会津藩の中野竹子と瓜生岩子の生涯



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戊辰戦争で伝習隊を率いて、最後の最後まで転戦した大鳥圭介。
戦乱の中で二十二歳の若い命を散らせた中野竹子。その姉の首を掻ききった十六歳の妹の優子。
会津の戦いで傷ついた兵士の介抱をし、さらに会津の教育再生と福祉に生涯を捧げた瓜生岩子。
こうした存在が生まれた背景には、やはり当時の徳の高い教育があったのではないかと思います。

20210722 中野竹子
画像出所=https://rekijin.com/?p=29058
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小名木善行です。

 慶応四年《一八六八年》、鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いにより戊辰(ぼしん)戦争が勃発(ぼっぱつ)しました。八月二〇日、会津(あいず)城下を目指した新政府軍は、待ち受ける会津藩の裏をかいて藩境(はんざかい)の母成峠(ぼなりとうげ)から侵攻し、激戦「母成峠の戦い」が行われました。会津藩は、新政府軍が表街道に主力を配備、裏街道にあたる母成峠には、戊辰戦争の初期から転戦してきている播磨(はりま)の赤穂藩(あこうはん)出身の大鳥圭介(おおとりけいすけ)率(ひき)いる伝習隊(でんしゅうたい)を中心とした七〇〇のみを配置していたのです。板垣退助率いる新政府軍の主力部隊二千が殺到しました。

 峠(とうげ)の下で行われた前哨戦(ぜんしょうせん)では、新政府軍の銃撃の前に会津藩兵が潰走(かいそう)するけれど、大鳥圭介率いる戦い慣れた伝習隊と新撰組が戦いを白兵戦(はくへいせん)にもちこみ、新政府軍を敗退させています。

 翌日早朝、濃霧の中を新政府軍は、本体と右翼隊にわかれて峠を目指しました。大鳥圭介は兵力を縦深の陣地に配備し、新政府軍の本体を峠の坂道に誘い込んで白兵戦で新政府軍本体に壊滅的な打撃を与えました。ところがそこに新政府軍が右翼から銃撃を開始する。数にまさる新政府軍本体は、この側面攻撃で勢いを巻き返します。夕方頃にはほぼ勝敗が決し、峠は新政府軍に制圧されてしまう。

 潰走した伝習隊の生き残りたちは、猪苗城(いなわしろじょう)に撤退(てったい)します。しかし城代の高橋権大夫(たかはしごんだゆう)は、少数で小城(こじろ)を護(まも)るより、若松城で殿をお守りするのだと、城に火を放って若松へ向かいます。伝習隊はこれを援け、道中に火を放って敵の進軍を遅らせました。

 八月二十三日、会津藩若松城下に敵侵入の早鐘が鳴り響きました。この日、中野竹子(なかのたけこ)《二十二歳)は、妹の優子《十六歳》らとともに若松城に駆(か)けつました。しかしすでに城門は閉ざされ、彼女たちは入城させてもらえません。そこへ藩主松平容保公の姉、照姫様が会津坂下の法界寺においでになるとの報がもたらされました。

「照姫様をお守りしなければ!」
日ごろ鍛錬(たんれん)を重ねた薙刀(なぎなた)道場の娘たちです。竹子らは、娘たちだけでその場で「娘子隊(じょうしたい)」を結成します。すでに彼女たちは、各々の意思で、頭髪を短く切り、頭には白羽二重の鉢巻きをしていました。中野竹子の着物は青みがかった縮緬(ちりめん)、妹の優子は紫の縮緬、依田(よだ)まき子は浅黄(あさぎ)の着物、その妹の菊子は縦縞の入った小豆色(あずきいろ)の縮緬、岡村すま子は鼠(ねずみ)がかった黒の着物で、それぞれが袴(はかま)を付け、腰に大小の刀を差し、薙刀(なぎなた)を手にしていました。

 娘子隊二十余名は、会津坂下の法界寺に向かいます。ようやく寺に着いたが照姫様はいない。やむなく法界寺に宿泊した娘子隊一行は、翌日朝、会津坂下守備隊の家老の萱野権兵衛(かやのごんべい)に「従軍したい」と申し出ました。いくら薙刀の遣(つか)い手の女子(おなご)たちといっても、敵《新政府軍》は銃で武装しています。萱野権兵衛は、
「ならん!、絶対にならん!、お前たちは城へ帰れ!」と拒否しました。けれど中野竹子らは去ろうとしません。
「参戦のご許可がいただけないのであれば、この場で自刃します」という。やむなく萱野権兵衛は、翌日になって彼女達を最後尾の衝鋒隊(しょうほうたい)に配属しました。

 八月二十五日、会津城下の涙橋(なみだばし)に、新政府軍《長州藩大垣藩兵》が殺到しました。近代装備と豊富な銃で攻撃してくる新政府軍に対し、守備隊は必死の突撃を繰り返しました。戦いは白刃を交える白兵戦となりました。いつのまにか彼女たちも前線に立ち、男たちに交じって奮戦していました。
 このとき、一発の銃弾が竹子の額に命中しました。額から血を吹かせて中野竹子がドウと倒れました。血が草を真っ赤に染めました。

 息も絶え絶えに竹子は、妹の優子を呼びました。そして「敵に私の首級(くび)を渡してはなりませぬ」と、介錯を頼みました。十六歳の優子は、とまらない涙をぬぐいながら姉の首を打ち落としました。
 優子は、姉の首を小袖に包んで坂下まで落ち延びました。そして法界寺の住職に姉の首の葬送を頼みました。

 武士(もののふ)の
 猛(たけ)き心に比(くら)ぶれば
 数にも入らぬ我が身ながらも

薙刀に結びつけてあった中野竹子の辞世の句です。

 竹子を失った一行は戦陣を離れ、その後入城を果たし、多くの女性たちとともに必死で篭城して戦いました。
娘子隊は、彼女たちが自らの意思で戦いました。彼女たちは、なぜ戦ったのでしょうか。それは、自分たちの住んでいる土地に、他所の軍が攻めてきたらです。彼女たちは大切なものを守るために戦いました。鳥羽伏見をはじめ、先に戦争で亡くなった夫や兄たちを殺した連中と、自分たちの意思で戦ったのです。

 ちなみに、会津の娘子隊(じょうしたい)について、会津藩が組織的に女性まで戦わせたようにいう人がいますが、これは違います。若い娘までハナから兵団に加えるということは、会津藩が自ら兵力不足をアピールするみたいなものです。軍学的にもそんなバカなことはしない。あたりまえのことです。

 戦いは市街戦に移りました。燃え上がる炎は城下の家々を焼きました。城に撃ち込まれる大砲。傷つく兵士、血に染まり泣き叫ぶ子供たち。流れ弾丸に斃(たお)れる市井(しせい)の人々。怒号と砲声。うめき声と悲鳴。会津藩の士族は、老幼・婦女子を合わせて千百名です。対する新政府軍は、越後口から進んできた兵も含めて総数1万数千人です。市街地には死体や傷を受けた武士、民間人があふれました。

 その中を、敵味方の区別なく救助し看護する女性がいました。名を瓜生岩子(うりゅういわこ)といいました。当時三十九歳でした。
 彼女は両軍のおびただしい傷病兵を見て、放置しておくに忍びず、傷兵や窮民の介抱に努めました。
「敵も味方もない。怪我人は怪我人です」
その働きは新政府軍の大将板垣退助の耳にも達しました。板垣退助は岩子に会おうとするけれど、戦乱の中で、それは叶いませんでした。

 会津若松城の戦いは終わりました。敗戦によって賊軍となった会津藩士の遺体は埋葬も許されないで、町中に放置されました。生き残った者も、家を失い家族を失い、食べる者もありません。子供たちに教育も与えられない。藩校も寺子屋も、いまはありません。あれほど清潔で統制のとれていた会津が荒れ放題になっていました。
 岩子はいたたまれず、新政府の民政局に、幼年学校開設の許可を求め、新政府の民政局に日参しました。そして、せめて子供たちにキチンとした教育を受けさせたい、と嘆願(たんがん)しました。

 毎日通いました。
 半年かかりました。ある日、民政局からようやく幼年学校開設の許可を得ました。岩子は、さっそく私費を投じて校舎を完成させました。そして教師を雇い、習字、珠算などの教育をはじめました。また学校の敷地を利用して、元藩士たちに養蚕(ようさん)などの技術を教え、自力更生の道を開かせています。

 ところが二年後の明治四年《一八七一年》、小学校令発布予告によって、幼年学校は閉鎖を命ぜられてしまいました。私費を投じまでしたのに、岩子はなにもかも失ってしまったのです。。でも岩子はくじけませんでした。
 明治五年、岩子は荒廃と貧困に苦しんでいる会津の人たちを救おうと、ひとり東京に出ました。そして深川の教育養護施設の運営や、児童保護、貧者救済の実際や経営等を半年ほどかけて学びました。
 救貧事業をするといっても、岩子自身が一文無しに近い状況でした。帰国するときには、有り金をはたいて魚の干物(ひもの)を買い、その干物を行商しながら街道を下っています。

 会津に帰った岩子は、喜多方(きたかた)の廃寺を無償で借り受け、後を絶たぬ貧窮者に手を差し延べました。こうして岩子は二百余名の孤児の母となり、後半生を社会運動に捧げました。そして岩子は、菩薩の化身とも、日本のナイチンゲールとも称讃され、混乱期の社会福祉運動の先駆けとして、わが国女性初の藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受章しました。そして明治三〇年《一八九七年》、六十八歳で生涯を閉じました。

 文中登場した大鳥圭介(おおとりけいすけ)は、赤穂(あこう)の人で、徳育を旨とする閑谷(しずたに)学校はに学び、医学と漢学を修めた人です。
 中野竹子も瓜生岩子は、会津藩の什(じゅう)教育を受けて育った女性たちです。「什」には誓ひ(掟)があって、子供たちは、毎日これを大声で復誦しました。

一 年長者の言ふことには背いてはなりませぬ。
一 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
一 虚言(ウソ)を言ふ事はなりませぬ。
一 卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
一 弱いものをいぢめてはなりませぬ。
一 戸外でモノを食べてはなりませぬ。
一 戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ。
 ならぬ事はならぬものです。

 戊辰戦争で伝習隊を率いて、最後の最後まで転戦した大鳥圭介。
 戦乱の中で二十二歳の若い命を散らせた中野竹子。その姉の首を掻ききった十六歳の妹の優子。
 会津の戦いで傷ついた兵士の介抱をし、さらに会津の教育再生と福祉に生涯を捧げた瓜生岩子。
こうした存在が生まれた背景には、やはり当時の徳の高い教育があったのではないかと思います。江戸時代の聖人中江藤樹は、教育の意義は、子供たちに道義を教え、心の曇りを取り、日々のおこないを正しくすることであると説きました。それはいまなお新しい言葉であると思います。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

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