いまから400年も昔の戦国時代。現代日本人の感覚としては、戦国時代というのは、有史以来最も国が荒れた時代です。けれどそんな時代にあってなお、若い女性がこれだけ高い教養を持ち、そして男も女も純粋に、必死で生きていたのです。そうすることができたのが日本の国柄です。そんなことを武田勝頼の妻から学んでみたいと思います。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
武田勝頼の妻の名は伝わっていません。北条氏康の6女であったことから、武田家では北条夫人と呼ばれていました。天正一〇年三月、織田信長が大軍で武田氏に攻め込んだとき、武田の旧臣たちが勝頼に背いたので、勝頼は百騎ばかりで城から落ちのびました。それは、夫人もようやく荷付馬(につけうま)に乗って、侍女らはみんなワラジを穿(は)いての逃避行でした。城には敵が攻め入り火煙が天をおおっていました。
勝頼たち一行は、天目山に遁(のが)れました。けれどそこにも、秋山摂津守が叛(そむ)いて火砲を発して襲ってきたので、鶴背のほとりに田野というところに隠れました。敵兵が潮(うしお)のように湧き出て攻めてきました。勝頼は夫人に告げました。
「武田の運命は今日を限りとなりました。
おまえは伴(とも)をつけて、小田原の実家に送り届けよう。
年来のおまえの情(なさ)けには深く感謝している。
甲府からどんな便りがあったとしても、おまえは小田原で心安く過ごしなさい」
夫人が答えました。
「おかしなことを聞くものです。
たまたまおなじ木陰(こかげ)に宿ことさえ他生の縁と申すではありませんか。
わけても7年。
あなたと夫婦の契(ちぎり)を結び、いまこうして危機に遭ったからといって
早々に離別されて小田原へ帰るならば、妾(わらわ)の名がけがれましょう。
ただ夫婦は、死生をおなじうすべし」
夫人は老女を振り返り、
「この年月は、
子ができないことばかり嘆(なげ)いて神仏に祈っていましたが、
いまはむしろ良かったのかもと思えます。
たとえ子がなくても
小田原は跡(あと)弔(とむら)い給うべし
(小田原はきっと弔ってくださることでしょう)」
故郷への手紙には、
女の身なればとて、北条早雲、北条氏康より代々弓矢の家に生まれ、
ふがいなき死をせしといわれんも恥ずかし。
妾(わらわ)はここにて自害せりと申せ」
手紙の上巻に髪の毛を切り巻き添え、
黒髪の みだれたる世を はてしなき
おもひに契(ちぎ)る 露(つゆ)の玉の緒
と詠ぜられました。そして敵軍、乱れ入り、一族郎党ことごとく討たれていくとき、夫人は声高く念仏を唱えて自害ししました。老女もともに殉死しました。勝頼も自害して、武田の一門はこうして滅亡しました。
「跡弔い給うべし」という言葉は、お能の「敦盛」のなかに登場する言葉で、次のように展開されます。
討たれて失(う)せし身の因果
めぐり逢ふ敵(てき) 討(う)たんとするに
仇(あだ)をば恩に 法事の念仏 弔(とむら)はば
終(つい)には共に 生まるべき
同じは蓮(はす)の 蓮生法師
そは敵にては なかりけり
跡弔(あととむら)ひて 賜(たま)び給(たま)へ
跡弔(あととむら)ひて 賜(たま)び給(たま)へ
現代語にすると次のようになります。
戦いに敗れて討たれて失われる、我が身の因果
めぐりあう敵は、愛の逢瀬のようなもの。
その敵を討った仇さえご恩のひとつと
感謝の念仏を唱えるならば、
次の世では互いに仲良く生まれ変わることもできるだろう。
互いに同じ蓮の根につながる魂ならば
敵も味方もありません。
どうか、あとの弔(とむら)いを頼みますね。
どうか、あとの弔(とむら)いを頼みますね。
「めぐり逢ふ敵」に、男女の逢瀬を意味する「逢ふ」という字が使われているので、
「めぐりあう敵は、愛の逢瀬のようなもの」と訳させていただきましたが、語感としては、これが最も正しい訳であろうと思います。たとえ自分の命を失うことがあっても、そこに愛を見出す。これこそが日本的な価値観といえるのではないかと思います。
昔から、位の高い魂は、時間軸を超えるといいます。我々が肉体を持って生きている三次元の世界では、時間軸は過去から未来へと一直線にしか流れませんが、もっと高次元においては、過去現在未来は、環(たまき)のようにつながっているのだそうです。これはたとえてみれば、A4版の紙のようなものです。紙を水平にして真横からみれば、それはただの直線です。けれど我々はその直線を、紙をまるめることで、自在につなげることができます。さらに紙を上から見れば、その紙の上に、無限に線を引くことができます。これが次元の違いです。
死ねば魂が肉体から離れ去ります。だからこれを「逝去(せいきょ)」といいます。「逝」という字は、折れて進む(辶)です。つくりの「折」はバラバラになることを意味します。肉体と魂がバラバラに離れるから「逝」です。そして魂が去っていくから「逝去」です。魂が行く世界は、時間に縛られた低次元の世界から、時空を超越した高次元の神々の世界まで様々です。ですから位の高い神様は、上古の昔も、今も、未来にも存在します。勝頼の妻の辞世の歌は、そういう理解の上に成り立っています。
歌にある「玉の緒」というのは、魂の緒のことです。魂は紐で肉体とつながっていると考えられていましたから、玉の緒が離れることは、死を意味します。露と消える玉の緒であっても、ひとつの思いは消えることはない。その消えない思いというのが、夫である勝頼と、今生では乱れた黒髪のような乱世を生きることに成ってしまったけれど、きっと来世には平和な時代に生まれて、一緒に仲良く、長く一緒に暮らしましょうね、というのが、この歌の意味です。
そして「黒髪の乱れる」は、和泉式部の歌から本歌取り。失っても失っても、それでも一途に愛する想いを大切にするところで使われる語です。
「玉の緒」は式子内親王の歌から本歌取りしています。たとえ露と消えて死んでしまっても、大切なものを護り通して行きたいという想いが込められた語です。
このとき勝頼の妻、わずか19歳です。
いまから400年も昔の戦国時代。現代日本人の感覚としては、戦国時代というのは、有史以来最も国が荒れた時代です。けれどそんな時代にあってなお、若い女性がこれだけ高い教養を持ち、そして男も女も純粋に、必死で生きていたのです。そうすることができたのが日本の国柄です。
【出典】『女子鑑(じょしかがみ)』大阪府学務部・昭和13年刊
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コメント
よっちゃん
2021/07/21 URL 編集
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あととむらひてたびたまへ
2021/07/21 URL 編集