インドネシアの日本軍



インドネシアの国旗掲揚

不思議なことに日本では、日本軍=侵略軍という教条主義的な評価しかされず、ではいったい真実はどうだったのかという話は、“なかったことに”されています。

先日、おれんじさんからインドネシアの日本軍のお話のコメントをいただき、読んでて涙がでそうになりました。

そこでインドネシアという国と、そこにおける日本の軍人さんになにがあったのか、ねずきちなりにかいつまんで、書いてみようとおもいます。

インドネシアは、1945年8月17日にインドネシア共和国としての独立を宣言しました。

そのときの独立宣言書には、次のように書かれています。

Proklamasi

Kami bangsa Indonesia dengan ini menjatakan kemerdekaan Indonesia. Hal-hal jang mengenai pemindahan kekoeasaan d.l.l., diselenggarakan dengan tjara seksama dan dalam tempo jang sesingkat-singkatnja.

Djakarta, hari 17 boelan 8 tahoen 05
Atas nama bangsa Indonesia.
Soekarno/Hatta

訳:独立宣言

我らインドネシア人民はここにインドネシアの独立を宣言する。
権力及びその他の委譲に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。

ジャカルタ、05年8月17日
インドネシア人民の名において
スカルノ/ハッタ

1945年なのに、日付が05年となっています。
これは日本の皇紀2605年(=西暦1945年)の下二桁を表記したものです。

インドネシアには、古い伝承があります。

12世紀のものです。

そのころ、東ジャワのクディリ王国に、ジョヨボヨ(Jayabaya)という王様がいたそうです。。(位1135以前-1157以後)
ジョヨボヨ王は、宮廷詩人ウンプ・セダーとウンプ・パヌルーに命じて、『バラタユダ』という予言書を残しました。

そこに、次のように書かれています。

「インドネシア国内に大きな混乱が生じたあと、外部から侵入した白い人間たちによって支配される時代が続く。
その後、北から黄色い人間がやってきて、白い人間を追い払い、トウモロコシ1回限りの間支配する。
その後、男は女のように、女は男のようになり、世は麻の如く乱れるが、やがて白馬にまたがる救世主が登場し、永遠の平和と幸福が約束される。」


予言の通り、インドネシアは16世紀以降、約300年にわたって、オランダに支配されました。

オランダ人たちは、現地の人達に一切の教育・医療を与えず、人々の私有財産も認めませんでした。
そして、集会やイスラム教の信仰を禁止した。
また、運動場など、体力を鍛える設備は一切作らなかった。
知力体力をつけたらオランダ人に歯向う危険があると考えられたのだそうです。

当時の象徴的な物語を、おれんじさんが語ってくれています。

いわく・・・

日本軍がやってくる前、インドネシアの公営プールにはこんな看板があった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  「犬とインドネシア人入るべからず」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1942年、日本軍がインドネシアに上陸します。

日本軍はオランダ軍と闘い、なんと、たったの一週間でオランダ軍を全面降伏させてしまいます。

これはインドネシアの人々にとっては驚異でした。(いまのボクたちが考えても驚異ですね^^;)

古いジョヨボヨの予言を覚えていたインドネシアの人々は、これこそまさに予言の成就と狂喜します。
日本軍は、やがて来るべき救世主の露払いとして、インドネシアの各地で紅白旗(インドネシア国旗)と国歌「インドネシア・ラヤ」の大合唱で迎えられたのです。

日本の占領統治は、トウモロコシ1回限りの間・・・3年5ヶ月に過ぎませんでした。
しかし、日本の統治がインドネシアの社会に与えた影響はめっちゃ大きかった。


まず、日本軍は独立運動家であるスカルノ氏ややハッタラ氏を解放した。

続けて、「オランダ領東インド」という国名を「インドネシア共和国」に改称。
「バタヴィア」も「ジャカルタ」に改称しました。

また、オランダ人の代わりにインドネシア人を役所や企業でかなり高い地位につけ、インドネシア人の社会進出を飛躍的に進めました。

さらに、公用語をオランダ語からインドネシア語に改めました。これは、インドネシアの人々に誇りと自信を取り戻させました。


この日本統治時代の様子を、やはり先日おれんじさんが、引用で投稿してくださっていますので、すこしながくなりますが、ご紹介します。

-----------------------------------------
「ジャカルタ夜明け前-インドネシア独立に賭けた人たち」阿羅健一著より

モハマッド・ナチール氏の話
(当時バンドン市教育部長。1950年首相に就任)
(※日本軍政時にプリアンガン州の内政部長となり、インドネシアの初代閣僚となる人々を教育した姉歯準平氏について語っています。)


姉歯さんは、インドネシア人はオランダ時代のやり方をすべて放棄しなければならないし、もっと能率的に仕事をしなければならないと度々話しました。

インドネシア人は三百五十年間も植民地にされたせいで、怠慢のくせがついているからオランダ時代のやり方は全て放棄しなければならないというのです。

やがていうだけでなく、私達に行動することを求めるようになりました。

たとえば、私達が仕事を終えて家に帰っても、用事があると呼び出します。

それまでいったん家に帰れば仕事をする習慣は無かったので、私たちにとってそれはとても疲れることでした。
また、仕事をする上で遅刻は絶対しないことと、日の出と共に働かなければならないことをいって、ほかのインドネシア人と違い、私たちが遅刻でもすると厳しく叱るようになりました。

姉歯さんの周りには日本人がいたにもかかわらず、そうやってほとんど私たち五人と相談し、私たちに仕事を命じましたので、私たちは次第にやる気を起こすようになりました。
昼休みといってものんびり食事をすることはなくなり、二時にみんなが帰っても四時までは仕事をするようになりました。

私たちと姉歯さんは英語で話し合っていたのですが、それからしばらくしたころ、姉歯さんは私たちにこういいました。


「日本がインドネシアにやって来た目的は、インドネシアの独立を支援することで、日本人がここにいるのはあとわずかだろう。まずこれをしっかり頭に入れてほしい。

次に、将来、インドネシアが独立したなら、インドネシア人の中から首相が選ばれるだろうが、私は皆さんの中から首相が出ることを期待している。

しかし、これまで何度もいっているが、私が一番早く役所に来て、一番遅くまで仕事をしている。
皆さんはどうか。
間もなく去ろうとしている私が、これからもずっといるあなたたちより働いているのではないか。

インドネシア人は独立、独立と叫んでいるようだが、熱心に仕事をする以外に独立を実現させる道はない。

独立してもきちんと行政が出来るように今から準備すべきで、そうでなければ、独立国としてやっていけないだろう。

ほかの人はどうあれ、まず皆さんが率先しなければならない」。


日本軍が来てから、インドネシアの独立がどうなるのかははっきりしていませんでした。
インドネシアに来る前、日本はインドネシアが独立すべきだといっていたのですが、いつのまにか私たちの周りでは独立については口にしてはならないというような雰囲気が生まれていました。

日本軍の宣伝班はいろいろなスローガンを掲げますが、独立については何もいいません。
ですから、姉歯さんのような高い地位にいる日本人からインドネシアの独立という言葉を聞いてびっくりしました。

それと共に、仕事について厳しい指摘をされましたので、私たちは非常に恥ずかしい気持ちになりました。

確かに姉歯さんのいう通りです。
仕事が終わって私たちと集まりを持つときでも、姉歯さんが一番先に来て私たちが来るのを待っています。
私たちは四時まで仕事をするようになったといっても、姉歯さんより早く帰ってしまいます。

姉歯さんは身を以って公務員の生き方を示しており、それを私たちは目の当たりにしているのですから、言われる前に気づかなければなりません。

国民がどうあれ、まず私たちがもっとしっかりしなくてはならないと思いました。
-------------------------------------

↑に引用した姉歯準平内政部長の言葉。ボクは、読んで涙がでそうになりました。


話を続けます。


日本軍は、さらに、津々浦々に「隣組」や「警防団」などを組織し、子どもたちのための学校を作りました。

そしてその学校の校庭で、日本軍は、オランダが決して行わなかった軍事教練も開始しました。

そして、日本は敗戦。


日本敗戦後、蘭軍と英軍がインドネシアに進駐してきました。

ジャワ島中部にあるスマランでは、欄英連合軍の侵攻を知ったインドネシア人が、日本兵居住区に行き、そこにいた日本人を収容所に入れてしまいます。

そして恐怖に怯えたインドネシア人たちは、収容所にいる日本兵を殺してしまうのです。

このとき、かすかに息が残っていた阿部頌二氏(写真)が自分の流れる血で壁に、

バハギア ムルデカ 祝福独立
インドネシア独立 喜び死す
日本人万歳 大君

と書き残します。
阿部頌二(阿部頌二氏)


血書を書いた阿部頌二氏は、慶応大学を卒業して、森永乳業に勤めていた人だそうです。彼は、インドネシア人たちが自分たちを裏切り、殺害されようとして瀕死の重傷を負った中で、この血書を残している。「祝福独立、喜び死す」と書いている。。。


当時、インドネシアに残った日本兵は約2000人。
その2000人ががインドネシア人と共にオランダと戦い、1000人が戦死しました。

1949年、インドネシアはオランダ、イギリス両軍に勝利し、念願の独立を手入れる。

そして独立後のインドネシア政府によって、亡くなられた1000人の日本兵士は、インドネシア国営英雄墓地に埋葬され、その中の数名は独立名誉勲章を授与されました。

≪インドネシア中学3年用歴史教科書≫からの引用
------------------------------
日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。

第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。

第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。

第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。」
------------------------------

・・・・こういう真実の物語が、いまの日本ではまるで語られていないのですよね。。。。

ムルデカ 17805 インドネシア独立と日本軍兵士


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コメント

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 私の父は関東軍に勤務してました。 徴用で関東軍の経理に勤めていたんです、そして戦後シベリア抑留に。
 収容所では多くの仲間が凍死したとか、それを目の当たりにしていた父はこんなとこで死んでたまるか、絶対に帰るんだ何度も自分を奮い立たせたと言っていました。 
 姉は終戦まで挺身隊員として過ごしています。
満州から引揚げの際に次女が病気になり河原に埋めたと母は生前話していました。 
 戦争がいけないとか、日本軍は侵略したとか、今なおそんなことをいっている人たちに言いたい。父も姉もそんなことは思ってもいませんよ、お国のため! ただそれだけです。
 父は生涯軍人恩給を受けませんでした。なぜかと聞いたら死んだ仲間に申し訳ないからと。 今父の気持ちが分かるようになりました。

ねずきち

>かぐやひめさん
コメントありがとうございます。

あの戦争は私たちの青春だったと答えられた黒髪さん。

青春を失いうつろな目をした現代の若者。

なるほど、おっしゃる通りかもしれません。

亡国という言葉は、国がなくなる・・・なにやら日本という国が消えてなくなるようなイメージ・語感がありますが、実際に政府がなくなり、無法地帯と化したソマリアをみればあきらかなように、その国の土地や人々が消滅するわけではない。

では、亡国とはなにかといわれれば、おそらく、その国に住んでいる人々が、国民としてのアイデンディディを失うことなのではないかと思います。

その意味で、明治にはじまる日本のアイデンティティは、終戦によって破壊されつくした。

しかし、おっしゃる通り、日本人としてのDNAは、私たちの中にいまだしっかりと根付いていると思います。

そしておそらくいま、新たなアイデンティティが求められ始めた。芽生え始めた。

古き日本のアイデンティティ、戦後日本のアイデンティティ、その両方の良いところを活かす、新たな日本が生まれようとしている。そんな気がしています。


>bbさん
コメントありがとうございます。

おっしゃる通り、私たち日本人が、≪急にもとの習俗を取り戻そうとしても、愛情と情熱と資金が無いと出来ません。だから今の時代にあった行事の創造のほうが良いかもしれません≫

そうなんですね。旧体に復活せよなんていっても、おそらく誰も納得しない。

古いものと新しいものの両方から、良いところを探り、新たな文化を創造する。そういう活動が大切なのだろうと思います。

そのひとつの試みが、現代沖縄舞踊にあるような気がします。

若人達が行う沖縄舞踊は、古くからある沖縄舞踊を現代風にアレンジし、青森のねぶたと沖縄スタイルを組み合わせたような、激しく勇壮な現代舞踊を創造しています。

テレビのCMで流れている優雅でたおやかな風の盆の踊りなども、実にすばらしく、やはり強烈な文化的伝播力をもっているように思います。そうしたものが、新たな風俗と重なり、新しい民族芸能が生まれてくる。

しかしその前に、古くからある民族芸能をもう一回、呼び覚まさなければ、おそらくは、そうした素晴らしい文化が日本に伝承されているということ自体を誰もしなない。

その意味で、bbさんの行われている活動は、これからの未来の日本を開く、素晴らしい活動であると思います。


>第三者目線さん
コメントありがとうございます。

ご紹介のブログ「むじな@台湾よろず批評ブログ」、さっそく拝見しました。

ジャカルタにあるインドネシア独立記念塔にある独立宣言文にはおっしゃる通り日本の「皇紀」が使われています。

調べてみると、反日的なサイトや歴史・習俗の紹介のサイトには、それは「すぐ前々年まで日本が占領して日本の皇紀をインドネシアに強制したため、たまたま独立宣言の頃も“皇紀”が使用されていたにすぎない」といった記述が見受けられます。

ただ、そうしたサイトを読んでいて非常に違和感を持ったのは、
「なぜ彼らは、日本統治以前の暦を使わなかったのか」という一点です。

日本占領以前にも、当然インドネシアに暦はあったはずです。
それはオランダ暦でもあろうし、あるいはインドの古い王朝の暦かもしれない。

彼らにとって日本統治というものが不愉快かつ恥辱的なものであったなら、彼らが記念すべき独立宣言、民族の愛国心をまさに鼓舞する記念文に“皇紀”を使うはずがない。

逆にいえば、彼らにとって日本統治というものは、非常に厳しかった側面があるけれど、ものすごく納得できるものでもあったのではないか。

もちろん、現代日本に在日特権を擁護すべしという意見の人もいれば、在日を排除せよという論の人もいるのと同様、当時のインドネシア国民の中にも、さまざまな意見はあったろうと思います。

中には日本統治を、不愉快に感じ、もとのオランダ恋しさに傾倒していた人たちもいるかもしれない。

しかし、その彼らが、自分たちの独立記念碑に、あえて日本の皇紀を選択したという、そこのところに、深く、おおきなメッセージが隠されていると思うのです。


>鞠さん
コメントありがとうございます。

とてもよいお話ですね。
是非、おかあさんの青春を大切にしてあげてください。

鞠さんのそのやさしさは、きっと鞠さんのお子様に、そしてお孫さんに引き継がれていくものと思います^^


>愛信さん
情報をいつもありがとうございます。

小沢氏の辞任については、別に記事にさせていただきますね^^


>おれんじさん
コメントありがとうございます。

こちらこそ素晴らしい記事のご紹介をありがとうございます。

こうしたインドネシアでの日本軍の戦いを見てみますと、ほんとうに当時の軍人さん達の心というものが、人種差別の撤廃、東亜の被植民地支配からの解放を目指していたのだということが、すごくよくわかりますね。

シナが「解放」を歌いながら、その実、新たな支配者となり収奪しかしていない実情や、日本国内の戦後の在日などがやたらに「差別」を謳いながらその実、自分たちだけの利得を狙っているという、まことに低次元かつ低レベルな行動であるのに対し、日本軍の志の、なんと高潔なことか。

そうした高潔さ、誇りというものは、やはりどうにかして日本という国の中に復活させるべきだろうと、思います。

すばらしいコメントをありがとうございました。


>椿さん
コメントありがとうございます。

永野修身氏の言葉は、非常に重いものがありますね。

そして永野氏の遺言の通り、日本は、再起、三起していかなければならないと思います。

≪わたしは、日本人が誇りを取り戻すためにも、教科書問題や靖国騒動を一つの契機にして、アジアの歴史を遡り、英霊方の足跡をたどり、アジア諸国との付き合い方を“再構築”する「良いチャンス」にすべきだと思います≫

↑この文、まったくそのまま同感です。

≪日本という国は、朝鮮や中国のようなゲリラ戦ではなく、 「戦艦」と「航空兵力」で堂々の大戦争をやってのけたのです≫

正々堂々。

資源もなく、カネもなく、人口だって決して多くない日本(当時の日本本土の人口は約6500万)が、世界を相手に、人類の人種差別という非道を正すために、まさに正々堂々と真正面から戦った。

これが、人類史上に残る偉大な功績でなくて、いったいなんなんでしょう。

ご意見に激しく同感です。


>surniversさん
コメントありがとうございます。

おっしゃる通り、明治から昭和にいたる史実については、歴史の授業ではなく、修身の授業で対応すべきです。

ところが実際には、日教組や文科省によって、学校教育の現場から、道徳の授業がなくなり、副読本として配られる「公民」には、むしろ日本は戦時中、悪いことばかりやってきたと、まるで事実と正反対の記述がなされています。

その内容は、シナや半島の主張のまるごとコピーでもある。

まずは、これを叩き壊すことからはじめなければならないと思います。

椿

大東亜戦争は世界史に残る“偉業”だと思います。

日本という国は、朝鮮や中国のようなゲリラ戦ではなく、
戦艦」と「航空兵力」で堂々の大戦争をやってのけたのです。


大モンゴルを撃退(元寇の乱)

大清国に勝利(日清戦争)

大ロシアに勝利(日露戦争)

国際連盟の五大国に列し、

大東亜戦争では全世界(欧米列強国)と堂々の大戦争をし
フランスを撃退し、勝利し
イギリスを撃退し、勝利し
オランダを撃退し、勝利し

大国アメリカと丸4年の大戦争をやってのけたのです!


アジアどころか、世界広しといえども日本のような “潔い良い戦い振りをした国”が、いえ、戦えた国が存在したでしょうか?

否です!

この『偉大な日本の業績』を日本人は堂々と誇るべきでしょう。




bb

ねずきちさん、かぐやひめさん、こんばんは。

かぐやひめさん、返信が遅くなりごめんなさい。ねずきちさん、この場をまたお借りします。今日は私の下手の横好き、陶芸の窯焚きがあり、書き込んだあとすぐに出かけてしまい、今になってしまいました。お答えを簡潔にまとめるのが難しく、尚且つねずきちさんのブログ上で個人的にやり取りすることが、いいのかどうかと言う迷いもあり、とりあえずねずきちさんの了解が先かなと思いました。ひとつの方法として、ねずきちさんにはお手数かけますが、ねずきちさんのメールにお互いのメアドを送って個人的にメールするのはどうでしょう?

ねずきちさんが、ここでいいよとお許しが出ればここでもいいですが、他の皆さんのお邪魔になっては心苦しいです。

ねずきちさん、お忙しいのに優しさに甘えてすみませんが、どうすればベストか教えてください。かぐやひめさんとは明日にでもお会いしたい気持ちです。

surnivers

歴史と言う教科だと駄目なのでしょうか?
大東亜戦争は最近と言えば最近で、教科書でいえば最後の方ですね。
しかしこれほど今の日本道徳、歴史認識に重要な事件はありませんでした。

ワシとしては、歴史と言う教科の中で教えると、どうしても存在が希薄になる、所に問題があるのでは?と思います。
むしろ、道徳もしくは修身の中に入れて、徹底的に議論するべきだと思います。

椿

追記

>欄英連合軍の侵攻を知ったインドネシア人が~中略~、収容所にいる日本兵を殺してしまうのです。<

言いたくはないですが、こういう「恩を仇で返すやり方」が、欧米列強によって、長年植民地支配にされ続けてきた“理由”なのではないかと思いました。

ビルマ(現ミャンマー)も、日本の敗戦色が濃くなった時点でアジア独立の志士達は、「日本は負ける。今後、日本に抵抗したという実績がないと我々の独立は夢と消える」と、「抵抗の証拠」を残す為に空砲を撃ったり、日本軍教官が寝ている隙に、小銃を盗んだりして日本軍人に対して、攻撃の姿勢を演じて見せます。

ですが、ビルマでも“その程度の抵抗”だったようです。

それでも“その程度の抵抗”でも、アジア独立の志士の一人ミン・アウンは、「たとえ芝居でも、さんざん日本人の世話になっておきながら、日本に抵抗するというのは、自分の節操が許さない!」と言って、命を絶つ志士もいたのです。

そしてまた、インパール作戦の1944年、イラワジ川上流で“猛烈な豪雨“に見舞われ、やっとの思いで撤退してきた日本兵は、「この激流は渡れない、体力は限界だ。集団自決しかない」と覚悟したとき、ビルマ人が船を持って現れ、渡河させてくれたお陰で、生き延びたという例は、数え切れないほどあるそうです

戦後も東南アジアを訪れる日本人に、「日本人だから親切にしたい」「日本人にはいい思い出がある」「第二次世界大戦中には、私も夫も日本の軍人さん達に親切にしてもらい、日本人が大好きです」という、このような現地の人々の話は数限りなくあります。

わたしは、日本人が誇りを取り戻すためにも、教科書問題や靖国騒動を一つの契機にして、アジアの歴史を遡り、英霊方の足跡をたどり、アジア諸国との付き合い方を“再構築”する「良いチャンス」にすべきだと思います。


椿

戦わずとも亡国は必至!

米国の主張に屈すれば
亡国は必至とのことだが、
戦うもまた亡国であるかも知れぬ。

だが、戦わずしての亡国は
魂を喪失する民族永遠の亡国であり、
最後の一兵まで戦うことによってのみ
死中に活を見出し得るであろう


戦ってよし勝たずとも、
護国に徹した日本精神さえ残れば
われらの子孫は再起、三起するであろう。」

“[色:FF0000]日本の戦う理由
”は、
軍令部総長である、永野修身氏のこの一言に、
集約されているのではないでしょうか?


おれんじ

ありがとうございます!
ねずきちさん、皆さん、こんばんわ。

拙文からすばらしいエントリーを書いてくださいまして本当に有難うございます(ぺこり)。しかも私が知らなかった阿部頌二氏の写真まで!感激です。

日本のインドネシア統治では、
物資の調達が難しくなったため、現地の人達の生活が苦しくなったこと、
日本軍が独立義勇軍を訓練する際にビンタをし、これがイスラム教を信ずるインドネシア人には非常に不快だったこと、
優秀なインドネシア人の若者が泰緬鉄道などの労務に送られ、多数亡くなられたこと、
等々、当然ながらマイナス面もありました。それでもなお日本の軍政を評価してくださっているのは、

日本が教育(幼年から師範学校まで)を促進したこと、イスラム教を認めたこと、
独立に備えて閣僚候補やインドネシア軍を育てたこと等があると思います。

連合軍が戻ってきた後も日本兵は常にインドネシア人の味方になろうと行動しました。そうした事をしっかり覚えていてくださったのでしょう。

ちなみに姉歯氏はナチール氏の首相就任時に日本から祝電を送り、ナチール氏が感動したエピソードが残されています。また金子智一氏は戦前に「アンクル・トムズ・キャビン」を読んだことがきっかけで歴史の勉強を始め、大川周明の人種平等論に感動して自分の使命はインド独立を助けることだと考えるようになったそうです。

金子氏の画像は「インドネシアの侍」でご覧になれます。よろしかったら。

http://www.youtube.com/watch?v=GcXTY5BkOTY

長々と失礼しました。

愛信

【速報】小沢・民主代表、辞任の意向
小沢氏は党幹部や党内の各国会議員グループのリーダーや野党幹部らに自ら電話し、「選挙を考えたときに
政権交代できる体制を作る必要がある。これは投げ出すのではなく戦うための選択だ」と辞意を伝えた。
11日午後5時から緊急記者会見をして正式に表明する。

【新党勝手連の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr_ind.cgi
【新党勝手連タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

かぐやひめ

話題をそらしてごめんなさい
bbさん
私も「過去を現在に取り戻す仕事」をしています。bbさんの取り組まれていることを知りたいです。
昭和30年代に「民俗的な伝統」が失われたのは、高度経済成長と、テレビの出現のせいだと考えていました。bbさんのご指摘で、初めて、当時「意図的な操作」があったと知りました。
ただし、よしんば、それがなくても、伝統文化をうけつぐ仕事は、困難をきわめています。

500年ですべての文化は形をかえるという説を唱える人がいます。たとえば着物・・・今の形になったんのは江戸初期ですか。今では平安時代の衣装を着ている普通のひとはいません。
だからといって、伝統が失われたとは誰もいいません。形を変えて日本的なものが生きているからです。それと同じでいいと思います。
ところで、平成2年、いっせいに各地で昔帰りが起こっています。あれも、偶然ではなく、政策にのっとったのでしょうか?
ねずきちさん、勝手に場所をかりて、ごめんなさい。

第三者目線

良くも悪くも、「青春の一ページ」
ご紹介するブロガーは、元「左翼ジャーナリスト」としてのプライドが許さないのか、基本的にNHKの味方をしている人ですが、以下の2つの記事は一読に値すると思いました。
かぐやひめさんの仰るように当時の人が「喜んで命を捧げる生き方は「青春そのもの」」かどうかは解りません。

私の祖父などは体調を崩してホームシックにかかり、その思いを込めて短歌まで詠んだそうです。
ただ彼の戦時中の思い出話は、食糧不足と、空襲警報と、異郷での入院生活と、その最中に短歌を詠んだ話ぐらいしか出てこないですね。
また彼の先輩の話によると、インドシナ半島では、現地の人々と物々交換をやって食料を得ていたとの事です。現地の人も食料と日用品を交換しようと、ワーッと集まって来たそうです。
どこかの国の人が言うように、必ずしも銃を突きつけて無闇に強奪して回った、という訳ではないようでした。

親日国家インドネシア、ジャカルタの独立記念塔にあった独立宣言文には確かに皇紀が使われていた!
http://blog.goo.ne.jp/mujinatw/e/12b833a77f9b9d81f2e7f19d6bb32cb1
>独立記念塔には、地下入り口を入ったところに、時系列でインドネシアの歴史を解説する張りぼての陳列棚がある。
そこでは日本軍の侵入と戦後の独立運動も言及されている。
日本軍が侵入してきた場面では、日本軍兵士がインドネシア人に罵倒調で命令している張りぼてがあり、「日本軍が入ってきて、インドネシア人を強制労働させた」と批判的な解説がある

>しかしインドネシアの親日感情の元となる解説もすぐ横にある。それは戦後オランダがまた再植民地化するためやってきたとき、日本軍の残留兵士もインドネシア人と一緒に戦ってくれた、というものだ

台湾無知の日本人ウヨクとは一味違う若手知日台湾人によるNHK批判は傾聴に値する
http://blog.goo.ne.jp/mujinatw/e/edb2a23820c82cfae08b3e83d95f913b

bb

ねずきちさん、かぐやひめさん、おはようございます。

物事には良い面と悪い面がある。戦争は出来れば避けたい出来事です。戦後悪い面を強調するだけでなく、捏造に捏造を重ね、先人の名誉を傷つけてきました。私たちが死ぬ前にその名誉を回復しなければ孫たちの未来は混沌とした物になるでしょう。頑張りどころですね。

かぐやひめさんのおっしゃるとおり、文部省の方針が、安倍元総理の教育基本法改正などで、だいぶ変わりました。専門が民俗学なのでそのことは、実感としてあります。しかし、30年代に子どもたちから奪った習俗は、今調査すると惨憺たる物があるのです。年配者にお話を伺うのが主な方法ですが「あのころ(30年ごろ)止めろ止めろといっておきながら、今更思い出せといってもナ」と言われる方も居ます。勿論大方の話者は快くお話してくださいます。伝承は社会構造と切り離しては意味を持たなくなり、形骸化してしまいます。そして急にもとの習俗を取り戻そうとしても、愛情と情熱と資金が無いと出来ません。だから今の時代にあった行事の創造のほうが良いかもしれません。それもまた民俗学の興味深い事象です。今私は研究に役立つ資料となるような、詳細な民俗誌(地元の)を残せるように調査をしています。私はアカデミズムからは離れた、一介の主婦なので、良い資料を残して優秀な方に利用してもらえたらいいなと思っています。学者は中々啓蒙運動をしません。柳田國男の精神も受け継ぐべきだと考えています。今頑張って民俗芸能を残そうとしてる人たちとも協力しています。イベントの情報も広めたいので、事情が許せばお運び下さい。

かぐやひめ

青春に命を捧げる幸せ
先人の恩も知らず、あの戦争は間違いだったと教えられ、それを鵜呑みにした私は、かつての兵士に向かって上から目線で、失礼なことを言いました。

「私たちは戦争を知らないこどもですが、あなた方は、戦争で青春を奪われ、お気の毒でした。」
すると黒髪さんというその人は言い返されました。
「なぜですか、あれは、私たちの青春でした」

その時は、黒髪さんの言葉の意味がわかりませんでした。やがて大東亜戦争の理由を知って理解できました。
喜んで命を捧げる生き方は「青春そのもの」です。
青春を失ったのは、一見平和に見える戦後のことだった・・・

今は、なんのために生きているのかわからない目のうつろな若者であふれています。

でも、bbさん最近は、とうとう文科省が「地域のまつりに参加させよう。伝統行事に参加させよう」という指令をだしています。平成10年ごろ方針がかわっています。
これで、勢いづいたのが各地の「よさこいソーランまつり」です。もし、近くに大規模なまつりがあれば行って御覧なさい。脈々と流れる「土蜘蛛党」の匂いがします。原日本人の匂いです。
考えつめると、もう、日本も終わりだと思ってしまう。
けれど、ひとつの国は、そう簡単には終わらないです。私はいつもDNAには「意志」があると思います。原日本人のDNAは、なかなかどっこい健全に生きています。流行り歌の歌詞にも、ときどきそういうメッセージがこめられ、それはヒットしています。目の死んだ若者も「命かけられる熱い理念」を待っているはず。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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