このように考えると、猿が簡単な葦舟をつくって海で漁をするようになったことが、猿と人類を明確に分けるきっかけになったのではないかという仮説を建てることができます。 船の発明がいつ頃であったのかというと、それがおそらくは20万年〜10万年前。 そして葦舟を使って男たちが漁に出るようになることによって、女達が、はじめて言語中枢を驚異的に発達させていった、と考えると、辻褄が合ってくるのです。 |

画像出所=https://forbesjapan.com/articles/detail/29955
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
インカ帝国は、いまは南アメリカのペルーのあたりにあった一大文明国です。
最盛期には80の民族と1600万人の人口をかかえていたといわれています。
巨大な石の建築物があり、カミソリの刃も通さないほど精巧に重ねられた石の加工技術、黄金の仮面、水晶のドクロ、土器や織物、謎の高原都市などなど、インカの遺跡は、ものすごく高度な統治システムと、進化した技術に彩られています。
ところが、それだけの巨大文明でありながら、いまでは、その歴史、伝統、文化の一切は失われてしまいました。
遺跡も、いまではただの「謎」になってしまっています。
安全保障をないがしろにしたら、数千年続いた文明であっても、こういうことになるのです。
国会で安全保障にケチをつけている議員さんたちは、日本をそんな国にしたいのでしょうか。
だとしたら、国会は私達庶民の命をないがしろにするテロリストであり、日本国民の敵です。
インカ文明のおおもとにあたるアンデス文明は、7500年前ころまでに始まったとされています。
7500年といえば、日本では鹿児島沖でカルデラ大爆発が起こり、遠洋漁業が始まった頃です。遠洋漁業の開始はその頃から突然釣り針が大型になっていることで確認できます。
アンデス文明を形成したインカの人々というのは、男性の身長が平均1m57cm、女性が1m45cmくらいで、モンゴロイドであったことが人骨から確認できます。
遺伝子的には、いまから1万8千年ほど前に、地球気温が急速に低下したとき、(北極圏、南極圏の氷が発達。年間平均気温で▲8度くらいだった)これにより、海面がいまより140メートルほど下がり、シベリア、アリューシャン列島、樺太、北海道、本州などがみんな陸続きになったといわれています。
このとき、バイカル湖のあたりにいたモンゴロイドが、一部は、中央アジアへ、一部が太平洋を南下して日本へ、一部がアラスカを経由して北米へと流れ、長い時間をかけて、南米にまで南下した、というのが通説です。
ところが南米のエクアドルあたりでは、日本の縄文式土器が発掘されてもいるわけです。
そうなると、陸路ルートだけではなく、海洋ルートも考えに入れなければおかしなことになります。
また、陸路についても、「バイカル湖あたりにいたモンゴロイドが北米→南米へと移動した」ことを証明するものは何もありません。
モンゴロイドがアジアから北米→南米へと移動したことは、人骨の特徴などで確認できるのですが、その出発点がどこであったかについては、確認がとれていません。
ちなみにこのモンゴロイドという呼称は、18世紀のドイツの人類学者のヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach)が考案したものです。
彼はコーカサス(黒海とカスピ海にはさまれた平原)出身の白い肌を持つコーカソイド(白人種)が、最も美しくてすべての人類の基本形であるとしました。
そして他の人種はコーカソイドが「退化した」ヒトモドキにすぎないとし、なかでもモンゴロイドは、13世紀にモンゴルの大軍がモンゴル平原からヨーロッパに攻め込んできたから、モンゴルのゴビ砂漠のあたりを根城にする人々という意味でネーミングしています。
つまりモンゴロイドという呼称は、人類の始祖とか万年の昔とは何の関係もない、きわめて誤解を生みやすい危険な呼び方です。
最新刊
最近のDNAの研究では、インディアンのDNAとアイヌのDNAとに濃い血縁関係があることが判明しています。
つまり大陸と陸続きであった頃の日本列島は、ユーラシア大陸の東のはずれであり、そこから沿岸沿いに、北米→南米へと人が移住していったという可能性のほうが合理的です。
なぜなら人が移動するには、移動途中の食料確保が不可欠で、そのためには海の幸を容易に入手できる沿岸沿いの方が、太古の昔の人々の移動には適しているといえるからです。
「陸の文明、海の文明」という言葉がありますが、両者はおおいに異なります。
陸の文明では、権力者が民衆を支配します。
海の文明では、権力者が民衆を支配しようとすると、民衆は船に乗ってどこかに行ってしまいます。
