軍人勅諭は、明治15(1882)年1月4日に、明治天皇から、陸海軍人に下賜された訓誡です。正式名称は「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」といいます。 昔は、軍隊に入ると、まずこの軍人勅諭から次の五項目の暗記と暗唱をさせられたものです。
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軍人勅諭
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!!最新刊!! 軍人勅諭は、明治15(1882)年1月4日に、明治天皇から、陸海軍人に下賜された訓誡です。正式名称は「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」といいます。
昔は、軍隊に入ると、まずこの軍人勅諭から次の五項目の暗記と暗唱をさせられたものです。
一(ひとつ)軍人は忠節を尽すを本分とすべし。
一(ひとつ)軍人は礼儀を正しくすべし。
一(ひとつ)軍事は武勇を尚(とうと)ぶべし。
一(ひとつ)軍人は信義を重んすへし。
一(ひとつ)軍人は質素を旨とすへし。残念なことに軍人勅諭は、昭和23(1948)年6月に、衆参両院で排除・失効が決議されています。
米国国防省が、日本の教育勅語・軍人勅諭を全面的に否定する方針を打ち出し、GHQがこれにならって教育勅語ならびに軍人勅諭を否定するように口頭で指示し、これを受けて日本の国会で全会一致で廃棄が決まったものです。
戦後生まれの私達は、大東亜戦争は昭和20(1945)年8月15日終わったと、半ば「思い込まされて」いますが、実は違います。
8月15日に終わったのは、武器を用いた戦闘活動であって、実はその日を境に本格的な戦争の「掃討戦」が始まっているのです。
「掃討戦」というのは、相手国への徹底した破壊活動です。
そして終戦によって占領がはじまり、その占領によって日本に対する徹底した破壊工作戦が行われています。
つまり、占領行為というのは、それ自体が戦争行為なのです。
昭和23年の廃棄決議の名前は、
衆議院=教育勅語等排除に関する決議
参議院=教育勅語等の失効確認に関する決議 です。
人間でいったら、両手両足を縛られて拘束され、のど元に武器を突き付けられた状態で、廃棄を決議せよと強要されたわけで、たとえそれが議会決定であったとしても、状況からして、脅迫・強要による意思表示として法的にその廃棄は、本来、無効です。
さて、軍人勅諭は、その最初の前段において、
1 日本は天皇を頂点とする君主国であること。
2 歴史的に軍は本来、政庁の所轄するものではなく、君主である天皇が直接所轄するものである、
ということが、明確に述べられています。
だからこそ日本軍は「皇軍」であったわけですけれど、同時にこの日本軍が占領後に解体されることによって、GHQは、思う存分日本解体工作を、まさに「やりたい放題」できるようになりました。
いまは、このGHQの敷いた路線の上に、ChinaやKoreaが乗っかって、日本解体を推し進めています。
また、憲法改正案の議論がこれからいよいよ本格化してくると思いますけれど、それら改正案をみても、かなり右寄りな団体が唱える改憲案を見ても、自衛隊を国防軍に名称変更する程度の話にしかなっていません。
軍人勅諭においては、軍は内閣や政府の管轄下ではなく、陛下の直轄下にあると既定されています。
だからこそ、軍人勅諭において、「朕は汝等軍人の大元帥なるそ」と宣言されているのです。
ただし、その運用にあたっては、帝国憲法に基づき、内閣が責任を負うとされています。
つまり、憲法上も、軍に関する責任は天皇にはない。
ここも、帝国憲法を考える上でとても大切なポイントです。
警察は内閣のものです。
けれど軍は陛下の軍です。それを内閣が運用責任を負っています。
警察法の枠内で動く存在だからです。
