大伴家持と児嶋の教養



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もし庶民に歌を読む素養などまったくありえないことであり、しかも女性がただの物として扱われるような社会なら、大伴旅人のような武門の長である高官がこのように「娘子の歌に涙を流した」などという歌を読めば、「うちの大将は色ボケの嘘つきだ」と、兵たちから侮(あなど)られます。
庶民は馬鹿ではないのです。
しかも防人たちというのは、ある意味、気の荒い武骨者の集まりなのです。
その防人たちに侮られることは、大宰の帥として、失格を意味します。まして大納言に昇進など、決してありえないことです。

20210629 巫女さん
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小名木善行です。

拙著の『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』から、大伴旅人(おほとものたびと)と、児嶋という若い女性の問答歌をご紹介したいと思います。
きっと、何かを感じていただけるものと思います。

(お時間のない方は、途中を飛ばして、最後にある「四 鑑賞」だけをお読みいただけると良いと思います。)

 ***

巻六‐〇九六五〜九六八 児嶋と大伴旅人
大夫と念へる吾や水茎の 水城の上に涙拭はむ


四首の歌をまとめてご紹介になります。
この中で特に有名なのは968の
「大夫(ますらを)と
 念(おも)へる吾(われ)や
 水茎(みなくき)の
 水城(みづき)の上(うへ)に
 涙(なみだ)拭(のこ)はむ」
でしょうか。

日頃男らしくありたいと思い、そのように自分を制してきた私が、思わず涙を流してしまうというこの歌は、男心のやさしさを表す歌として、多くの人に愛されてきと解説されています。
しかしこの四首の歌を通じて、私達が学ばなければならないことは、すこし別なところにあるのではないでしょうか。


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一 原文と一般的な読み下しと解釈
(原文)
【題詞】冬十二月大宰帥大伴卿上京時娘子作歌二首
965 凡有者 左毛右毛将為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞
966 倭道者 雲隠有 雖然 余振袖乎 無礼登母布奈
右大宰帥大伴卿 兼任大納言向京上道 此日馬駐水城顧望府家 于時送卿府吏之中 有遊行女婦 其字曰児嶋也 於是娘子傷此易別 嘆彼難会 拭涕自吟振袖之歌
【題詞】大納言大伴卿和歌二首
967 日本道乃 吉備乃児嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香裳
968 大夫跡 念在吾哉 水茎之 水城之上尓 泣将拭


《一般的な読み》
【題詞】
天平二年冬十二月に太宰帥大伴卿の京に上りしに娘子(をとめ)の作れる歌二首
【娘子(をとめ)の歌】

965 凡(おほ)ならば
   かもかもせむを
   恐(かしこ)みと
   振り痛(た)き袖を
   忍びてあるかも

966 大和道(やまとぢ)は
   雲(くも)隠(かく)りたり
   然(しか)れども
   余(あ)が振る袖を
   なめしと思ふな

【補記】
右は太宰帥大伴卿、大納言兼任のため京(みやこ)に向ひて上道(かみだち)す。
此の日、馬を水城(みずき)に駐(とど)めて府家(ふか)を顧(かへり)み望(のぞ)む。
このとき卿を送る府吏(ふり)の中に遊行女婦(うかれめ)あり。
其の字(あざな)を児嶋と曰(い)ふ。

ここに娘子(をとめ)、この別れの易(やす)きを傷(いた)み、その会ひの難(かた)きを嘆き、涕(なみだ)を拭(のご)ひて、自ら袖を振りこの歌を吟(うた)ふ。

【題詞】大納言大伴卿の和(こた)ふる歌二首
【大伴旅人の歌】

967 大和道(やまとぢ)の
   吉備(きび)の児嶋(こしま)を
   過ぎて行かば
   筑紫(つくし)の子嶋(こじま)
   思ほえむかも

968 大夫(ますらを)と
   念(おも)へる吾(われ)や
   水茎(みなくき)の
   水城(みづき)の上(うへ)に
   涙(なみだ)拭(のこ)はむ

《一般的な解釈》
【題詞】
天平二年(730)冬十二月に太宰の長官の大伴旅人が京の都に上ったときにおとめが作った歌二首
【娘子(をとめ)の歌】
965 普通の平凡な人ならどうともしますが、恐れ多かろうと、振りたい袖もこらえています。
966 大和路(やまとぢ)は雲に隠れています。それなのに私が振る袖を無礼だとは思わないでください。

