歴史家の立場、啓蒙家の立場



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理系、文系を問わず、実は答えは無限にある。
その無限の答えをもとめて、日々進化させていくのが学問です。
学問は、決まりきった答えのお仕着せではない。
そしてそういう自由な発想から、人の社会は、豊かさが得られていくのであろうと思います。

20210610 トポロジー
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

歴史というのは、事実を元にしたひとつのストーリーのことをいいます。
だから歴史のことを英語で「ヒストリー(History)」といいます。
「History」は、「his story(彼の物語)」から来た言葉です。

ストーリーには、かならず解釈が入ります。
ですから事実と歴史は異なります。
事実はひとつです。
けれど、歴史は幾通りもの解釈が成り立ちます。

まず事実について、先にお話します。
「織田信長は本能寺の変で明智光秀に討たれて死んだ」
というのは事実ではありません。
「織田信長は本能寺の変で明智光秀に討たれて死んだと書いてある文献がある」
ということと、
「21世紀のとなった今日、織田信長は生きていない」という、この2つが事実としてあるだけです。

実際に本能寺の変で亡くなられたのかどうかは、実は「わからない」のです。
けれど、「わからない」と言っていたら、始まらないので、なぜそのように書かれているのかを、いろいろと推理するのです。
そして、数ある推理のなかの、もっとも論理的で再現性が高いであろうと思われるストーリーが、歴史になります。
ただし、このときそのストーリーは、見る人の立場によって、千変万化します。

たとえば先の大戦であれば、日米が戦ったことは事実です。
これを米国の立場からストーリー化すれば、白人社会が持つ植民地という財産を奪いにきた黄禍である日本が、英仏蘭などの諸国を次々と打倒して飲み込んでいくなか、米国民が勇敢に戦って、これを粉砕し、米国民が美女を手に入れたというストーリーになります。
おもしろいもので、このストーリーは、ギリシャ時代のヘロドトスの『ヒストリアイ』とまったく同じ筋書きであり、H.G.ウェルズの古典的SF小説である『宇宙戦争』ともまったく同じストーリーです。

『ヒストリアイ』に書かれた歴史は、
「自分たち白人が、小国に分裂して互いに争っている時に、東洋(アジア)から強大な悪の帝国であるペルシャが襲ってきて、次々と白人国家がやられていった。そのとき、ひとりの英雄が立ち上がり、追い詰められつつあったギリシャの諸国を取りまとめ、強大なペルシャをやっつけて、美女を手に入れて、めでたしめでたし」、というものです。
西欧の歴史は、すべてこのパターンよって形成されます。

このパターンというのは、たとえていえばテレビドラマの、テレビ朝日・木曜ドラマ『ドクターX ~外科医・大門未知子~シリーズ』のようなもので、並み居る大学教授たちが内輪揉めしているところに、特別な重体患者がやってくる。
誰もが逃げ腰になって責任のなすりつけ合いばかりをしている中で、独立系の外科医である大門未知子が、その難関とされる手術を「わたし、失敗しないので!」
と、毎度おなじみの名言を吐いて、片付け、さっそうと病院を去っていく・・・といったようなもので、人は、こうした「毎度おなじみのパターン化されたストーリー」に安心するのです。
逆に、このストーリーから外れると、人々は途端に不安になって、局に苦情が殺到することになります。


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チャイナ史の場合は、すこし異なります。
こちらは司馬遷の『史記』が最初のストーリーとなりました。
そこには、「天命によってできあがった王国は、はじめのうちは善政が敷かれたけれど、皇帝が代替わりするに従って、徐々に皇帝の悪行が目立つようになり、ついに天命が、別な家系に易(か)わって、新たないまある王国になった(これを易姓革命といいます)というのが、パターン化された歴史です。
チャイナでは『史記』のあと、『漢書』『宋書』『晋書』『梁書』『陳書』『周書』『隋書』など、様々な史書が書かれていますが、判で押したように、みな、同じストーリー展開になっています。

