恥は一時、志は一生



◆次回倭塾は6月26日(土)開催です。
13時30分講義開始、場所は東京江東区の富岡八幡宮婚儀殿です。
https://www.facebook.com/events/469516267509745

◆◆ニュース◆◆
新刊『日本建国史』発売中。
https://amzn.to/2LuOGgX

Amazonベストセラー1位(古代日本史)


股くぐりくらい、なんでもない。
日本男児にとって、
「恥は一時、志は一生」なのです。

20210615 韓信の股くぐり
画像出所=https://www.kosakaweb.jp/columns/detail.php?id=408&cid=39
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)



人気ブログランキング
応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

我が国で古来、広く知られたチャイナの故事に「韓信(かんしん)の股くぐり」という逸話があります。
鎌倉以降の武士の時代に、広く知られた物語です。

韓信というのは、後に前漢の太祖である劉邦の元で数々の戦いに勝利した大将軍です。
マンガやアニメの『キングダム』がお好きな方であれば、秦の末期から漢が興る時代におけるアニメの王騎大将軍が、まだ若い、一兵士だった頃と想像していただくとイメージがわくかもしれません。
とにかく、その強さは猛虎の如しと言われた、強くたくましい大将軍に、後になった人です。

そんな若き日の韓信が、ある日、町を歩いていたときのことです。
町のヤクザものが数名、韓信に難癖を付けてきました。

「おい!そこの大柄なてめえ。
 てめえはいつも剣を帯びているが、
 実際には体がでかいだけの臆病者だろう。
 どうだ!
 言われて悔しかったら、
 その剣で俺を刺してみやがれ!
 なに?!できねえってか?。
 だったら俺の股をくぐりやがれ!」

明らかな挑発です。
何ごとだろうと、騒ぎに大勢の人がまわりを取り囲んみました。
誰もが固唾(かたず)を飲んで見守る中、
韓信は腰の剣を横に置くと、黙って若者の股をくぐりました。
周囲にいた者たちは、大柄な韓信を「腰抜け」と笑いました。

けれど韓信は、こう言ったそうです。
「恥は一時、
 志は一生。
 ここでこいつを斬り殺しても
 何の得にもならない。
 それどころか仇持ち云々と騒ぎになるだけだ」


 最新刊
 
この出来事は「韓信の股くぐり」として、戦国時代の日本では、知らない人はいないと言われるくらい、広く知られ、日本の武士の心得とされた物語です。

武士は何より名誉を重んじます。
名誉のために命をも賭けます。
けれど、
「恥は一時、志は一生」
なのです。

何のために日頃から剣や弓や馬術や体術を鍛え、何のために戦うのか。
それは武士の発生の原点に基づきます。

武士は、もともとは新田の開墾百姓です。
奈良時代の聖武天皇の御世に出された墾田永年私財法によって、新田を拓き、その土地を一所懸命に守り抜く。
そして、その土地で暮らす人々が、豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくことに命を賭けるのが武士です。
武士の棟梁である将軍は、その土地の私有を認めてくれる大親分であり、だからこそその御恩に報いて、戦いをします。
これを奉公と言います。

江戸時代、武士が街のやくざ者に絡まれると、武士は黙って頭を下げたといいます。
ただし、武士を本気で怒らせたら、刀を抜くだけでなく、命を捨ててそのやくざ者を斬り殺しました。
そして自分もその場で、人を斬った責任を果たすために、腹を切りました。

武士が刀を抜くということは、それだけの重みがあることであったのです。
だから韓信の、
「恥は一時、志は一生」
は、武士の心得となりました。

社会の上層部における常識は、その社会における常識となっていきます。
一般の農家においても、あるいは町人の間においても、この韓信の股くぐりからくる「恥は一時、志は一生」は、日本の常識となっています。

そうした社会常識を持つ社会において、おおいに誤解されているのが、江戸時代初期に実在した「踏み絵」です。
キリスト教の布教を禁じた幕府によって、キリシタンかどうかを識別する道具として「踏み絵」が行われた。
「踏み絵」にはキリスト像や、マリア像が描かれていて、これを踏むことができない者は、バテレン(キリシタン)として改宗のための拷問に付された、というものです。

けれど、すこし常識を働かせて考えていただいたらわかるのですが、命を取るか、絵を踏むことを選ぶかといえば、日本人の常識は、平然と絵を踏むことを選びます。
なぜなら、これもまた韓信の股くぐりだからです。
信仰というものは、心が行うものであって、形式や形ではない。
早い話、その踏み絵が、阿弥陀様や大日如来、あるいは天照大御神の絵柄であったとしても、命か踏むかという選択なら、平然と絵を踏む。
それが日本人です。

要するに踏み絵は、ある種のパフォーマンスとして実在したものであって、逆に合理性を尊ぶ日本社会では、むしろ絵を踏むことを拒否して、拷殺されることを選ぶことは、むしろ不自然な行動となります。

もちろん、イエスズ会の側が、信者に踏み絵を踏むことを拒否させ、信仰に殉じた信者を誇大に宣伝することで、幕府の横暴を訴えたということは、あったといえます。
しかし、そうした考え方は、本当に信者たちの幸せを願うならば、本来、あってはならないことです。