【補記】
右は太宰府の長官の大伴旅人卿が、大納言を兼任することになって、京の都に向かって帰途についた。
この日、馬を水城(みずき)に駐(とど)めて太宰府の館(やかた)を振り返って見た。
そのとき卿を見送る太宰府の官人たちにまじって、遊行女婦(うかれめ)がいた。その名を児嶋(こじま)という。
そのおとめは、別れが易(やす)くて、また会うことが困難なことを悲しんで、涙を拭きつつ、みずからこの袖振る歌を口ずさんだ。

【題詞】大納言大伴卿が和(こた)えて詠んだ歌二首
【大伴旅人の歌】
967 大和道の吉備(きび)の児島(こじま)を過ぎて行くときに、筑紫(つくし)の子島(こじま)を念(おも)い出すだろう
968 ますらおと思う私が、水茎の水城の上で涙をふくことか


二 再解釈と鑑賞

 この時代の遊行女婦(うかれめ)という言葉は、後にこれが詰まって「遊女(ゆうじょ・あそびめ)」という言葉になりました。
けれども後の世の「遊女」と、この時代の「遊行女婦」では、その意味がかなり異なります。
なぜならこの時代の「遊行」は、鎮魂や招魂のための歌舞のことをいうからです。また「舞」は神々との対話のためのものでした。

 これは神話に依拠しています。
もともと遊行の事始めの神様が天宇受売(あめのうずめ)神で、天の受売(うずめ)というご神名は、天照大御神の側近にあって天照大御神のお言葉を下々に伝え、また下々の声を天照大御神に取り次ぐお役目のことです。
ですから「受け売り=受売(うずめ)」です。
実際、天宇受売神は、天の石屋戸神話においても、天照大御神の御下問に、直接御返事をなされています。
そしてその天宇受売神は、この天の石屋戸の前で舞を披露した神様でもありました。

 天宇受売神の舞というと、あたかもヌードダンスのようなものであるかように紹介しているものを見受けますが、古事記の原文は「裳(も)の紐を女陰(ほと)に垂らして踊った」と書かれているだけです。
裳は袴(はかま)のようなものですから、今風に言えば、ハカマの紐を前に垂らして、その紐を揺らしながら踊ったということであって、どこにも淫らな裸踊りとは書いてありません。

 そしてこの天宇受売神は、天孫降臨のときに迩々芸命(ににぎのみこと)と共に高天原から地上に降り立ち、地上において国津神(くにつかみ)の猿田彦と結婚して「猿女君(さるめのきみ)」と名前を変えています。
これが我が国の女性が結婚して苗字が変わる事初(ことはじ)めです。そして猿女君の舞踊は、猿楽(さるがく)と呼ばれて、その後の宮中舞踊や神楽舞、農村神楽舞などとして発展し、この猿楽から能楽や歌舞伎が生まれています。

 歌の読みや意味は、一般的なものとあまり変わりはありません。
読みについてはできるだけ七五読みすべきとの考えから、多少、変えて鑑賞したものを次に掲げます。
ただ、歌の意味については、一般的なものですと、少々言葉足らずのところがあると思われますので、すこし詳しく考えてみたいと思います。


《歌の読み》
【題詞】
ふゆじゅうにがつ(冬十二月)おほみこともち(太宰)のそち(帥)のおほとも(大伴)のきみ(卿)みやこ(京)にのぼりしとき いらつめ(娘子)のつくれるうた にしゅ
冬十二月大宰帥大伴卿上京時娘子作歌二首

【娘子(をとめ)の歌】
965
 おほならば    凡有者   私が普通の人であれば
 さもうもせむを   左毛右毛将為乎 袖を左右に振って
 かしこみと    恐跡      かしこみながら
 ふりたきそてを   振痛袖乎    痛いほど袖を振りたいところです
 しのびてあるかも 忍而有香聞   でもそれをこらえています

966
 やまとちは   倭道者    都(みやこ)への道は
 くもにかくれり 雲隠有    雲に隠れた遠くまで続きます
 しかれども   雖然     それだけに
 あかふるそてを 余振袖乎   私が振る袖を
 むれとおもふな  無礼登母布奈 決して無礼とは思わないでくださいませ

