源義経チンギス・ハーン説と学問の自由



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歴史学は、ただ考古学的、あるいは文献史学的に明らかになった事実だけを扱う学問分野ではありません。
歴史学は、そうして明らかになった事実をつないで、ひとつの論理的かつ客観的、そして再現可能性が極大になる歴史ストーリーを組み立てる学問です。
そういう視点から、筆者は個人的に源義経ジンギスカン説を支持しています(笑)

源義経とチンギス・ハーン
年齢は違いますが、顔の特徴(ヒゲの生え方、眼光、耳の形など)が似ているような・・・
着物、右前だし・・・



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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

全国の神社などにある能楽堂。
その能楽堂を見ますと、必ず壁に描かれているのが、松と笹です。

松は、切り立った岩場のような過酷な場所にも生息し、また冬の深い雪の中にあっても、緑の葉を散らせません。そして笹は、どんなに強い台風のような大風が来ても、風にそよぐばかりで、決して倒れたり折れたりしません。
細身でありながらも、しっかりとした茎(くき)に、節(ふし)を持ち、しなやかに、しなって決して折れません。

ですから笹は、源氏の紋章です。
これを「源氏笹(げんじざさ)」と言います。
その笹はイネ科の植物で、その生息北限はおおむね北緯40度くらいまでで、寒帯に属する北方遊牧民の生活圏には生えません。

ところがその寒帯にあって、「源氏笹を王の紋章」にした遊牧民のボスがいました。
それがチンギス・ハーンです。
不思議なことに、チンギス・ハーンは、中東商人の質問に答えて、出身地は「ニロンのキョト村」と答えたという記録があります。

チンギス・ハーンが、源義経ではないかという説を唱えたのは、有名なシーボルトです。理由は、義経が死んだとされる1189年(文治5年)以降、チンギス・ハーンが突然、歴史の舞台に躍り出ていること。
また、チンギス・ハーンが得意としていた長弓は中国やモンゴルにそれまで存在しなかった日本独特の武器であること。

また、大正時代に大ベストセラーになった小谷部全一郎著の『成吉思汗ハ源義経也』によると、
チンギス・ハーンの別名が「クロー」であり、これは義経の官職であった「九郎判官」に似ていること。
モンゴル帝国の「元」は「源」と同じ音であること。
蒙古は猛虎と同じ音であること。
「ハーン」という称号自体が、日本語の「○○の守(かみ)」と音が似ていること。(カミがカーンになり、ハーンとも発音された)
チンギス・ハーンが1206年に大王に即位したとき、九本の白旗が掲げられたこと(白旗は源氏の旗、九本は、九郎判官を表している可能性がある)
などがあげられています。


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このことは昭和初期まで、モンゴルの人たちにも、ものすごく歓迎された説でしたが、いまではまったく歓迎されなくなりました。
というのは、モンゴルでは、いまでも「強いものが偉い」という伝統的価値観があり、戦前の日本は強かったから、自分たちの祖先の成した大帝国が日本人の源義経であったということが歓迎された、戦後の日本は、ひらたくいえば「腰抜け」だから、自分たちの祖先が日本人であったとは言われたくない!というわけです。

時代を考えると、なるほど義経がチンギス・ハーンとなったという可能性は、否定しきれないところがあります。

義経は、もともと奥州平泉の藤原一族と懇意にしていました。
源平合戦以前は、奥州藤原氏にかくまわれていたし、源平合戦のあと、兄の源頼朝から追われるようになったときも、やはり奥州平泉の藤原一族のもとでかくまわれています。

この奥州藤原氏というのは、陸奥国(いまの岩手県)の平泉を中心に、当時の東北地方一帯に勢力を張った藤原北家の支流の豪族で、陸奥国に至ってから奥州安倍氏の娘を娶って、奥州全域を支配下に置くようになった一族です。
そしてこの時代、奥州地方では、金《GOLD》がいくらでも採れ、その金《GOLD》を用いて、さかんに日本海を経由して大陸との交易をしていました。

ちなみに、この交易を中東の側で積極的に行っていたのがオスマン家の一族で、オスマンは、この対日交易で巨額の黄金を手に入れ、元の大帝国がペストによって崩壊したあと、オスマンは地中海に侵攻し、地中海交易の利権の一切を独占するようになります。
これが悔しくて、ヨーロッパではギリシャ・ローマ時代の誇りを取り戻そうと、ルネッサンス運動が起こり、また地中海を追い出されたスペインやポルトガル商人たちがアフリカやアジアに進出して、大航海時代がはじまっています。

話を戻すと、要するに奥州藤原三代の栄華というのは、東北地方で産出した金《GOLD》と、その金《GOLD》を用いた大陸との交易によってもたらされていたわけです。

その奥州藤原氏の居城である平泉にやってきた源義経のもとには、当時、近隣の娘を持った村人たちの親娘が、毎日列をなしていたといいます。

これは、昔からの伝統で、高貴な霊(ひ)を持つ御魂を娘に授かれば、一族に高貴な霊(ひ)が授かることになると考えられていたわけで、また奥州藤原氏にとっても、清和天皇の直系である清和源氏の棟梁の霊(ひ)を、東北地方一帯の豪族たちの娘に授ければ、みんなが親戚となるし、みんなが親戚となれば、同じ東北内での争いがなくなるわけです。

