大和心とポーランド孤児



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「20世紀の初め、孤児が日本政府によって救われました。
 シベリアにいたポーランドの子供は、
 さまざまな劣悪な条件にありました。
 その恐ろしいところから日本に連れて行き、
 その後、祖国に送り届けてくれました。
 親切にしてくれたことを忘れません。
 (合唱団は)私たちの感謝に満ちた思いを運んでくれるでしょう。
 日本のみなさん、ありがとう」

ポーランド孤児1



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小名木善行です。

平成7年(1995)の阪神淡路大震災の翌年のことです。
ポーランドに震災で親を亡くした日本の子供たち30名が招待されました。それも、3週間という長い期間です。
招待された子供達は、ポーランド各地で大歓待を受けました。

この旅行のとき、ひとりの日本人少年は、片時もリュックを背から離さないでいたそうです。
世話をしたポーランド夫人が少年に理由を聞くと、「震災で一瞬のうちに親も兄弟も亡くした、家も丸焼けになってしまったのだ」といいます。
少年は、焼け跡から見つかった家族の遺品をリュックにつめていたのです。
夫人は、不憫(ふびん)で涙が止まらなかったそうです。

ポーランドでの最終日、震災孤児が帰国するお別れパーティに、4人のポーランドの老人がやってきました。
4人とも、かつてシベリア孤児だった方です。すでにご高齢で、歩行もままならない。
それでも老人たちは、
「75年前の自分たちを思い出させる
 可哀想な日本の子どもたちがポーランドに来たからには、
 是非、彼らにシベリア孤児救済の話を聞かせたい」
という思いで、やってこられました。

そして4人は、涙ながらにバラの花を、震災孤児一人一人に手渡しました。
会場は万雷の拍手に包まれました。

その75年前・・・なにがあったのでしょうか。

その昔、ポーランドは、帝政ロシアの支配下におかれていました。
ポーランドという国は、もともとスラブ系の人々が築いた国です。
ポーランドという国名も、もともとは「ポラン(平原)」からきた名前で、これが「ポーランド」になって「平原の人々」という意味が語源となっています。

一方、ロシアは、語源が「漕ぐ人」です。
スラブ系の人々が住むロシア地方に、あるときバイキング族がやってきて、あたりを平定し、そこに王朝を築きました。
つまり、帝政ロシアは、バイキングたちによる征服王朝です。
ロシア王朝では、そのため代々地元の人々(スラブ人)たちとの交流も婚姻もゆるされていませんでした。
言語も違う。
風俗習慣も違う。

その帝政ロシアが、スラブ系のポーランドを支配したわけです。
ポーランド人たちは、あくまで独立を図ろうとして抵抗しました。
そしてその中心となった愛国者たちは、家族ごとシベリアに強制流刑されました。

大正8(1919)年、ポーランドは、ロシアから独立しました。
このとき、ロシアはロシア革命の最中、つまり内戦状態にありました。
シベリアにはこのとき十数万のポーランド人がいたのですが、内乱によって、ただでさえ乏しかった食料の供給が止まり、彼らはたいへんな飢餓と疫病の中で、苦しい生活を余儀なくされていたのです。



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彼らは、もともと祖国の独立を果たそうと運動していた愛国者たちです。
たいへんに知的レベルの高い人たちです。
けれど、凍土と滞る食料配給のために、多くの愛国識者たちが、病や飢えに倒れてしまったのです。

問題は、その愛国識者たちの子供達です。
親を失った子供たちは、より一層、悲惨な状態に置かれてしまっていました。

「せめて、せめてこの子供達だけでも生きて祖国に送り届けたい」

大正8(1919)年9月、ウラジオストク在住のポーランド人たちは、「ポーランド救済委員会」を組織し、子供達をなんとかして祖国に送り返そうとしました。
けれどお金がない。
会員を募り資金をカンパを呼びかけるけれど、子供達を飢えから救い、祖国に送り返すだけの資金に至らないのです。

翌、大正9(1920)年の春になると、ポーランドと、新しくできたソ連との間に戦争が始まります。
孤児たちをシベリア鉄道で送り返すことは、これで完全に不可能となってしまいます。

そこでポーランド救済委員会のメンバーは、欧米諸国に、子供達を救いたいと援助を求めました。
けれど、ポーランドの孤児たちを支援することは、軍事大国となったソ連を敵に回すことになります。
ソ連との関わりを避けたい欧州の諸国は、ことごとく救済委員会の申し出をしりぞけていました。
シベリアにいるポーランドの孤児たちは、ヨーロッパ国々からも、見捨てられてしまったのです。

救済委員会のメンバーは、窮余の一策として、日本政府に援助を要請しました。
救済委員会会長のビエルキエヴィッチ女史は、満州にいた日本軍の協力を得て、大正9(1920)年6月に来日します。
そして外務省を訪れ、シベリア孤児の惨状を訴え、援助を懇請しました。