【補記】
みぎのおほみこともちのつかさ(太宰府)のおほとも(大伴)のきみ(卿)、おほひものもうす(大納言)のにんをかねて みやこ(京)にむかひのぼるみち
 右大宰帥大伴卿 兼任大納言向京上道
このひ うまをみずきにとめて つかさのいへ(府家)をかへりのぞむ
 此日馬駐水城顧望府家
このとき きょうをおくるふりのなかに うかれめあり
 于時送卿府吏之中 有遊行女婦
なをこじまといふ
 其字曰児嶋也
ここにおひて いらつめ(娘子) わか(別)れのやす(易)きをいた(傷)み
 於是娘子傷此易別 
あう(会)のかた(難)きをなげ(嘆)き
 嘆彼難会 拭涕自吟振袖之歌
なみだ(涕)をぬぐひ おのがそでをふるのうた
 嘆彼難会 拭涕自吟振袖之歌

【題詞】
おほひものもうす(大納言)のおほとも(大伴)のきみ(卿)、こた(和)ふるのうた(歌)にしゅ(二首)
 大納言大伴卿和歌二首

【大伴旅人の歌】
967
 やまとちの   日本道乃   日本男児の行く道です
 きびのこしまを 吉備乃児嶋乎 これから吉備の国の児嶋郡も通ります
 すぎゆかは   過而行者   そのときはきっと
 つくしのこしま 筑紫乃子嶋  筑紫で小さな肩を震わせた
 おもほゆかも  所念香裳 児嶋 おまえのことを心に刻んで思い出すよ。

968
 ますらをと   大夫跡   日頃から男らしくありたいと
 おもへるわれや 念在吾哉  ずっと思ってきた私だけれど
 みつくきの   水茎之   こうして歌を贈ろうと筆を持ち
 みずきのうえに  水城之上尓 水城の上に立ちながら
 なみたのこはむ  泣将拭   流れる涙を止めることができません。

三 用語解説
【題詞】
 『冬十二月」・・・天平二年の十二月。新暦だと七三一年一月。
 『大宰帥大伴卿上京」・・・太宰府の長官だった大伴旅人卿が、このとき大納言に昇進し、その辞令を受けるために京の都に上京しました。
【娘子(をとめ)の歌】
965
『凡有者(おほならは)』・・・私が平凡な普通の人であるならば
『左毛右毛(さもうも)』・・・左も右もですが、我が国では古来、ひ(左)が上、み(右)が下という概念があります。「ひ」は「霊・魂」であり、「み」は「身」です。何ごとも霊が上、身が下です。こうした概念は「ひぃふぅみぃよぉ」の数詞で、幼い頃から親から教えられたものです。「ひ」は霊であり日(太陽)です。「ふ」は生(ふ)です。「み」は身です。身は霊(日)から生まれると考えられてきたのです。
『恐跡(かしこみと)』・・・おそれおおいので
『振痛袖乎(ふりたきそてを)』・・・お別れのために手を振ることを、袖を振ると述べています。
『忍而有香聞(しのびてあるかも)』・・・この場合の「しのぶ」は我慢すること。

966
『倭道者(やまとちは)』・・・都へと向かう道は。
『雲隠有(くもにかくれり)』・・・都へと向かうために遠く離れることを、雲に隠れるように見えなくなると表現しています。有は「くもにかくれし」など「し」と読むのが一般ですが、「有」は「し」とも読み、この場合は「くもにかくれり」の方が、全体に美しくなると思います。
『余振袖乎(あかふるそでを)』・・・余は、もともと柄のついた刃物の象形です。刃物は魔(ま)や膿(うみ)を取り除くことに用いられることから「とりのぞく」意味が派生しました。娘子がここで自分のことを「余」と述べているのは、いつ取り除かれても(追い出されても)いいような自分という意味で、「とるにたりない自分が」と述べています。「袖を振る」は、お別れに去っていく人に手を振る様子です。
『無礼登母布奈(むれとおもふな)』・・・「無礼と思うな」といった意味です。私がお別れに、去っていく大伴卿に手を振ることを、決して無礼とは思わないでくださいというわけです。無礼は、一般には「なめし」と詠まれますが、それですと「なめしとおもふな」で八文字になります。むしろ「むれ(無礼)とおもふな」の方が自然ですし、字数も七文字におさまります。

