陰謀論とかDSとか、被害者になりたい意見が目立つ昨今ですが、いま日本は、目先の欲望ではなく、人々の愛によってもたらされる豊かで平和な社会という、夢のようなことを現実にする新たな変化が起こりつつあります。どんなときにも朗らかに希望を持って生きること。ゆるぎない確信を持って前にすすむこと。未来はそこからはじめて開かれていくのだと思います。負け犬になってはだめです。 |

画像出所=http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/jomon/souki.html
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
昔は結婚が早くて、だいたい17歳くらいで最初の子が生まれたりしていました。
残念なことに、その子が幼児のうちに亡くなるということが多くあったため、はっきりとした跡継ぎが生まれるのが、だいたい平均したら20歳くらいであったといわれています。
すると、100歳まで生きたら5世代を見ることになります。
自分(100歳)
子 ( 80歳)
孫 ( 60歳)(まご)
曾孫( 40歳)(ひまご)
玄孫( 20歳)(やしゃご)
来孫( 0歳)(きしゃご)
です。ひとつの可能性として、ここまでを見ることができる可能性がある、ということです。
もう少し言うと、120歳まで長生きしたら、七世代目にあたる崑孫(こんそん)を見ることができるかもしれません。
逆に、この七世代というのを、上に向かって観ていくと、次のようになります。
初代 自分(0歳)
先代 父 (20歳)
3代 祖父(40歳)
4代 曾祖父(60歳)
5代 高祖父(80歳)
6代 高祖父の父(100歳)
7代 高祖父の祖父(120歳)
祖父から孫までが100年。
その孫がお爺ちゃん、お婆ちゃんになるまでが200年。
幕末にペリーがやってきたのが1853年で、いまから168年前のことです。
戊辰戦争で白虎隊が自決したのが1868年で、わずか149年前です。
幕末から近代史の時代は、いまの私たちからすると、現代日本や現代世界とは、全然違った、まるで全近代的な古い大昔のことのように思えるかもしれませんが、いまの70歳代の人達からすれば、父や祖父が、まさにその時代を生きて実体験していた、ついこの間の出来事であるわけです。
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手塚治虫は、幕末を生きた祖父の生涯を『陽だまりの樹』というマンガにしました。
すこし田舎の方に行くと、いまでも旧家があって、「我が家は戦国時代の何々の戦いで活躍し・・・」といった話が、祖先の言い伝えとして残っていたりします。
古事記は、高祖父の祖父の時代くらいまで、つまり幕末頃から現代にいたる歴史を「下つ巻」とし、その前の500年、つまり私たちの感覚でいったら、室町から戦国、江戸時代くらいまでの出来事の伝承を「中つ巻」、それ以前の古い時代を「上つ巻」としています。
その「上つ巻」に書かれているのが「神話」ですが、その「神話」という用語は、幕末に、英語の「MYTH」を訳した翻訳語であり、造語です。
では、神話という言葉ができる前までの日本で、いまでいう神話のことを何と呼んでいたのかというと、「神語(かむかたり)」です。
「神語」というのは、我々のご先祖を、ずっとカミの方にさかのぼっていくと、おおむね700年で、すべての世帯が親戚関係になります。
つまり、田中家とか高橋家の祖先の物語といえるは、せいぜい500年前くらいまでのことで、それ以上に古い歴史の話になると、すべての家系にとっての「共通のご祖先の物語」になります。
これを「上語(かみかたり)」もしくは「神語(かむかたり)」と呼んだのです。
西洋における神話は、ギリシャ神話がアポロンの神々の物語であって、我々人類とは異なる神と呼ばれる一族の物語となっています。
これに対して我が国の神語は、我々にとっての血のつながった祖先の物語とされてきたわけです。
戦前戦中までは、そうした神話については、我が国の正史である日本書紀をベースに教育がなされてきたのですが、戦後はGHQによって日本書紀に基づく神話教育が禁止されました。
そこで戦後、心ある人たちによって、日本書紀がだめなら古事記があるさ、とばかり推奨されてきたのが、古事記の神話です。
古事記にせよ、日本書紀にせよ、これらは7世紀の末に編纂されたものとされています。(古事記については異説あり)。
なぜ、我が国が、この時期に史書の編纂をしたかというと、そこには明快な理由があります。
その理由とは、
「チャイナに隋、あるいは唐という巨大な軍事国家が成立したことにより、
我が国が稲作を通じてひとつの国家を形成しようとした」
ことにあります。
それまで豪族たちのゆるやかな集合体であった日本を、外圧を前に、ひとつの統一国家にしようとした。
この場合、選択は2つです。
ひとつは、制服と征圧による軍事的統合、
もうひとつは、歴史と文化の共有による文化的統合
我が国が選んだのは、後者でした。
そしてこのことにより、我が国は、世界屈指の、教育と文化による、きわめて精神性の気高い国家を形成することに成功しました。
そして19世紀、ペリーが来航することによって、我が国は二度目の大改革を行い、国を欧米列強に負けない強靭な国家にするという選択がなされました。
改革というのは、一朝一夕でなしうるものではありません。
7世紀の改革にしても、西暦600年の第一回遣隋使から、794年に桓武天皇が平安京に都を移すまで、一定の改革の完成をみるまでにおよそ200年の歳月を要しています。
仮にペリーがやってきた嘉永6年(1853年)から、同じく200年の尺をとると、西暦2053年になります。
その意味で、我が国は、いまだ、明治の大改革の延長線上にある・・・つまり明治維新はまだ終わっていない、というのが、筆者の意見です。
すなわち、明治の改革は、これからの30年で、ひとつの帰着を迎える。
世界をリードする、新たな日本が誕生する。
7世紀の改革は、我が国に、世界に類例のない平和と高度な文化性をもたらしました。
19世紀の改革は、そうした我が国が、軍事的、経済的な大国となる道をひらきました。
けれど、世界が望むのは、日本が軍事大国、経済大国になることではないように思います。
世界が望むのは、ごくひとにぎりの大金持ちや政治家の都合で、多くの民衆が虐殺されたり、戦場で命を落としたりする、殺伐とした戦乱の世ではなく、誰もが平和に豊かに、安全に、安心して暮らすことができる社会であり、世界です。
そしてこれを実現した実績は、間違いなく日本にあります。
なにしろ日本は、2万年近い昔から、共存共栄、そして誰もが豊かに安全に安心して暮らせる世の中を希求し続けてきた実績を持つからです。
どんなに世の中が変わっても、決して変わらないもの、失われないものがあります。
それが、人々の愛です。
陰謀論とかDSとか、被害者になりたい意見が目立つ昨今ですが、いま日本は、目先の欲望ではなく、人々の愛によってもたらされる豊かで平和な社会という、夢のようなことを現実にする新たな変化が起こりつつあります。
どんなときにも朗らかに希望を持って生きること。
ゆるぎない確信を持って前にすすむこと。
未来はそこからはじめて開かれていくのだと思います。
負け犬になってはだめです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
湘南童子
繰り広げられる諸々の事象には
並や大抵ならぬ正体が在りと
供養させて頂いて居ります
日本国を始め万国全地域の天命が完うされますように
地球を司る神々様 八百萬の大神たち樣
ありがとうございます
2021/06/23 URL 編集