けれども軍隊は、国法の及ばないところでの活動をします。
このことはとても重大なことです。
すなわち警察は、どこまでも法の枠内でしか動いてはならないものであるのに対し、軍は法のないところで動くことができる存在だからです。
極端な話、いま国内数万箇所に隣国のスパイ拠点があります。
現在の法では、法がないからこうしたスパイ施設を警察が取り締まることはできませんが、軍ならば法とは関係なく必要に応じてそれらスパイ拠点を破壊することができます。それだけ大きな違いが軍と警察にはあります。
では自衛隊はどうかというと、自衛隊は装備は軍に近いですが、軍ではありません。
あくまでも現在の位置づけは警察予備隊です。つまりどこまでも法の範囲で行動する警察の範疇の存在です。
事件も事故も災害も戦時も、あらかじめ法で定めた「国家の法の都合」で発生するものではありません。
ということは、法の及ばない事態が起きた時に、政府さえも機能不全に陥ったときに、独自に国家のために活動できる軍の存在は、どんな国においても不可欠です。
これは憲法9条とも関係ありません。
憲法9条は、他国を侵略するための軍備の保有は禁じていますが、国軍の存在そのものはどこにも禁じていません。
問題は、いつのまにか、自衛隊を国軍化するという話が、国軍を憲法や法の枠内に収めるという、まったく論理の破綻した議論にすり替えられていることが、実は、大きな問題なのです。
ここを多くの人が騙されています。
9条を守れといいますが、自衛権というのは、国家の生存権であって、憲法以前のものです。
9条は自衛権まで禁じているものではありません。
ですから岸内閣のときには、憲法9条に基づいて日本は核武装できると、公式説明がなされています。
そもそも戦争というものは、
1 侵略戦争
2 自衛戦争
3 制裁戦争
の3つの種類があります。
9条が禁止しているのは、このうちの1侵略戦争だけです。
9条にそのように書いてあります。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「国権の発動たる戦争」というのは、自衛戦争のことを意味しません。
他国への侵略戦争のことを意味します。
そして侵略戦争のための軍隊は持たないと2項で宣言しています。
2の自衛戦争というのは、他国に攻められたり、侵略されたりしたときに行う自己防衛戦争のことを言います。
先に述べましたとおり、自己防衛は国家生存権であり、これはあらゆる法規に優先します。
つまり、超法規的な戦争であって、憲法で規定できるようなものではありません。
ですから当然に我が国は、自己防衛のために必要な陸海空の軍隊を持つことができます。
あたりまえのことです。
さらに3の制裁戦争は、これは国際協調に基づいて行われる侵略国等への国際制裁の一環としての戦争です。
基本的に国際条約や国際社会の意思決定に基づいて行われますが、国際ルールが、国内法に優先するのは、ごくあたりまえの常識です。
少し前に、K国の最高裁が、慰安婦問題に関して、我が国との間に解決済みとの条約があるのに、現憲法の人権に違反するという判決を出して国際社会から笑われました。
しかし同じことを日本も行っています。
国連のPKOなどの軍隊派遣に際して、国内法である憲法に違背するからと、派兵を拒むという議論が、あたりまえのようにされていました。
憲法学者の先生方まで、そんな馬鹿げた主張をしていました。
そして日本は国際社会から笑われました。
9条を守るかどうかなど、ハナから問題にならないのです。
そうではなくて、問題の本質は、国軍を警察機能の延長線上に置くのか、法の外の存在にするのか、なのです。
これを左翼は恐れます。
なぜなら、彼らの破壊活動ができなくなるからです。
内閣も、内閣が所轄する自衛隊も、法に基づいてしか動けません。
ですから、軍は内閣の外になければならず、だからこそ、天皇直轄の皇軍であるべきものです。