【補記】
『右大宰帥大伴卿 兼任大納言向京上道』・・・題詞の追加でこのときの上京が大納言兼任の昇進のためのものであったことが明かされています。
『此日馬駐水城顧望府家』・・・この日、馬を水城(みずき)(※1)に駐(とど)めて太宰府の館(やかた)を振り返って見たということです。
(※1)水城(みずき)は外濠を持った土塁で、白村江の敗戦後、唐軍が日本本土に攻め込んでくる計画があり、これに対する本土防衛ラインとして建設されました。ちなみにこの外寇(がいこう)の脅威を、「唐と新羅の連合軍による」と表記するものが多いですが、新羅に新羅単独で日本に攻め込むだけの実力があるならば、新羅は単独で日本に攻め込んだことでしょう。それがなかったのは新羅には単独で日本に攻め込むだけの実力がなかったということです。一方唐は、白村江の戦いのあと、吐蕃(とばん)(後のチベット)との大非川の戦い(670年)に十万の大軍を向かわせながら吐蕃の四十万の大軍の前に大敗し、その方面が忙しくなったことから、日本への侵攻は実現しませんでした。
『于時』・・・このとき
『送卿府吏之中有(きょうをおくるふりのなかに)』・・・大伴旅人を見送る大宰府の職員たちにまじって。

『遊行女婦其字曰児嶋也(うかれめあり なをこじまといふ)』・・・遊行女婦(うかれめ)は前出。その女性の名前が「児嶋(こじま)」です。
『於是娘子傷此易別嘆彼難会』・・・別れが易(やす)くて、また会うことが困難かもしれないと。
『拭涕』・・・涙をぬぐう。
『自吟振袖之歌』・・・みずからこの袖振る歌を口ずさんだ。

【題詞】
『大納言大伴卿和歌二首』・・・このでの「和」は、和(こた)えてと読みますが、ただ答えただけではなくて、なごやかに歌で答えたといったニュアンスになろうと思います。

【大伴旅人の歌】
967
『日本道乃(やまとちの)』・・・966では倭道(やまとぢ)と書いていたものを、ここでは読みは同じでも「日本道(やまとぢ)」と書いています。
倭国を改めて日本という国号は大伴旅人よりも前の時代にすでに外交文書にも表記されていますが、ここであえて「日本道」と書いたのは、ただ大和に向かう道というだけでなく、
「ひのもとにある正々堂々とした男の道」
という語感が伴っているものであろうと思います。
 
『吉備乃児嶋乎(きびのこしまを)』・・・吉備の国は、現在の広島県東部から兵庫県西部、それに現在の香川県の島しょ部までを含む広大なエリアで、九州から京の都に向かうには、必ず通る道となります。
一読すれば、吉備の国にある島しょ部ということになりますが、あえて吉備と言ったのには、
「吉(よ)いことを備(そな)える」から、児嶋(こじま)という名の女性の才能を褒める意図もあったのであろうと思われます。

『筑紫乃子嶋(つくしのこしま)』・・・ここでは女性の児嶋のことを、意図して「子嶋」と呼んでいます。
小さな肩をふるわせて別れを惜しむ女性の姿を小嶋と書くことによって、その女性の肩の肉がないことを彷彿させ、これによって児嶋が、未婚の若い女性であることまでも読み取れるように工夫されています。

『所念香裳(おもほゆかも)』・・・ただ「思う」や「想う」ではなく、「念(おも)ふ」としています。念という字は、大切な心臓をすっぽりと覆った象形で、たいせつなことを心に含み、いつも思うことを意味します。

968
『大夫跡(ますらをと)』・・・太夫は三位以上の重職を示す言葉で、ふつうはこれで「たゆう」と読みますが、続く「跡」を「あと、みち」などと読むと、意味が通じなくなります。そこでここは一般に「ますらをと」と読むとされています。「ますらを」とは、心身ともに人並みすぐれた強い男子のことです。
『念在吾哉(おもへるわれや)』・・・大伴旅人は武門の家柄ですから、日頃から「ますらを」でありたいと生きてきたということ。

『水茎之水城之上尓(みつくきの)』・・・水茎(みづくき)は、源氏物語の夕霧に「涙のみづくきに先立つ心地(ここち)」という記述があり、筆のことを指すようです。次の歌を返そうと、筆を出したけれど、涙をこらえる児嶋気持ちがいたくひびいて、筆を持つ手と、いま立っている防塁の水城(みづき)の上に、涙がこぼれる、といった意味になります。

以上から、この文を現代語に意訳してみます。

【題詞】
天平二年の十二月(新暦の731年1月)、太宰府(おほみこともちのつかさ)の長官であった大伴旅人の卿(きみ)が、大納言昇進の辞令を受けるために京の都に上京することになりました。このときにある娘子(いらつめ)が詠んだ二首の歌です。

【娘子(をとめ)の歌】
965
もし私がうかれめではなくて普通の女なら、おもいきり袖を左右に振って、それはとってもおそれおおいことですけれど、もう、痛いほど袖を振りたいところです。でもそれをじっとこらえているのです。

