先人に感謝。 爺さんに感謝。 父に感謝。 そして子や孫の幸せのために、自分にできる最善を尽くす。 それが大人というものの生き方です。 わが国では、父母も祖父母も曾祖父母も高祖父母も、祖先たちも、何千年、何万年も前から、ずっとそうやって生き、時代をつむいできたのです。 これこそが日本人の誇りです。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
尋常小学読本四から、「松の木の話」をご紹介したいと思います。
これもまた、たいへん示唆に富んだお話です。
原文は漢字とカタカナ文ですので、いつものようにねず式で現代語訳します。
***
尋常小学読本四
第12 松の話
松の木は、青い針のような葉を持っています。
その葉は、たいてい2つづつ一緒になって付いています。
松の葉は、他の木の葉のように、色が変わったり、落ちたりするようなことはありません。
ですから人が「松はめでたい木だ」と言って、門松(かどまつ)などにします。
あるとき、林の中に小さな松の木がありました。
たいそう自分の葉を嫌って、いつも
「金の葉を持ってみたいものだ」
と言っていました。
ある朝、目を覚まして見ますと、葉がすっかり立派な金の葉に変わっていました。
松の木はたいそうよろこびました。
ところがまもなく人が来ました。
そしてその金の葉を、ひとつも残さず、取っていってしまいました。
松の木はたいそう悲しがりました。
そしてそれからは、
「カラスの葉を持ってみたいものだ」
と言っていました。
ある朝、松の木が目を覚ますと、どの枝にもガラスの葉が付いていました。
それは陽が映えて、たいそうきれいでした。
松の木は、またたいそう喜びました。
ところが間もなく、風が強く吹いてきました。
そしてそのガラスの葉を、ひとつ残らず吹き落として壊(こわ)してしまいました。
松の木は、またたいそう悲しがりました。
そしてそれからは、
「金の葉や、ガラスの葉には、
もう懲(こ)りてしまった。
草のような葉を持ってみたいものだ」
と言っていました。
ある朝、目を覚ましてみますと、どの枝にも、草のような葉が付いていました。
松の木は、たいそう喜びました。
ところが間もなく、牛が来ました。
そしてその葉をすっかり食べてしまいました。
松の木は、声をたてて泣き出しました。
そしてそれからは、
「金の葉や、ガラスの葉や
草のような葉には
もう懲りてしまった。
やっぱり元の、
青い針のような葉が
一番よい。
どうかして早く元の通りになりたいものだ」
と言っていました。
ある朝、目を覚ましてみますと、すっかり元の通りになっていました。
松の木は、たいそう喜びました。
そしてそれからは、もう
「他の葉を持ってみたい」
と言ったことはありませんでした。****
みなさまは、何をお感じになりましたか?
松は、どんなに土の栄養のとぼしい、岩場や断崖絶壁、あるいは砂地でも風雪に耐えて雄々しく茂ることから、古来、源氏の象徴としされてきた木です。
それこそが、どんな難事にあっても、不退転の武士の心だということで、武士の象徴ともされ、ですからお城といえば、庭に松の木が定番ともなりました。
またお能は源氏の棟梁の足利氏が引き立てた芸能ですが、そうした次第から、全国どこの能楽堂でも、壁には松の木が描かれています。
その松の木が、金やガラスや草をうらやましがって、実際に枝をそのようにしたら、結果は残念なことになったというのが、この物語です。
けれど考えてみれば、戦後の日本は、たとえば住宅行政において、欧米式の核家族住宅をよろこび、そのような家を手に入れることが、サラリーマンの夢とされ、気がつけば、国土から緑が失われ、災害に弱い都市をつくってしまいました。
住宅用の木材も、国産材を使わず、舶来品ばかりをありがたがって、法制度もそのように変えたのですが、外材は、たとえば年間の平均湿度が20%に満たないような土地で生えた木材を用いるわけです。
日本は高温多湿の国ですから、そのような木材を住宅用に使えば、木材は大喜びで空気中の湿気を吸う。
結果、壁紙の裏側はカビだらけといった事態を呼んだりしています。
個人の生活においても、他人の生活をうらやんだり、手に入らないとわかれば悪口を言ったりと、これまた読本の松の木のように、ないものねだりをしては、結果、民度を下げています。
分をわきまえて生きる。
自分の分の中で、雄々しく、しっかりと人生をすごしていく。
そうしたことのたいせつさを、戦前は、子供たちにしっかりと教えていたのです。
そういう教えを受けて育った人たちが、大正生まれの日本の若者たちでした。
そしてそうした教育を受けた彼らが、果敢に戦ったのが先の大戦です。
大戦が終わったあと、彼らが同窓会を開くと、ひとクラス40人の学級で、男子20人、女子20人いたのに、集まるのは女子が15〜6人、男子は3人か4人だけでした。
なぜかというと、戦争でみんな死んでしまったからです。
それだけの犠牲を払いながら、苦労して、私たしの国を遺してくれたから、いまの私たちの命があります。
そのことに感謝の心のひとつも持たずに、ただ姦(かしま)しく戦前の批判ばかりするような人を、私は信用する気になれません。
なにより大切なことは、いま私たち自身が、こうして命をいただいているのは、彼らが苦しい戦いを必死で闘ってくれたから、そうした先人たちの恩に、感謝する心を持つことこそが、自分が人であることの証(あかし)だと思うからです。
だから、感謝の心を持たず、ただいたずらに批判ばかり繰り返す人を、私は「ひとでなし」だと思っています。
せっかく人に生まれたのに、人でなしを生きるなんて、あまりにも馬鹿げています。
そうじゃありませんか?
先人に感謝。
爺さんに感謝。
父に感謝。
そして子や孫の幸せのために、自分にできる最善を尽くす。
それが大人というものの生き方です。
わが国では、父母も祖父母も曾祖父母も高祖父母も、祖先たちも、何千年、何万年も前から、ずっとそうやって生き、時代をつむいできたのです。
これこそが日本人の誇りです。
昭和天皇が終戦の翌年に詠まれた御製です。
降り積もる
深雪に耐えて
色変えぬ
松そ雄々しき
人もかくあれ大切な「お示し」だと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
きのした ゆうた
松の話から、自分も松のように逞しく生きたいと思います。キッドという映画にも、今回ような話のようなシーンが、あったのを思い出しました。
2021/10/10 URL 編集