日本的責任と、他国の責任



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罰則があるから、人を殺したり盗んだりしたらいけないのではありません。
刑法という罰則規定があろうがなかろうが、いけないことはいけないのだし、もし、不幸にしていけない事態になってしまったのなら、お上の手をわずらわせることなく、みずから従容(しょうよう)としてその代償を支払う。
つまり、責任は人から求められるものではなくて、自分で感じるもの。
それが、大昔からの、日本の文化です。

20210605 責任
画像出所=https://illust8.com/contents/8116
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

民事上の責任とか、刑事上の責任といった言葉があります。
法律用語としての責任は、行為の結果に対する応答のことで、借りた金を返さなければ、裁判上の手続きで民事責任を問われるし、人のものを盗めば、国家によって刑法上の責任を問われることになります。

そうすると、何やら責任というのは、あたかも国や警察や裁判所から要求されてはじめて生まれるものであるかのような錯覚が起こりますが、実は、もともとの意味は異なります。

たとえば漢字で書いた「責任」は、トゲを刺して貝、つまり金を取るという意味の「責」と、人が糸に巻きつけたもの、つまり持続するものを意味する「任」からできた熟語です。
そこから、持続的に金、つまり代償を支払うことを責任と言います。

英語ではレスポンシビリティで、レスポンスというのは「応答」のことを言いますから、一定の行為があって、これに対する応答として、責任が生じるという考え方になります。

けれど、このような説明を聞いても、多くの日本人には、責任の意味がピンときません。
なぜなら日本では、責任というのは他人から要求されてはじめて生まれるものではなく、みずからが自覚し、感じ取るものである、という自覚があるからです。

そしてこのことは、神話の昔から、我が国の常識とされてきたことです。

日本神話に、有名な天の岩戸の逸話があります。
素戔鳴尊(すさのをのみこと)が高天原で大暴れをし、天照大御神が岩戸にお隠れになられるという神話です。
ここで日本書紀は、天照大御神が
「たいへんに発慍(おこ)られて、
 天石窟(あめのいわや)に入られると、
 磐戸(いわと)を閉ざして
 そのなかに幽(こも)られてしまわれた」
《原文:由此發慍乃入于天石窟 閉磐戸而幽居焉》
と書いています。

実はここに重大な表現があります。
それが、
「発慍(おこ)る」
という表現です。



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普通、怒ることは「怒」の字を使います。
この字は、女性が目を三角にして、怒髪天を抜く勢いで怒り狂う様子の象形です。

ところが日本書紀は「慍(おこ)る」(音読みは「ウン」)を用いています。
「慍」という字は、皿の上に囚(とらえ)られた心(忄)で、表面上はおだやかそうで、むしろ微笑みをたたえていながら、内側でたいへんにお怒りになられてるような様子を意味します。

物語の流れとこの漢字の使い分けが、なにを意味しているのかというと、天照大御神は、八百万の神々を激しく叱り飛ばすのではなく、ただ黙って岩戸にお隠れになられたのだ、ということです。

これだけではわかりにくいと思いますので、流れをざっと説明します。

話の発端は、素戔鳴尊(すさのをのみこと)が父のイザナギ大神から、「お前は海原をしらせ」と命令されていながら、それをせず、毎日、母が恋しいと泣いてばかりいたわけです。
そこで父から、海原を追放された素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、母のいる根堅州国(ねのかたすくに)に向かおうとしますが、その前にと、父大神の許可を得て、高天原にいる姉の天照大御神を尋ねるのです。

ところがいざ高天原に着いてみると、姉が武装し、高天原の兵を従えて素戔鳴尊(すさのをのみこと)を待ち受けています。
そこで素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、自分がただ姉に挨拶にきただけであることを説明し、なお自分が嘘を言っていないことを誓約(うけひ)という占法で証明しようとします。