966
大伴旅人様の都(みやこ)への道が、雲に隠れた遠くまで続いているのだとしても、私が振る袖を決して無礼などと思わず、どうかご無事でお帰りくださいませ。

【補記】
実はこの二首の歌は、太宰府の長官の大伴旅人卿が、大納言に兼任で任官を受けて京の都に向かおうとされたときの歌です。大伴卿は、太宰府の門を出たあと、馬を水城のところに駐(と)めて、大宰府を振り返りました。すると大宰府の門前で大伴卿を見送る人々の中に、遊行女婦(うかれめ)と呼ばれる旅の神事のための舞踊家の女性がありました。名前を児嶋(こじま)といいます。その女性は、大伴卿への恩顧から、卿とのお別れがあまりに簡単であることを痛んで、涙をぬぐいながら袖を振っていました。これを見た大伴卿は、その娘の歌に和やかに答えて、次の二首の歌を詠まれました。

【大伴旅人の歌】
967
別れは惜しいが旅立ちは日本男児の行く道です。そういえば、旅の途中で吉備の国の児嶋郡を通ります。そのときはきっと、この筑紫で小さな肩を震わせて泣いていた児嶋、おまえのことを心に刻んで思い出すよ。

968
私はね、日頃から男らしくありたいとずっと思ってきました。日本男児は泣くものではない。そう思い続けてきました。けれどね、その私がいま、こうして君に歌を返そうと筆を持って水城の上に立ちながら、流れる涙を止めることができないでいます。


四 鑑賞

 大伴旅人と児嶋という女性のこの歌の応酬が、そのまま旅人と児嶋が深い関係で云々と妄想するのは、いささか不謹慎であろうかと思います。すこし話は変わりますが、戦前戦中に兵隊さんたちの間で歌われていた兵隊節に『ズンドコ節』がります。大変人気のあった曲で、その後、ドリフターズがこの唄のリメイクを出したりしていましたので、ご記憶のある方も多いのではないかと思います。

1 汽車の窓から手をにぎり
  送ってくれた人よりも
  ホームの陰で泣いていた
  可愛いあの娘(こ)が忘らりょか
  トコズンドコ ズンドコ

2 花は桜木人は武士
  語ってくれた人よりも
  港のすみで泣いていた
  可愛いあの娘が目に浮かぶ
  トコズンドコ ズンドコ

3 元気でいるかと言う便り
  送ってくれた人よりも
  涙のにじむ筆のあと
  いとしいあの娘が忘られぬ
  トコズンドコ ズンドコ

 万葉集にあるこの大伴旅人と児嶋という女性の歌は、まさにこの唄と同じ日本男児の心を歌っているといえるのではないでしょうか。
ズンドコ節に唄われたホームの影や港の隅で泣いていたり、涙のにじむ筆跡の手紙を書いてくれた女性と、送られた兵隊さんは、別に深い仲とばかりは限りません。
むしろ惹かれ合っていたかどうかさえもわからない。
けれど、いざ遠方に出仕(しゅっし)となったとき、そっと涙を拭いてくれている。そんな女性を、心の底からいじらしいと思う男心。
それはお互いの思いやりの心であり、人を愛する日本人の心といえるのではないでしょうか。

 この歌の応酬のときの大伴旅人は、最愛の妻を亡くしてまだ日も浅いときです。もちろん側女を何人おいても構わない時代のことではありますが、すくなくともこの歌の応酬から、大伴旅人と児嶋との間に、深い関係は私には感じられません。

むしろ旅の神楽芸人として、みんなを楽しませてくれた美しい女性が、まったくそんなに深く話したことも接したことさえもなかったのに、歌まで詠んで、涙を流して自分を見送ってくれた。その歌二首を水城のあたりで届けられた大伴旅人は、その歌を見ることもなく、そのまま伴の者に渡すだけでもよかったはずです。
ところが大伴旅人は、贈られた、一般女性のその歌を、わざわざ読み、行列を停めて、筆を手にして、お返しの歌をそれも贈られた歌と同じ二首、丁寧に詠んで児嶋に返しています。

もし大伴旅人とこの女性との間に何らかの関係があるのなら、その女性のために私的に行列を停めれば、同行する徒士たちの反感や怒りを買うことになります。
これから都に上る長い旅路なのです。このことを考えれば、むしろ大伴旅人とこの女性との間にはなにもなかったと考えるほうが妥当です。

