加藤清正に学ぶ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ



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教育勅語に、
「一旦緩󠄁急󠄁アレハ
 義勇󠄁公󠄁ニ奉シ
 以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ
 扶翼󠄂スヘシ」という言葉があります。
ひとたび危急の大事があったならば、不可能を可能にする力を奮い起こして公のために身を奉じ、
これをもって天壌(あめつち)に終わりがない皇運を支えなさい」という意味です。

加藤清正像
20200925 加藤清正
画像出所=https://shirobito.jp/article/495
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

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昨日聞いたびっくりするお話。
就職試験の面接のとき、面接に来た若者に、「前職はどのようなお仕事だったのですか」と聞いたところ、
「はい。オレオレ詐欺をやっていました」

いやはや、言って良いことと悪いことや、事の善悪の区別がつかなくなり、儲かりさえすれば何をやっても良いのだという、千年遅れた外国の文化に、なんともはや、ここまで染まるものかと。
「ならぬことは、ならぬのです」と什の掟で育った人が聞いたら、びっくりすることでしょう。

こうしたことの背景にあるのは、パワーと価値観のバランスの乱れです。
パワーというのは「武力、財力、情報力」で、この青年は財力をパワーと考え、パワーがありさえすれば、好きなことを何でもできるのだと、単純に思い込んでいる。

けれど世の中には、正義というものがあるわけです。
正義とは価値観です。
何が価値有ることなのか。
そして価値は、パワー(力)を凌駕することができる、というのが、昔の日本人の考え方です。
どうせ命をかけるなら、あるいはせっかくのこの人生を意義あるものとして生きるためには、パワーのために人生を費やすのではなく、正義のために、価値有るもののために使っていこう。そういう人生を生きていこうというのが、昔の日本人の常識です。

そして力のある人ほど、そうした価値や正義のために生きようとした。

「義を見てせざるは勇無きなり」は、『論語』の為政篇第二24にある言葉です。
そこには次のように書かれています。

「子いわく、その鬼(き)に非(あら)ずして之(これ)を祭(まつ)るは諂(へつらい)なり。義を見て為(な)さざるは勇無きなり」
(原文:子曰。非其鬼而祭之、諂也。見義不為、無勇也。)

現代語に意訳すると次のようになります。
「先生いわく、
 御魂でもないのに、さもありがたいことのように
 なにものかを祀(まつ)るのは、
 ただのまやかしであり、へつらいです。
 同様に、我が身を捧げるべきときに
 それをしないのは、
 勇気がないからです」

修身教科書にあるこの加藤清正の物語は、約束を果たすために我が身を捧げた清正の義勇をあらわしたものといえます。

「義」とは、漢語の意味は、我が身を神に捧げる羊のように、身命(しんみょう)を捧げることです。
大和言葉では義と書いて「ことわり」と読みますが、これはあらかじめ定まった道のことです。

「勇」の漢字は、重いものを持ち上げる力を意味し、そこから転じていさましいことをあらわします。
大和言葉では、「いさむ」と読み、「いさ」は差を埋めることですから、いわば越えられない壁を乗り越える力のことをあらわします。

ですから「義勇」とは、ひとことでいうなら、「不可能を可能にする力」です。
このことを題材にした物語が、戦前の教科書の尋常小学修身書巻五にあります。
加藤清正(かとう きよまさ)のお話です。

 ***
「信義」

加藤清正は、豊臣秀吉と同じく尾張の人であります。
三歳のとき、父を失い、母の手で育てられていましたが、母が秀吉の母といとこの間柄でしたから、後に秀吉の家に引き取られて育てられました。
15歳のとき、一人前の武士として秀吉に仕え、たびたび軍功をたてて、次第に立派な武将となり、肥後(ひご)を領して秀吉の片腕となりました。

秀吉は、その頃乱れていた国内をしずめ、さらに明国を討つために、兵を朝鮮へ出しました。
清正は、一方の大将となって彼の地へ渡りました。

清正の親しい友だちに、浅野長政という人がありましたが、その子の幸長(よしなが)も、朝鮮に渡って勇ましく戦っていました。
ところがあるとき、幸長が蔚山(うるさん)の城を守っていたところへ明国の大兵(たいへい)が攻め寄せてきました。

