◆次回倭塾は、明日6月26日(土)開催です。
13時30分講義開始、場所は東京江東区の富岡八幡宮婚儀殿です。
https://www.facebook.com/events/469516267509745「仏の顔も三度まで」といいますが、それは、あくまで仏様だからであって、仏様だから3度目までこらえてくださるのです。 人は間違いをおかすものです。 ですから、1〜2回は我慢する。けれど、三度目はない。仏様より、人間のほうが、1回少ないのです。 |
大魔神

画像出所=https://eiga.com/movie/37658/
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
幕末から明治にかけて日本にやってきた外国人たちに、ある共通認識があったという話になりました。
どういう話かというと、当時の外国人たちは、
「日本人は
どんなに馬鹿にしても、
ニコニコしている。
だがそれは二度までだ。
三度目には
あいつらは日本刀を抜いて
斬りかかってくる」
と語り合っていました。
話の出典は不明ですが、こういう行動が日本人の武士たちの間にあったことは事実です。
よく「仏の顔も三度まで」といいますが、それは、あくまで仏様だからであって、仏様だから3度目までこらえてくださるのです。
ということは、仏様でも「4度目はない」ということです。
人は間違いをおかすものです。
ですから、1〜2回は我慢する。
けれど、三度目はない。
仏様より、人間のほうが、1回少ないよ、というわけです。
このことは実は日本神話に由来しています。
大国主神話の国譲りに際して、話し合いの交渉で、高天原は二度は許しました。
しかし三度目には建御雷神を派遣し、問答無用で中つ国を平定しています。
海彦山彦で有名な山幸彦(やまさちひこ)の神話も同じです。
兄の海幸彦(うみさちひこ)に謝罪をする際に、弟の山幸彦は、一度目は腰に佩(は)いている十拳剣(とつかのつるぎ)をつぶして5百本の釣り針を献上して許しを乞い、二度目には千本の釣り針を献上して許しを乞いました。
しかし三度目には、呪(しゅ)を込めた釣り針一本だけを後ろ手に渡して、兄を海で溺れさせ、経済的にも制裁を加えて徹底的に叩きのめしています。
日本人は、基本的に和を大切にします。
少々馬鹿にされようと小突かれようと、ニコニコ笑って、できるだけ波風が立ったり紛争になったりすることを避けます。
こちらが我慢してさえすればまるくおさまるのならと、自分に非がなくてもお詫びをしたりして、なんとか紛争を避けようとするのです。
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それに一度目なら、誰にだって間違いはあるし、その気がなくて人を傷つけてしまうこともあるし、手違いということもあります。
しかし同じことが二度繰り返されるなら、それは故意である疑いが生じます。
ですから三度目に備えて覚悟を決めるのです。
そして本当に三度目になったら、問答無用で全力で叩きのめす。
それが日本人です。
武士は、町人に馬鹿にされても、二度までは我慢します。
しかし三度目は斬り捨て御免です。
一度や二度で、刀を抜けば、こらえ性がないとして、斬った武士の側が切腹です。
当然です。人の命を奪ったのです。武士ならその責任を取らなければなりません。
腰に佩(は)いた大小二本の刀は、大刀が相手を斬り伏せるためのもの、小刀は責任を取って自分の腹を斬るためのものです。
それが武士の掟(おきて)です。
しかし、その前に二度、同じことがあって我慢していたとわかれば、武士に切腹はありません。
罪を問われることもなく、むしろ斬り伏せたことが当然のこととされ、無罪となりました。
それどころか、むしろ三度馬鹿にされて、それでも刀を抜かなかったとなれば、
「武士でありながら
町民に軽んじられた不心得者であり、
藩の名誉を傷つけた」
として藩からお咎(とが)めを受けました。
お咎めというのは、イコール、切腹です。
ひとりの武士の不名誉は、その武士だけの問題ではなく、藩全体の名誉であり、ひとりの武士の弱腰は、藩全体の威厳を損ねるものとなるからです。
