ソースを示せ、出典を示せは政治用語



本日13時半から富岡八幡宮婚儀殿で倭塾開催
テーマは「幻の極東共和国と古代の日本」です。
詳細は→https://www.facebook.com/events/884676452313311


「ソース」を否定しているのではありません。
事実と意見は異なるものであり、事実は常に公開された資料、意見は自分なりの意見。
誰かが述べたものなら、それは事実ですから、そのように述べさせていただきます。
けれど、自分で考えてたどり着いた意見や論は、それは筆者の見解であって、筆者の脳みそは食べ物ではないのですから、ソースをかけるつもりも、かけられるつもりも、そもそもソースをかけて食べられたくもありません(笑)

ソースカツ丼
20210701 ソースカツ丼
画像出所=https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000001839
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

「ソースを示せ、出典を示せ」とは、当ブログや私の動画などによく寄せられる言葉です。
必要なものは、いつもちゃんと示しています。
にもかかわらず、この言葉を発する人の多くは、この「ソース」という言葉に、何やら誤解があるようです。
それは、「事実」と「論」(ないし意見)をごっちゃにしている、ということです。

たとえば、西暦1600年に関ケ原の戦いが行われたことは事実です。
これには様々な証拠がありますし、行われたことはまず間違いないでしょうし、「あった」ことにまったく争いはないと思います。

けれど、「なぜ、どうして、家康が関ケ原の戦いを起こしたのか」
これついては、様々な意見(ないし論)があります。
そしてその意見(ないし論)の中には、学者が書いたものもあれば、小説家が想像したものもあり、本になっているものもあれば、そうでないものもあります。
当然のことながら、それら「意見(ないし論)」を根拠にするなら、それがソースや出典になります。

ところがそこでちょっとだけ立ち止まって考えていただきたいのです。
その意見(ないし論)が、なぜか一様に、同じものである場合、それは「おかしくないか?」ということです。
たとえば関ヶ原であれば、「家康の権力欲が引き起こした」という意見(ないし論)で語られたもがたくさんありますが、「そうではない!」とするものは、まったくありません。
これは、非常に不思議なことです。

なぜ不思議なのかというと、「事実」と違って、意見(ないし論)というものは、そこに100人の学者がいれば、そこに100通りの意見(ないし論)があるのが当然だからです。
人の顔貌(かおかたち)が異なるように、意見や論というものは、同じ事実を見ても、100人の人がいれば、100通りの意見や論があるのが普通であり、あたりまえであるからです。

以前、三内丸山遺跡に行ったときのことです。
六本柱の巨柱を見学していたら、案内のガイドのおじさんが、
「こういう場所ですから、
 全国から様々な考古学の先生がお見えになります。
 そして六本柱の巨柱が何故できたのか、
 どうしてそこに巨柱があったのか、
 みなさん、それぞれに様々なご意見をおっしゃられます。
 誰一人、同じ意見をおっしゃられる方がいないのです」
とおっしゃられていました。

要するに、100人の学者がいれば、本来、そこに100通りの意見や見解があるのが当然なのです。
まして、独自の研究が可能な学者の先生であれば、なおのこと、意見(ないし論)が違うのがあたりまえで、違って当然なのです。
それが、一様に同じ考え、同じ意見であるということの方が、おかしな現象なのです。

これは、時代を超えても同じです。
先日、武田邦彦先生がおっしゃられていましたが、
「千年前の紫式部が、
 いま空を飛ぶ飛行機を見たら、
 きっと『あれは天狗に違いない』と思うことでしょう。
 つまり我々は、現代の常識の範囲内でしか
 物事を考えることができないのです。
 そして我々がいま常識と思っていることは、
 千年後には、まったくの非常識になっていて
 あたりまえなのです」と。

つまり、いま正しいと思われていることも、ほんの2〜30年前の、ひとつの仮説にすぎないのです。
新たな発見や、新たな思考の枠組みによって、学説は次々と塗り替えられていきます。
そしてそのために必要なことは、それぞれが自由な説を述べることができるという社会環境です。

そうではなく、ひとつの意見しか認めないというのなら、それは全体主義です。ファシズムです。
いつから歴史や古典は、全体主義史観、全体主義古典になったのでしょうか。

このブログで何度も述べていることですが、
事実は
「西暦1600年に関ヶ原で戦いが行われたという複数の記録があり、
 その証拠となる遺物や遺構が数多く存在している」
という、そこまでだけが事実です。
「関ヶ原の戦いは家康の権力欲が引き起こした」というのは、これは「意見(ないし論)」であって、「事実」は、そういう意見(ないし論)があるということだけであって、意見(ないし論)自体は、事実ではないのです。

事実については、すでに確立された事実、一般に知られた事実や、誰でも知ることができる事柄しか、筆者は述べたり語ったりしていません。
しかし、意見(ないし論)まで、過去の誰かの意見(ないし論)に縛られたくはありません。
誰かの意見(ないし論)を根拠にしたいとも思いません。

「出典やソースを明らかにせよ」というのは、一見するともっともらしい理屈です。
しかし、過去の誰かの意見(ないし論)を根拠にしなければならない理由はありません。
事実なら、それについての出典は必要です。
しかし、意見(ないし論)は、その人の意見でしかなく、しかもその意見や論が、あまりに底の浅い、明後日の方を向いたものであれば、そのことを「○○教授の○○という本による」と書けば、それは名指しの批判であり、むしろ場合によってはその先生の名誉を傷つけることになってしまいます。

世の中で、悪というのは、人の名誉を傷つけることです。
筆者はそのようなことはしたくありません。
円錐を見て、「これは三角だ」という意見しかない。
反対論としては、「これは円形だ」という意見しかない。
そのような状況下で、「これは円錐という立体ではないか」と述べるとき、そこに出典やソースはあるのでしょうか。また、必要でしょうか。