 そのうえで大伴旅人は、身分の上下や職業の貴賤などにいっさい関わらず、ひとりひとりを人として慈(いつく)しみ、その気持や思いをしっかりと受け止めていくことこそが人の上に立つ者の使命であり在り方であると思っていたに違いありません。
だからこそ大伴旅人は、一介の、それも地元の人間でもない女性からの歌に、わざわざ行列を停めて、歌を返しているのです。

我が国は天皇の知らす国です。
これは、名もない民草(たみくさ)のひとりひとりを、すべて天皇の「おほみたから」とするという国の形です。
身分はそれを実現するために与えられたものです。
その意識が、大伴旅人の心のなかにしっかりと根をおろしていたのです。

 一方、児嶋は旅芸人の女性です。
けれど彼女は、娘子というからには若い女性なのでしょうけれど、実に思いやりのある心地よい歌を二首、しかも漢字で書いて詠み、しかもその歌を高官である大伴旅人に贈っています。

この歌は、この時代(八世紀)の女性が、ちゃんと字が書けて、高い教養を身につけていたことを示しています。
百年前といわず、いまでも世界には「女性は文字を覚える必要はない」などとしている国や民族もあります。
西洋では18世紀でも大都市のの識字率が男女合わせての10%内外であったという説もあります。
まして女性の識字率となれば1%にも満たなかったのが世界の歴史です。
そんな世界にあって日本で途方もない昔に、旅芸人の女性であっても、歌を読み書きできるだけの教養を備えていたのです。
これこそわが国の誇りといえることではないでしょうか。

 万葉集にあるこうした庶民の歌が、「そのほとんどは貴族階級の創作だ」という説を唱えている人もいます。
私は違うと思います。
なぜならたとえばこの四首の歌の応酬を見ても明らかな通り、そもそも大伴旅人は、武門の家柄なのです。
そして軍というものが、ただ単に武力を頼む武骨で乱暴な男たちだけの世界だというのなら、その最前線である太宰府の長官もまた、武威と豪腕を誇る勇ましい男であることを宣伝すべきなのです。

ところがこの歌では、大伴旅人は、ひとりの見送りの、それこそあまり親しくもない女性の歌に、涙を流して歌を詠んでいます。
そういうことが堂々と公(おおやけ)の記録に残せるのは、日頃から、民草の側に高い民度があり、上に立つ人の思いやりや、温かみのある人の心を素直に受け入れることができるだけの素養が備わっており、それが、ごくあたりまえの常識になっていなければ、できないことです。

もし庶民に歌を読む素養などまったくありえないことであり、しかも女性がただの物として扱われるような社会なら、大伴旅人のような武門の長である高官がこのように「娘子の歌に涙を流した」などという歌を読めば、「うちの大将は色ボケの嘘つきだ」と、兵たちから侮(あなど)られます。
庶民は馬鹿ではないのです。
しかも防人たちというのは、ある意味、気の荒い武骨者の集まりなのです。
その防人たちに侮られることは、大宰の帥として、失格を意味します。
まして大納言に昇進など、決してありえないことです。

 そしてもうひとつ、我が国にあった文化的特徴を申し上げたいと思います。
それは我が国では「歌という文化を通じることで、一般の庶民が高官と直接やりとりができるというシステムが整っていた」ということです。

実はこのことは、すこし大げさに聞こえるかもしれませんが、実はこのことが、近年のインターネットの普及による組織の階層構造の変化によく似ているところがあるのです。
私などが若い頃は、大きな組織で、現場の平社員が、社長や専務、あるいは本社の部長といった高位高官に、何か物申すなど、まずあり得ないことでしたが、近年ではメールの発達によって、社長が直接全社員に一斉メールをしたり、あるいは一般社員が直接社長にメールを送るといったことが、ごく普通に起きるようになりました。

あるいは政府の閣僚や国会議員、あるいは著名人等にメールして、直接返事をもらったりしたご経験をお持ちの方もおいでかもしれません。

ところが我が国では、なんと古代や中世において、貴族や高官と直接対話をすることが、歌を通じて行われていたのです。
もちろん政治上の意思決定は、あくまでもオフィシャルな機構を通じなければなりません。
けれども人の思いや心は、庶民であれ、貴族高官であれ、まったく同じであるという認識が我が国には確立されていたのです。
このことは世界の歴史を考える上において実に画期的なことと言えます。

 そしてそうしたことが、日常的に行われていたという背景の上に、この歌の応酬が成り立っています。
素晴らしい歌の応酬だと思います。


お読みいただき、ありがとうございました。
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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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