昔の日本の農家には名字がなかったのか?



次回倭塾は7月17日(土)13時半から富岡八幡宮婚儀殿、テーマは「幻の極東共和国と古代の日本」です。
詳細は→https://www.facebook.com/events/884676452313311


英語ができないから、外国人とのコミュニケーションが取れないのではないのです。
日本人が日本を知らず、説明できないから、外国人とのコミュニケーションがとれないのです。

20190710 シラスとウシハク



人気ブログランキング
応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

先日、おかしなことを言うセンセイに出会いました。
そのセンセイは、
「江戸時代までの日本の農家には
 名字(苗字)がなかった」
と、このようにおっしゃる。

おっしゃることは、間違いではないのですが正解でもない。
しかもこのセンセイ、いろいろ聞いて行ったら、どうも、氏(うじ)と姓(かばね)と名字・・・つまり我が国の氏姓制度をずいぶんと混同していらっしゃるようです。
氏姓制度は歴史が古いだけに、時代とともに様々に変遷していますが、ものすごく簡単にまとめると次のようになります。

「氏(うじ)」 =同じ人を祖先に持つ血族集団(桓武平氏・清和源氏など)
「姓(かばね)」=朝廷から与えられた官職(朝臣(あそん)・宿禰(すくね)・連(むらじ)など)
「名字・苗字」 =土地や目印となる施設などによって分類したラストネーム

ですから織田信長であれば、本当は
「平 朝臣 織田 上総介 三郎 信長」が正しい名前です。

ひとつひとつみていくと、
「平(たいら)」 = 血族集団を示す「氏(うじ)」
「朝臣(あそん)」= 朝廷からいただいた名誉称号
「織田(おだ)」 = 住まいのある地域を示す名字(苗字)
「上総介(かずさのすけ)」=役職名を示す官位
「三郎(さぶろう)」=通常時に使用する名前としての字(あざな)
「信長(のぶなが)」=通常は隠しておく本名としての諱(いみな)

という構成になります。
けれど、これを毎回全部読み上げていたら、落語の「じゅげむ」ではないけれど、あまりに長くて使いづらい。
そこで通常は、
一般の人は「上総介殿(かずさのすけどの)」と呼ぶし、親などは「おい、三郎!」てな具合に呼んだわけです。

では、農家の場合はどうなのかというと、命があって、いま生きているということは、当然、ご先祖があるわけで、そのご先祖も、20代もさかのぼれば、日本全国、みんな血がつながってしまいます。(※)

※人が生まれてくるためには、必ず父1名、母1名の都合2名が必要です。その父母が生まれてくるためには、父方の父母(祖父母)、母方の父母(祖父母)の、計4名が必要です。さらにその4人の祖父母が生まれるためには8人の曾祖父母、その人達がうまれてくるためには16人の高祖父母と、2のn乗分の祖先が必要になります。
一代はおよそ25年で、百年で4代が入れ替わりますが、500年(20代)さかのぼると、祖先の数は100万人、23代さかのぼると、当時の日本の人口と等しくなり、さらにそれ以上にさかのぼると、日本人が全員、どこかでご先祖がかぶっていないと、今の人口にならなくなります。

そんななかで、農家の場合は、おおむねその土地で一生を送ることになりましたから、これまた同族集団となり、その同族は、天皇家の血筋、八百万の神々の血筋、藤原家の血筋、平家の血筋、源氏の血筋などに収斂されることになります。
ですが、日本全国が、藤原氏か平氏か源氏というのでは、同姓同名ばかりになってわかりずらい。
そこで、苗字が使われるようになるわけです。



 最新刊
 
この苗字は、たとえば上州新田郡(じょうしゅうにったごおり)であれば、新田さんを名乗ったり、あるいは、新田郡の中の川上や、川下、田んぼの北側や南側といったことで、さらに細分化されて、川上さん、川下さん、北側さん、南さんといったように、さらに細かな苗字が作成されるようになりました。

江戸時代には、寺請制度といって、お寺が戸籍や住民登録の管理をしていたのですが、お寺としては、お寺近くの北田、南田、東田、西田、中田というように分類して、その北田の五兵衛さん、花子さん、といったように記帳をしていたわけです。

ちなみにこの寺請制度というのは、ある意味たいへん合理的なシステムです。
なぜなら菩提寺でなければお葬式をあげてはいけない。
人の致死率は100%ですから、これで住民台帳の管理が完璧にできるわけです。

こうした寺請制度が崩れたのが明治のはじめです。
明治新政府は極端な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)政策を行い、お寺を不要なものとした挙げ句、それまでお寺がやっていた住民台帳の管理を役所が代行するようにしました。
今も続くお役所の住民課の仕事は、こうして明治のはじめに生まれたわけです。

この「役所で住民台帳を管理する」ということが行われたとき、あらためて、国民全員が、役所に名前を届けることになりました。
時は明治のはじめです。
四民平等の時代です。
ですからいまさら
「平(たいら)」 = 血族集団を示す「氏(うじ)」
「朝臣(あそん)」= 朝廷からいただいた名誉称号としての姓(かばね)
「織田(おだ)」 = 住まいのある地域等を示す名字(苗字)
「上総介(かずさのすけ)」=役職名を示す官位
「三郎(さぶろう)」=通常時に使用する名前としての字(あざな)
「信長(のぶなが)」=通常は隠しておく本名としての諱(いみな)
もないだろうということで、
「名字(苗字)」と、字(あざな)、または諱(いみな)だけで登記をすることになりました。