また、陸の文明は、山や川や砂漠などにさえぎられて人々の行動エリアが限られますが、海の文明は、海流に乗って人々がはるか遠くまで移動することができます。
さらにいうと、陸の文明では、夫と妻が同居して生活しますから、ゴリラやチンパンジーがそうであるように、あまり言語を発達させる必要がありません。
これに対し海の文明では、男たちは船に乗って漁に出ていってしまいます。
出ていった男たちは、どこで浮気をするかわからず、島にいる女達は、夫や息子の無事を祈り、またどこかの島で浮気をしていないか、必死で(笑)情報交換をします。
人間の言語は、女性たちのこの情報交換のための言語によるコミュニケーションによって発達したといわれていますが、これに加えて神への「祈り」もまた、言語を発達させます。
海の文明において、船で沖合に向かう男たちは、誰もが「板子一枚下は地獄の入り口」です。
危険な魚もいっぱいいるし、海がシケれば帰ることができません。漂流したら、死にます。
島の女達にとって、愛する夫や我が子が無事に帰ってくること、そしてその日が豊漁であることは、日々、切実な祈りです。
大昔から日本では、神と直接対話することができるのは、女性たちだけに与えられた特権とされますが、こうした思慮思考ないし文化は、どうみても、海の文明に基づくものといえます。
要するに海の文明では、女達の言語中枢の発達と、神への祈りという文化が、陸の文明よりもかなり発達しやすいのです。
したがって、言語に基づく文明の発達は、陸の文明よりも、海の文明の方が、はるかに早い時期に成立したとみるべきです。
別な角度でも、陸で家畜を飼って生きるにせよ、動物の集団を狩って生きるにせよ、アフリカの肉食動物たちがそうであるように、集団が大きくなる必要はありません。
むしろ、肉食文化の場合には、集団は小さいほど、食料効率が上がります。
雑食系の猿やゴリラたちは、小集団を形成して生きますが、それでもひとつの集団が50頭を越えることはまずありません。
そして老若男女合わせて50人くらいの人の集団では、ほとんど言語を必要としません。
「おぅ、うぅ、ぶぅ、ぐぅ、えぇ」といった擬音語だけで日々の生活は足りてしまいます。つまり言語が発達しにくいのです。
集団は50人を越えると、言語によるコミニュケーションが必要になると言われますが、草食系動物の場合は、何百という大規模な集団を形成して生活しながら、特段の言語を必要としません。
これは彼らが単に数の力で、肉食動物に襲われても集団を維持しようする本能に基づいて集団を形成しているだけで、個々の動物同士のコミュニケーションを必要としないからです。
本来、動物(人間を含みます)は、利己的遺伝子に基づいて行動します。
簡単にいえば、自分さえ生き残れば良いのです。
ですから集団を形成するのは、肉食動物に襲われても、他を犠牲にして自分だけ生き残ろうとするから何百、何千という集団を形成しているだけで、個々のコミュニケーションまでは必要としないのです。
ところが人類は、何百という集団を形成し、かつ、言語によるコミュニケーションを行います。
なぜこのようなことが起こるのか。
これを陸の文明で説明しようとしても、どうしても無理が生じます。
必要が生まれた背景の説明がつかなくなるのです。
人類が陸の文明で言語中枢を発達させるためには、人類が猿のように雑食性であることに加えて、猿の集団よりもはるかに大きな何百という集団を形成する必要が生じなければならないからです。
集団で狩りをするようになったからだと説明する先生もおいでになりますが、それを言うなら、オオカミやハイエナだって集団で狩りをします。けれど彼らは複雑な言語を発達させることはありません。
ところが海の文明の場合、島で暮らす小集団での生活であったとしても、集団を維持するためには、男たちが無事に漁から帰ることが、どうしても不可欠の要素となるわけです。(食料をそうして得るのですから当然です)
そんな男たちの無事を祈ること。
そして、男たちが、別な島で浮気をすることを防ぐことは、女達にとって生きるか死ぬかの重要課題です。
このように考えると、猿が簡単な葦舟をつくって海で漁をするようになったことが、猿と人類を明確に分けるきっかけになったのではないかという仮説を建てることができます。
船の発明がいつ頃であったのかというと、それがおそらくは20万年〜10万年前。
そして葦舟を使って男たちが漁に出るようになることによって、女達が、はじめて言語中枢を驚異的に発達させていった、と考えると、辻褄が合ってくるのです。
これはあくまで仮説であって、そうだと決めつけているわけではありません。
しかし仮説だから信頼できないとかいうのなら、リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子論」も、仮説にすぎません。