この頃の日本は、独立間もないポーランドとは、まだ外交官の交換もしていない状態です。
外交官の交換をしていないということは、国家として未承認ということで、そんな未承認国家の、流刑者の子供達に支援の手を差し伸べるなど、普通ならありえないことです。

しかし女史の嘆願は、外務省を通じて日本赤十字社にもたらされ、わずか17日後には、日赤はシベリア孤児の救済事業を行なうことを決定したのです。

日赤の救済活動は、シベリア出兵中の帝国陸軍の支援を得て、決定からわずか2週間後には動き出しました。
その日、56名の孤児第一陣が、ウラジオストクを発って、敦賀経由で東京に到着したのです。

それから、翌、大正10(1921)年7月までに、都合5回にわけて、ポーランド孤児375名が来日しました。
さらに大正11(1922)年夏には、第2次救済事業として3回にわけ、390名の孤児が来日しました。

合計765名のポーランド孤児たちは、日本で病気の治療や静養をした後、第一陣はアメリカ経由で、第2陣は日本船により直接に、祖国ポーランドに送り返されました。

この孤児たちの来日にあたっては、「習慣や言葉が違う孤児たちを世話するには、ポーランド人の付添人をつけのがよい」ということから、日赤は孤児10名に1人の割合で、合計65人のポーランド人の大人を一緒に日本に招くという手厚い配慮までしています。

ポーランド孤児2


当時日本に到着したポーランド孤児たちの回想です。
「ウラジオストックから敦賀に到着すると、
 衣服はすべて熱湯消毒されました。
 そのあと支給された浴衣の袖に、
 飴や菓子類をたっぷ入れてもらいました。
 とっても感激しました。
 特別に痩せていた女の子は、
 日本人のお医者さんが心配して、
 毎日一錠飲むようにと特別に栄養剤をくれました。
 その栄養剤が大変おいしかったので、
 一晩で仲間に全部食べられてしまって悔しかったです。」

到着したポーランド孤児たちは、日本国民の多大な関心と同情を集めました。
この孤児たちのためにと、日本では、無料で歯科治療や理髪を申し出る人たちもいました。
学生の音楽隊も、慰問に来てくれました。
仏教婦人会や慈善協会は、子供達を慰安会に招待してくれました。

他にも個人で慰問品を持ち寄る人々、寄贈金を申し出る人々が後をたちませんでした。

ある日のことです。
腸チフスにかかっていた子供を、ある日本人の若い看護婦さんが、必死に看病してくれました。
けれどその看護婦さんは、チフスが伝染し、殉職してしまわれました。

そんな事件があったのだけれど、人々の好意は、それでも尚、あとをたちませんでした。

大正10(1921)年4月6日には、赤十字活動を熱心に後援されてきた貞明皇后陛下(大正天皇のお后)も、日赤本社病院で孤児たちを親しく接見されました。
皇后陛下は、可憐な3歳の女の子のギエノヴェファ・ボグダノヴィッチをお傍に召され、その頭を幾度も撫でながら、健やかに育つように、とおっしゃられました。

こうして、日本の手厚い保護により、到着時には顔面蒼白で見るも哀れに痩せこけていたシベリア孤児たちは、急速に元気を取り戻しました。

日本出発前には各自に洋服が新調されました。
さらに航海中の寒さも考慮されて、全員に毛糸のチョッキが支給されました。
さらに多くの人々が、子供達に衣類やおもちゃの贈り物をしてくれました。

横浜港から祖国へ向けて出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、乗船することを泣いて嫌がったといいます。

埠頭の孤児たちは「アリガトウ」を繰り返し、泣きながら「君が代」を斉唱し、幼い感謝の気持ちを表しました。

神戸港からの出発では、児童一人ひとりにバナナと記念の菓子が配られ、大勢の見送人たちは、子供たちの幸せを祈りながら、涙ながらに船が見えなくなるまで手を振っています。


子どもたちを故国に送り届けた日本船の船長は、毎晩、ベッドを見て回り、1人ひとり毛布を首まで掛けては、子供たちの頭を撫で、熱が出ていないかどうかを確かめていたそうです。
その手の温かさが忘れられない、と一人の孤児が回想しています。

こうして祖国に戻った孤児たちの中に「イエジ・ストシャウコフスキ」という少年がいました。
彼は、17歳の青年となった昭和3(1928)年、シベリア孤児の組織「極東青年会」を組織し、自ら会長に就任します。
彼の会は順調に拡大発展し、国内9都市に支部が設けられ1930年代後半の最盛期には、極東青年会の会員数は640名を数えます。

昭和14(1939)年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻の報に接すると、イエジ青年は、極東青年会幹部を緊急招集し、レジスタンス運動参加を決定しました。
彼の組織には、シベリア孤児のほか、彼らが面倒を見てきた孤児たち、さらには今回の戦禍で親を失った戦災孤児たちが参加し、やがて1万数千名を数える巨大レジスタンス組織になります。

