奈良の大仏に寄進をした庶民の活力



8月14日(土)に靖國神社昇殿参拝を行います。
受付開始は13時から。靖國神社参集殿正面入口前です。お志のある方、どなたでも参加可です。皆様のご参加をお待ちします。
詳細は → https://nezu3344.com/blog-entry-4963.html

第45代聖武天皇《701〜756》の時代に、全国に国分寺が建てられ、その中心として東大寺が建立されました。東大寺には、巨大な仏像(奈良の大仏)がご安置されることになりました。当時の日本の総人口は600万人です。このうち貴族が1000人いました。さて、聖武天皇の呼びかけにこたえて、奈良の大仏建立のために銅などの寄付をした人は、当時、何人いたでしょうか。

20210724 奈良の大仏

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小名木善行です。

二 奈良の大仏に寄進をした庶民の活力と経済力

 第45代聖武天皇《701〜756》の時代に、全国に国分寺が建てられ、その中心として東大寺が建立されました。東大寺には、巨大な仏像(奈良の大仏)がご安置されることになりました。当時の日本の総人口は600万人です。このうち貴族が1000人いました。さて、聖武天皇の呼びかけにこたえて、奈良の大仏建立のために銅などの寄付をした人は、当時、何人いたでしょうか。
 答えは37万2,075人です。日本は貧しい国であり、この時代の一般庶民は貴族たちの収奪によって食うや食わずの生活を余儀なくされていただと学校では教えますが、そうであればこれほどまでの寄進が集まることはありません。

 聖武天皇は、仏教を庶民の間にまで広げることをお認めになられた天皇です。それまでは渡来仏教はあくまで国家鎮護のために国が保護するものでした。ですから一般庶民の布教は禁止です。理由は明快です。それまで我が国の中央朝廷の様々な施策は、すべて神社のネットワークを通じて行われていたのです。民衆が仏教に帰依(きえ)して神道を捨てれば、国家基盤が崩壊する危険が指摘されていたのです。
 では聖武天皇は、どうして仏教の民衆開放をお認めになられたのでしょうか。一般には、仏僧である行基(ぎょうき)がご禁制を破って勝手に仏教の民間布教を行ってしまい、後追いで聖武天皇が行基と和解したというように説明されています。しかし本当にそれだけなのでしょうか。

 第45代の聖武天皇の母は、藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘の宮子です。けれど子を産んだあと心的障害に陥り、聖武天皇が37歳になるまで我が子との対面もされなかったといわれています。その聖武天皇は、藤原不比等の娘の光明子を皇后にします。これは皇族以外からの立后としては、初の出来事です。

 聖武天皇の時代が「天平(てんぴょう)時代」です。天平年間は、名前こそ「天の平らかなる時代」ですけれど、たいへんな波乱の時代でした。聖武天皇が即位された年《724年》には奥州で反乱が起き、さらに全国各地で天変地異が相次ぎました。
 聖武天皇はその事態をなんとかしたいと、願いが叶うという仏教に深く帰依(きえ)されました。翌年1月には、厄災を取り除こうと600人の僧侶たちを宮中に招いて般若経(はんにゃきょう)を唱(とな)えてもらい、さらに9月には、お公家さんたち3000人を出家させて坊さんにしています。
 ところがそれだけの信仰を貫(つら)ぬかれたにも関わらず、728年には聖武天皇の、たったひとりの皇太子が薨去されてしまう。しかもその6日後には、宮中に隕石(いんせき)が落ちるという大凶事が起きました。
 732年には日本中が旱魃(かんばつ)に襲われ、翌734年には関西地方を阪神淡路大震災級の大地震が襲っています。

 相次ぐ天変地異や不幸に、聖武天皇は天平6年《734年》には、ますます仏教への傾斜を強くされ、一切経(いっさいきょう)の書写を国家事業とすることを決められるとともに、天平8年《736年》には、遠くインドやベトナムからも高僧を招き入れられました。ところがその結果は、翌年の太宰府における疱瘡(ほうそう)の大流行です。天平9年《737年》には、疱瘡は都にまで広がり、朝廷の高官たちの大半が次々と倒れ、亡くなっていきました。

 聖武天皇はますます仏教への信心を厚くされ、天平12年《740年》に、奈良に大仏を建立する発顕(ほつがん)を行われます。《勅願は743年》。こうして生まれたのが、残る奈良の大仏です。

 一方、皇后となった光明子(光明皇后)は、中国から渡来した景教(けいきょう)に深く帰依していかれました。景教というのは、古代キリスト教のネストリウス派のことです。実は西洋では異端とされて、追い出された教派でした。そのネストリウス派の教えが、ペルシア人の司祭の「阿羅本(あらほん)」によって唐へと伝えられて景教と呼ばれるようになりました。景教というのは、中国語では「光の信仰」を意味します。

 景教は、唐で「大秦寺」という名の寺を建て、我が国には秦氏(はたし)によって伝えられました。秦氏は、光明皇后の保護を受けて、日本各地に大避(だいひ)神社と号する神社を建立します。大避は、いまでは「だいひ」と呼びますが、もともとはこう書いて「ダビデ」と読んだのだそうです。今風に言うならば、要するにキリスト教ネストリウス派のダビデ教会であったわけです。光明皇后は、この大避教の教えを受けて施薬院(せやくいん)という無料の医療所を設けています。ここに収容した疱瘡患者の皮膚から流れる膿を、光明皇后が直接御手で拭われたというのは有名な逸話です。

 要するに天皇が仏教に帰依し、皇后はキリスト教徒になっていたわけです。そして国家鎮護を願われるのですが、なぜか次々と国難が襲ってくる。相次ぐ凶作に東国は深刻な飢饉になります。そこで聖武天皇が行われたのが、東国行幸(とうごくぎょうこう)です。凶作にあえぐ東国の人々を、少しでも励まそうとされたのです。そして都に帰朝すると、奈良の都に帰らずに、近くに恭仁京(くにきょう)を建てて遷都(せんと)されました。

 恭仁京で聖武天皇は、次の天皇になる皇太子として、光明皇后との間にできた女児(阿倍内親王=後の孝謙天皇)を指名し、また墾田永年私財法を定めて土地の私有を認める制度変革も実施しています。《これによって新田を私有田として開墾したお百姓さんが、後の武士となっていきました》。

 この過程で行われたことが、行基(ぎょうき)との和解です。行基は、ご禁制(きんせい)を破って、勝手に民衆に仏教を説き、広めていました。なにしろ仏教は天子様が信仰してらっしゃる教えです。しかも神道なら「願いが叶う叶わないは、あなた自信の努力次第」としかいわないのに、仏教は「信仰すればあなたの願いはすべて叶う」というのです。民衆が飛びつかないわけがありません。

 これを民衆に説いた行基は、ですから民衆のヒーローとなりました。けれど行基は、ご禁制を破っている「お尋ね者」でした。その「お尋ね者」を聖武天皇は、正式に「日本初の大僧正」として起用し、さらに行基に奈良の大仏建立の実質的な責任者を命じられました。

 ここで仏教そのものについて議論する気はまったくありません。たいせつなことは、天平時代に仏教が国営化されたこと、そして相次ぐ不幸が日本を襲ったことから、その鎮撫のために、壮大な仏教建築や大仏建立、そして絵画や彫刻など、様々な分野で、仏教を基礎にした芸術、文化が花開いたという事実です。そして民衆は新田の開墾により、豊かさを手に入れるようになっていきました。国内のお米の生産高はこの後、飛躍的に増え、その分、日本の人口も増加しました。そして新田の開墾百姓である武士たちは、新たな国の守り手としての職務を果たすようになっていったのです。

 天の御計(おはか)らいというのは、人の想像をはるかに超えます。天皇が仏教を篤く信仰され、天変地異や疫病が大流行し、そして新田の開墾が進められて武士団が形成されていく。この武士団の形成がなければ、日本は鎌倉時代の元寇を乗り越えることができなかったと言われています。

 それまで、国の護りは朝廷に雇われた兵である防人(さきもり)の役割でした。しかし普通に考えたらわかりますが、単に国民の義務として防人の役に就くのと、自らの田畑を護るためにという明確な目的意識を持って国の護りに就くのとでは、兵の強さが圧倒的に違います。護るべきものを持った兵は強いのです。

 人数で劣る日本の兵は、常に一騎当千でなけれなりませんでした。そして兵の強さは、単に武芸に秀(ひい)でているとか、日頃(ひごろ)威張(いば)っていることではありません。持ち場を必死に護りぬくことができる責任感と真面目さこそが、最強の兵をつくります。時代はずっと後のことになりますが、第二次世界大戦の時代にあっても、「全員突撃」という命令が出たとき、本当に全員が突撃できるのは、実は旧日本軍だけでした。他の諸国では、突撃命令が出ても、8割以上の兵が尻込みしてしまうというのが普通でした。日本軍だけにそれができたのは、日本人が責任感が強く、命令に忠実で真面目だったからです。


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コメント

Toshiro Akizuki

日本の古代の金属加工技術
国家事業としての大仏建立には、多額の寄進や労働力や人々の支持が必要だったことでしょう。それが今日まで残っていることも日本文化の継続性を象徴しているようです。とりわけ、その技術力の高さはすごい。数百トンの銅でできた鋳物など、当時の世界のレベルを超越しています。当時、アジア大陸では、せいぜい数キログラムの金属製品でしょうから、重量でみれば、五桁ぐらいの違いになります。やっぱり、その前の数千年の日本の金属加工技術の伝統と蓄積があって初めて実現できたものでしょう。当時は全身金めっきされていたそうです。西洋には、ロードス島の太陽神の銅像の伝説があり、数百トンの銅で作ったそうですが、半世紀後に地震でたおれ、その後アラブ人がスクラップにしてユダヤ人に売りさばいてなくなってしまい、今はあとかたも残っていない。伝承でしかない。日本では朝廷に一貫した記録があるので、たとえなくなったものでも、なくなったことが事実としてわかるので、大陸の国の歴史と質の違いがある。
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《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

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