また仮説であるのですから、ドーキンスに根拠や出典を求めたところで、そんなものはありません。
同様に、海での生活から人類の言語が発達したのではないかという仮説にも、出典はありません。
事実として発掘されている遺物や、人骨、人類文化の特徴などから、もしかしたらこうではなかったかと推論しているのです。
これを仮定的推論(abduction)といいます。
倭人たちの文明には、もうひとつ、遺跡から武器が出土しない、という特徴があります。
これもまた海の文明の特徴で、大事な船が犠牲になるかもしれない争いや戦いよりも、良い漁場を探して、一匹でも良い魚を得ることのほうが、たいせつな課題になるのです。
なぜなら、海で魚を捕ることは、陸で動物を射ることよりも、はるかに容易いことだからです。
ですから海の文明は、陸の文明のように武器を持って人と争い、力で敵を征服して敵の保有する食料を奪うのではなく、自然と共存し、武器より道具を大切にし、争いよりも技術の進歩が優先されます。
そして、大海原では、太陽と星が、帰りの道筋を示す大事です。
つまり、信仰は、太陽や星が対象となります。
インカでは、太陽が崇拝され、灌漑と台地栽培によって、農業生産が行われていたとされます。
そして、インカの遺跡からも、不思議なほど、武器が出てきません。
日本も、全国に数万カ所ある縄文時代の遺跡から、現在に至るまで対人用の武器が出土しません。
つまり、人が人を殺して「奪う文化」ではなく、人と人とが共同して食べ物を「つくる文化」を共有していたわけです。
一部の本によると、インカでは、灌漑農業のために貴族が労働力を搾取していたなどと書かれているものもありますが、インカの遺跡をみると、神殿、民家、要塞、道路など、きわめてすぐれた技術によって建設されています。
こういうことは、古来、上からの命令と奴隷のような隷従のもとでは、なかなかできるものではありません。
人々が喜びと未来への希望を持って力を合わせたときに、はじめて高度な技術が誕生するし、巨大な神殿や道路ができます。
はっきりいえるのは、上からの強制によって築かれた道路や石組みは、簡単に経年劣化する、ということです。
ひとりひとりが、信仰ともいえるほどに、熱心に良いものを築こうと努力し、その努力が何百年、何千年と蓄積されたときに、実は、はじめて数百年、数千年の歳月をものともしない頑丈な建築ができるのです。
たとえば、インカには、いまも往時のままに残る石造りの幹線道路があります。
これは北部のキトからチリ中部のタルカまで、5230kmにも達する道路です。
その道路が、王侯貴族の栄華のためだけに築かれたとするのは、どうみても無理があります。
なぜなら、もし王侯貴族の栄華のための道路なら、その王侯貴族が政治権力を失った後、その施設は簡単にジャングルに埋もれてしまうからです。
これを言うと、万里の長城は、皇帝の権力で完成したのだ、などという人もいます。
しかし万里の長城が立派な城砦のような形状をしているのは、観光ガイドの写真に出ているごく一部分でしかありません。
長城といいながら、ほとんどの部分は、崩れかけたただの盛土です。
馬族の侵入を防ぎ、農地を守ろうとすれば、人々は長城を作ろうとする国家の指針に、進んで協力します。
その協力が、自らの家族や生命、財産を守るのに「必要な」行動だからです。
インカの道路は、王侯貴族が、彼女を連れて馬車で、チョロチョロする程度なら、ほんの数キロの道で構いません。
5000キロもの長い距離の道路が完成し、かつ保持されたのには、そこに一般の庶民の期待と協力と需要があったからと考えるのが自然です。
実際、この道路には、1トポ(約7km)毎に里程、約19km毎にタンボ(宿駅)が、設置されているのです。
この発音もおもしろいです。
トポ(徒歩)、タンポ(田んぼ)にも聞こえます。
他にもチャスキと呼ばれる飛脚が約8km毎に設置されていました。
そのチャスキは、タンボ間のリレー方式で、1日に、なんと約240kmの情報伝達能力を持っていたといわれています。
ちなみにチャスキは、日本語の「タスキ」に音がよく似ています。
こうした情報伝達を、軍事利用と規定している解説書が多いのですが、そうした解説書では、インカの遺品に、軍事に不可欠の武器が出土していないことに触れません。
もちろん、武器が何もないわけではありません。
オンダと呼ばれる携帯用の投石機があります。
これは大型獣を倒す狩猟用のものであって、対人用の武器を目的としたものではありません。
そうしてみると、オンダが生まれたのは、多くの人々の情報伝達のため、つまり民生用と考えた方が自然です。
そもそも、なんでもかんでも古代は王侯貴族が大きな顔をし、労働は奴隷にやらせていた社会などというのは、そういう社会体制を基礎とする西洋か、日韓併合前の朝鮮くらいなものです。
