武をもって対峙するというのは、もとからの日本文化ではありません。 日本文化は、共存と共栄、そして世界中に繁栄と安定と豊かさによる幸せをもたらす文化です。 そういう文化を、これからの日本は、もっともっと大切にしていきたいと思う次第です。 |
天の鳥船

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
筆者の個人的意見としては、おそらく太古の昔の日本、すなわち4万年前から3000年くらい前までの日本は、ほぼ完全な海洋民族国家であったのであろうと思っています。
なぜなら日本人は、3万8千年前には磨製石器を得るために伊豆から神津島まで外洋航海をする技術を持っていたし、1万7千年前からの縄文時代の遺跡には、ほぼすべて貝塚があり、釣り針なども出土している。
つまり、海に面したところに住み、外洋航海ができる船を持ち、漁労をして生活していたであろうことが、数々の遺跡から確認することができるからです。
面白いことに、日本列島から水行1年(海を1年船で行った先)には裸国・黒歯国があり、そこもまた倭種(日本人と同種)であると、これはチャイナの様々な史書(文選、三国志、後漢書、梁書、魏志、等)に書かれていることです。
日本列島から、船で1年行った先には、中米や南米があります。
そして南米のペルーには、自分たちの祖先が日本からやってきたのだという伝説があります。
また倭人(日本人の旧名)たちは、他にも東南アジア方面から、イスラエルのあたりまで進出していた可能性があり、このためイスラエルあたりにあったとされるシュメール文明も、倭人がもたらしたという話があります。
なぜならシュメール文字は、日本の神代文字で解読することができ、またシュメール人たちは自分たちのことを「ウンサンギガ」と呼んでいたとされますが、これは古代日本語の「海さん(から)来た」に酷似しています。
古代シュメール語と古代日本語が酷似していることから、シュメール人が日本にやってきて日本文明が成立したのでは、という話がネットにあふれていますが、逆だと思います。
理由は簡単です。
文明や文化というものは、突然、降って湧いたように興るものではなく、それ以前からの蓄積があって初めて興るものだからです。
さらにいうと、シュメール語は、どのヨーロッパ系語族とも異なる構文を持ち、このため一般に言語系統が不明とされています。
ではシュメール語がどのような構文を持つのかというと、なんとこれが日本語と同じ撞着語であり、日本語と同じ主語・目的語・動詞という順番で話されるSOV型言語です。しかも日本語と同様、冠詞がない。
シュメールはおよそ7〜8千年前からはじまったとされますが、残念なことに、シュメール以前の文明の痕跡、もしくは、その痕跡がシュメール文明に至るまでの過程を証明する遺跡がありません。
逆に日本では、およそ4万年前からの文明の蓄積が確認されていることにくわえ、日本人(倭人)が海洋民族であれば、船に乗ってどこまでも行くし、着いた各地に文明をもたらしたとしても、何ら不思議ではないし、そのように考えることが合理的だからです。
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一方、南米には、「南米の文明は白い人がもたらした」という伝説があります。
「白い人」だから「白人種」だとばかり言われていますが、それにしては、もとの原住民であるインデオたちと、白人種には、種の同一性がありません。
一方、倭人(日本人)は、イエローのなかでも特に色白だと言われ、これはチャイニーズやコリアンにもない倭人独特の特徴です。
つまり、「白い人」とは、倭人達である可能性が高いといえます。
おそらく倭人たちは、日本列島からグアム島までに至る列島線、および九州から台湾に至る琉球諸島線(琉球諸島ではなく沖縄諸島と書けという人がいましたが、沖縄諸島は、沖縄本島周辺だけのエリアを指します。九州から台湾までの琉球諸島と同義の言葉としては、南西諸島という言葉がありますが、あまり一般的でないので、本稿では琉球諸島と書いています)のあたりを中心に、海辺に住み、気候条件に合わせて船で居住地を変えながら、相互に往来する高度な文明を形成していたものと思われます。
ところが7300年前にアカホヤの破局噴火があり、多くの人が死に、居所を奪われた倭人たちは、新たな天地を求めて、このとき世界中に散ったのではないかと思います。
このため、ちょうどこの時期あたりから、過去との脈絡まったくなしに、チャイナの揚子江の流域や朝鮮半島に、突然、高床式住居に住む稲作文明が生まれたり、あるいはイスラエルのあたりにシュメール文明が生まれ、また、南米のインカやマヤの文明が生まれています。
このように世界同時に文明が発祥したことを、百匹目の猿現象で説明する人は多いのですが、かなり無理があると思います。