根拠にしなければならないのは、常に「事実」だけです。
そしていまある意見(ないし論)を、いったん全部捨てて、あらためていちから「事実」を再構成することによって、従来知ることができなかった、まったく別な視点を得ることができる。
これはとっても楽しいことで、まるでトレジャーハンターにっとっての宝の山の発見のような感動と興奮があります。

逆に、事実ではなく、過去の意見(ないし論)に目を向けるなら、それは二つの結果しか生みません。
ひとつは、過去の論説への付和雷同であり、
ひとつは、過去の論説への批判、対立です。
この二つ以外に起こることはありません。

筆者は、付和雷同は嫌いです。
常に自由でありたい。
人の脳みその中まで、他人の意見に染められたくなどありません。

さりとて、対立することも好きではありません。
A先生は、こういう意見を持っている。
B先生は、こういう意見を持っている。
自分は、こういう意見を持っている。
それで良いのだと思っています。
何が正しいかは、今後の歴史が決めることですし、正しいかどうかということは、その時代の常識が決めることです。

かつての日本では、切腹をして責任をとることは正しいとされてきました。
けれど現代にそれは通用しないでしょう。
いまでも英国には、16世紀に作られた「ケルト人が夜、町を歩いているのを見かけたら、弓で射殺して良い」という法律が残っています。
廃案になっていませんから、いまでもこの法律は有効です。
ただ、いまでは運用されていないだけですが、すくなくとも16世紀には、それが正しいことと信じられていたわけです。

我々がいま正しいと思っていることは、あと何十年、何百年したら、ことごとく間違っていることになってしまう可能性のほうが、実は圧倒的に高いのです。
そうであれば、いまある常識や、意見や論などを「正しいこと」として、逐一出典にしソースにすることに、何の意味もありません。

くりかえしますが、「事実」については、根拠を明確にする必要があります。
けれど「意見(ないし論)」については、それを示す必要はありません。
否定すれば、その意見者を傷つけることになるし、間違っているのに肯定すれば、付和雷同になるからです。

もちろん、意見(ないし論)そのものが、画期的で普遍的な真実と思える時は、そのソースをちゃんと明らかにしています。
これは宮脇先生から教わりましたとか、加瀬先生から教わりました等々と、本文の中でちゃんと示しています。
普遍性がある意見(ないし論)だと思うからです。

けれど、普遍性のない、単なる学問政治の意見でしかないもの、たとえばいまではすっかり否定されている、「縄文人は鹿の毛皮を着ていたのだ」という意見について、いまになって書いていた先生を名指しで、そのような意見があったと、名指しで、これがソースですと示すことは、無駄なことであり、意味のないことであると思っています。

昔から、「無駄なこと、意味のないことに執着するのが素人、プロは無駄なことはしない」といいます(トム・クランシーの小説の中にあった言葉です)。

たいせつなことは、より合理的で論理的に新しい価値を生み出すことです。
企業であれば、顧客のために、より合理的で論理的な新しい価値の創出が、常に求められます。
それができない企業は淘汰されていきます。

従来の取り組みややり方、考え方に拘泥し、新しい価値を受け入れることができない企業は淘汰されていくのです。
かつて、石炭は国家なりと呼ばれた超一流企業であった石炭会社が、世の中の石油化によって、いまでは見る影もないのと同じです。

学問も同じです。
国のため、人のために、より合理的で論理的な新しい価値を常に創出していくことこそが、常に求められているのです。
それができなければ、かつて最強と恐れられたサーベルタイガーと同じです。
絶滅種になるしかなくなるのです。

だから、学問は、常に自由でなければならないと思うのです。
そして事実や、正しいと思われる意見については、出典を明らかにしますが、それ以外は、明らかにする必要はないのです。


筆者は、筆者の意見を皆様に押し付ける気は、まったくありません。
ですから筆者の見解に、「それは違う」と思うのも、「なるほど」と納得するのも、皆様の自由です。
そこに強制はありません。

「へそ曲がりの心得」というものがあります。
伊達政宗が、人生の指針としていた心得です。
常に、周りと異なる見解を持つ。付和雷同をしない。それが伊達政宗の心得だったのだそうです。

私は伊達政宗公のような偉い人ではありませんが、ただ、誰もが一様に「家康の権力欲がー」と述べている要するを見ると、そこに「いかがわしさ」を感じます。
誰もが同じ意見、あるいは同じ意見しか「公開されていない」というところに、作為を感じるからです。

悪いけれど、私は日本人に生まれたことに、心からの感謝を持つ日本人の男です。
そして日本男児は、褌一丁の素っ裸で、大あぐらをかいて、太刀の小尻をドンと突いている。
そんな自由闊達を身上にすると、勝手に思い込んでいます(笑)

意見なんて、人から強制されるものではない。
その意見を受け入れるか受け入れないかは、コッチが判断することです。他人様にとやかく言われる筋合いはない。

そして自分の意見自体、意見を述べたり書いたりしたその瞬間から、自己否定がはじまります。
もっと新しい、もっと正しい、もっと理解しやすい、もっと受け入れやすい、もっと深みのある見解になるように、必死になって、のたうちまわって、考え続ける。
個人的にそういうことが好きだし、楽しいのです。

「ソース」を否定しているのではありません。
事実と意見は異なるものであり、事実は常に公開された資料、意見は自分なりの意見。
誰かが述べたものなら、それは事実ですから、そのように述べさせていただきます。
けれど、自分で考えてたどり着いた意見や論は、それは筆者の見解であって、筆者の脳みそは食べ物ではないのですから、ソースをかけるつもりも、かけられるつもりも、そもそもソースをかけて食べられたくもありません(笑)


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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