一部の貴族だけが贅沢の限りを尽くし、一般の民衆が搾取され(中世ヨーロッパや、李氏朝鮮では、平均寿命が24歳くらいだった)る社会では、文明はかならず停滞し、退廃します。
逆にいえばインカは、すぐれた統治と豊かな民生のある武器を持たない文化が、そこにあったということです。
ところがインカは、それだけ発達した交通網や文化を持っていたことが、結果として、文明を滅ぼしています。
どういうことかというと、スペインの掠奪者、フランシスコ・ピサロの一行がやってきたのです。
武器を持たないインカの民に対し、ピサロは情け容赦なく銃をぶっ放し、女を強姦し、黄金や貴金属、宝石などの富への略奪を重ねました。
そして和平を願って交渉にきたインカの王、アタワルパを逮捕し、まる裸にして辱め、殺害し、ついには、わずか180名(たった180名です)の180丁の銃で、1600万人の人口を持つインカの大帝国を滅ぼし、その文明の痕跡さえも失うまでに、略奪し、滅ぼしているのです。
滅ぼした人数は、たったの180人です。
滅ぼされた側は1600万人です。人口のわずか0.001%です。
けれどたったそれだけの数のスペインの乱暴者が、1600万人の人口を持つ一国の文明を滅ぼし、富も、政治体制も、歴史も文化も、そして言語までも破壊し、失わせています。
申し上げにくいことだけれど、いま、ペルーのインディオたちのDNAは、100%インディオの純潔種というのはいません。
ほぼ100%の人が、スペイン人のDNAを持っています。
これがどういうことか、何を意味しているかは、ご想像におまかせします。
「武器を持たない文化」は、戦後の日本がそうであったように、内政面で人々の平和をもたらし、話し合いと共存、民生技術の進歩等、人々の生活を豊かにします。
なぜなら、対立したときの問題の解決に武器を用いることができない分、発達した内政用の統治システムが必要となるからです。
インカの滅亡は、大切な事実を、私たちに語りかけてくれます。
それは、すぐれた内政統治システムも、歴史も伝統も文化も、そこに安住すれば、「武器を持った粗暴な外国人」の前に、まったく無力だということを証明しているからです。
日本には、ポルトガル人たちが、インカにスペインがやってきたのとほぼ同じ時期にやって来ました。
ポルトガル人も、銃を持っていました。
けれどその銃を見た種子島の領主は、なんと現在のお金で銃一丁を5000万円という高値で、二丁も買い取りました。
ポルトガル人にしてみれば、これは大儲けです。
彼らは、これはすごい商売になる!と、さっそく本国に帰って大量の銃を仕入れ、船に積んでふたたび種子島に運び込もうとしました。
ところが日本は、ポルトガルの船が再びやってきたときには、種子島では買い取った銃を分解し、なんとポルトガル人の数十倍の火縄銃を、量産していたのです。
しかも、ポルトガル人の所持する銃よりもはるかに性能がいい。
だからポルトガル人は、日本を植民地にできなかったし、日本文明を滅ぼすこともできませんでした。
幕末も同じです。
黒船来航の何年かのちには、日本では、各藩が、それぞれに蒸気機関を開発していました。
軍艦も買い取ったし、日本中の武士たちが、攘夷と称して刀を持って暴れまわっていた。
これでは欧米列強は容易に日本に上陸できません。
そうやって時間稼ぎが行われている間に、日本はどんどん国力をつけ、明治政府が誕生する頃には、日本の保有する軍艦の数は、欧米から渡航してきている黒船を、少なくとも数の上では圧倒するレベルにまで達していきました。
何日か前に、広島と長崎に原爆が落とされたのは、日本がその時点で核による反撃ができる可能性が皆無だったからだ、と書かせていただきました。
現在でも、世界には、話し合いや和の心だけで平和的に物事を解決できるだけの高度な世界的統治システムは完成していません。
話し合ってダメなら、あとはチカラに物を言わせる。つまり戦争をして白黒をつける。
それが世界秩序です。
世界は、いまだに法のない群雄割拠の時代にあるのです。
言い換えれば、世界に向けて正義を実現できるのは、話し合いだけでなく、武力が背景にあるときだけです。
弱虫は、どんなに正しい理屈を垂れても馬鹿にされ、蹂躙されるだけなのです。
そしていまの日本は、あきらかにChinaやKoreaに馬鹿にされ、蹂躙されています。
簡単に言ったら、やくざ者に舐められているのです。
この日本の現状を救い、本来の日本の歴史、伝統、文化を取り戻すためには、私たち自身が、武力行使も辞せずという強い信念と実力を持たなければならないのだと思います。
※この記事は2015年6月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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