結果は、見事に素戔鳴尊(すさのをのみこと)が嘘を言っていないと証明されるのですが、なぜか姉の天照大御神は、その誓約(うけひ)の結果を真逆に、つまり素戔鳴尊(すさのをのみこと)が嘘を言っていると入れ替えてしまいます。

ここまできて、素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、姉がなぜそのようなことをするのかを理解します。
そもそも高天原に脅威が迫ったとき、その脅威に応答するのは、最高神であられる天照大御神のお役目なのでしょうか。
たまたま今回は、危害を及ぼす意図のない素戔鳴尊(すさのをのみこと)の来訪であったから良かったようなものの、もしこれが、それこそ悪鬼羅刹のような悪意を持った者であったのなら、そしてまた、万が一にも、そのために天照大御神に万一のことがあったのなら、いったいその責任は誰がどのように取るというのでしょうか。

つまり本来であれば、高天原に脅威が迫ったのなら、その対応は八百万の神々が、みずから主体的に行うべきものなのです。

では、それをしないからといって、天照大御神が八百万の神々のなかの代表者、たとえば思兼神に対して、「なってないじゃありませんか!」と怒りをあらわにされたら、どうなるのでしょうか。
最高神の逆鱗に触れたとなれば、叱られた方は、もはや生きていることはできなくなるであろうし、また他の神々も、直接叱られた神を、もはや信頼しなくなるであろうことは目に見えています。

なんだかんだ言って、素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、天照大御神の実弟の、三貴神のなかの一柱です。
「なるほど、そういうことか!」と、姉の思いに気付いた素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、高天原に逗留し、そこで八百万の神々が耕す田んぼの畦(あぜ)を切ったり、畑に播(ま)いた種を、その上から二重に種を播いたりして、八百万の神々の日常に危害を及ぼします。
要するに、「お前たち、みずからの意思で立ち上がれ!」というわけです。

ところがこの段階で八百万の神々がしたことは何かというと、
「天照大御神さまぁ、
 スサノヲ様が暴れていますから、
 なんとかしてください!」
と、ぜんぜんわかっていない。

そこで素戔鳴尊(すさのをのみこと)が、暴れることをエスカレートさせると、ついに、機織り用の梭(ひ)で、天照大御神さまがお怪我をされてしまわれるのです。
古事記では、機織りの織女が死んだことになっているところですが、古事記、日本書紀に共通しているのは、ここで怪我のもとになったものが機織り用の梭(ひ)であるという点です。

機織り用の梭(ひ)というのは、布を作る際に横糸を通すための道具であって、角が取れていて、材質も軽くて柔らかく、滅多なことで人が怪我をするような道具ではありません。
要するに安全な道具でしかないわけで、その安全な道具が、凶器に変わってしまったわけです。

ここは非常に象徴的な描き方をしているところです。
世の中が乱れると、安全なものまで危険な凶器になってしまう。
人々が安全に安心して暮らすための法律が、悪を助長するものになってしまう。
これはたいへんなことなのです。

ことここに至って天照大御神は、弟の素戔鳴尊(すさのをのみこと)に、
「もうよい。
 あとはわらわが行いましょう」
とばかり、誰一人、八百万の神々を叱ることなく、岩戸におこもりになられるのです。

天照大御神は太陽神です。
ですから天照大御神がお隠れになられるということは、この世が闇に閉ざされてしまうということを意味します。
夜ばかりが続いて太陽の光が当たらなければ、農作物も育ちません。
そうれなれば、誰もが飢えて死んでしまいます。

こと、ここに至って、はじめて八百万の神々は、
「自分たちが主体的に事態の解決に当たらなければならない」
と自覚します。

これが責任です。

自分たちの田んぼの畦(あぜ)が壊され、種を二重に播かれて困ったのなら、その事態の解決は、被害にあった自分たちの自治で行う。

天照大御神に叱られて行うのではなく、自分たちの意思で事態の解決を図る。
その自覚が生まれたから、天照大御神は、それを「良し」として、岩戸からお出ましになられるのです。

