が何のために来たのかわからないと、
 裁判長を問いつめた。
 裁判長は一瞬詰まった様子だったが、
『それは、被告が日本国民であるからだ』と答えた。
 これほど露骨な報復感情を込めた言い方はない。
 はじめから裁判の形をなしていなかったのだ」
(昭和29年にたずねた緒方健一郎氏に対して井手氏の言葉)
 
堀内大佐の死刑は、インドネシアのメナドで、オランダ軍の手によって行われました。
オランダ軍にも、人はいます。
堀内大佐の人柄に心打たれたオランダ軍の死刑執行部隊は、死刑執行に際して、特に儀杖兵を配して軍人に対する最高の敬意を表したといいます。
それは、彼らのおなじオランダ人裁判官に対するささやかな抵抗であり、軍人としての誇りでもあったのです。

堀内大佐は、死刑に際して、眼隠しを拒んでいます。

【辞世】

神そ知る罪なき罪に果つるとも
生き残るらむ大和魂

白菊の香を残し死出の旅
つはものの後我は追ふなり


「B、C級戦犯の合祀は問題だ!」
「靖国神社の存在自体が問題だ!」
「日本の戦争は全て侵略戦争だ!」
という人たちがいます。

その一方で、長い間、日本人を祀ってくれている、インドネシアやその他の国の人たちがいます。
正しい史実や、日本人の立派な行いを学校で教えず、「感謝」すらしていない日本人。
日本と戦った事実などどこにもないのに、日本と戦った英雄気取りの中(共)人や、半島人。
世界はさまざまです。

ただ、言えることは、我が国では、事実がそのまま国民の誇りになるということです。
ここが、事実を捏造しなければ歴史を語ることができない国と違うところです。

私達の祖先は、
旧石器の十二万年前から、一万七千年前に始まる縄文時代そして、
弥生時代、古代大和朝廷の時代、奈良平安の時代、武士の時代等々
長い歳月を、この日本列島ですごしてきました。

長い歳月の間には、絶滅の危機に瀕するような大災害も経験しました。
寿命も、ほんの百年前までは、平均寿命が四十五歳くらい。
縄文時代には二十四〜五歳だったといいます。

そんな短い人生のなかにあっても私達の祖先は、いつの時代も、
子や孫や、子々孫々の幸せを願って、
できることに生涯をつくしてきました。

だからそんな日本人の根底にあるのは、いつの時代も感謝と真面目さです。

熊本出身の堀内豊秋海軍大佐も、熊本藩の様々な経緯があっても、なお、薩摩閥といわれる陸軍のなかにあって、燦然と輝くまごころを尽くされました。
それは、誰のためでもない。
後世の私達日本人の誇りのためであったということができようかと思います。

私達もまた、子や孫や、子々孫々の幸せを願い、そのためにいまできることを誠実に真面目に感謝の気持ちをもって、これからも生きていきたいと思います。



※この記事は2009年6月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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