ちなみにこのとき、藩命が下る前に、自ら腹を斬って果てたならば、お家は安泰です。
俸禄(知行地持ちの武士の場合は家督)は、その世帯に支払われましたが、世帯そのものは安泰となります。
けれど、上意によって切腹が命ぜられて、腹を斬ったならば、お家はお取り潰しです。
本人が切腹というだけでなく、妻子も両親も明日から禄も、家も失い、露頭に迷う長屋住まいの浪人者となります。
ちなみに時代劇に、よく辻斬りが登場します。
現実には、ほとんどそのようなことはなかったのですが、もし仮にドラマのように、武士が夜道を歩いていて突然辻斬りに襲われたとします。
このとき亡くなった武士が、それなりに刀を抜いて相手と斬りあっているなら、お咎(とが)めはありません。
しかし、刀に手をかけることもなく斬り殺されたのであれば、その斬り殺された武士の家は、良くて俸禄召し上げ、悪くすればお取り潰し、家族は藩から追放です。
藩から追放されるということは、武士の家は基本、いまでいう社宅で、藩から支給の屋敷に住んでいましたから、明日から住まいもなくなるわけです。
もちろん引っ越しの費用も出ません。
ただ追い出されるだけです。
老若男女を問わずに、です。
それが決まりです。
武士である以上、辻斬りに出会ったならば、相手は悪者なのですから、たとえ及ばずといえども一太刀報いなければならないのです。
それさえも出来なかったということは、武士として不心得であり、腰抜けであり、腰抜けは藩の恥であったのです。
それが武家の掟(おきて)というものでした。
斬られたのが町人ならば話は別です。
脇差も抜かずに一方的に斬られても、それは単に被害者であって、被害者に処分がなされることはありません。
しかし武士はどこまでも武士です。
そもそも秩序を預かる武士が腰抜けでは、ご政道が成り立ちません。
近年の映画やドラマなどの傾向を観ていると、その武士についての履違えがたいへんに目立つものになっています。
あたかも武士は、斬り捨て御免の乱暴者のような描写があったりしますが、大きな間違いです。
武士というのは、「武(たける)」+「士(さむらふ)」で成り立つ呼び名です。
「武(たける)」は「竹る」で、ものごとを真っ直ぐにする働きのことをいいます。
「士(さむらふ)」は、お仕えするという意です。
つまり、ものごとをまっすぐにする、あるいはまっすぐに保つために、お仕えしているのが武士です。
ただ刀を振り回すのが武士ではありません。
「まっすぐにする」ということは、秩序を保つということです。
世の中が人でできあがっている以上、そこには必ず秩序が必要になります。
その秩序を保つのが武士の役割です。
「秩」というのは、「禾偏(のぎへん)+失(うしなう)」で成り立つ字です。
禾偏はたわわに稔った稲穂で、これが手から消える(失われる)、つまり稲(米)をお蔵に順番にきちんと収納してしまう、という意味で、そこから物事の順番を示す言葉となったものです。
大和言葉では、これを「さち」とか「つぐ」と読みます。
つまり物事の順序をきちんと整えることが秩序です。
我が国では、国家最高権威に天皇がおわし、その下に政体としての政治権力が置かれています。
政治とは、「正しきを行い治(しら)しめる」という意味です。
そのために力を用いて監視するのが権力の意味になります。
(権という字は、ミミズクがスズメを見張っていることの象形です)
権力が監視する対象は、天皇の「おほみたから」としての民(たみ)です。
民(たみ)とは、田んぼで働くみんなのことを言います。
つまり、天皇の「おほみたから」である民が、豊かに安心して安全に暮らすことができるように、していくことが権力の役割です。
そのために武士は、秩序を保持し、世の歪みを正します。
世の中の歪みを正すべき武士が、心身ともに歪んでいたら、世の秩序は崩壊します。
ですから武士は、常日頃から、あらゆる面において、まっすぐであることが求められたのです。
日本以外の諸国には、残念ながら天皇という存在がありません。
国家最高の存在は、最高権力者です。
最高権力者を処罰できる、つまり最高権力者に責任を追求できる人はいません(すれば殺される)。
ですから諸外国では、国家最高権力者が「権力を持ちながら、その権力行使に一切の責任を取らなくて良い」という、きわめて摩訶不思議な立場になります。
つまり、国家最高責任者は、同時に国家最高の無責任者となります。
最高に無責任な者を、国家最高の存在にしてしまっていた、というのは、人類社会の大きな矛盾です。
その矛盾が、国家最高権力者をして、常に国家最高の贅沢をする人にしてきました。
国家最高権力者は、民衆が貧困に陥ろうが、ペストで人口の8割が死のうが、自分が贅沢できれば良いのであって、民衆のことは、所詮、他人事でした。
こうなると国家最高権力者は、ただの収奪者として、民衆の恨みを買うことになります。
そこで国家最高の無責任者は、我が身を護るために兵を雇います。
武芸に秀でた強い兵は賃金が高いから、多数を雇うことはできません。
従って、競わせて、その中で一番強い者を雇います。
競う段階で、負けた側は死にますから、以後の賃金がかからなくなります。
最もお金がかからないのが奴隷兵です。
ですから奴隷兵は、数を用意することができます。
そのかわりただの奴隷ですから、性能の良い武器など与えることはありません。
粗製乱造品で十分ということになります。
ですから剣は、形は刀であっても、切れることはなく、単に鉄棒としての重量で敵を骨折させて倒すものでした。
弓矢も、どこに矢が飛んでいくかわからないような粗製乱造品でした。
ですから戦略的にも、弓矢は、まとめてたくさん、まるでウンカのごとく、雨あられと降らせることが戦いの常套となりました。
ちなみに、そうした戦い方をするモンゴルおよび高麗兵と、日本の武士が直接衝突したのが元寇でしたが、このとき、元の側の軍の矢が、ただ闇雲に雨あられと降らせる矢であったのに対し、日本の武士が射る矢は、百発百中で、しかも遠距離を射ることができました。
結果、元軍は、将校を射られ、奴隷兵は命令系統を失って戦意を喪失しました。
話が脱線しましたが、戦後の日本は、我が国の歴史上、はじめて「怒らない国」になりました。
これは当然のことで、終戦後の日本は焼け野原であって、なによりも先ず、雨風を防げる家の再興が社会全体のテーマだったし、その後は、産業復興、経済復興が、社会全体のテーマそのものだったからです。
その意味では、戦後の日本は、社会秩序よりも生活再建、経済再建を優先してきたといえます。
このことは、日本社会に「社会秩序を守らずに利得だけを得る」という、極端な集団をも生むことになりました。
またそうした人たちが、経済的社会的地位を得て、国会に議員まで送るようにもなりました。
けれど、社会を維持するには、必ず秩序が必要です。
その意味で、これからの日本は、社会秩序の再建を、ひとつのテーマとすべきであると思います。
もっとも、その社会秩序が、「社会秩序を守らずに利得だけを得る」人たちにとって有利な秩序、つまり歪んだ秩序であっては、かえって逆効果です。
大切なものはなにか。
それは民衆であり、民衆をこそ「おほみたから」とするところに、我が国の本来の社会秩序があります。
これは日本人の精神性の再建です。
三度、四度と我慢をしてきて、我慢を我慢とさえ思わなかった戦後は、いま終わろうとしています。
ただし、怒るというのは、ただガミガミいうばかりが怒るということではありません。
古くは、同じ「おこる」でも、「怒る」という字と、「慍(おこ)る」という字が使い分けられていたくらいです。
「慍(おこ)る」は、顔は笑っているのに、心で憤然と怒っている状態のことをいいます。
実は噴火も怖いけれど、内側にマグマが渦を巻いている状態は、もっとおそろしいものです。
日本人は、どこかの国の人のように、いつまでも、だらだら、ぐずぐずと噴(おこ)るような真似はしませんが、いったん「慍(おこ)」れば、二度と振り向きません。
これからの日本も、二度までは我慢します。
けれど三度目の我慢はない。
日本は生まれ変るのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
くさ
ご繁栄、ひたすらお慶び。
当然、おわかりです。
よそのチャンネルのこめんとの 99割。
せめてまるごとスルーという選択肢はないのでしょうか。
ここのところパリティが拡大しています。。
2021/06/24 URL 編集