せんだって、「妲己と紂王」の物語を紹介しましたが、悪王とされた紂王は、実は紀元前11世紀ごろの殷王朝の最後の皇帝で、前代まで続いていた人身御供を取りやめるなど、どうやら心優しく善政を敷いた王であったことが確認されています。
けれど、どんなに優れた王であり、実際の人物がたいへんな人格者であっても、その人が王朝最後の王であれば、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)の、とんでもない暴君であり、人非人であったとして描写(つまりストーリー化)されます。
なぜならそれがチャイナ式の歴史の、決まりきった、つまりルーチン化されたストーリーのパターンであるからです。

この「同じパターンの繰り返し」のことを、正則表現(せいそくひょうげん)といい、このパターンから外れると、「歴史修正主義者」と罵られることになります。

日本人の場合、小説や物語には、このようなパター化された物語を好む傾向がありますが、歴史に関しては、西洋やチャイナとはまったく異なる傾向があります。
それは、日本が「天然の大災害が多発する国である」という特徴によります。
これから起こるであろう災害に備えるためには、過去の災害が、なぜ、どのようにして起こったのか、なぜあそこの堤防は決壊したのの、こちらの堤防は決壊しなかったのかなど、今後の対策のために必要な情報を、過去の事例から得ようとするのです。

この場合、過去の事実に関する事項に嘘や虚飾があったり、どこぞの国の人達が大好きなファンタジー的要素が交じると、今後の対策に何の役にも立たなくなります。
ですから、日本人は、常に正確さを求めますし、最近では、その証拠のことを「エビデンス(evidence)」と呼んだりします。

ただし、証拠となるものは、この場合、事実だけです。
事実に、ストーリーが混じってしまったら、それは事実でもなければ、証拠でも、エビデンスでもありません。

ここを誤解している人が多く、昨今の日本では、「どこかの教授がそのように解釈しているから、それが正しい」、「誰々がそのように本に書いてあるから、それは根拠のある話だ」等々の議論がなされることが多々あります。
これは、いわば誰かが作ったドラマを、「正しい事実」、「正しい証拠」といっているようなものです。

なぜなら、すでにそこに解釈が入ってしまっている以上、それは事実ではなく、すでにストーリー化された物語でしかないからです。

どこかの堤防が決壊したとします。
事実は、「その堤防が決壊した」ということだけです。
なぜその堤防が決壊したのか、

1 現場を調べたA博士は「堤防建設請負業者の手抜き」と判定した。
2 現場を調べたB博士は「従来の堤防工事の技術の不足」と判定した。
3 現場を調べたC博士は「堤防建設請負業者の手抜きではなく、そこに材料を納品していた業者が意図的に不良品を納品していたためであった」と判定した。
4 現場を調べたD博士は「請負業者も、納品業者もしっかりしていたけれど、工事の作業員が、作業中、監督の見えないところで堤防の基礎に生ゴミを捨てていたために、そこの箇所の堤防の郷土が極端に落ちた」と判定した。
5 現場を調べたE博士は、「業者ではなく、モグラが穴を空けていたためである」と判定した。

大切なことは、「二度と堤防が決壊しないようにする」ということです。
そしてそのためには、過去の堤防の決壊に学び、そこから得られる様々な可能性について、その可能性を、ひとつずつ丁寧につぶしながら、原因を探ることになります。

その結果、様々な意見や判定が出揃ったところで最終的に、E博士の「モグラ説」が採用されとします。
この結果、堤防には、もぐら退治のための様々な施策が取られることになったとします。

ところが、本当の原因は、外国人が、堤防の下に空き地があるからと、勝手に堤防の内側を壊して、そこで畑をいとなみ、作業小屋などを勝手に建てていた。
このためその箇所の堤防の強度に歪みが生じ、そこから堤防が崩れるに至った、ということであったとします。
けれど、犯人が外国人であり、すでに国外逃亡していること、その国との国交上の問題があり、事態がもみ消されたこと、A博士他の学者たちも、それぞれ、畑以外の原因を探るようにと依頼を受けていただけであったために、特段、レポートにそのことを書くというこがなかった・・・・といったケースもあるわけです。