このとき、お寺では「千代田区内幸町の北田の五兵衛さん」と管理していたものを、
役所では、「千代田区役所が管理する千代田区内幸町の北田五兵衛さん」と管理することになりました。
つまり、ここで苗字が、あらためて名前の一部になったわけです。

このとき、田中さんに相当する苗字は、読みやすければ、あとは好きなように申告して構わないということになりました。
そこで町内をあげて、北田姓で登録したり、たまたま領主の名前が江藤だからみんなで江藤さんにしたり、小名木さんの領地だからと小名木姓にしたり、「いや、オラッチはもっとかっこいい苗字にしたいから」と、菅、安倍、福田を名乗ったりと様々な苗字が届けられて、いまに続くわけです。

ちなみにこのとき、血族集団を示す氏(うじ)や、名誉称号としての姓(かばね)が省かれたのは、四民平等によって、日本全国がひとつ屋根の下に暮らす、天皇の臣民とされたことによります。

つまり、我々が現代において、自分の名前を
 千代田内幸朝臣藤田家の住人北田五兵衛
(千代田区役所が管理する内幸町の町内の朝廷の臣下である朝臣の藤田家の住人の北田五兵衛)
と、長々と記述しなくても済むのは、
国民全員が天皇の臣下であって、いちいち朝臣とか宿禰とか記入しなくてよろしいということになったこと。
四民平等で、領主の名前をいちいち記入しなくてもよくなったこと。
そして千代田区内幸町までは、役所の名前で代行できるから、平素名乗るのは、北田五兵衛だけで良いということになったからです。

冒頭のセンセイのご意見の、「農家には名字(苗字)がなかった」というのは、何やら農家を差別でもしていたかのような印象を受けます。
名字(苗字)がなかったわけではなくて、これは町名などで一括されていたわけですし、名字とは別に農家には、ちゃんと氏(うじ)がありました。
それらが明治の制度改定によって、単に届け出された苗字に代替されたのです。

 *

戦後は、このように、微妙に表現を操作することで、あたかも古い時代の日本が、まるで半島のような身分社会であり、あたかも農家が差別でもされていたかのような印象操作が目立ちます。

とんでもない話です。

我が国は、神武創業の当初から、農家を国の柱とする稲作国家であり、国民全員が、国家最高権威である天皇によって「おほみたから」とされる、つまり世界の歴史では考えられないような高貴な身分を日本人全員が与えられていたという歴史を持つ国です。

そういう誇りある歴史を、私達自身が、まず取り戻す必要があります。

英語ができないから、外国人とのコミュニケーションが取れないのではないのです。
日本人が日本を知らず、説明できないから、外国人とのコミュニケーションがとれないのです。


お読みいただき、ありがとうございました。
YOUTUBE 日本の心をつたえる会チャンネル


人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、メールでお申し出ください。
nezu3344@gmail.com

 最新刊
 

《塾・講演等の日程》
どなたでもご参加いただけます。
第82回倭塾 4月17日(土)13時〜 富岡八幡宮婚儀殿
第83回倭塾 5月23日(日)13:30〜 富岡八幡宮婚儀殿
第84回倭塾 6月26日(土)13:30〜 富岡八幡宮婚儀殿
第85回倭塾 7月17日(土)13:30〜 富岡八幡宮婚儀殿
靖国神社昇殿参拝 8月14日(土)14:00 靖国神社参集殿
第86回倭塾 9月18日(土)13:30〜 富岡八幡宮婚儀殿



20200401 日本書紀
◆ニュース◆
最新刊『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』2020/9/19発売。
『[復刻版]初等科国語 [高学年版]』絶賛発売中!!
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』絶賛発売中!!
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』絶賛発売中。


『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!


             
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんの学ぼう日本の最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

こちらもオススメ

コメント

みょみょみょみょ~ん

田堵負名
律令時代、班田収授の法が実施され、全国の土地を朝廷が一元管理して、田を班(わか)って口分田として農民に貸し出しました。そのために人民の戸籍を整備しています。残された戸籍を見ると「○○村の××、妻△△」のような記載の仕方で村名(地名)で人を識別していることが分かります。

班田制が行き詰まると、朝廷/国衙は口分田や乗田を名(みょう)という単位に分割し、それぞれの経営を「富豪の輩」と呼ばれた田堵に委任するようになった。田堵は元郡司や土着した国司を出自とする在地の富農層で、名の経営を請け負った者は負名(ふみょう)と呼ばれました。

11世紀に成立したと思われる『新猿楽記』には「出羽権介の田中豊益は、農業経営を専門とし、数町の田地を経営する大名田堵である」とあって、「田中」という名乗りの田堵がいたことが分かります。この史料から名(土地)と負名(人)が同じ名字を使っているとは断言できませんが、そう推測しても否定もできません。この時代、まだ平安京の貴族たちはまだ藤原・源・平・橘・菅原・大江などの氏姓を使っていました。

非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
9:00~12:00
15:00~19:00
定休日  木曜日

スポンサードリンク

カレンダー

09 | 2021/10 | 11
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク