盧溝橋事件までの近代史の流れを大づかみに俯瞰する



次回倭塾は7月17日(土)13時半から富岡八幡宮婚儀殿、テーマは「幻の極東共和国と古代の日本」です。
詳細は→https://www.facebook.com/events/884676452313311


破壊が済んだら、次に必要なことは何でしょうか。
最初は破壊の修復です。
修復が済んだら、新たな枠組みの建設です。
そしてその修復のためにも、建設のためにも、必ず必要になるのが、誠実さと誠意です。
日本は、ここで悪の道に進んで歪んではならないのです。
それこそが日本の国の、縄文以来の変わらぬ国柄であり、神々の心なのだと思います。

20180712 7月花
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

盧溝橋事件から第二次上海事変までの近代史概略を述べてみたいと思います。
結構、目からウロコだと思います。

先に年表をお示しします。
すべて昭和12(1937)年の出来事です。
いまから81年前に、このように緊迫した時代があったのです。

【時系列】
7月 7日、盧溝橋事件 現在この日は人民解放軍の抗日戦争記念日に指定
7月13日、大紅門事件 China兵が北平(北京)大紅門で移動中の日本軍トラック2台に、突然手榴弾を投げ込んで日本兵4人を死亡させた事件。
7月14日、China兵が日本の騎馬兵を惨殺
7月16日、事件を収拾させようとする宋哲元に対して、蒋介石は「日本の策謀に乗じるな、戦備を整えよ」と打電。
7月19日、蒋介石がラジオで『生死関頭』演説を行い戦争の決意を表明
7月25日 廊坊事件、日本軍が国民党から一方的に攻撃を受ける。
7月26日、広安門事件、日本軍が国民党から一方的に攻撃を受ける
7月29日、通州事件 日本人居留民約260名が人類史上最悪といえる残虐さで虐殺される
8月 9日、大山中尉惨殺事件
8月13日、第二次上海事変勃発
8月14日、China軍が上海市街のキャセイホテルやパレスホテルなどを爆撃。
Chinaはこれを日本軍の仕業だと世界中に宣伝。
8月15日、松井石根大将を司令官とする上海派遣軍を編成
8月23日、国民党軍が上海のデパートを爆撃。日本軍の仕業と世界中に宣伝


盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)に入る前に、この事件に至る背景を申し上げたいと思います。
1911年の辛亥革命によって大清帝国を倒した国民党は、中華民国という新たな政権を打ち立てようとしました。
この中華民国の誕生時には、後にChina共産党を組織する毛沢東も、一緒にその誕生を祝っていました。
ところが1917年にロシア革命が起こり、1922年にスターリンがロシア共産党の書記長に就任すると、同年12月にはソビエト社会主義共和国連邦(略称ソ連)が樹立されます。

そのソ連は、世界を共産主義にすることを旗印とし、China共産党を裏から援助してChina国内の混乱に乗じて中華民国政権を打倒し、Chinaに共産党政権がもたらされるように仕向けました。
世界の先進諸国は、共産主義の行う人命軽視をことごとく警戒したし、中華民国にとっても、中華民国の打倒を図ろうとするChina共産党は政権転覆を狙う破壊集団として警戒すべき対象となります。

そこで蒋介石は、China国内にいる共産主義者を徹底的に弾圧しはじめました。
弾圧されれば当然、共産主義者たちも抵抗します。
そのリーダーとなっていた毛沢東は、共産主義者たちを組織して革命軍として八路軍を組織し、これによって蒋介石率いる国民党と、八路軍が正面衝突するようになりました。



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共産党軍である八路軍は各地で敗退を重ねて次第に追い詰められ、ついには西安近郊にわずかばかりの兵力を残すのみという状況に至ります。
ところがここに、もうひとつの軸がありました。

清国は、清国皇帝が北京を離れて、聖地である満洲に、1932年、新たに満洲国を建国するのですが、実はそれ以前に、満洲あたりを牛耳っていた軍閥の張作霖が、満洲エリアの王を名乗って、国中から収奪の限りをつくしていたのです。
その張作霖が1928年に爆殺されると、息子の張学良が跡目を継ぐのですが、結局、暴政がたたって張学良は満洲を追い出されるのです。

権力を取り戻したい張学良は、西安に軍事視察にやってきた蒋介石を拉致し、八路軍に引き立てます。
この西安事件で、蒋介石と毛沢東は裏で手を握ることになるのですが、ここで活躍するのが蒋介石の◯の◯◯◯と、張学良、毛沢東らです。
実は彼らは同じ一族の生まれだといわれています。
そしてこの一族は英国がChinaに阿片で進出する際に手足に使った一族でもありました。

いわゆる植民地支配といっても、欧米人には東洋人や黒人の言語はわかりません。
ですから現地の言葉のわかる通訳が必要になるわけで、多くの場合、これをその地域に住む少数民族にやらせます。
つまり現地国の社会から排斥されている少数民族に何らかの特権を与えて、これを手足に使う。
これを植民地支配のための間接統治などと言います。

少数民族の側は、宗主国の言うことを聞いている限り、宗主国のバックを得て当該国内の特権層となってあらゆる私的利益を享受することができるのですが、特権階級になるということは当該国内で蛇蝎のごとく嫌われるということですから、宗主国から嫌われて見捨てられれば、残るのは死のみということになります。

まさにアメとムチなのですが、日本でも米国がGHQ体制を敷いたときに、同様の特権民族が生まれました。
もっとも日本では、当該少数民族はあまりにもレベルが低くて、米軍の将校の妻女にまで手を出すようになり、結局GHQからも見放されてしまったのですが、幸か不幸か日本人は民度が高く、彼らを一様に否定することはせず、なんとかして日本社会に温かく迎え入れようとしてきました。
結果が、良かったのかどうかは、なんともいえませんが・・・。

さて、Chinaにおいて英国から特権を得た少数民族は、英国製阿片の人気もあいまって、China全土の裏社会を牛耳っていきます。
つまり、昭和初期の頃のChinaは、政治的には国民党と共産党が政権を争って激しく戦っている一方で、その両方に阿片を売り渡して巨富を得ていた一家がいたわけです。

当時のChinaには、北京議定書に従って、列強各国が軍を駐屯させていましたが、どの国も阿片売買に関しては、カネと酒と女で籠絡して買収できたのに対し、日本軍が治安を預かっているところでは、一切の買収が効かない。
民間の治安確保のために、密売業者は排除されます。
つまり、当該一家にとっては、まさに日本軍は侵略者そのものであったわけです。

悪得集団にとっては、善意ある集団は極めて邪魔なものです。
斜めの人たちからは、真っ直ぐなものが斜めに見える。
それと同じことです。
そして当該一家から見れば、真面目でしっかりしている日本軍は、まさに邪悪そのものに見えたわけです。

こうして一家は、むしろ共産党と国民党を結ばせて、日本軍に当たらせる、という選択をします。
頽勢だった共産党にとってはこれは大歓迎だし、国民党にとっては、それまでのドイツからの支援ではなく、米英の支援を得るチャンスとなりました。

China社会というのは、誰もが「自分さえ良ければ」という社会です。
自分と自分を取り巻く限られたごく少数の家族だけが潤えば良いのであって、他の人々がどうなろうと知ったことではないというのが根底にあります。
その潤いというのがカネであって、要するにどうすればカネを得ることができるかが、彼らの行動の一番の物差しになります。

こうして裏社会で密かに日本軍排斥が決まり、盧溝橋事件へと発展していくわけです。

日本では、軍はどこまでも「たける(竹る)」ための存在です。
日本人なら軍人も民間人も、誰もがそのように考えるし、軍人はそうした期待に応えようと日頃から身を律して働きます。
これは武士の時代どころか、もっとはるかに古い防人の時代から、日本ではずっとあたりまえの常識とされてきたことです。

ところがChinaでは、軍とヤクザと暴徒は同じものです。
暴徒たちを利用して、上に立つ者が個人およびその周辺にいる限られたごく少数の家族の利得を図るというのが、彼らの流儀だし、その暴徒達の中にも、細かな上下関係があり、収奪関係があります。
人は一切信用できず、自分に利益をもたらすか、もたらさないかだけが判断の物差しとなります。

盧溝橋事件は、突然の発砲事件によって始まりました。
最近の教科書などには、
「この事件が日中戦争のきっかけとなった」と書いているものがありますが、これは2つの点で歴史認識として成り立ちません。

第一に日中戦争という用語の嘘です。
日本語に「日中戦争」という用語はもともとありません。
支 那事変か日華事変というのが正式名称です。

大東亜戦争という用語は、昭和16年12月12日に内閣決議で決議された用語で、さらに翌昭和17年2月17日には、法で定められていた「支 那事変」の呼称も、「大東亜戦争」に含めると閣議決定されています。
ここでいう「支 那事変」は、昭和12年(1937年)9月2日の「事変呼称ニ関スル件」という閣議決定で、「今回ノ事変ハ之ヲ支 那事変ト称ス」と定められたことによります。
それ以外の呼称はありません。

ちなみに大東亜戦争について、戦後は英語の「The Pacific War」を邦訳した太平洋戦争という用語が普及しましたが、日本政府がこの名称をその後に正式採用したという事実はありません。
そもそも、当時の大日本帝国の戦いは、何も太平洋に限ったことではなくて、China満洲から東南アジア諸国にまで広がる広大なエリアで戦いを繰り広げていました。

ですから英国の教科書では、この戦いについて「War with Japan(対日戦争)」という用語が用いられていますし、英国の歴史学者クリストファー・ソーンは、「むしろ『極東戦争』と呼ぶべきである」と提唱しています。
では、日中戦争という用語は、どこが使っているのかというと、中共政府です。
中共政府は、この戦争のことを「中日戦争」と呼んでいます。
これを日本を主語にひっくり返したのが「日中戦争」で、ですから「日中戦争」の語を用いる人は、中共政府から賄賂をもらって抱き込まれたか、その抱き込まれた人の影響下にある人たち、ということになります。
なぜなら日本政府が正式に決定した名称を故意に用いないからです。

ちなみに戦争や、軍事衝突を意味する事変について、名称を付けるということは、開始時期をいつと特定するかということと相まって、実はとても重要なことです。
単なる歴史用語だなどという、単純な問題ではありません。

軍は政府の命令で動きます。
従って、国が何年何月何日の何時何分から開始となったと規定すると、それ以降の軍人の給与は、特別手当の対象となり、事件中の戦死者や戦傷病者は、保障の対象となります。
これは政府による事件の終結宣言の日まで続きます。
夫を戦地で失った妻や子、あるいは戦傷によって子や夫が障害者となって帰還した家族にとって、政府がいつの時点からを保障の対象とするのかは、ある意味生活に直結した重大事なのです。

そして手当や恩給の支給には、どの戦いで戦死したのか、あるいは戦傷を負ったのかが、やはり重要な事項となります。
逆に言えば、戦争や事変の名前を勝手に変えたり、戦いの始期や終期について、いい加減なことを並べたてて日本を貶める人たちというのは、戦死者や戦傷病者への愛情のカケラもない人たちだといえます。

実際、大東亜戦争で日本が降伏してGHQの支配下に入っていた6年8ヶ月の間、戦死者、線病傷者への恩給は、すべて打ち切られていました。
これによって夫を失った妻女たちがどれだけ戦後に苦労をしたのか、また足や手や視覚、聴覚を失った戦傷病者たちがどれだけ、その間、食うために苦労を重ねたか。
すくなくとも、どんな言い訳さえも、障害者や戦死者に対するこの期間のGHQの態度は人道的なものではなかったということができると思います。

付け加えますと、日本はChinaにおける戦いを、正式に「支 那事変」と命名していますが、ここで「事変」と「戦争」の用語の違いについても明確化しておきます。
「事変」は、警察力で鎮(しず)めることができない規模の事件や騒動です。
「戦争」は、国家が自己の目的を達成するために行う軍事による国家間の闘争です。

そして支 那事変(以下日華事変と呼びます)の勃発の昭和12年(1937年)当時、Chinaには正式に国際社会で認められた公式な政府はありません。
当時のChinaには、日本が支援する南京政府、米英が支援する国民党政府、ソ連がバックについた共産党政府の3つ以外にも、冀東防共自治政府をはじめ、各地に自治政府が混在していました。
つまり統一国家の体をなしていません。

この時期のChinaは、群雄割拠の内乱状態にあって、認知された統一国家でないのですから、国家間の武力闘争を意味する「戦争」という用語を用いている時点で、すでに歴史捏造でしかないことになります。

このように申しあげると、米国内でかつて起こった南北戦争だって内戦なのに戦争と呼んでいるではないかという方がおいでになりますが、南北戦争は「アメリカ合衆国(北軍)と、南部11洲によって構成される「アメリカ共和国(南軍)」との戦争です。
つまり、国家対国家の国際戦争です。

日本においても、西南戦争とか戊辰戦争といった言葉がありますが、この当時は、各地の藩のことを「クニ」と呼び、日本全国のことは「天子様の下(もと)」という意味で「天下」と言い表すのが普通でした。
ですから戊辰戦争も西南戦争も、クニ対クニの戦いですから、戦争です。

ちなみに昔の日本語では、「役」「乱」「変」が区別されていて、
「役」は、他国との戦争(文永・弘安の役、文禄慶長の役など)、もしくは辺境のでの戦争(前九年の役、後三年の役など)
「乱」は、現政権に対する反乱(壬申の乱、応仁の乱など)
「変」は、政権に対する陰謀や襲撃(本能寺の変、桜田門外の変など)を意味していました。

従って、この用語の使い分けに従えば、大東亜戦争は、大東亜の役ということになります。
江戸時代までは、このように言葉の定義が明確だったのですが、幕末から明治にかけて、翻訳語が大量に生まれたために、定義があいまいとなり、厳密な用語の区別がなくなって、文字のイメージが優先するというおかしな事態になりました。

たとえば「レボリューション(Revolution)」の翻訳語は「革命」ですが、Chinaの易姓革命と、西洋のリボルビング、つまり復古運動(Revolve)を意味する「レボリューション」とは、もともと意味が違いすぎます。
また、日本における「いつくしき・のり」の漢訳語である「憲法」は、決して変えてはいけない万古不易の真実の法を意味しますが、これは英語の「コンチシューション(constitution)=共同体のための定め」とはまったく語彙が異なります。

また、日華事変の発端を言うなら、これは歴史の流れを見れば、1937年盧溝橋事件がきっかけというよりも、1936年の西安事件の裏合意こそがきっかけであることは明白です。
むしろ盧溝橋事件は、現地で早々に停戦がなされており、事件は現場レベルでいち早く解決してしまっているのです。

また、世界の常識として、「挑発(provocation)」を受けて「戦闘(Attack)」を行うことは、侵略ではありません。完全かつ正統な「自己防衛行動」です。
これは、軍事活動が、敵地で行われたか、自国の領土内で行われたかには一切、関係ありません。

たとえば日本が、日本国内にある米軍基地に攻撃を加えれば、それは侵略行為であって、米軍が応戦すれば、それは自己防衛行為です。
同様にChinaにある日本軍の基地が、Chineseによって軍事的攻撃を受けたなら、それは侵略行為であって、日本の立場はどこまでも「正当な自己防衛行動」です。
あたりまえのことです。

それを、あたかも日本の侵略のように言うのは、日本人を騙そうとする悪意です。
日本人は、「騙す人」と「騙される人」がいたら、騙す人のほうが悪いと考えます。
けれど日本人を騙そうとしている人たちに、そうした日本人的美徳は通用しません。

彼らは、日本軍の行為は正当な行為であったという、こんな単純なことを真逆に言い換える・・・つまりちょっと考えたら誰にでもわかるデタラメに、「騙される日本人のほうが悪い」、もっというなら、騙される日本人がアホだとしか思いません。
日本人は、いつまでアホでいるのでしょうか。

ただ、ここで大切なことをひとつ申し上げたいと思います。
それは、
「だからといって、いたずらに対立することが良いことではない」ということです。
クラスの中に嘘つき少年がいて、その子をみんなで攻撃したら、それでクラスが良くなるのかといえば、今度は逆に攻撃する側が悪者にされます。それは万国共通のことです。

だから「騙されっぱなしでいろ」ということではありません。
日本は対立したり、攻撃したりするのではなく、堂々と正しい日本の姿を、我々国民のひとりひとりが、人が見ていようがいまいが、示し続けていくことだけです。

昔、中学一年生のとき、同級生に親が自衛隊の子がありました。
その子は、親が自衛隊だからと、特定の教諭から名指しでイジメられていました。
残念なことですが、これは、当時、よくあったことです。
普通なら、他の子たちが、教師の言っていることが正しいと考えます。

けれどその子は、教師がイジメるほど、それを見返してやろうと、勉強に運動に頑張りました。
結果として、その子の偏差値はいつも75以上。学年順位もいつもベスト10以内にいました。
体育でも、成績は抜きん出ていました。

だから同級生たちは、教諭の言うことを、みんな「おかしい」と思っていました。
ある日、いつものようにからかう教諭に、他の生徒が、「先生!」と手を上げました。そして「K君をいじめるのはやめて下さい。授業をちゃんと進めて下さい」と発言しました。
他の生徒全員が、「ウンウン」とうなづきました。

以後、すくなくともウチのクラスでは、その教諭がK君やその親を非難することはなくなりました。

ただしく生きることが大事なのです。

支/那事変当時、日本に味方する欧米列強国はありませんでした。
当然です。
日本は、彼らの持つ植民地を「開放せよ」と迫ったのです。それは欧米列強諸国において影響力を持つ植民地支配をしている大金持ち層に、財産を放棄せよというのに等しいことでした。

けれど、その日本の姿に、多くの有色人種国が勇気をもって立ち上がりました。
そして世界から植民地がほぼ一掃されました。

では「次に何が必要が」を考えていただきたいのです。
すでに確立された世界を、戦いによって破壊しなければならないときというのは、あります。
しかし破壊が済んだら、次に必要なことは何か、ということです。

最初は破壊の修復です。
修復が済んだら、新たな枠組みの建設です。
そしてその修復のためにも、建設のためにも、必ず必要になるのが、誠実さと誠意です。

大事なことです。
日本は、ここで悪の道に進んで歪んではならないのです。
常に誠実であり、公正であること。
それこそが日本の国の、縄文以来の変わらぬ国柄であり、神々の心なのだと思います。


※この記事は2018年7月の記事の再掲です。
お読みいただき、ありがとうございました。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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