その意味で、軍人勅諭の記述は、国際法に則った正論といえるものです。
また、軍人勅諭の5には、「凡(おおよそ)質素を旨とせされは文弱に流れ、軽薄に趨(はし)り、驕奢華靡の風を好み、遂には貪汚(たんを)に陷りて志も無下に賤しくなり、節操も武勇も其甲斐なく、世人(よのひと)に爪はしきせらるゝ迄に至りぬへし。其身生涯の不幸なりといふも中々愚なり。此風一たひ軍人の間に起りては彼の伝染病の如く蔓延し、士風も兵気も頓に衰へぬへきこと明なり」とあります。
現代語にしますと、
「およそ質素を第一としなければ、武を軽んじ文を重んじるように流れ、軽薄になり、贅沢で派手な風を好み、遂には欲が深く意地汚くなって、こころざしもひどくいやしくなり、節操も武勇もその甲斐なく、世の人々から爪弾きされるまでになることでしょう。それはその人にとって生涯の不幸であることはいうまでもないことです。
こうした悪い気風がひとたび軍人の間に起こったら、それは伝染病のように蔓延し、軍人らしい規律も兵士の意気も急に衰えてしまうことは明らかです」となります。
まるで、いまの日本そのものです。
ではどうするかというと、これもまた軍人勅諭に書かれています。
「朕は深くこれを恐れて、先に免黜条例(官職を辞めさせることについての条例)を出し、ほぼこのことを戒めて置いたけれども、なおもその悪習が出ることを心配して心が休まらないから、わざわざまたこれを戒めるのである。お前たち軍人は、けっしてこの戒めをおろそかに思ってはならない」です。
議員や公務員であっても、この免黜条例に違背する者は、即刻免職できるようにすべきです。
免黜条例の内容は、7つです。
1 品行不正
2 交際不正
3 怯懦畏避
4 抗言持頑
5 職務不治
6 不曲失儀
7 闘争
いまいる国会議員でも、この7項目に照らせば、特に左系の議員はほぼ全員、免職処分になるのではないでしょうか。
そこで軍人勅諭には、どんなことが書いてあったのか。
今日は、あらためてそれを見てみたいと思います。
いつものように、わかりやすさを優先させて、現代語訳します。
原文は末尾に示します。
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軍人勅諭
明治15年陸軍省達乙第2号 (1月4日)
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我が国の軍隊は、代々天皇が統率してきました。
昔、神武天皇みずから大伴氏や物部氏の兵を率い、大和地方に住む服従しない者共を征伐し、天皇の位について全国の政治をつかさどるようになってから二千五百年あまりの時が経っています。
古くは天皇みずからが軍隊を率い、ときには皇后や皇太子が代わったこともありましたが、およそ兵の指揮権を臣下に委ねたことは、もともとはありませんでした。
ところが中世になると、文武の制度を唐の国に傚(なら)って、六衛府を置いて左右馬寮を建て、防人(さきもり)などを設けました。
これらによって兵の制度は整いましたが、平和に慣れ、朝廷の政務も文弱に流れ、兵農は、いつのまにか二分され、古(いにしえ)の徴兵はいつのまにか、壮兵の姿に変り、これが遂に武士となり、兵馬の権はひたすらに武士たちの棟梁である者のものとなり、世の乱とともに、政治の大権もまた、武士たちの所管するものとなり、七百年の間、武家の政治となりました。
世の中の有様が移り変わってこのようになったのは、人の力をもって引き返せないと言いながら、一方では我が国体(国家のあり方)に背き、一方では我が祖宗(神武天皇)の掟に背くものでした。
時は流れて弘化、嘉永の頃(江戸時代末期)から、徳川幕府の政治が衰えました。
そのうえ米国をはじめとする欧米列強が通商を求めて日本を圧迫して日本人が侮辱を受けそうな事態になりました。
朕(天皇の自称)の皇祖であられる仁孝天皇、皇孝(天皇の父)孝明天皇が非常に心配されたのは勿体なくもまた畏れ多いことです。