天手力男命が、力づくで天照大御神を岩戸から引っ張り出したのではありません。
天照大御神は最高神なのです。
天照大御神が、岩戸からお出ましになられることを拒否なされたのなら、天手力男命ごとき、鎧袖一触で地の果てまで吹き飛ばしてしまわれています。

こうした一連の物語から、我が国の神話は、
「責任というものは、
 誰かに問われてはじめて発生するものではなく、
 みずからが主体的に感じ取り
 その責任を果たしていくもの」
ということを、後世に教えてくれています。

この記事の冒頭で、民事や刑事事犯に関する責任が、あたかも国や警察や裁判所から要求されてはじめて生まれるものであるかのように捉えることは、錯覚である、というようなことを書かせていただきました。
法学では、もちろん、そういう理解です。

我が国が最初に設けた法制度が、701年の大宝律令です。
「律」は刑法、「令」は民法を意味しますが、我が国では、結局のところ、「令」は早い段階で完成しましたが、「律(刑法)」については、結局1907年に西洋の法制度に倣う形で刑法が制定されるまで、なんと1200年以上にわたって、我が国は刑法を法制度化することができなかった、という歴史を持ちます。

上の文をお読みいただいた方は、それがどうして1200年以上、刑法の制定ができなかったかがおわかりいただけたことと思います。
古来我が国では、神話の昔から、責任は、本人が自覚するものであって、他が強制するものではない、という根本原理が働いていたのです。

人は、罰則があるから、人を殺したり盗んだりしたらいけないのではありません。
刑法という罰則規定があろうがなかろうが、いけないことはいけないのだし、もし、不幸にしていけない事態になってしまったのなら、お上の手をわずらわせることなく、みずから従容(しょうよう)としてその代償を支払う。

責任というのは、自分が取るものであって、人がとやかく言うものではないという原則。
それが、大昔からの、日本の文化です。

そしてこのことがわかれば、現下の野党諸君が、「やれ総理の責任が云々」とか、戦場にもいず、何の責任も負わない現代人が、東条英機首相等の戦争責任を問うとか、他人の責任ばかりを問い、自己責任はいっこうにお構いなしというのは、責任の履き違えであって、民度の低い、日本の文化ではない、品位のない他国の文化にほかならないということが理解できるようになります。


お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント

かぶきもの

学があるんやね。

枠チンはしたくなーい。

あるしゅかまってちゃんだよね、、見る気なんねーよ。

 先生、削除なり、、、。

  いつも、ブログやら、、、拝見しています。

さすがに、昔のおばちゃん、300kgは、、、。 

 でも、なんか元気になる 、thnksalot..

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できるべき
> 英語ではレスポンシビリティで、レスポンスというのは「応答」のことを言いますから、一定の行為があって、これに対する応答として、責任が生じるという考え方になります。

「responsibility」は「response」に接尾辞「-able」が付いた「responsibe」が原型といえます。「-able」や「ability」は「~出来る」「出来ること=能力」と訳されるので、レスポンシビリティを「反応できる能力」と理解したくなるところですが、接尾辞 -ableは「…されることができる(受身+可能)」を元の意味として、「…するに適した、…する価値がある(能動+可能)」「…されるべきである(受身+当然)」「…しやすい(傾向)」の拡張的意味があり、「responsibility」の場合は「されるべきである」のニュアンスを強く帯びていて、「反応すべき義務」「対応するべき責任」という意味になります。

「response」の語源とされるラテン語の「respondere」も、re(返す)にspondere(約束する)が結合したもので、「約束を返す」「契約の義務を履行する」と理解されます。なので「事前の約束、役割、期待に応える」の意味がでてくるわけです。もちろん、「行為に対する責任」――例えば「人を殺した責任」のような場合にも使うでしょうが。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
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出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
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