城中には兵が少ない上に、敵が激しく攻め立てるので、城はたちまち危なくなりました。
そこで幸長は使いを清正のところへやって救いを求めました。

清正の手もとには、敵の大兵に当たる程の兵力がありませんでした。
けれども清正は、その知らせを聞くと、

「自分が本国を発つとき、
 好長の父・長政が、
 くれぐれも幸長のことを自分に頼み、
 自分もまたその頼みを引き受けた。
 いまもし幸長を早く救わなかったら、
 自分は長政に対して面目が立たない」
と言って、身の危険をかえりみず、部下の五百騎を引き連れて、すぐに船で出発しました。


味方の船は、わずかに20艘ばかり。
清正は、銀の長帽子(ながぼうし)のかぶとをつけ、長槍をひっさげ、船の舳先(へさき)に突立って部下を
指揮し、手向かってくる数百艘の敵船を追い散らし、囲みを破って蔚山の城に入りました。
それから幸長とここに立て篭もり、力を合わせて明国の大兵を引受け、さんざんにこれを悩ましました。

そのうちに兵糧(ひょうろう)が尽き、飲み水もなくなって、非常に難儀をしましたが、とうとう敵を打ち破りました。

格言「義ヲ見テ為(せ)ザルハ勇ナキナリ」

 ***


この義勇について、教育勅語には、
「一旦緩󠄁急󠄁アレハ
 義勇󠄁公󠄁ニ奉シ
 以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ
 扶翼󠄂スヘシ」

とあります。

「ひとたび危急の大事があったならば、不可能を可能にする力を奮い起こして公のために身を奉じ、
これをもって天壌(あめつち)に終わりがない皇運を支えなさい」という意味です。

ちなみにこの小文は、朝鮮半島での戦いの模様を表していますが、本文をお読みいただくと、そこに攻め寄せてきたのは「明国の兵」と書いてあることがわかります。
よく「秀吉の朝鮮征伐」と言いますが、これは戦いがあった場所が半島であったことを言っているのであって、秀吉の軍が戦ったのは、あくまで明国の兵であったことを意味します。
日本が戦ったのは、あくまで明国であって、李朝ではありません。

この時代、半島にあったのは李氏朝鮮王朝ですが、この王朝に半島の政府としての機能も意思もありません。
いわば半島にあった暴力団の組長のようなもので、行政機能を持ちません。
ですから半島では国民への教育も行なわれていませんし、半島の人々も、自分たちが李朝の国民、つまり李氏朝鮮国の国民であるという「李氏朝鮮国民」としての自覚も意識も認識もありません。

そういう情況ですから、戦いが始まっても、半島人にとっては、外国人たちが自分たちの土地で勝手に戦っているという程度の認識しかなかったし、まして国を守るなどという意識もありません。
そもそも守るべき国を持っている認識自体がない。

その意味では「秀吉の朝鮮征伐」という言葉は、「川中島の戦い」という語と同じで、戦いが行われた場所が半島内であったというだけで、川中島に住む人々が戦いの当事者ではないのと同じものであるというのが、我が国の古くからの認識です。

***

下にある動画は、涼恵さんの歌う君が代です。
君が代の持つやさしい響き、高天原に通じる美しい響きを、神官でもある涼恵さんが歌い上げています。
君が代をオペラのように歌う歌い方もありますが、君が代の歌詞に込められた古代からの私たちの祖先の想いは、もっとやさしく、もっと美しい、清陽(すみてあきらか)なものだと思います。
その清陽を、見事に歌い上げていると思います。

ちなみに、このプロモーション・ビデオで、君が代を2回歌っていますが、これが本来の歌い方です。
我が国では、単独のものは必ず二度繰り返す。
手紙が1枚なら、何も書かれていない紙を後ろに付けるし、何かをするときも同じことを二度繰り返すか、あるいは2名で行います。
報告も2系統から行われる。
そうすることで、思いを確実なものにしていくというのが、我が国の伝統文化です。

争わず、やさしさを保持して生きることができる社会こそ、人類の理想といえる社会です。
そんな国柄を護る、やさしさを護る。それがやまとおのこのつとめです。
男は男らしく。女は女らしく。
そうすることで互いの良さを最大限に発揮できる社会こそ、私達が取り戻そうとしている豊葦原の瑞穂の国です。
そして君が代は、そんな大和の国を皇国臣民のみんなで讃える歌です。
君が代こそが、国歌です。




※このお話は2020年10月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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