さて朕は、幼くして天皇の位を継承しましたが、征夷大将軍(幕府の長)はその政権を返上し、大名、小名が領地と人民を返し、年月が経たないうちに日本はひとつに治まる世の中になり、昔の制度に立ち返りました。
これは文官と武官との良い補佐をする忠義の臣下があって、朕を助けてくれた功績です。
そしてこのようになったのは、歴代の天皇がひたすら人民を愛し、後世に残した恩恵であり、同時に我が臣民が、心に「正しいこと」と「間違っていること」の道理をわきまえ、大義(天皇の国家に対する忠義)の重さを知っていたからです。
だから、この時において軍隊の制度を改め、我が国の光りを輝かそうと思い、この十五年の間に、陸軍と海軍の制度を今のようにつくり定めることにしました。
そもそも、軍隊を指揮する大きな権力は、朕が統括するところです。
様々な役目は、臣下に任せるが、そのおおもとは朕みずからこれを執り、あえて臣下に委ねるべきものではありません。
代々の子孫に至るまで深くこの旨を伝え、天皇は政治と軍事の大きな権力を掌握するものである道理を後の世に残して、再び中世以降のような誤りがないように望みます。
朕はお前たち軍人の総大将(大元帥)であるぞ。
だから朕はお前たちを手足のように信頼する臣下と頼みます。
お前たちは朕を頭首と仰ぎなさい。
そうすれば、その親しみは特に深くなることでしょう。
朕が国家を保護し、おてんとう様の恵みに応じて、代々の天皇の恩に報いることが出来るのも出来ないのも、お前たち軍人がその職務を尽くすか尽くさないかにかかっています。
我が国の稜威(日本国の威光)が振るわないことがあれば、お前たちはよく朕とその憂いを共にしなさい。
我が国の武勇が盛んになり、その誉れが輝けば、朕はお前たちとその名誉を共にするでしょう。
お前たちは皆その職務を守り、朕と一心になって、力を国家の保護に尽くせば、我が国の人民は永く平和の幸福を受け、我が国の優れた威光(人を従わせる威厳)は大いに世界の輝きともなることでしょう。
朕はこのように深くお前たち軍人に望むから、そのためになお、教えさとすべきことがある。次にこれを左に述べます。
1.軍人は忠節を尽すを本分とすへしおよそ生を我が国に受けた者は、誰でも国に報いる心がなければなりません。
まして軍人ともあろう者は、この心が固くなくては物の役に立つことが出来るとは思われません。
軍人でありながら国に報いる心が堅固でないのは、どれほど技や芸がうまく、学問の技術に優れていても、やはり人形に等しいのです。
隊列(兵隊の列)も整い、規律も正しくても、忠節を知らない軍隊は、ことに臨んだ時、烏合の衆(烏の群れのように規律も統率もない寄せ集め)と同じです。
そもそも、国家を保護し国家の権力を維持するのは兵力にあるのです。
だから、兵力の勢いが弱くなったり強くなったりするのは、すなわち国家の運命が盛んになったり衰えたりすることとわきまえ、世論に惑わず、政治に関わらず、ただただ一途に軍人として自分の義務である忠節を守り、義(天皇の国家に対して尽くす道)は険しい山よりも重く、死はおおとりの羽よりも軽いと覚悟しなさい。
その節操を破って、思いもしない失敗を招き、汚名を受けることがあってはなりません。
2.軍人は礼儀を正しくすへしおよそ軍人には、上は元帥から下は一兵卒に至るまで、その間に官職(官は職務の一般的種類、職は担当すべき職務の具体的範囲)の階級があり、その統制のもとに属します。
そして同じ地位にいる同輩であっても、兵役の年限が異なるから、新任の者は旧任の者に服従しなければなりません。
下級の者が上官の命令を承ることは、実は直ちに朕が命令を承ることと心得なさい。
自分がつき従っている上官でなくても、上級の者は勿論、軍歴が自分より古い者に対しては、すべて敬い礼を尽くしなさい。
また、上級の者は、下級の者に向かって、少しも軽んじて侮ったり、驕り高ぶったりする振る舞いがあってはなりません。