繰り返しますが、事実は「堤防のその箇所が台風のときに決壊した」という、その一点だけです。
それ以外は、たとえそれが、博士と呼ばれる人たちの見解であったとしても、すべてストーリーでしかありません。
そしてそのストーリーが正しいかどうかは、実は神のみぞ知る、なのです。

歴史や古典の解釈などを考えるとき、誰がそのような説を言っているのか、エビデンス(証拠)はあるのか、などと息巻く方がおいでになります。
けれど、ちょっと常識を働かせて考えていただきたいのです。
「事実が、何であるのか」を。

情報化社会では、いろいろな人が、いろいろな説を提唱します。
なかにはトンデモ説と思われるものもあるし、高名な学者の先生が唱える説もある。常識とされている説もあります。
しかし、ここで申し上げたいのは、
「説は、説でしかない」
「説と、事実は異なる」
ということです。

そしてこれまで「事実」と思われていたことは、実は、ことごとく「説」でしかなかった。
しかもその「説」なるものは、実は、とんでもない誤解や曲解をしていた・・・そういうことは多々あるものです。

日本の場合、さらに大きな特徴があります。
それは、事実を正確に記すと誰かに迷惑がかかるという場合、書かれたものは、事実は事実であっても、その描写される筋書きが、まったく別な出来事として書かれる(ストーリー化される)ことがあるということです。
この場合は、たいていの場合、露骨に建前が優先されているので、様々な手がかりから、実際に起きた出来事を、後世の人は「察する」ことができるように記述されます。

この「察する」というのは、日本の文化の根幹で、ここを無視して公式な記録だけを真実と思い込むと、大間違いをすることになります。

たとえば、上の大門未知子のドラマのケースに例えれば、大学側の公式な記録には、手術は、担当教授もしくは助教授が執刀したことになっている(そのように記録されている)わけです。
もし、公式な記録を信じてしまい、重要人物の重大な手術に、それら教授や助教授に執刀させたなら、おそらく手術は失敗してしまう。
また、公式記録では、なるほど当該担当教授もしくは助教授が手術を執刀したことになっているけれど、なぜか、こうした重要な手術の都度、会計帳簿に、莫大な金額の支出が記録されている(大門未知子に支払われた執刀料)わけです。
つまりこの場合、大学病院の公式記録には「教授の執刀による手術の成功」と書かれているけれど、繰り返し多額の支出の記録された会計帳簿から、誰か別な人物に執刀を依頼していた可能性が浮上するわけです。

要するに、明確な事実といえるものは、当日、その手術が行われたということだけです。
誰が執刀したのかは、公式記録を見ても、「わからない」のです。

つまり、記録が正しいのではなく、記録に書かれているということだけが事実であって、実際に起きた出来事は、その記録に書かれていることと異なることがある、という前提で、歴史を見ていく必要があるのです。

この場合、会計帳簿と、手術記録の2つを突合することで、そこに違和感があり、この違和感を解消することが、歴史家の役割ということになります。

たとえば古事記についていえば、歴史家の立場からは古事記について、以下のような点が指摘されています。

① 『日本書紀』の天武天皇紀で古事記作成命令のことが記述されていない
② 太安万侶の墓誌に『古事記』の件は記載されていない。
③ 712年を扱う『続日本紀』に古事記作成の記載がない。
④ 後にできたとされる『日本書紀』で『古事記』が参照されていない
⑤ 733年成立の『出雲国風土記』の出雲神話は720年の『日本書紀』には採用されない(当然)。
  『古事記』には採用されている。
  ということは『古事記』の成立は733年以降。
⑥ 奈良時代のどの文書にも『古事記』の言及、引用がない
⑦ 815年完成の『新撰姓氏録』にも『古事記』の引用はない
⑧ 『延喜式』(927年)で確定した応神天皇の宮と陵を『古事記』が書いている。
  従って『古事記』の成立は『延喜式』以降の成立となる。