このため義経は、毎日、腰が抜けるほど精を絞られたのだそうで、まったくご苦労さまとしか言いようがなかったといえるのですが、おもしろいことにこのやり方、つまり血族となることによって、部族間の紛争を未然に押さえるという、いわば戦略は、モンゴルの大帝国の、そのままお家芸となっています。
しかもこの風習、それまでの遊牧民にはなかった、というから、これまた不思議です。

チンギス・ハーンの後宮には、世界中からやってきた美女たちが常時500人、チンギス・ハーンの種をもらうために順番待ちしていたといいますが、これは平泉で起きていたことと同じで、九郎判官(くろうほうがん)は、まさに「ごクロウなコウガンであったわけです。

くりかえしますが、これはモンゴル側が強制して女性たちを拉致(いまの中狂のようなやり方)したのではありません。
むしろ諸王国の側が、積極的に王家の娘にハーンの種をもらおうとしたのです。
そうすることで、モンゴルとの血縁関係を結び、自国の安全保障とした、ということです。

ちなみにこのため、チンギス・ハーンが亡くなった20年後、チンギス・ハーンの直接血をひく子や孫の数は、その時点でおよそ2万人いたそうです。(どんだけ励んだのか!?)
そしていま、全世界にチンギス・ハーンの直系の血を引く人は、130万人に及ぶのだそうです。

さて、源頼朝に追われることになった源義経は、平泉の六角堂で、六角堂もろとも焼けて遺体も残らなかったとされています。
けれど、少し考えたらわかることですが、当時の木材を燃やすだけの火力で、「遺体の骨も残らない」ほどの焼却力など、あり得ようはずもありません。

また不思議なことに、この戦いで奥州藤原氏もまた滅ぼされてしまうのですが、奥州藤原氏がこのときまでに蓄えていたはずの莫大な金塊が発見されていません(鎌倉方に押収されていない)。
普通に考えて、鎌倉方が大軍を従えて平泉までやってくるというのに、軍事の専門家である義経が、ただ指をくわえて、鎌倉方の到着を待ち、そのまま少数で戦って破れて死んだ、と考える方が異常です。

義経という人物は、きわめて目的型の男で、戦いに勝つことに対する執念は、一の谷の合戦や、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いで見事に証明されています。
とにかく勝つためには、ありとあらゆる手段を使う。
その義経が、鎌倉方がやってくると知っていて、何もしないで、ただ殺されるのを待っていたというのは、これはもう、考えられないことです。

奥州藤原の一族にしても、鎌倉方がやってくるとわかっているし、鎌倉方に、ただ義経を引き渡せばことが済むと考えていたとは、これまた考えられませんん。
なにしろ、世界を震撼させることができるほどの、金塊を持っているのです。
むしろ、鎌倉方がやってくれば、皆殺しにされて金塊を奪われるのではないかと考えるほうが普通です。

そうであれば、手勢を残して鎌倉方に抵抗させ、戦(いくさ)の専門家である義経を担いで、黄金と軍団の両方を持って、大陸に逃れたほうが、はるかに判断が合理的であり、自然です。

そしてもし、義経が莫大な量の黄金と、戦慣れした強大な武力集団を率いて大陸に上陸したならば、金と武力、そして当時東京龍源府と呼ばれたいまのウラジオストクいた情報通の商人たちを従えているのです。

「金と武力と情報」の三つは、そのまま権力の三要素です。
しかも半端ない莫大な黄金、当時の東亜にあって最強といえる武装集団、アジア全域に至る交易情報(つまり地域情報)の三つを義経は得たわけです。
これで、遊牧民の生息地域一帯を、短期間に征圧できなかったら、悪いけれど、義経はよほどのバカです。

以上申し上げたことは、すべて状況証拠であって、そうだと特定した事実を書いた当時の文献史料はありません。
ですから、源義経が生きていてチンギス・ハーンになったということは、事実かもしれないし、そうではないかもしれない。

けれど、こうしていろいろと情報を集めて、自分なりに分析することこそ、実社会で求められる才覚であり、知恵であり、ビジネスにおける最大の要素でもあります。
固定的で頑迷な石頭では、実社会では自滅するだけです。

歴史学は、ただ考古学的、あるいは文献史学的に明らかになった事実だけを扱う学問分野ではありません。
歴史学は、そうして明らかになった事実をつないで、ひとつの論理的かつ客観的、そして再現可能性が極大になる歴史ストーリーを組み立てる学問です。

事実は、
1 奥州藤原氏は大量の黄金を手にしていた。
2 源義経は平泉で死んだと記録には書いてある。
というだけです。

様々な説がありますが、なかでも義経ジンギスカン説は、筆者にはたいへんに説得力があるように思えます。
いやあ、歴史って、ほんとうに楽しいですね。


お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント

ガク

史実は小説よりも・・
出口王仁三郎さんは、義経は北海道を経た北方ルートで大陸に渡った、と言ってますね。
アフガニスタンで最後亡くなったとか。

Kaminari

わが意を得たり
まさにその通りだと思います。
奥州藤原氏の馬術の師範はモンゴル人であったと記録にもあります。また吾妻鏡にも鎌倉幕府の目付が大陸に逃げた義経の死を確認に行っているような記載があったように思います。元からの使者に対する幕府の対応にも不審な点があります。この話をすると大いにバカにされます。宮脇淳子先生にもこの質問した所、あり得ないと即答された記憶があります(笑)なので小名木さんのような方に仰って頂くと大変心強いです。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

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