おおやけの務めのために威厳を保たなければならない時は特別であるけれども、そのほかは務めて親切に取り扱い、慈しみ可愛がることを第一と心がけ、上級者も下級者も一致して天皇の事業のために心と体を労して職務に励まなければなりません。
もし軍人でありながら、礼儀を守らず、上級者を敬わず、下級者に情けをかけず、お互いに心を合わせて仲良くしなかったならば、それは、単に軍隊の害悪になるばかりでなく、国家のためにも許すことが出来ない罪人です。
3.軍人は武勇を尚(とうと)ふへしそもそも武勇は、我が国においては昔から重んじたのですから、我が国の臣民ともあろう者は、武勇の徳を備えていなければなりません。
まして軍人は、戦いに臨み敵にあたることが職務であるから、片時も武勇を忘れてはなりません。
武勇には大勇(真の勇気)と小勇(小事にはやる、つまらない勇気)があります。
これは同じものではありません。
血気にはやり、粗暴な振る舞いなどをするのは、武勇とはいえないのです。
軍人ともあろう者は、いつもよく正しい道理をわきまえ、よく胆力(肝っ玉)を練り、思慮を尽くしてことをなさなければなりません。
小敵であっても侮らず、大敵であっても恐れず、軍人としての自分の職務を果たすのが、誠の大勇です。
だから、武勇を重んじる者は、いつも人と交際するには、温厚であることを第一とし、世の中の人々に愛され敬われるように心掛けなさい。
理由のない勇気を好んで、威勢を振り回したならば、遂には世の中の人々が嫌がって避け、山犬や狼のように思うことでしょう。心すべきことです。
4.軍人は信義を重んすへしおよそ信義を守ることは一般の道徳ですが、なかでも軍人は、信義がなくては一日でも兵士の仲間の中に入っていることは難しいものです。
信とは自分が言ったことを実行し、
義とは自分の務めを尽くすことをいいます。
信義を尽くそうと思うならば、はじめよりそのことを出来るかどうか細かいところまで考えなければなりません。
出来るか出来ないかはっきりしないことをうっかり承知して、つまらない関係を結び、後になって信義を立てようとすれば、途方に暮れ、身の置きどころに苦しむことになります。
悔いても手遅れです。
はじめによくよく正しいか正しくないかをわきまえ、善し悪しを考え、その約束は結局無理だと分かり、その義理はとても守れないと悟ったら、速やかに約束を思いとどまるべきです。
昔から、些細な事柄についての義理を立てようとして正しいことと正しくないことの根本を誤ったり、古今東西に通じる善し悪しの判断を間違って自分本位の感情で信義を守ったりして、惜しい英雄豪傑どもが、災難に遭い、身を滅ぼし、死んでからも汚名を後の世までのこしたことは、その例が少なくありません。
深く戒めなければならないことです。
5.軍人は質素を旨とすへしおよそ質素を第一としなければ、武を軽んじ文を重んじるように流れ、軽薄になり、贅沢で派手な風を好み、遂には欲が深く意地汚くなって、こころざしもひどくいやしくなり、節操も武勇もその甲斐なく、世の人々から爪弾きされるまでになることでしょう。
その人にとって生涯の不幸であることはいうまでもないことです。
この悪い気風がひとたび軍人の間に起こったら、あの伝染病のように蔓延し、軍人らしい規律も兵士の意気も急に衰えてしまうことは明らかです。
朕は深くこれを恐れて、先に免黜条例(官職を辞めさせることについての条例)を出し、ほぼこのことを戒めて置いたけれども、なおもその悪習が出ることを心配して心が休まらないから、わざわざまたこれを戒めるのです。
お前たち軍人は、けっしてこの戒めをおろそかに思ってはなりません。
右の五ヶ条は、軍人ともあろう者は、しばらくの間もおろそかにしてはなりません。
そして、これを実行するには、偽りのない心こそ大切です。
そもそも、この五ヶ条は、我が軍人の精神であって、偽りのない心はまた五ヶ条の精神です。
心に誠がなければ、どのような戒めの言葉も、よいおこないも、みな上っ面の飾りに過ぎず、何の役にも立ちません。