以上の8項目の指摘事項は、岡田英弘先生著『歴史とはなにか』(文春新書、2001年)、宮脇淳子先生著『どの教科書にも書かれていない 日本人のための世界史』(KADOKAWA  2017年)などに記載されていることで、この指摘は、歴史家として、実にもっともな結論であると思います。
ですから、この意見には、筆者も全面的に賛成です。

ただし、これらの事実によって『古事記』の重要性が損なわれることはありません。
仮に指摘のように、古事記が成立したのが10世紀であったとしても、それは千年以上に渡って語り継がれてきたものであり、またお伊勢様においては、「古事記は神の書であって、一字一句間違ってはならない」として、大切に扱われています。

つまり、古事記において重要なことは、古事記がいつ書かれたかではなく、何が書かれているのかにある。
そして、そこに書かれていること、古事記を編纂した人が、書くことによって後世に伝えようとしたことは何か。
それを伝えるのが、啓蒙家の役割になります。

その意味で、筆者は、歴史や古典に関する本や動画、講演などを手掛けていますが、その目的は歴史や古典などを通じて日本人が元気に自信を持って生きる智慧や知識を共有し、このことによって日本人が強く生きることができるようにしていくことが、啓蒙家としての役割ということになります。

歴史や古典文学という文系の学問は、本来、数学のように、答えのある学問ではありません。
答えのないところに、自分なりに納得のできる答えを探し、その答えで周囲を納得させていくという学問です。

このことは、ビジネス世界とまったく同じです。
これまでにない新商品や、新規市場を、どのように開拓したら良いのかなど、そこに正解はありません。
結果として成功したもの(つまり周囲が納得したもの)が、結果としての正解であって、けれどそれをもって正しいということはできない。
正しいか正しくないかは、まさに神のみぞ知るであって、大切なことは腑に落ちるかどうか。
これが文系の学問です。

そういう意味では、理数系の学問も、実は同じです。
高校や、大学受験までは、理数系は、明確な答えがある学問です。
決まったパターンによって数式を解けば、必ず同じ答えが出る。
だからテストでは、採点がしやすい。
なぜなら、答えがひとつだからです。

ただし、ここでいう「ひとつの答え」というのは、あらかじめ先人の誰かが、何十年もかけて問いた数式に基づいて、あらかじめ、ひとつの答えだけになるように設定された問題によって得られた答えです。
ですから受験までは、理数系の答えは、常にひとつですけれど、大学以降になると、数学であっても答えのない世界で答えを見つけ出す、という学問になります。

このことについて、よく引き合いに出されるのが、世界一難しい問題として有名な、次の式です。

6 ÷ 2(1 + 2)=?

この問題の答えは、「2(1+2)」を多項式と考えて、「6÷(2×3)」として計算すれば、答えは「1」になります。これが「数学的な答え」です。
ところが、この式を「x が省略されているだけ」として、「6 ÷ 2 x 3」として左から順に計算すると、答えは「9」になります。これが「算数的な答え」です。

つまりこの式は、考え方によって、答えが異なるのです。
したがって、正解は、
「どの方法で計算せよ」という重要な部分が抜けているから、「そもそも設問に欠陥がある」というのが、正解となります。

つまり、「1」と答えた、「9」と答えたということでは、不正解で、
正解は、「正解は1,9の2つあるけれど、どちらの答えを求めようとしているのかが明記されていないから、設問そのものに問題がある」ということになります。

数学でいう「トポロジー」は、位相幾何学と訳されますが、簡単に言ったら、豚の鼻とズボンが同じもの、ドーナッツとコーヒーカップが同じものだとする最先端数学理論です。

理系、文系を問わず、実は答えは無限にある。

その無限の答えをもとめて、日々進化させていくのが学問です。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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