むしろ、アカホヤの噴火によって、倭人達が世界に散って行って文明文化をもたらしたとするほうが、合理的かつ論理的なのです。
なぜなら、日本には、噴火以前から高い文明があり、それが継続していたことを明らかにする遺跡が、多数遺っているからです。
古事記のイザナギとイザナミが生んだ神々の名をつなげてみると、次のような記述を読み取ることができます。
「はじめに大切なことをいいます。
石と土が加工されて石でできた町並みがあり、
その町並みには大きな出入り口と、
大伽藍(だいがらん)があり、
風を防ぐ大きな塀があり、
そこは海に面していて川もあり、
大小様々な水門もあり、
波の激しい日も、海が凪いでいる日も、
天の分水嶺にも、国の分水嶺にも
出入りすることができ、
風の神や山の神、霧や谷間や窪地から様々な神様が、
天鳥船に乗って、
たくさんの食べ物をもってやってきた」
太古の昔、倭人たちは船に乗って世界を駆け、そして世界に出ていった人たちも、元の親のいるところとの交流を欠かさなかった・・・まるで今も残る盆と正月の帰省みたいです。そんな光景が浮かびます。
こうしたことも、海洋民族だから可能なことで、陸上では移動に時間がかかりすぎるし、移動自体が大変です。
これに対し、海洋文明は、そもそも移動を前提とした文明ですから、相互交流が行われていた。
このとき使われていたのが、天鳥船(あめのとりふね)です。
天空を駆ける鳥のように、帆を張った船であったことでしょう。
縄文時代においても、倭人たちは、なにもムラに押し込められ、土地に縛り付けられて生きていたわけではありません。
貝塚があり、釣り針が出土するということは、海に漁に出て暮らしていたわけです。
つまり海洋民族の、陸上の居所だったところが、いま、縄文時代の貝塚遺跡となっているとみることができます。
こうした日本社会に、大きく変更が求められたのが、1400年前のことです。
戦乱が続いていたチャイナに、超軍事大国である隋が出来、周辺国への侵略を開始しました。
その隋は、あまりに戦争が酷くて、わずか37年で滅んでしまいますが、次に生まれたのが唐の大帝国です。
そして唐もまた超軍事大国でした。
こうなると対抗上、わが国も国を統一国家にし、国防をきちんとしていかなければならなくなります。
国を護る国防を実現するためには、わが国の領土範囲を明確にする必要があります。
つまり、どこからどこまでをわが国の守備範囲とするのか。
このことは、国防を考える上において、たいへん重要な要素といえます。
海を1年渡った先にある裸国、黒歯国などは、このときにおそらく倭国のエリアから意図的に外されることになったのでしょう。
そうすることで日本は、日本列島と周囲の諸島までを日本の国土とするということを、この頃に定めることになったのであろうと思います。
そして、新たに領域の定まったエリアを、あらためて持統天皇が飛鳥浄御原令のなかで、「日本」と呼びました。
倭国という字は、「倭」が小さい人を意味する日本人への蔑称だというのは、俗説です。
「倭」という字は、「禾(稔った稲穂)+女+人」で成り立つ字です。
つまり稲作をする平和な人々を意味する言葉です。
いまでも、田植えは女性の仕事とされている地域が多いですが、陸上での稲作は女達の仕事であり、男は海に出て漁をする。そんな生活が、おおもとにあったと考えることが論理的です。
大和言葉で「わ」は、調和を意味しますが、太平洋から中東まで、海を駆けていた倭人(わ人)たちは、チャイナの軍事大国の脅威の前に、あらためて国防を、日(つまり天照大御神の直系の子孫である天皇)の本(もと)にある元手体的なエリアだけを、このとき「日本(ひのもと、やまと)」と呼び、また米による助け合いを根本とした国造りが始められたのだと思います。
つまり、意図して国の領域を狭くすることで、絶対的国防圏を明確にしようとしたわけです。
以来、1300年。
紫式部の時代までは、まだ裸国・黒歯国も日本の一部という認識はあった(源氏物語にその記述がある)ようですが、その後の長い歳月は、いつしか遠く離れた異国の地にある倭人達、かつての血を分けた仲間たちのことを忘れ、日本は、日本列島の中に、いわば「ひきこもる」ようになりました。
大日本帝国の時代に、かなりのエリアを植民地から解放しましたが、そのために日本は武を用いざるを得なくなりました。
しかし、武をもって対峙するというのは、もとからの日本文化ではありません。
日本文化は、共存と共栄、そして世界中に繁栄と安定と豊かさによる幸せをもたらす文化です。
そういう文化を、これからの日本は、もっともっと大切にしていきたいと思う次第です。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
Toshiro Akizuki
2021/07/13 URL 編集
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2021/07/12 編集