彼は、ワルシャワを拠点として地下活動を展開したのですが、当然、これにナチスドイツが目をつけます。
ある日、イエジが隠れみのとして使っていた孤児院に、多数のドイツ兵が押し入ってきて強制捜査を始めたのです。

このとき、急報を受けて駆けつけたのが日本大使館の書記官でした。
日本人書記官は、武装したナチスの兵士たちを前に、「この孤児院は日本帝国大使館が保護している」と強調しました。
そして、孤児院院長を兼ねていたイエジ青年に向かって、
「君たちこのドイツ人たちに、日本の歌を聞かせてやってくれないか」と言います。

イエジたちは、日本語で「君が代」や「愛国行進曲」などを大合唱しました。
ドイツ兵たちは呆気にとられ、
「大変失礼しました」といって直ちに引き上げ、イエジ青年たちは一命をとりとめています。

当時、日本とドイツは三国同盟下にあり、ナチスといえども日本大使館には一目も二目も置かざるを得ない。
日本大使館は、この三国同盟を最大限に活用して、イエジ青年たちを幾度となく庇護したのです。


平成7(1995)年10月、ポーランド大使を務めていた兵藤長雄氏は、阪神淡路大震災の日本人孤児たちの前に、8名の元ポーランド孤児だった老婆を公邸に招待しました。
全員が80歳以上のご高齢です。
一人のご婦人は体の衰弱が激しく、お孫さんに付き添われてやっとのことで公邸にたどりつきました。

そのご婦人のお話です。
「私は生きている間に
 もう一度日本に行くことが
 生涯の夢でした。
 そして日本の方々に
 直接お礼を言いたかった。
 しかしもうそれは叶えられません。
 だけど大使から公邸にお招きいただいたと聞いたとき、
 這ってでも、這ってでも
 伺いたいと思いました。
 なぜって、
 ここは小さな日本の領土だって聞いたからです。
 今日、日本の方に私の長年の感謝の気持ちをお伝えできれば、
 もう思い残すことはありません」

老婆たちは70年以上昔の日本での出来事を、細かなところまでよく覚えておいででした。
別の一人の老婆は、日本の絵はがきを貼ったアルバムと、見知らぬ日本人から送られた扇を、いまでも肌身離さずに持っていると、みんなに見せてくれました。

同様に日本を離れる際に送られた布でできた帽子、聖母マリア像の描かれたお守り札など、それぞれが大切な宝物として、いまも大切にたいせつに持っているものを、互いに見せあいました。

ポーランド極東委員会の当時の副会長ヤクブケヴィッチ氏は、「ポーランド国民の感激、われらは日本の恩を忘れない」と題した礼状の中で次のように述べています。
「日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。
 日本はわがポーランドとは全く異なる
 地球の反対側に存在する国である。
 しかもわが不運なるポーランドの児童に
 かくも深く同情を寄せ、
 心より憐憫の情を表わしてくれた以上、
 われわれポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。

 われわれの児童たちを
 しばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、
 孤児たちの服装の惨めなのを見て、
 自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、
 髪に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までもとって
 ポーランドの子供たちに与えようとした。
 こんなことは一度や二度ではない。
 しばしばあった。・・・

 ポーランド国民もまた高尚な国民であるが故に、
 われわれは何時までも
 恩を忘れない国民であることを
 日本人に告げたい。
 日本人がポーランドの児童のために尽くしてくれたことは、
 ポーランドはもとより
 米国でも広く知られている。

 ここに、ポーランド国民は日本に対し、
 最も深い尊敬、
 最も深い感銘、
 最も深い感恩、
 最も温かき友情、愛情を持っていることをお伝えしたい。」

平成11(1999)年8月、ポーランドから「ジェチ・プオツク少年少女舞踊合唱団」が来日しました。
合唱団はヘンリク・サドスキさん(88)からの次のようなメッセージを携えてきました。

「20世紀の初め、孤児が日本政府によって救われました。
 シベリアにいたポーランドの子供は、
 さまざまな劣悪な条件にありました。
 その恐ろしいところから日本に連れて行き、
 その後、祖国に送り届けてくれました。
 親切にしてくれたことを忘れません。
 (合唱団は)私たちの感謝に満ちた思いを運んでくれるでしょう。
 日本のみなさん、ありがとう」

さんざん日本に世話になっていながら、日本人が復員を始めた終戦時、日本人から略奪・殺人・強姦をほしいままにしておいて、それを抗日戦線だったなどとうそぶくバカな国もあれば、日本の恩を忘れず、いまも互いの良心を大切にするポーランドのような国もあります。

わたしたち日本人がどちらの国とつき合うかは、私たち日本人自身が、これから先、どちらの心を持った日本人になりたいかによるのではないでしょうか。


※この記事は、2009年6月7日の記事をリニューアルして再掲したものです。
記事には、国際派日本人養成講座「地球史探訪: 大和心とポーランド魂」を参照させていただいています。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm


お読みいただき、ありがとうございました。
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執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
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