そういえば先日ある会で
「日本ではなぜ日本でキリスト教が根付かないのでしょうか」
というご質問をいただきました。

イエズス会の布教によって、戦国時代にキリスト教に改宗した人の数は、日本の人口の1%内外であったといわれています。
このことは、戦後にGHQがさかんに日本でキリスト教を布教しようとしたときにも、キリスト教に改宗した人は、やはり1%前後であったといわれていますから、日本人の精神性は、昔も今も変わらないということがいえます。

ちなみにチャイナでは、キリスト教の伝道師は、ものすごい成果をあげることができたといいます。
これはラルフ・タウンゼントの『暗黒大陸中国の真実』に詳しいのだけれど、日本に来た宣教師たちは、なかなか日本人がキリスト教に改宗しないため、成果があがらない。
一方、チャイナに派遣された宣教師たちは、ものすごい人数の信者を短期間に集めることができた。
このため多くの派遣された宣教師たちが日本を憎み、その一方でチャイナを愛した、といったことが書かれています。

チャイナで信者を集めることは簡単で、ただ教会で毎日無料でパンを配れば、チャイニーズたちは列をなしてやってくるし、それどころか、その日からキリスト教に簡単に改宗してしまう。
ところが、パンがもらえないとなると、その日のうちにキリスト教を辞めてしまう。
実は彼らは、ただパンが欲しいだけであって、信仰をする気など微塵もないのである、とタウンゼントは書いています。

これに対し、日本では、なかなかキリスト教に改宗しようと言う人が生まれない。
ところが、です。
日本では、実はキリスト教は、おおいに普及しています。

たとえば、クリスマスのお祝いや、プレゼント、あるいは「きよしこの夜」を歌ったりすることは、日本人なら、誰でも行います。
だいぶ以前ですが、知り合いのお寺のご住職が、ずいぶんと若い美人さんと結婚しました。
お寺の住職ですから、当然結婚式も仏式で行うのだろうと思っていたら、びっくり。
結婚式場に設置されている教会で、神父さんを呼び、新郎は白のタキシード、新婦も白のウエディングドレスでの結婚式でした(笑)

要するに日本人は、キリスト教を拒否しているどころか、おおいにキリスト教を社会に取り入れているわけで、決して拒否しているわけではないということができます。

このことは、仏教においても同じで、仏教では死んだら極楽に逝くと説きますが、神道では死者の魂は神となってイエ・ムラ・クニの守り神となるとされます。
両者の考え方はまったく異なるのですが、なぜか日本では神仏習合で、神様と仏様は普通に共存しています。

もっと言うなら、現代日本では、神仏習合どころか神仏基(基は基督教(きりすときょう)のこと)習合なのであって、そのことに疑問を持つ日本人はほとんどいません。

なぜこのようなことが可能になるのかというと、日本古来の神道が、「道」であって、「教え」ではないことによります。
受験に例えるなら、大学合格までの「道」があります。
その道を歩むにあたり、受験生は、良い教師に付いたり、よい教材を教わったりして、より確実な合格を目指して努力するわけです。
神道(かんながらの道)もこれと同じで、縄文以来、我々は神様になるために生まれてきたのだから、そのために必要な良い教えであれば、仏教であれ道教であれ、ヒンズー教であれ、キリスト教であれ儒教や易経であれ、良いと思われる「教え」は、なんでも採り入れる。

つまり、日本人の目的意識は、よりよく生きることにあるのであって、教えそのものが目的ではないというところに、日本的思考、もしくは日本的価値観の特徴があるわけです。

こうした文化的土壌の背景には、やはり神話が大きな影響を及ぼしていると思われます。
日本書紀によれば、イザナギとイザナミがこの世界を作ったのは、「豈国(あにくに)」つまり、「よろこびあふれる楽しい国」を作ろうとしたのだと書かれています。

よろこびあふれる楽しいクニ、よろこびあふれる楽しい社会、よろこびあふれる楽しい人生。
そうしたものを実現するために、良いと思う教えは、なんでも採り入れる。
目的がそこにあるのですから、キリスト教を学んでいる人であっても、「踏み絵」を踏まなければころすぞと言われれれば、何の迷いも躊躇もなく、これを踏む。
それが日本人のしたたかさであり、強さの根源であるといえると思います。

まして、股くぐりくらい、なんでもない。
日本男児にとって、「恥は一時、志は一生」なのです。


お読みいただき、ありがとうございました。
YOUTUBE 日本の心をつたえる会チャンネル


人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、メールでお申し出ください。
nezu3344@gmail.com

 最新刊
 

《塾・講演等の日程》
どなたでもご参加いただけます。
第82回倭塾 4月17日(土)13時〜 富岡八幡宮婚儀殿
第83回倭塾 5月23日(日)13:30〜 富岡八幡宮婚儀殿
第84回倭塾 6月26日(土)13:30〜 富岡八幡宮婚儀殿
第85回倭塾 7月17日(土)13:30〜 富岡八幡宮婚儀殿
靖国神社昇殿参拝 8月14日(土)14:00 靖国神社参集殿
第86回倭塾 9月18日(土)13:30〜 富岡八幡宮婚儀殿



20200401 日本書紀
◆ニュース◆
最新刊『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』2020/9/19発売。
『[復刻版]初等科国語 [高学年版]』絶賛発売中!!
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』絶賛発売中!!
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』絶賛発売中。


『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!


             
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんの学ぼう日本の最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

こちらもオススメ

コメント

非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567

スポンサードリンク

カレンダー

08 | 2021/09 | 10
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク