新しい日本は、もう私たちのすぐ近くまでやってきています。 日本的環境適合性とは、このある瞬間に、日本が豹変できる国であることです。 そんなことを、カンブリア紀の進化の大爆発を例に考えてみました。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
「カンブリア期の進化の大爆発」という言葉があります。
英語で書くと「Cambrian Explosion」です。
およそ5億4200万年前から5億3000万年前に起こった地球上の進化の大爆発のことです。
このとき、いまの地球上では考えられないような様々な生物が誕生しました。
まるで珊瑚のようなカタチをした生物。
5つ目の生き物。
歯がまるでカメラのシャッターのように円形にスライドする生き物。
映画に出てくるエイリアンのように、口からさらに長い口が飛び出す恐ろしい生き物。
まるで風の谷のナウシカに出てきたオウムのような巨大な甲冑生物。
洗濯板みたいなカタチをした軟体生物などです。
カンブリア紀の生命体は、いずれもまるでSF映画に出て来るエイリアンのようです。
どれも最強を誇るかのような生命体で、まさに「強さ」を目指した生命体の種のオンパレードでした。
想像を絶するような様々なエイリアンたちが、生き残りをかけてプレデターたちと殺し合う。
地球は、まさにそんな状況になっいたとされています。
カンブリア紀は、地球上に現れた生命体が、生き残る上でのもっとも良いカタチを求めた壮大な進化の大実験の時代です。
だからこの時代は「カンブリア紀の進化の大爆発」と呼ばれています。
ある学者さんは、「生命体が進化のためにどうしたらもっとも生き残れるのかを試行錯誤するために、あらゆる形を試した壮大なデザインコンテストの時代だったのだ」と言いました。
なるほどそうかもしれません。
しかしそのデザインコンテストの結果はひとつでした。
「滅びの道」だったのです。
カンブリア紀に進化した様々な生命体は、様々な生命体の形を実験しました。
しかし、結果として、なにひとつ、それらは生き残ることができなかったのです。
このことは「強さ」と「多様性」は、一時の繁栄は築けても、長い歳月を生き延びることができないことを示しています。
「なにひとつ」というのは、少し間違いかもしれません。
ひとつだけ、生き残った生命体があるからです。
それが、もっとも「ひ弱」そうに見えた脊椎動物の「ピカイヤ」です。
「ピカイヤ」は、軟体動物のなめくじかイカのようなカタチをしていますが、ちゃんと背骨を持っています。
そしてその「ピカイヤ」が、いまの地球上の生物へと進化しました。
人類のような哺乳類も、爬虫類も鳥類も両生類も、すべては、この「ピカイヤ」の子孫たちです。
ピカイヤ

ナメクジに背骨を生やしたようなピカイヤには、強力な武器となる歯もありませんし、体を守るための甲殻もありません。
目も2つしかついていません。
カンブリアの進化の大爆発の時代には、ただ餌になるだけのもっともひ弱な生命体でした。
しかしピカイヤには、他の生き物と違った点がありました。
それは環境に適合するために、自分をどんどん変えていくという、不思議な術を身につけていたのです。
他の生き物は、自分が強い覇者となったり、あるいは絶対に他の生き物に食べられない硬い殻をかぶったり、あるいは体中に目を付けて四方八方を警戒することで生き残ろうとしました。
しかし定性進化といって、ひとたびひとつの方向性が生まれてしまうと、滅びるまでその方向にしか進化しなくなってしまうのです。
これは、言ってみれば、たとえば石炭で大成功をおさめた会社が、石油という新たな資源製品が開発されるようになってもなお、石炭にしがみつき、結果として倒産して消えていったようなものです。
ピカイヤは違いました。
もっともひ弱なピカイヤは、脊椎の中に海の栄養素を貯めることで、新たな世界である陸上へと、その生息地を広げて行ったのです。
脊椎が海から摂取していたミネラルを骨にして蓄え、体に提供する役割を担ったのです。
おもしろいことにピカイヤは、ダーウィンの進化論を否定します。
ダーウィンの進化論は、弱肉強食、弱い生物は強い生物たちに滅ぼされ、強い生物たちは、その強さ故に互いに殺し合いをして自滅していったと説きます。
要するに強い者が生き残る。
ダーウィンの進化論は、その後20世紀に入ってから、社会科学に援用され、人類社会も弱い者は淘汰され、強い者だけが生き残るなどといわれました。
その典型的なものが共産主義思想です。
社会のすべては「対立と闘争」によって成り立ち、強い者が勝者となって、まさにこの世の贅沢を手中におさめるのです。
そのために、世の中のすべてのものは、常に対立と闘争に明け暮れ、弱い者、敵対するもの、対立するものは、すべて殺戮の対象、討ち滅ぼす対象とされました。
ところがダーウィンの進化論だと、どうして「一番弱い」脊椎生物のピカイヤだけが、最後に生き残ったのかの説明がつきません。
このためダーイウィン進化論をとる学者さんたちは、
「もし、進化をもう一度やり直したとしたら
同じ結果にはならないであろう。
絶滅してしまった生物の方が、
もしかしたら今度は生き残るかもしれない。
生物がいまのようなカタチになったのは、
何らかの偶然のもたらした結果なのである」
などと説明したりしていました。
要するにピカイヤが最終的にカンブリア紀を生き残ったのは、ただの偶然の産物であるとしか説明できなかったのです。
しかしそれは、生物学が「科学」であることを否定する見解です。
なぜなら科学は、何回実験しても同じ結果になる、つまり反復可能性(別な言い方をすると再現性)が認められて、はじめて科学といえるからです。
法則がない、つまり反復できない、あるいは再現性のないものは、科学と呼ばないのです。
つまりダーウィン進化論をもってカンブリアを説明することは、科学者自身が、ダーウィンの進化論は科学ではないと自らを否定しているのと同じことです。
通常、これを「自爆」と言います。
そこで別な論が求められます。
それが「共生論」です。
「共生論」は、生物は互いに共生することで生き残る、と説きます。
カンブリア紀についていえば、自分だけが生き残ろうとして、甲冑に身を固めた生物や、目を5つも付けた生物は、それぞれが「自分だけ」の生き残りを図ろうとした結果、他の種と共生できなくなって自滅したと見ます。
カンブリア紀のエイリアンやプレデターたちが排他的な強さを求めたということは、周囲の敵を滅ぼし、自分だけが生き残ろうとした結果です。
つまり環境そのものを、自分に都合が良いように変化させようとしたわけです。
その結果、互いに殺し合いが起こり、地球環境の変化にも対応できず、結果、自滅してしまったわけです。
しかしその共生論も、実のところ、ピカイヤの生存を説明できません。
なぜなら、共に生きるのが共生論だからです。
数万種、もしくは数千万種の生命体のなかで、ひとつしか生き残れなかったのなら、それは共生とは言いません。
では、ピカイヤはどうして生き残れたのでしょうか。
それは先程申し上げましたように、陸上へと、つまり新たな生きる場を求めて繁殖地を広げ、その新たな環境の中で、その新たな環境に適合していったからです。
これは、「勝者」でも「共生」でもない、「適合」です。
似たような絶滅の話で、恐竜の絶滅があります。
恐竜たちは、我が身を守るために巨大生物に進化しました。
補食者もいれば、植食者もいましたが、どの種も自分の生き残りのために「勝者」となろうとし、巨大に進化しました。
なるほど襲撃してくる天敵よりも巨大なら、それは有利です。
そしてこれはあきらかに「共生」ではありません。
ちなみにこの巨大化は、現代の地球環境では生じ得ないとされています。
酸素濃度が低いからです。
酸素濃度が高いと、巨大化が可能になります。
しかしその巨大化によって、酸素を生む植物を一定以上に食い尽くしてしまうと、今度は身体を維持できるだけの酸素が地上になくなってしまうのです。
恐竜の絶滅については、他に火山の爆発説、巨大隕石落下説などがあります。
いずれの説を取るにしても、生命体というのは意外と強靭なもので、そうした災害があっても、必ず生き残る者がいるものです。
そうであれば、恐竜は現代においても、ちゃんと生き残っている種がなければなりません。
つまり火山説も隕石説も、恐竜が絶滅したことを説明できないのです。
もっとも恐竜については、近年おもしろい説が提唱されています。
恐竜は卵を生んだことはよく知られた事実ですが、同様に鳥類や爬虫類も卵を生みます。
少し前まで、恐竜は毛のない裸の生き物であったかのように想像されていたのですが、近年では、鳥類や爬虫類のように、羽毛や鱗(うろこ)があったのではないかと言われるようになってました。
羽毛を持ったユティランヌスと、鱗に覆われたティラノサウルス


要するに、鳥類は羽毛のある恐竜から進化、爬虫類は鱗のある恐竜が進化したものだというわけです。
火山説にせよ、隕石説にせよ、その頃の生物が絶滅の危機に瀕するほど甚大な影響をもたらしたことは間違いないと思いますし、そのどちらもが大量の火を発生させますから、地球上の酸素濃度に影響を与えます。
従ってその時点で、あまりに大型化した生物は絶滅するしかなかったでしょうし、一方、小型の生物で生き残ったものは、そのまま新たに酸素濃度が低くなった環境に「適合」していったと考えられます。
それにしても恐竜が、いまの小鳥に進化したって、ずいぶんとかわいらしくなったものです。
「強者」も「共生」も、それだけでは生き残ることができない。
環境に「適合」した者だけが生き残るということは、きわめて大事なことを示唆しているといえます。
権力者や支配者が、自分たちだけの繁栄のために他の人々を蹂躙し、その生産物や富を収奪することで、一族の繁栄を築くという生存モデルが、その方向だけに進化したものが、かつての世界の王国であり、植民地支配の宗主国たちであり、また現代世界の大金持ちさんたちです。
しかしその方向が突き詰められたとき、それらは社会的「強者」となり、「共生」を否定し、結果、滅びの道をたどることになった。
まさに栄枯盛衰であり、これまで世界で繰り返されてきたことです。
世の中には、郷に入って郷に従わない民族がありますが、その民族は戦後、米国や欧州に移民をはじめて、世界中の様々な都市にチャイナタウンを形成しました。
郷に入って郷に従わないのですから、自分たちだけが住むコミュニティ・エリアを作るしかなかったわけです。
ところがそうなると、そのチャイナ・タウン内では、China語が普通に通用するようになります。
すると一掃、当該国と馴染まなくなる。
そして一定の財力を付けると、今度はその国の産業を奪い、さらに最先端技術まで奪うようになりました。
つまりどこまでも利己的であって、そこに環境適合性もないし、共生もない。
とにもかくにも、自分さえ良ければ良いわけです。
古代のChineseと、現代のChineseが人種が違うという、おもしろい話があります。
黄河文明の遺跡から出土する人骨のDNAを調べてみると、それらは黄色種ではなく、コーカソイド、つまり白人種だったというのです。
これは東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らによる古代Chinaの人骨のDNA分析研究の成果です。
研究の対象となったのはChinaの、
1 約2500年前の春秋時代の人骨
2 約2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨
3 現代の臨シ住民、
です。
これらの人骨から得たミトコンドリアDNAを比較研究してみると、三つの時代の臨シ人類集団は、まったく異なる遺伝的構成を持っていることがわかりました。
どういうことかというと、Chinaにはもともと揚子江のほとりに、稲作を行う黄色種が住んでいたのです。
そこにある日、黄河の流域に大型の動物を追ってコーカソイド(白人種)がやってきて住み着きます。
白人種たちは大型動物を捕って食べる種ですから、大型の武器を持っています。
住まいも移動生活に便利な竪穴式です。
黄色種たちは農耕文化です。武器は持たず、代わりにクワやスキを手にしています。
住まいは、食料保管の都合から高床式です。
要するに武器を持たない黄色種のところに、ある日突然、武器を持った白人たちが現れたわけです。
腹を減らした武器を持った白人種と、豊富な食べ物を持っていて、かつ、武器を持たない黄色種が出会ったわけです。
法のない時代です。武器を持つ者にとっては、武器を持たないものは、蹂躙の対象です。
黄色種は襲われ、食べ物を奪われ、女性たちは強姦されます。
しかしそのようなことが繰り返されれば、黄色種だって黙っていません。
復讐のために武器を手にして白人種に戦いを挑みます。
お互いの殺し合いや強姦は、互いの恨みを助長します。
戦いは凄惨をきわめていきます。
こうしてChinaでは、春秋戦国時代が始まります。
双方の種は、次第に互いが大軍を率いるようになり、殺し合いも大型化していきます。
そして勝者は敗者の女性を犯します。
すると白人種と黄色種の血が混じるのですが、数の上では、黄色種が圧倒的多数いる。
するとどうなるかというと、長い歳月の間に、外見は次第に黄色種が強くなるのです。
そして結局の所、その好戦的なDNAを持った男たちは全部滅んでしまいました。
だから現代ChineseのDNAの中に、白人種のDNAが失われています。
つまり好戦的で、そのための強靭な体力を持った男性は、すべて、互いに殺し合って、種として滅んでしまったのです。
進化の末路です。
このことは、南米の歴史によく似ています。
アルゼンチンやウルグアイは、白人種によって先住民族のモンゴロイドがほぼ完ぺきに抹殺されたため、いまでは外見は完全に白人種の国家となっていますが、エクアドルやペルー、ボリビアなどは外見は黄色種に近くなっています。それでも彼らは100%白人種との混血です。
両者の違いは、要するに先住民族の女たちが手当たりしだい強姦されたあげく子を産む前に全部殺された国と、手当たり次第強姦されたけれど、それが全部殺されるには至らなかったという違いです。
南米が白人種によって征服された時代は、銃の時代です。
けれど、China大陸で白人種とモンゴロイドが争った時代は、いまから4000年ほど昔で、まだ弓槍の時代です。カタチとしては、エクアドルやペルー、ボリビアなどと同じく、外見はモンゴロイドになったわけです。
面白いのは、現代の臨シ住民のDNAです。
彼らの中には、ミトコンドリアの中にだけにしか白人種のDNAがありません。
ミトコンドリアのDNAは、母親から娘にしか遺伝しないのですが、これが何を意味するかというと、要するに血の気の多い白人系の人を殺すことを何とも思わない男たちのDNAは、殺し合いの結果、自滅してしまったということなのです。
結果として女性から女性に遺伝するミトコンドリアDNAの中にだけしか、大昔の征服者である白人種のDNAが残っていないのです。
いまでもChineseは、先天的に殺し合いが好きな民族ですが、これは彼らがまさに白人種と黄色種の種の殺し合いの中で、つまり戦いの中で生き残ってきたDNAを持つ民族だから、ということができます。
Chinaにおけるこうした流れは、カンブリア紀のような1億年という途方もない長い時代の流れではなく、約4000年という短期間に起きた現象ですが、この流れを俯瞰してみると、もしこれを対立と闘争という淘汰論(進化論)で語るとするならば、勝ち残るのは強いコーカソイドでなければならず、現代Chineseの外見も白人種にならなければならないことになります。
ところが実際に生き残ったのは、黄色種系の外観です。
つまり、弱い方が生き残りました。
ピカイヤと同じです。
これは実に興味深いことです。
なぜなら、対立と闘争という淘汰論で説明のつかないことが、共生論なら、簡単に説明がついてしまうからです。
では「共生種」はどうでしょうか。
日本は共生の文化です。
支配のための進化を好まず、あらゆるものと共生しようとします。
そして日本は、その共生の文化によって、大東亜を戦い、世界から植民地を消し去りました。
つまり、日本の共生は、支配の進化と戦って勝利し、その進化を阻止したのです。
ところがその結果、世界に新たな構造変化が生まれました。
冷戦です。
冷戦は、共産主義への進化を標榜するソ連を中心とした東側と、他民族共生を謳う米国を中心とした西側の戦いでした。
結果は、ご存知の通り、共生の側の勝利となりました。
しかし、その共生の側も、いまやその共生が崩壊しつつあります。
他民族共生が混乱と無秩序をもたらし、結果、世界は他民族排除の動きになりつつあります。
諸国というのは、いわばそれぞれの民族文化や考え方のもとに進化したひとつの生命体とみることができます。
つまりいま世界には200種余の、国という名の生命体があります。
しかしその生命体は、たがいに共生しうるのでしょうか。
共生が可能なら、戦乱は起こりません。
そして戦乱のない世界は、世界中の誰もが求めるものです。
しかしそれら200余国のなかには、自国だけが贅沢三昧をし、自国だけが儲け、自国だけが繁栄することしか考えない、我儘と傲慢を絵に書いたようなCという自称大国もあります。
その国に、共生という思考はなく、唯我独尊、自分だけいい思いができるなら、なんでもありという思考と行動しかありません。
はたして世界の諸民族は、そんな傲慢な国と共存が可能なのでしょうか。
無理だと思います。
ではどうしたら良いのか。
彼らに飲み込まれるしかないのでしょうか。
そうならないためには何が必要でしょうか。
答えはひとつしかないと思います。
「変化」です。
傲慢な国に飲み込まれないように、国そのものが変化していかなければなりません。
これが環境への「適合変化」です。
どんなときでも、柔軟に、いまある中での最適解を求めて柔軟に「適合変化」する。
ピカイヤの生存の方法と同じです。
彼らの我儘を許さない個人を、国を、世界を築くことです。
日本は、ある瞬間に豹変することができる国柄を持ちます。
平時に於いては、平和憲法だ、護憲だ、右翼だ、左翼だとゴチャゴチャ言っていても、ある瞬間に豹変して、瞬時に国を正常化してしまう。
それが日本です。
そして新しい日本は、もう私たちのすぐ近くまでやってきています。
日本的環境適合性とは、このある瞬間に、日本が豹変できる国であることです。
そんなことを、カンブリア紀の進化の大爆発を例に考えてみました。
みなさんは、どうお感じになりますか?
※この記事は2018年10月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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