心にさえ誠があれば、何事も成るのです。
まして、この五ヶ条は、天下おおやけの道理、人として守るべき変わらない道です。
おこないやすく守りやすい。
お前たち軍人は、よく朕の戒めに従って、この道を守りおこない、国に報いる務めを尽くせば、日本国の人民はこぞってこれを喜ぶことでしょう。
そのことは、朕ひとりの喜びにとどまらないのです。
明治15年1月4日
御名
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(原文)
陸海軍軍人に賜はりたる勅諭(軍人勅諭)
我國の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある昔神武天皇躬つから大伴物部の兵ともを率ゐ中國のまつろはぬものともを討ち平け給ひ高御座に即かせられて天下しろしめし給ひしより二千五百有餘年を經ぬ此間世の樣の移り換るに隨ひて兵制の沿革も亦屢なりき古は天皇躬つから軍隊を率ゐ給ふ御制にて時ありては皇后皇太子の代らせ給ふこともありつれと大凡兵權を臣下に委ね給ふことはなかりき中世に至りて文武の制度皆唐國風に傚はせ給ひ六衞府を置き左右馬寮を建て防人なと設けられしかは兵制は整ひたれとも打續ける昇平に狃れて朝廷の政務も漸文弱に流れけれは兵農おのつから二に分れ古の徴兵はいつとなく壯兵の姿に變り遂に武士となり兵馬の權は一向に其武士ともの棟梁たる者に歸し世の亂と共に政治の大權も亦其手に落ち凡七百年の間武家の政治とはなりぬ世の樣の移り換りて斯なれるは人力もて挽回すへきにあらすとはいひなから且は我國體に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間しき次第なりき降りて弘化嘉永の頃より徳川の幕府其政衰へ剩外國の事とも起りて其侮をも受けぬへき勢に迫りけれは朕か皇祖仁孝天皇皇考孝明天皇いたく宸襟を惱し給ひしこそ忝くも又惶けれ然るに朕幼くして天津日嗣を受けし初征夷大将軍其政權を返上し大名小名其版籍を奉還し年を經すして海内一統の世となり古の制度に復しぬ是文武の忠臣良弼ありて朕を輔翼せる功績なり歴世祖宗の專蒼生を憐み給ひし御遺澤なりといへとも併我臣民の其心に順逆の理を辨へ大義の重きを知れるか故にこそあれされは此時に於て兵制を更め我國の光を耀さんと思ひ此十五年か程に陸海軍の制をは今の樣に建定めぬ夫兵馬の大權は朕か統ふる所なれは其司々をこそ臣下には任すなれ其大綱は朕親之を攬り肯て臣下に委ぬへきものにあらす子々孫々に至るまて篤く斯旨を傳へ天子は文武の大權を掌握するの義を存して再中世以降の如き失體なからんことを望むなり朕は汝等軍人の大元帥なるそされは朕は汝等を股肱と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ其親は特に深かるへき朕か國家を保護して上天の惠に應し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を盡すと盡さゝるとに由るそかし我國の稜威振はさることあらは汝等能く朕と其憂を共にせよ我武維揚りて其榮を耀さは朕汝等と其譽を偕にすへし汝等皆其職を守り朕と一心になりて力を國家の保護に盡さは我國の蒼生は永く太平の福を受け我國の威烈は大に世界の光華ともなりぬへし朕斯も深く汝等軍人に望むなれは猶訓諭すへき事こそあれいてや之を左に述へむ
一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし
凡生を我國に稟くるもの誰かは國に報ゆるの心なかるへき况して軍人たらん者は此心の固からては物の用に立ち得へしとも思はれす軍人にして報國の心堅固ならさるは如何程技藝に熟し學術に長するも猶偶人にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正くとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合の衆に同かるへし抑國家を保護し國權を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是國運の盛衰なることを辨へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ其操を破りて不覺を取り汚名を受くるなかれ
一 軍人は禮儀を正くすへし
凡軍人には上元帥より下一卒に至るまて其間に官職の階級ありて統屬するのみならす同列同級とても停年に新舊あれは新任の者は舊任のものに服從すへきものそ下級のものは上官の命を承ること實は直に朕か命を承る義なりと心得よ己か隷屬する所にあらすとも上級の者は勿論停年の己より舊きものに對しては總へて敬禮を盡すへし又上級の者は下級のものに向ひ聊も輕侮驕傲の振舞あるへからす公務の爲に威嚴を主とする時は格別なれとも其外は務めて懇に取扱ひ慈愛を專一と心掛け上下一致して王事に勤勞せよ若軍人たるものにして禮儀を紊り上を敬はす下を惠ますして一致の和諧を失ひたらんには啻に軍隊の蠧毒たるのみかは國家の爲にもゆるし難き罪人なるへし
一 軍人は武勇を尚ふへし
夫武勇は我國にては古よりいとも貴へる所なれは我國の臣民たらんもの武勇なくては叶ふまし况して軍人は戰に臨み敵に當るの職なれは片時も武勇を忘れてよかるへきかさはあれ武勇には大勇あり小勇ありて同からす血氣にはやり粗暴の振舞なとせんは武勇とは謂ひ難し軍人たらむものは常に能く義理を辨へ能く膽力を練り思慮を殫して事を謀るへし小敵たりとも侮らす大敵たりとも懼れす己か武職を盡さむこそ誠の大勇にはあれされは武勇を尚ふものは常々人に接るには温和を第一とし諸人の愛敬を得むと心掛けよ由なき勇を好みて猛威を振ひたらは果は世人も忌嫌ひて豺狼なとの如く思ひなむ心すへきことにこそ
一 軍人は信義を重んすへし
凡信義を守ること常の道にはあれとわきて軍人は信義なくては一日も隊伍の中に交りてあらんこと難かるへし信とは己か言を踐行ひ義とは己か分を盡すをいふなりされは信義を盡さむと思はゝ始より其事の成し得へきか得へからさるかを審に思考すへし朧氣なる事を假初に諾ひてよしなき關係を結ひ後に至りて信義を立てんとすれは進退谷りて身の措き所に苦むことあり悔ゆとも其詮なし始に能々事の順逆を辨へ理非を考へ其言は所詮踐むへからすと知り其義はとても守るへからすと悟りなは速に止るこそよけれ古より或は小節の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り或は公道の理非に踏迷ひて私情の信義を守りあたら英雄豪傑ともか禍に遭ひ身を滅し屍の上の汚名を後世まて遺せること其例尠からぬものを深く警めてやはあるへき
一 軍人は質素を旨とすへし
凡質素を旨とせされは文弱に流れ輕薄に趨り驕奢華靡の風を好み遂には貪汚に陷りて志も無下に賤くなり節操も武勇も其甲斐なく世人に爪はしきせらるゝ迄に至りぬへし其身生涯の不幸なりといふも中々愚なり此風一たひ軍人の間に起りては彼の傳染病の如く蔓延し士風も兵氣も頓に衰へぬへきこと明なり朕深く之を懼れて曩に免黜條例を施行し畧此事を誡め置きつれと猶も其悪習の出んことを憂ひて心安からねは故に又之を訓ふるそかし汝等軍人ゆめ此訓誡を等閑にな思ひそ
右の五ヶ條は軍人たらんもの暫も忽にすへからすさて之を行はんには一の誠心こそ大切なれ抑此五ヶ條は我軍人の精神にして一の誠心は又五ヶ條の精神なり心誠ならされは如何なる嘉言も善行も皆うはへの裝飾にて何の用にかは立つへき心たに誠あれは何事も成るものそかし况してや此五ヶ條は天地の公道人倫の常經なり行ひ易く守り易し汝等軍人能く朕か訓に遵ひて此道を守り行ひ國に報ゆるの務を盡さは日本國の蒼生擧りて之を悦ひなん朕一人の懌のみならんや
明治十五年一月四日
御名お読みいただき、ありがとうございました。
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